待ち合わせの20分前。すべての準備を終えた私は意を決して自室から出た。髪と服装は昨日メルセデスに見立ててもらった通りにしているし、お化粧もいつもよりしっかりめにしている。特に口紅には気をつかって、流行りのもので私に似合う色をひいた。もちろん、これもメルセデスのお墨付きをもらっている。名前に似合ういい色ね、と言ってくれたものだ。いつもはつけない香水もつけて、全身に気をつかえるだけつかったのだ。恐らく大丈夫だろう。ここまできたらそう信じるしかない。

ドキドキしながら大修道院の正門へ向かう。殿下がお見えになるまで門番さんと話をして気を紛らわせよう、なんて考えていると、見慣れた金髪が目に入った。


「で、殿下!?」
「ああ名前、早いな」
「い、いえ!お待たせして申し訳ありません!」


まだ約束の時間より前だというのに、すでに殿下は待ち合わせ場所にいらっしゃっていた。貴人をお待たせしてしまったという失態に、全身から冷や汗が噴き出る。慌てて頭を下げた。


「頭をあげてくれ、名前。朝早くに目が覚めてしまっただけだ。それに、女性は準備に時間がかかると聞いている」
「え、いえ、あの、お、恐れ入ります……」


恐る恐る顔をあげると、碧い双眸と目が合った。優しげにそれを細めて私を見ている。あまりの居た堪れなさにしどろもどろになりながらも、殿下のお優しさに胸に手を当ててもう一度頭を下げた。

それにしても、メルセデスの言う通り私服で来て本当によかった。今日の殿下は私服だったのだ。制服のようにきっちりと着込んだ装いではなく、首元が空いたゆったりした服をお召しになっている。もしも私が制服で来ていたら恥をかかせてしまっただろう。帰ったらメルセデスにお礼を言わなければ。


「名前、街へおりる前に二つほどお願いを聞いてはくれないだろうか」
「お願い、ですか?」
「今日一日敬語は使わなくていい。それから敬称ではなく名前で呼んでほしいんだ」
「なっ……!」


なにを仰っているんですか!
殿下があまりにも突拍子のないことを仰るものだから、私は思わず叫びそうになった。それをすんでのところでなんとか堪える。


「こうして私服で街におりるんだ。せっかくの機会だから友人のように接してほしい」
「殿下、しかしそれは……」


王族に対してそんな行いはあまりにも不敬で無礼極まりない。けれど、殿下が気軽に接せられることを望まれていると、アッシュやドゥドゥーから以前聞いたことがあった。
どうすることが正解なのか。考えあぐねていると、殿下は眉尻を下げて悲しそうな顔をした。その表情に、私はまた居た堪れなくなってしまう。


「……わ、分かりました。今日一日、そのようにさせていただきます」
「本当か!約束だぞ?」


途端に嬉しそうな顔になる殿下を見て、私はなんとも言えない気持ちになった。これは殿下が望まれたことなのだと自分に言い聞かせながら、重い口を開く。


「……よろしくね、ディミトリ」



**



休日だからだろうか、街はお祭りのような賑わいを見せていた。押し合うほどではないけれど、往来は人で溢れている。
これは下手をしたらはぐれてしまうかもしれない。殿下は上背があるし髪色も目を引くから私は見失わないけれど、平均的な身長の私は殿下から見ると探しにくいかもしれない。

どうするべきか、と考えていると、右手がそっと包まれる感覚があった。
なんだろう。そう思って見てみれば、殿下が私の手を握って指を絡ませていた。


「殿下!?」
「これならはぐれる心配はないだろう」
「確かにそうですがそういう問題ではないと言いますか……!」
「知っての通り俺は力が強いからな。痛かったらすぐに言ってくれ。今は痛くないか?」
「大丈夫ですが、殿下これはさすがに……」


友人の域を越えてはいませんか、と申し上げる前に、殿下が私を覗き込む。


「今日は友人として接してくれるんだろう?」
「うっ」
「はは、お前は真面目だな」


殿下は久しぶりに大修道院の外に出られて、開放的な気分になっていらっしゃるのだろうか。距離が随分と近い気がする。しかしこれが殿下の望む友人の形なのだと思うとなにも言えない。どこから回ろうか、と楽しげにはしゃぐ殿下に私は考えることをやめた。



