紫陽花の森は死んでしまった。そういう季節だ。夏の陽射しに焼かれ、枯渇し、色を亡くしてしまった。
もう誰も、その中庭を見ることは無い。通り沿いの百日紅だとか、駐車場脇に咲いた向日葵だとか、他に夢中になる。
理学療法士の男性も、父親に抱っこ抱っことせがんでいた小さな女の子も、歩行器で覚束ない足取りの老人も、遠い目をした看護師の女性も。

執着しているのは僕だけだった。

すっかり焦げて変色してしまった紫陽花は、とても寂しげだ。
雨の季節が終わってしまった、一年の半分が過ぎてしまった、残された時間をまた消費してしまった。

紫陽花と同じように、祖母は日に日に枯れてゆく。
入退院を繰り返して一年半。つい先月に初めてこの紫陽花を見たときは、車椅子ながらもまだ元気そうだった。今はもう、起き上がる事すら儘ならない。
これが、さいごの入院になるだろう。

幼い頃に両親を亡くした僕は、祖母に育てられた。
人並みに反抗もした。たくさんの迷惑をかけた。一人暮らしをして離れた時期もあった。
それでも、唯一の肉親だ。東京の会社を2年で辞め、戻ってきた。
その途端に、これだ。

末期癌だと言う。余命1年、保つか保たないか。
祖母は僕の為と言って懸命に闘病した。僕も祖母の為にできる限りの事をした。
癌に効果的な食べ物、サプリメント。笑うことがいいと聞けば祖母の好きな落語のCDをたくさん持ち込んだ。メンタル状態を良好に保つ事がいいと聞いて今度はリラクゼーション音楽のCDや風景写真集を買い込んだ。
その時見つけたのが、紫陽花の森だ。まだ元気だった祖母を、そこを見渡せる窓辺へ連れて行った。

色とりどりの花々は、今までで一番の笑顔を見せてくれた。写真を撮りたいと言われ、何枚も何枚も撮って、よく撮れたものは現像して写真立てに飾った。
また来年も見られるといいわね、と少しはしゃいで、けれど次がない事を悟った声は、とても悲しかった。

その年の森が枯れ果て、夏が過ぎ、秋が巡り、冬が降り、春が芽吹き。一回りした季節が、雨音と共に森を鮮やかに染めだした頃。

祖母の容態が急変した。コンヤガトウゲデス。ドラマでしか聞いたことのない台詞は、まるで異国語のように響いた。
チューブに繋がれ、意識はなく、ただただ手を握るしか出来ない、無力な自分。
雨粒が、祖母に残された時間を流してゆく。
もう一度、あの紫陽花を見ようよ。今度はあの紫陽花の前で、一緒に写真を撮ろうよ。
そんな願いを、泣きながら零し続けた。


そしてーー雲一つない梅雨晴れの下。
祖母は天国へ旅立った。

森は、昨年よりも鮮やかに咲き誇っていた。


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