まだ陽が昇っていない薄暗い朝。澄んだ空がぼんやりと青く光っている。
いつもより早く目が覚めてしまった私は、ひと通り朝の支度を終えると温室へ向かった。
今の時期は香りの強い花が多く、あの場所はいい匂いに包まれているのだ。朝の静けさと花の匂い。私は温室で過ごすそんな時間が好きだった。

いつものように扉を開けると、そこには見慣れた広い背中があって、私は思わず声をかける。


「おはよう、ドゥドゥー」
「……ああ、おはよう」


大きな身体がゆっくりと振り返って、私の言葉に返事をくれる。表情は相変わらず乏しくて、彼がなにを考えているかは分からない。それでも雰囲気から嫌がってはいないと判断して、私は入室した。

温室に置いてある一脚の椅子に腰をかけ、ほう、と息をつく。肺いっぱいに花の匂いが入ってきて、幸せな気持ちになった。


「……それは、お前のだったのだな」
「私のってわけじゃないよ。食堂の椅子を入れ替えるっていうから、一脚ここに置かせてもらっただけ」


先日、食堂の椅子を数脚破棄することを知って、セテス様に願い出てここに置かせてもらうことの許可を頂いた。温室は座るところがないから、長時間いるには不向きだったのだ。せっかくこんなに落ち着く場所なのだから、椅子くらいほしくなる。

そうか、とドゥドゥーは小さく頷いて、は手に持っていた大きなジョウロで花に水をあげていく。途中だったのだろう。もしかしたら彼だけの時間の邪魔をしてしまったかもしれない。


「毎日水やりしていたの、ドゥドゥーだったんだね」
「……ああ」
「花が好きなの?」
「……ああ、好きだ」


いつも私が温室に来る頃には水やりは終わっていて、誰もいないことが常だった。水を浴びてキラキラと輝く花たちを見るたび、早朝から真面目で丁寧な人がいるものだと尊敬していたのだ。それがまさかこんな近くにいただなんて。


「……」


ドゥドゥーは無言で花に水をあげ続けている。水を与えられた花たちは気持ちよさそうに見えた。
温室を一周して水をあげ終えたのか、ドゥドゥーは手早くジョウロを片付ける。そして私に向き直った。


「……すまない」
「えっ?」


謝られる理由が分からなくて、思わず聞き返してしまった。ドゥドゥーは相変わらず無表情で、表情から彼の真意を垣間見ることはできそうにない。私は意を決して彼に尋ねた。


「ごめんなさい、私、ドゥドゥーに謝られる理由が分からなくて……」
「……お前はほぼ毎朝温室に来ているだろう。だからいつも時間が被らないようにしていたのだが……」


ああそうか、ドゥドゥーが配慮をしてくれていたのか。
私が来る時間帯を把握して、タイムリミットまでにすべての作業を終わらせて。そして顔を合わせないように温室から出て行く。
とても気を遣う作業だっただろうに。朝からそんな大変なことをさせてしまっていただなんて。誰かが作業してくれていて気持ちいいな、なんてことしか考えられなかった自分が恥ずかしい。


「私の方こそ、気を遣わせちゃってごめんなさい」
「いや、お前が謝ることではない。殿下のためでもある」


殿下のため?

もちろん、ドゥドゥーが何かをするときは殿下のためという理由であるときが一番多いけれど、主語の部分がよく分からなかった。けれど、それをわざわざ聞くのは野暮だろう。


「……おれは戻る」
「あ、待って」


まだ話をしていたくて、反射的にドゥドゥーの腕を掴んだ。そしてお互いビクッと身体が跳ねた。私はあまりの腕の太さにびっくりして、ドゥドゥーは私に掴まれたことにびっくりして。
私はすぐに掴んでいた手をすぐに離す。


「ごめんなさい、嫌だったよね」
「……いや。お前こそ、嫌だっただろう。ダスカー人に触れるのは」
「え?」


見上げるように上を向いてドゥドゥーを見る。困ったような、悲しそうな、なんとも言えない表情をした彼がそこにいた。

そんなことないのに。誰かが言ったのだろうか。彼に対して、彼の出自を否定するようなことを。そんな酷いことを。そうでなければ、すぐにそこに思考は結びつかないはずだ。


「違うよ。ダスカー人だから嫌なわけじゃない。まだ話していたかったの。でも手を掴んで引き留めるのは……、失礼だったね」
「話、とは」
「具体的なものじゃなくて、雑談というか……。ドゥドゥーの話が聞きたくて」
「……面白い話は、できん」
「それは聞いてみないと分からないよ」
「……なら、今度だ。今は駄目だ」
「どうして?」
「……お前なら分かるだろう」


言われて気がつく。早朝、来る人間が限られた温室、密室、2人きり。頭にそんな単語たちが浮かんできて血の気が引いた。確かに今は駄目だ。非常に良くない。


「ありがとう、ドゥドゥー。話はまた今度だね。部屋に戻るよ」
「……ああ」


またあとで、と彼に挨拶をして温室を出る。念のため視線だけ左右へ動かして、周りに誰かいないか確認をした。
よかった、誰もいない。


せっかくドゥドゥーと話ができるいい機会だったのに。こういうとき、自分の立場がほんの少しだけ嫌になる。けれど、これも仕方ないことなのだ。それに大修道院での生活はまだ続く。話をする機会くらい、これからいくらでも作れるはずだ。
自分にそう言い聞かせて、私は自室へ戻るために歩き出す。


先程よりも明るくなった空が、ガルグ=マク大修道院を照らしていた。




220813




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