**



「……うん、これで全部だね」


先生から渡された紙と持っている現物を確認して、私は頷いた。買い忘れはない。


「細々したものが多かったな」
「どれも消耗品だからね」


結局買ったものまですべて殿下に持っていただくことになり、現在彼の両腕は商品と私の手でそれぞれ塞がっていた。それを申し訳なく思いつつも、散々揉めた挙句に殿下に持っていただくことになった手前、今更それを蒸し返すことはできない。
せめてはぐれないようにしないとと思い、絡めあっている手に力を込める。すると、びくりと殿下の身体が跳ねた。


「ごめん、力強かったかな」
「……いや。いや、大丈夫だ」
「そう? じゃあ、帰ろうか」
「……」


ゆっくりとお店を回っていたせいか、もうお昼をだいぶ過ぎてしまっていた。どこかで昼食をとろうかと殿下から提案があったけれど、万が一毒の入ったものでもあったら一大事だ。大修道院に戻ってから食事をするのが一番安全だと進言して、渋々だけど納得していただいた。


「名前、やはり街で食事を……」
「ダメです」
「美味い甘味を出す店があるとイングリットに聞いたんだが……」
「ダメです」


前言撤回。殿下は全く納得していらっしゃらない。けれどこればかりは私にはどうすることもできない。毒味の心得がない私では、毒味役をしたところで意味はないからだ。

早く帰って食堂の食事を召し上がっていただこう。そう思って歩みを進めていると、視界の端でなにかがキラリと光った。反射的にそちらに目をやれば、そこには装飾品のお店があった。


「少し見ていかないか?」


私が一瞬だけ止まったのを殿下が気付かないはずもなく。彼は繋いだ手を引っ張ると、お店の方へ駆け寄るように向かって行った。


「これは……珍しいな」
「フォドラではあんまり見ないね」


どうやらそのお店はフォドラの外から仕入れた装飾品を売っているようだった。指輪に首飾り、耳飾りなどフォドラのものとは異なる作りをされたそれらが綺麗に陳列されていた。

これはアネットが好きそう、こっちはイングリットに似合いそう。そんなことを思いながら見ていると、その中でも一際目を引く装飾品があった。

それは金色の髪飾りで、中に小さな青い石が複数はめ込まれていた。装飾はあるけれど、華美ではない。あくまでも髪を留めることに重きを置かれたそれを、綺麗だと思った。
まるで殿下みたい、なんて不敬かもしれないことを考えてしまった。


「これが気になるか?」
「あ……。うん、綺麗だなって」


殿下みたいで、とは言えず、少しぼかした言い方をする。すると殿下はその髪飾りを手に取り、これを貰おう、と店主に話しかけた。


「え!? いえ、私持ち合わせが……」
「お前に出させるわけがないだろう。……ああ、包装も頼む」


高くはないけれど、買うのには少し躊躇してしまう金額だった。だから縁が無かったということで買うのはやめようと思っていたのに。
あれよあれよという間にその髪飾りは包装されていき、殿下は代金を店主へと渡してしまった。
品物を受け取った殿下はそれを私へ差し出す。


「で、殿下……」
「受け取ってくれるな?」


受け取らない選択肢はないでしょう。
そう思いながらも、私は自分の頬がゆるむのを抑えられなかった。肉親以外の異性から贈り物をされるなんてはじめてで、照れくさくて嬉しかった。


「ありがとう、ディミトリ」



**



その後はお互いなんだか恥ずかしくなってしまって、ほとんど会話のないのまま大修道院へ戻ってきた。それでもまだ手は繋いだままなのだから、余計に恥ずかしくなる。
正門で別れてもよかったのに、殿下は律儀にも私を部屋まで送り届けてくださった。別れ際になっても先程のことのせいで私は殿下の顔がまともに見られない。

それでもお礼は言わねばと口を開こうとすると、殿下がそっと私の髪に触れてきた。そして顔を寄せて髪へ口づけを落とす。物語の王子様のような一連の動作に、私は目を奪われた。そして殿下は私の耳元でそっと囁いたのだ。


「明日から、付けてほしい」


なにを、と聞かなくても分かった。低くて優しい声にどうにかなってしまいそうで、言葉を発することもできなくて、ただただ何度も頷いた。


「……また明日」
「……はい」


やっとの思いで声を絞り出す。殿下が離れていって、私は飛び込むように自室に入った。




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