時刻は午前1時すぎ。深い闇が支配する時間帯。眠りから覚めてしまった私は、気分転換に自販機へ飲み物を買いに行くことにした。
しん、と静寂に包まれた幽幽たる寮内。音を立てないように、一歩一歩たしかめるように歩いてゆく。
夜中に部屋から抜け出ている、ということが、なにか悪いことをしている気分になってきて、どうにも居た堪れない。さっさと飲み物を買って部屋に戻ろう、と決意をして早足に足を進める。角を曲がると、自販機の前に誰かが立っていた。乙骨くんだ。


「あ、こんばんは。名字さんも買いに来たの?」
「砂糖」


肯定。頷いて、乙骨くんの隣に並ぶ。
自販機のボタンは全て光っていた。どうやら乙骨くんも、これから飲み物を買うところだったらしい。


「名字さんはもう決めた?」


乙骨くんの質問に、自販機の左端にある500ミリのペットボトルのオレンジジュースを指さす。自分の部屋からここに来るまでで、なにを買うかはすでに決めていた。この自販機のラインナップはひと通り飲んでみたけれど、オレンジジュースが一番美味しいと私は思う。
すると、乙骨くんはボタンを押して私が指さしたオレンジジュースを買うと、私に手渡してきた。


「あげる」
「し、塩!」


貰えない。首を振って拒絶する。
びっくりした。そんなつもりで指さしたわけではなかったのに。むしろおすすめだから飲んでほしい。乙骨くんの左手を掴んで、おすすめ、と手のひらに指で書く。
私の行動に乙骨くんは頷いたあと、なんということかもう一本おなじオレンジジュースを買った。どうやら意地でも私に奢ってくれるらしい。ニコニコとオレンジジュースを差し出してくる乙骨くんに頭を下げて、ペットボトルを受け取った。
その後、なんとなく流れで近くのベンチに二人で座って、それぞれペットボトルに口をつける。


【乙骨くんって意外と頑固だね】
「ええ、そうかな?」


念のためスマートフォンを持ってきてよかった。万が一、五条先生や夜蛾学長に見つかったときに言い訳をするために携帯していたのが功を奏した。


「名字さんはこんな時間にどうしたの?」
【目が覚めちゃって】
「あるある。僕もだよ」


乙骨くんは大変な人生を歩んでいるのに、全然ひねくれていない。誰に対しても分け隔てなく優しい。そういうところは棘さんと似ている。語彙を絞った私とでは会話がしづらいだろうに、よく話しかけてくれるしこちらの意図を汲もうとしてくれる。今だって、たぶん気を使ってくれた。なんとなくだけれど、乙骨くんは目が覚めてここにいたわけではないと思う。


「そういえば、名字さんはよくスマホ使うよね」
【いっぱい話したいから】


私は会話にスマートフォンを使う。絞った語彙では、まったくもって喋りたりないし、伝えたりないのだ。女性は男性よりよく喋るというけれど、本当にそうだと思う。きっと私が呪言師ではなかったら、今の三倍は喋っているだろう。
他にも、さっきのように相手の手のひらに文字を書いたりすることもある。ひと言だけ伝えたいときには、こちらが便利だからだ。


【この生活に少しは慣れた?】
「うん、そうだね。みんな優しいし」
【乙骨くんが優しいからだよ】
「そんなことないよ」


やわらかい会話が続く。乙骨くんといると、なんだか心が和らぐのだ。だからきっと、折本里香さんも乙骨くんのことが好きなのだろう。乙骨くんのそばは居心地がいい。
そうしてしばらく穏やかな時間が続いて、ペットボトルの中身が半分ほどまで減ったときだった。


「こんな時間になにしてるのかな?」


五条先生が現れた。先生こそこんな夜中にまだ起きてるなんて。乙骨くんがかいつまんで事情を説明してくれる。怒られるかと思ったけれど、そんなことで五条先生が怒るはずもなかった。どうやら先生も飲み物を買いに来ただけらしい。乙骨くんの話を聞きながら、自販機にお金を入れている。お目当てはミルクティーらしい。


「なんにしても早く寝るんだよ。明日つらいよ〜?」
「はい。じゃあ名字さん、おやすみ」
「マヨネーズ」


五条先生が珍しくまともなことを言っている。真希たちがいたら笑い転げそうだ。
乙骨くんは先生の言うことを聞いて、自分の部屋の方へ歩いて行った。仕方ない、まだ眠たくないけれど私も帰ろう。踵を返そうとすると、五条先生に呼び止められた。


「明日午後から任務ね」
【明日っていつですか】
「あ、そっか。今日だね。今日の午後」
「砂糖」


現在、高専の一年生の中で単独任務にあたることができるのは、二級術師である私と棘さんだけだ。わざわざ私に声がかかるということは、指名なのかもしれない。


「名前は伸びしろあるんだから頑張ってね。じゃ、おやすみ〜」
「マヨネーズ」


ミルクティーを片手に去って行く五条先生の背中を見る。伸びしろがある。先生にそう褒められるのは嬉しいけれど、同時に複雑な気持ちにもなる。その理由は明確だ。高専に入る前、狗巻家で小耳に挟んだうわさ話。

名字名前を狗巻棘の嫁として、狗巻家に嫁がせる。

それを知ったとき、根も歯もないうわさだと一蹴することができなかった。そもそも狗巻家の術式を持つ私を、そのまま野放しにしておく方がおかしい。しかも、私は棘さんと同じ二級術師。恐らく狗巻家としても、私がここまで術師として成長することは予想外だったのだろう。だから今ごろになって、そんな話が出始めている。私を狗巻家に取り込むために。その手段が結婚。そして子どもをもうけさせたいのだろう。親がどちらも術式を持っていれば、その間に生まれる子どもも術式を継ぐ確率が高くなるから。
棘さんはこの事を知っているのだろうか。蚊帳の外の私でも知っているのだから、きっと棘さんが知らないはずはない。たぶん、私に気をつかって知らないふりをしてくれている。そういう優しさを、彼は持っている。
棘さんは、私のことをどう思っているのだろうか。もしも、本当に結婚するような事態になったとしたら、どんな態度をとるのだろう。優しさでできたあの人に拒否されることが、私は怖い。


「はぁ……」


思わずため息がもれた。こんな事ではだめだ。頭を切り替えなくては。そんなもしもの話より、今日の任務が最優先。
私は乙骨くんに貰ったペットボトルを握りしめて、今度こそ部屋へと戻った。




210110

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