私の中にある一番古い記憶は、幼稚園のころだ。

教室でおなじ組の女の子と遊んでいたとき、その子が持っていた赤色のクレヨンを私も使いたくて、何気なく言ったことば。貸して。そう声に出した途端、彼女は私にクレヨンを差し出した。彼女は驚いた顔をしていた。その時は、なぜ彼女がそんな顔をしていたのか分からなかった。

貸して、は幼いころの私にとって、魔法のことばだった。そう言うと、誰であってもすぐに私に貸してほしいものを差し出してくれた。差し出しながらみんな驚いた顔をしていたけれど、それをたいして気にとめたことはなかった。私にとって、それがごくごく当たり前のことだったから。

名前ちゃんに貸してって言われると、身体が勝手に貸しちゃうの。そんなことを、幼稚園の誰かが言った。
当時の私には、そのことばの意味が理解できなかった。幼稚園の先生にも、理解できていないようだった。
当たり前だ。身体が勝手に動く、なんて非現実的なことを誰が理解できるだろう。
しかし、私の両親にはその意味が分かったようだった。

名前に抱っこしてと言われると、身体が勝手に動く。
そのころの私は大層な甘えんぼうで、両親にすぐに抱っこをねだるような子どもだった。抱っこして、と言えばすぐに両親は私を抱え上げてくれる。いつでも、どんなときでも、なにをしていても。だから、それも私にとっては魔法のことばだった。

貸して、と、抱っこして。この二つのことばは私にとって最強のことばだった。
私のことばに抗えないことに違和感を持った両親は、はじめ病院を頼った。しかし、どの病院でも手がかりは全く掴めない。

おなじころ、私は幽霊に怯えはじめる。オバケがいる、としきりに怖がる私を見て、今度は神社やお寺を訪ね回った。

そしてあるお寺に行き着く。そこの住職は私を見て、すぐに気がついたそうだ。私が普通の人間とは違う、見えないものが見える人であり、祓える力を持っていることに。
住職は高専と繋がりがあったそうだ。その後、私は高専で一時保護されることになった。そして高専で経歴を調べられ、名字家は狗巻家の遠縁であることが発覚した。同時に、狗巻家相伝の術式である呪言を引き継いでいることも。

その事はもちろん狗巻家の知るところになる。そして私は、今度は狗巻家で保護されることになった。その時に両親と狗巻家でひと悶着あったそうだが、私は詳しいことはなにも知らない。ただ、ちょっとした騒動ではあったらしい。

狗巻家に保護された私は、自分の持つ力について学ぶことになる。狗巻家の人間ではないことや女であることから、扱いはあまり良いものではなかった。保護というより、観察や監視といった表現が合うような扱い。狗巻家相伝の術式を継いだ女が、どこまでできるのか。その力量を測っているようだった。
けれど、生きていくためには力の扱い方を知らなければならない。私は、教えられることを必死に覚えていった。そうしなければならなかった。自分の力で人を傷つけたくはなかったから。


**


「名前、疲れてきたからって適当に受け身とるな」


パンダに吹っ飛ばされること数十回目。頭が非常にクラクラする。そろそろ休みたい。
けれどこれは、疲れていても攻撃を避けたり、しっかり受け身をとれるようになるための訓練だ。怠けるわけにはいかない。ここで怠ければ、それは現場での死に繋がる。

腹筋を使ってすぐに起き上がり、パンダの攻撃に備える。一撃目、二撃目を最小限の動きで躱すけれど、三撃目で捕まってまた投げられた。受け身をとる。痛い。


「こりゃもうスタミナ切れだな。棘と交代」
「……砂糖」


了解。頷いて立ち上がる。
向こうで座っている真希のところに行こうとヨロヨロ足を進めると、こちらに向かってくる棘さんと目が合った。サムズアップされる。


「明太子」
「ごまだれ」


お疲れ、という意味だろう。私はお礼を言いお辞儀をして、真希の隣に座る。


「二人が話してるの、ほんと面白いよな」


私を見て面白そうに真希が笑う。笑わないでよ、と眉をひそめてみせれば、悪い悪いとヒラヒラ手を振られた。絶対に悪いと思っていない。

私も棘さんも、狗巻家相伝の術式・呪言を使う。とても強力な術式だけれど、その分自分や他者への影響が大きい。だから私も棘さんも、安全のために語彙を絞っている。私は調味料、棘さんはおにぎりの具材しか喋らない。

しかしそのせいで、私と棘さんが喋るとおかしなことになる。さっきの会話がいい例だ。はたから見れば、意味不明なキャッチボール。慣れている真希でも、聞いていていまだに笑えるらしい。


「それにしても、いまだによそよそしいな」


さっきのお辞儀のことを言っているのだろう。
私はポケットからスマートフォンを取り出す。メモアプリを開いて、フリック入力で文字を打ちこんでいく。


【棘さんは狗巻家の方だから】
「ここでそんなこと気にしてるのオマエだけだろ」


幼いころから狗巻家で保護されてきた私にとって、狗巻家の方は畏まるべき、気をつかうべき存在だ。それは同い年の棘さんも例外ではない。


【様呼びをやめただけでも褒めてほしい】
「当たり前のことすぎて褒められねえよ」


棘様、と最初は心の中で呼んでいたし、文章にもそう書いていた。けれど棘さんがそれを嫌がったので、渋々さん呼びに敬称を変更したのだ。口に出して呼ぶわけではないのだから、恥ずかしいことはなにもないだろうに。棘さんの考えていることはよく分からない。

一応狗巻家の遠縁とはいえ、私の両親も祖父母も呪いさえ見えない非術師だ。そんなところから偶然、先祖返りのように狗巻家相伝の術式を持って生まれたポッと出に、棘さんは随分と優しい。他の狗巻家の方は、どうしてこんなやつに、なんてよく言っているのに。この術式のせいで苦労も多かったはずだ。それなのに棘さんの心は擦れていない。


「真希〜、交代してくれ〜」


パンダが向こうでブンブン腕を振って、交代を求めている。真希は置いてあった呪具を掴むと、待ってましたと言わんばかりに立ち上がって駆けて行った。

棘さんがこちらを向いて、私に向かって小さく手を振っている。会釈をするべきか、同じく手を振り返すべきか。さっきの真希のことばを思い出して、小さく手を振りかえしてみる。
これは失礼にはあたらないはず。たぶん。心の中でそう言い訳をする。
棘さんは驚いたように目を見開いたあと、嬉しそうに目を細めた。やっぱり棘さんは、こんなポッと出にも優しい。




201127

戻る




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -