恋心を殺してしまいたい。
私は常に、そう思っていた。


最初は小学生の時。
消しゴムに好きな相手の名前を書いて、バレずに使い切る……なんて、幼稚なおまじないに頼っていた頃のこと。
お調子者だがスポーツが出来て、背の高い男の子がいた。

おそらくクラスの女子たちはその子が好きで、誰の消しゴムを見ても彼の名が書かれていたと思う。
だから皆、消しゴムの貸し借りはしなかった。
それなのに、何故だか母に「おまじない」を発見され、散々揶揄され、恋とはいけない事なのだと認識した。



中学生の時。
女でいることが嫌になり、セーラー服の下にジャージを履いて過ごしていた頃。
好きになってしまったのは、テニス部の先輩だった。
豪胆だが、真面目で優しい人。誰からも好かれていて、誰もを好いていたような人。

きっかけはあまりにも些細だった。
雨の日に、傘を貸した。それだけ。
たまたま折り畳み傘を持っていて、教室に置き傘があったから貸した。ただの親切心だ。……下心が全く無かったとは、言えないが。

だがそれを見ていた誰かに私たちが付き合っていると噂され、女子テニス部の反感を買った。
先輩は助けてくれなかった。彼も所詮、多数派の人間だったのだ。
制服が水浸しになっているのを見た瞬間、何もかもが冷めた。他人を想うことは痛みだと学んだ。



高校生の時。
もう誰も信じていなかったし、期待もしていなかった。
部活には入らず、登校から下校までずっと一人で過ごす。誰も寄せ付けず、心を閉ざす。
不便では無かった。むしろ快適だった。
根暗、恐い、何を考えているかわからない、気持ち悪い……陰口は届いたが、無関係の奴らが喚いているだけだと全てシャットアウトしていたから。

それなのにまた、人を好きになってしまった。お節介な担任が当てがった、スクールカウンセラー。
何が辛い?何が苦しい?僕でよければ話してほしい。
上っ面の笑顔に騙されてあげるつもりは無いと、頑なだった。そんな意思に反してカウンセリングルームを訪れたのは、居場所が欲しかったんだろうと今にして思う。

業間休み。昼休み。放課後。
カウンセリングルームに行かない日はなかった。
私からは何も話さない。昨日みた映画だとか気になっているアーティストだとか、そんな他愛ない話題をふられ、別に、とか、興味無い、とか、短い返事をするだけ。
困ったような顔で笑うカウンセラーが、きっと好きだったのだ。

そしてまた噂が流れた。事実無根、有る事無い事掻き立てられたくだらないゴシップ。
私とカウンセラーが「そういう関係」にあると責められた。
言い訳はしない。出来ない。ただ話をしていただけ……にしては、私はそこへ通い過ぎた。
カウンセラーは一身上の都合で学校を去った。私の所為だ。
片想いは、罪になった。



大学生。
他人との距離感を覚えた。特に親しい友人も作らず、なるべく敵対する事のないよう細心の注意を払い、八方美人になる。
時としていじられ役を演じ、平等に優しさをふりまき、困った時でも笑顔でいる。

便利屋のように扱われる事も多かったが、その代わり敵はいなかった。誰からも好かれない代わりに、誰からも嫌われない。いれば便利、いなくても気にならない。そんな存在になった。

異性とは殆ど関わらなかった。
男の人ニガテなんだと心底困ったような顔を作れば、みな上手い具合に避けてくれたから。

少しでも異性に好意を抱いたら、すぐさまその場を離れる。それだけで簡単に無難で平穏な4年間を送る事ができた。



そして、社会人になった頃。

掛け持ちしていたサークルの一つに、OBOGとの交流が多いものがあった。インカレのテニスサークル……テニスよりは、飲み会やイベントを目的とした、所謂飲みサー。
3月に卒業したばかりだと言うのに、新入生歓迎会に呼ばれた。そう言えば私の時も、社会人の方々が大勢いた気がする。
断るつもりでいたが、参加した方がいいだろうと判断し、メールには是と返した。

あまり酔いたくはなかったので、隅の方でソフトドリンクを飲んでいた。時々異性に話し掛けられたが、その都度、事情を知る同期や先輩方が逃がしてくれる。
同性の後輩は歓迎した。最も、仲良くするつもりはなかったのだが。

もう何杯目になるかわからないウーロン茶を飲んでいた時。
ふと視界に入ったのは、昨年まで新入生だった男子学生。先輩方にお酌をして回る滑稽な姿に、訳もなく惹かれた。

あの子も敵を作りたくないのだな、と。そう理解するのは早かった。自分の酒を頼まれる前に、他人の注文を取る。強要されそうになると、煽てて躱す。進んで笑われ、過剰に気を使う。私とよく似ていた。同じだと思った。

逃げなければ。

後輩への好意を自覚し、すぐに距離を置いた。
けれど、ダメだった。想いが冷めた頃、向こうから連絡がくる。お花見をします、花火大会に来ませんか、合宿に顔出してください、4年の追い出しコンパがあります−−。

ただの連絡係で、他のOBOGにも同じ文面を送っているとわかっていた。
しかし、浅ましくも期待してしまう。愚かだと思った。

数回に一度は体面を保つため参加したが、その度に後悔する。
どうしようもなく焦がれている自分が嫌になる。

早く彼女を作ってしまえと祈りながら、反面、誰のものにもならないでと願った。

……そうしている内に後輩も社会人になった。
もう連絡係ではないだろうに、繋がりは途絶えない。忘れた頃に誘いの声がかかる。

恋心を殺してしまいたい。
その思いはだんだん強くなった。



四捨五入して30歳になる頃――今だ。
適当な誰かと結婚してしまおうと決めた。後輩への恋心を殺したかった。

相手はすぐに見つかった。
上司の紹介で、ひと回り年上の男性。外見も内面も全く好みではなかったが、逆に都合がいい。

片手で足りる程度の逢瀬ののちトントン拍子に話は進み、プロポーズまで済んだ。
周りはみな祝福してくれた。
おめでとう、と口々に言う。ありがとう、と幸せそうな笑顔を作る。

後輩にも結婚を伝えた。
返信は、なかった。





「マリッジブルー?」

そう同僚に言われたのは、後輩へ結婚の報告をした、ちょうど1週間後。
寿退社が決まり、引き継ぎだのなんだのと準備に追われている中の事。

「そう見える?私、ちゃんと幸せよ?」
いつも通りの笑顔を演じる。
幸せでなければならないのだ。

「……好きでもない人と結婚するのに?」
思わず、言葉に詰まった。

「どうして……」
「わかるよ。無理してるって。部長の紹介だから、断れなかったんでしょう?そんなの今どき気にしなくていいのに」

気付かれてはいけない。
引き継ぎの事でこまっているだけ。新しい生活が少し不安なだけ。
そう言って誤魔化さなくてはいけない。
なのに、バカみたいに口を開けたまま、黙るしか出来ないのは、何故だろう。

「ねえ、結婚しちゃってからじゃ手遅れなんだよ?入籍まだなんでしょ?」

――逃げるなら、今しかないよ。



その一言に、色々なものがどっと零れた。
頬が冷たい。何か言わなくてはならないのに、ただ嗚咽がもれるだけ。

限界だった。私はとっくに、限界だったのだ。
殺してきたつもりで募っていた後輩への想いを、同僚に洗いざらい吐き出してしまった。
泣きながら、辛い辛いと喚きながら。
今なら、まだ逃げられるだろうか。



その日。
1週間越しに返ってきた後輩からの連絡。
涙声で掛けてしまった私からの電話。

結末は果たして、正しいものだったのか。


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