「戻られましたか」


ベストラ邸に着いた頃には日は沈みかけていた。長く揺られてふらふらになった身体で馬車から出ると、門口にはヒューベルトがいた。いつもの窮屈そうな服装ではなく、ゆったりとした装いをしている。どうやら彼は私よりも先に家に帰されていたようだった。そしてわざわざ出迎えに来てくれたらしい。

懐かしい、と彼の顔を見て思った。仮にも夫に対して思うようなことではないけれど、数節も会っていなければそれも仕方がない。
久々に顔を合わせたことがなんだか気恥ずかしくて、目線を彼から少し逸らした。


「うん。久しぶりだね、ヒューベルト」
「ええ。こうして顔を合わせるのは何節ぶりでしょうな」
「お互い最近は……ううん、ずっと忙しかったもんね」
「全くです。積もる話もありますが、今日はもう休まれた方がいいでしょう。軽食を用意させています。もうすぐ湯浴みの準備も整うかと。」
「ありがとう」


すごい。至れり尽くせりだ。

ヒューベルトはいつも通り不敵に笑って、私の頬をそっと撫でた。労られている、と感じる。それに珍しく距離が近い。
彼だって疲れているはずなのに、見た目からはそれを微塵も感じなかった。私は疲れが顔に出てしまう性質だから、なんだか申し訳なくなる。


「さて。参りますか」


当然のように差し出された手。驚いてヒューベルトを見れば、先程と同じように不敵な笑みを浮かべたままだった。甘やかすように、なんてエーデルガルトから命じられでもしたのかな。それかドロテアあたりからの入れ知恵か。そんなことを考えながら、私はその手を取ったのだった。



**



ばふり。
綺麗に整えられた寝台へと私は倒れこんだ。まだ数回しか使ったことのないそれは新品同然で、なんだか少し落ち着かない。私のものだと宣言するようにゴロゴロと寝台の上で転がり回ると、整えた使用人たちの苦労も空しく、みるみるうちに見る影もなくなっていった。


「……眠れない」


しばらくちゃんとした寝台で寝ていなかったせいだろうか。眠たいはずなのに、頭や身体が覚醒してしまっている。それにやっぱり、この新品同然の寝台のせいもあるだろう。自分の家だというのに、私はいまだこの環境に慣れていないのだ。まるでお客さま気分。


声に出して自分の姓名を唱えてみる。最後につく、ベストラという姓にもいまだに私は慣れていない。どこか他人の名前のような気がする。だからこの家にも慣れない。距離があり、壁があり、浮いている。ふわふわと宙ぶらりんだ。


頭が覚醒しているせいで、取り留めのない思考がぐるぐると巡る。なにか温かいものでもお腹に入れたら、この頭も休まるかもしれない。そう思って起き上がると、控えめに扉を叩く音が聞こえた。扉に向かって入室を許可すると、カチャリと音を立てて扉が開く。


「……やはり、まだ起きていましたか」
「うん。眠れなくて」
「テフばかり飲んでいればそうもなりますよ」
「ヒューベルトもよく飲んでるでしょ」
「私は好きで飲んでいますから」
「それ、理由になってないよ」


するりとヒューベルトが私の部屋へと入ってくる。あ、と思ったときにはもう遅く、しっちゃかめっちゃかになった私の寝台を見て彼はくつくつと笑った。

ヒューベルトは手にしていた茶器を近くの卓へ置き、手慣れた仕草でお茶を淹れていく。やわらかい香りが私の鼻をくすぐった。もしかして。


「ハーブティー?」
「ええ。疲れたときにはこれかと。」
「至れり尽くせり……」


二回目は声に出た。
渡されたそれに、そっと口をつける。思ったよりも熱くなくて、温度さえもしっかりと配慮されていることに私は驚いた。


「ヒューベルトも飲んだら?」
「私はまだやる事がありますので。それより、明日以降の貴殿の予定を伺っても?」
「明後日はフェルディナントたちに仕事の引き継ぎを。明日とそれ以降はなにもないよ。エーデルガルトに休むように言われてるし……」


そこまで言って、ふとエーデルガルトが言っていた言葉を思い出した。結婚記念日。私と彼が夫婦になった日。
彼女がああ言っていたということは、ヒューベルトにも同じことを言った可能性が高い。けれど、それを私から切り出すのはなにか違う気がする。そして、同じく彼から切り出されるのも違う気がした。
そもそも、この記念日に限らず私もヒューベルトもそういうことを気にする性格じゃない。今日が今日であれば、明日が明日であれば十分だった。


「私もです。全く、我が主は心配性ですな」
「あれは心配性って言うのかな」
「ええ、もちろん」


少なくとも彼女は呆れていた。自ら馬車馬のように働く私たちをなんと言って休ませるべきか、もしかしたらずっと考えていてくれたのかもしれない。凛として皆の前に立つエーデルガルトだけど、実は士官学校時代から私たち級友に振り回されているのだ。そして困ったり怒ったり感情豊かにする彼女を、あの頃からヒューベルトは面白そうに見ていた。


「少し肩の力が抜けましたかな」
「うん。お陰で眠れそう。ありがとう」
「礼には及びませんよ」


ヒューベルトは丁寧な動作で茶器を私から回収すると、そのまま私の手を取った。そして自分の口元へと近づけて、見せつけるように軽く口づけを落とす。


「では、おやすみなさいませ」


呆気に取られてなにも言えない私をよそに、彼はさっさと部屋から出て行ってしまった。パタン、と扉が閉まってから私は我に返る。


「お、おやすみなさい……」


聞こえてもいないのに返事を返す自分は少し滑稽だった。


寝台に倒れ込んで、口づけを落とされた手の甲をまじまじと見る。
あれもドロテアあたりからの入れ知恵だろうか。いや、貴族らしい所作ならフェルディナントかもしれない。二人に挟まれてあれこれ言われるヒューベルトを想像すると、ちょっと面白い。

何はともあれ、ヒューベルトはこの休暇中、甘やかしの大盤振る舞いをしてくれるらしい。仲間に対してすることとはあまり思えないけれど、彼のことだから何かしら裏や考えがあるのかもしれない。
それなら私はただ身を任せるだけだ。少なくとも悪いようにはされないだろうから。


お腹が温まったせいか、まぶたが重たい。
私はそのまま落ちるように眠りについた。




231001

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