※学生




任務帰り。うす紫に沈んでゆく街の中を、私はゆっくりと歩く。足どりはひどく重たい。できれば帰りたくない。そう思えば思うほど、足だけでなく心まで重たくなった。

傑が私たちの前から消えて、はや数ヶ月。高専内には、鬱々とした重苦しい空気が漂い続けていた。それだけでも居たくなくなるというのに、今日は任務前に機嫌の悪い悟に執拗に絡まれて、私は辟易した。
任務が長引けばいいと期待して現地に赴けば、そんな日に限って全くたいしたことのない呪霊しかいない。現地まで車で連れてきてくれた補助監督をなんとか説得して、のんびり歩いて帰ることにした。

途中コンビニに寄って、缶の冷たいココアを買う。甘いものから悟を連想してしまい、振り払うように頭を振った。

近くに公園があったので立ち寄ってみる。もう夕食どきに近いせいか、公園には人っ子ひとりいなかった。これ幸い、とブランコの近くにあるベンチに腰をかける。コンビニの袋からココアを取り出して、プルタブを開ける。口の中に流し込むと、甘ったるさが口の中に広がった。


「隣に座っても?」


声は後ろから聞こえた。優しくて懐かしい声音だった。数ヶ月前までは、ほぼ毎日聞いていた声。振り返ることもなく、どうぞ、とベンチの端に寄る。声の主はお礼を言って私の隣に座った。


「私にはお別れを言ってくれないのかと思ってた」
「そんなことしないさ」


ちらりと横を見る。声の主ーー傑はくつくつと喉を鳴らして笑っていた。制服ではない黒い服装に身を包んだ彼は、記憶にある姿よりだいぶ血色が良さそうだった。


「任務帰りかい?」
「うん。帰りたくなくて補助監督には先に帰ってもらった」
「大変そうだね」
「誰かさんのせいでね」


このくらいの嫌味を言うくらい許されるだろう。本当に大変なのだ。
傑が一般人を大量呪殺して消えたあと、高専は混沌に包まれた。なぜ。どうして。誰も答えてくれない疑問と衝撃に、みんな苛まれた。悟は荒れに荒れ、硝子は表に出さない分タバコの本数が驚くほど増えた。夜蛾先生は口数が少なくなったし、七海に至っては呪術師に希望をなくした。
先日、硝子と悟が傑に会ったと夜蛾先生から聞いたけれど、それでも高専内の空気はたいして変わっていない。相変わらず、息が詰まりそうな居心地の悪さが蔓延している。私はそんな高専から離れたくて、なるべく任務を振ってもらうようにしていた。


「今日も任務前に悟に絡まれた」
「へぇ。悟はなんだって?」
「なんでそんな普通にしてんだよ、だってさ」
「ははっ。今の真似、結構似てたよ」


悟は、傑が呪詛師になったのに私がなにも変わらず普通に生活し続けていることが気に食わないようだった。


「でも、私も気になるな。今だって私に全く物怖じしてない」
「友達に物怖じなんてしないでしょ」
「友達? 呪詛師なのに?」


傑が目を見開いて私を見る。相当驚いたようだった。その顔がちょっと面白くて、笑ってしまいそうになる。


「友達であることと呪詛師であることは両立するでしょ?」
「大量に殺してても?」
「ひとりも百人も一緒だよ。傑はもう私と友達じゃないの?」
「……いや。友達、かな」


傑が少し困ったような顔をして、私の問いに答える。そんなに変なことは言っていないと思うんだけどな。心の中でつぶやいた。


「友達の門出は祝うものでしょ」
「それが呪詛師でも?」
「それが呪詛師でも。」


イカれてるね。傑の口角が上がる。私は手に持っていたココアを胃に流しこんだ。


「私、今の傑の方が断然好きだよ」
「前は嫌いだったみたいな言い方だね」
「考え方は嫌いだったよ」
「考え方?」
「弱きを助け強きを挫く。呪術は非術師を守るためにある」
「そういえば、賛同してくれたことは一度もなかったね。正論だったから?」
「ううん。もっと個人的な理由」


そこで一旦話を区切って、缶の中に残っていたココアを飲み干す。空き缶をベンチに置いて、私は立ち上がった。傑に背を向ける。


「私、中学卒業するまでずっといじめられてたの。嘘つきとか、見えないものが見える不気味な子とか言われてね」
「……」
「だから高専に入って呪霊を祓えるようになって、ずっと思ってた。呪霊をけしかけてあいつらのこと殺してやりたい、死ぬよりも酷い目に合わせてやりたい、って。もちろん今も思ってるよ」
「……初耳だね」
「私も今はじめて人に話してる。……だから、傑が言ってたことが綺麗事すぎて、聖人みたいで嫌だった。私とは相入れないな、つらいことなんて経験したことないんだろうな、って思ってたの」


振り返って傑を見た。目が合う。


「だから今の、人間くさい傑の方が好き」
「……こんなに肯定されるなんて思わなかった」


傑が、照れたのを誤魔化すように頭をかく。しばらくして、傑は真面目な表情をして私を見た。


「一緒に来るかい?」
「同情ならいらないよ」
「まさか。そんなんじゃない。今の話を聞いて、こっちに来た方が楽かと思ったんだよ。それに単純に、君に肯定してくれたのが嬉しかった」


傑の言っていることは間違いない。私は呪術師より呪詛師向きだ。今この瞬間だって、私をいじめていた連中に報復したいと思っている。傑について行くかどうか、実は何度も考えていた。そして答えはもう出ている。


「誘ってくれてありがとう。でも私は行かないよ」
「理由は?」
「殺したい以上に守りたい人がいるから」


守りたい人。心の中で指折り数える。硝子、悟、夜蛾先生、七海、伊地知……。かつてその中には傑もいた。私の大好きで大切な守りたい人たち。何ものにも変えがたい私の宝物。


「守りたい人を守ったら、ついでに見ず知らずの他人が助かる。それだけだよ」


私をいじめていた連中も、そのほかの一般人も、ただおこぼれにあずかっているだけ。
守りたい人を守る。私が呪術師をやっている理由なんてそんなものだ。高尚な理念も崇高な大義も全くない。


「残念だな。振られてしまった」
「断ったから殺されちゃったりするのかな」
「友達は殺さないよ」


傑が眉毛をハの字にする。高専にいた時より、傑の表情は豊かになった気がする。やっぱり人間くさくなった。以前の彼は、丹念に消毒されたシミひとつない印象だったのに。案外人間は簡単に変わるものだなぁ、と感心した。


「もし行くようなことがあったら、その時はよろしく」
「いつでも待ってるよ。歓迎する」


傑が空を見上げる。もう辺りはすっかり深い闇に落ちていた。公園の街灯が煌々と輝いて、私たちを照らしている。


「それじゃあ、行くよ」
「うん、元気で」


傑はヒラヒラと手を振ると、闇の中へと消えて行った。傑の消えて行った方向をしばらく見つめてから、ベンチに置いていた空き缶を手に取る。そしてそれを、近くのゴミ箱の中へ丁寧に優しく落とした。




201201
title by 甘い朝に沈む

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