セルフ・サクリファイス


揺るぎない意志を宿した瞳は星矢と同じものを感じさせ、自分よりも他人を優先する姿勢は瞬と重なった。兄弟たちがどんなに騒いでいても大らかに受け止める心は、ほんのすこしではあるけれど一輝に似ているような気がした。
そして、時折俺達に見せる眼差しは母親のようだった。
紫龍は母というものを知らないと言っていた。俺が知る「母親」はマーマだけだった。マーマと紫龍は似ても似つかない。なのに、紫龍を見ているとひどく懐かしい思いが込み上げてくる。
なぜだろう。なぜだろう。わからない。
ただ俺は、

「優しすぎるんだ」

どうしても耐えられなかったのだ。腕に巻いた包帯を取り替えている姿、その傷だらけの腕を見て。
いつもあまり話さない俺に呼ばれたことに驚いたのか、紫龍は包帯を巻く作業を中断して俺を見つめる。
「……氷河?」
どうしたんだいきなり、と首を傾げる彼に向かってもう一度、言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「おまえは、優しすぎる」
声は、自分が思った以上に冷たい響きで紫龍を貫いた。
戦いのたびに傷ついていく身体を、何の躊躇いもなく命を投げ出す彼を。この眼で間近に見てきたからこそ、耐えられなかった。

「……優しくなんてない。俺はただ、『誰か』の為という大義名分を掲げることで自分の行いを正当化させようとしているだけで、」
「それは、おまえがそう思い込もうとしているだけだ。自己犠牲を大義名分にすり替えて、また他の『誰か』を守ろうとしてる」
「……」
「認めろ。全部全部、自己犠牲だってこと」

黒髪に隠された瞳は、返事をしなかった。透き通るほどの無言は、受容ではなく拒絶の意味を暗に示していた。
あくまでも、幸せであるとうそぶくのだ。彼にすれば真実幸せなのかもしれない。だが彼の痛ましさを知っている俺は、その言葉を言葉のとおりに受け取れない。

「なぁ、紫龍。おまえは他人の為に生きすぎてる」
俺の視線に射竦められて身じろいだ彼が逃げようとするのを、俺は許さなかった。
「離してくれ、氷河」
「嫌だ」
腕を掴む。昨日の戦いで新しくできた傷に触れないようにしながら、それでも強く。
自分以外の『誰か』を守って傷つきすぎた身体。「細い」よりも「薄い」という印象を与えるその背中を掻き抱く術を、俺は持たない。

そこでふと、気がついた。紫龍がマーマを思い出させる理由を。
ふたりのどちらも、俺は救うことができなかった。『誰か』の為に『自分』を捨てるそのひとを、救えなかった。引き止める言葉すら届かず、俺は何もできないまま。あの強い意志の前には、拙い言葉をいくら重ねても無駄だと諦めてしまった。
だから俺は、平穏を取り戻した世界で彼を責める。自分の持つ何もかもを捨ててしまう、その優しすぎる心を。
ありとあらゆる命を凍らせてしまうこの手は、無理に彼を止めるほど強くなければ、すべてを包み込み温めてやれるほど大きくもない。自己犠牲を重ねる優しさを責めて、中途半端に傷つけるだけだ。

「なぁ、紫龍」
本当に、奪うことしかできないのか。与えられるものは何一つないというのか。
「自分の為に生きろ。自分の為に……生きてくれ」
懇願するように絞り出した声は、先程までの冷たさを空気に溶かして、鼓膜を震わせるだけだった。紫龍は形の良い眉を歪めて、憐れむように俺を見ていた。無力な自分を嘲笑う余裕すらなかった。
俺は、たったひとりの人間の意志すら変えられないのだ。



(あまりにも 無力な てのひら)





2008/12/11

セルフ・サクリファイス:自己犠牲


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