それが僕等のシャングリラ


山積みになった書類を前にして、私は本日何度目かの重い溜息をついた。
不眠不休の生活がかれこれ1週間続いている。黄金聖闘士らが軒並み任務で聖域を空けているために、事務仕事のほとんどが「サガ」に回ってきているのだ。「サガ」はその穴を埋めるために長いこと持ちこたえたようだったが、さすがに体力の限界を感じたのか私に助けを求めてきた。白と黒の中身が入れ替わって今に至る。
身体自体は同じなのだから、溜まった疲労はそのまま持ち越され、今の私には約1箇月分の疲労が蓄積されていることになる。どうりで先程から視界がぼやけるわけだ。体内の小宇宙を燃やしているとはいえ、さすがにこれはきつい。
いつもならどれだけ苦しかろうと一人で耐えてみせていた「サガ」が、何故今になって私を頼ったのかは分からない。何か裏があるのではと疑うのは考えすぎか。

(おい)

頭の中で声が響く。「サガ」だ。それまでは私が呼びかけても一切反応しなかったというのに、一体どういう風の吹き回しだ?
しかし、「サガ」は私の呼びかけを無視して、自分の用件だけを言った。

(アテナ神殿に行きたい)

アテナ神殿?……私が表に出ている状態のままで?

(ああ)

「サガ」は何やら焦っているようだった。行きたい場所があるなら身体の主導権を私から奪えばいいだろうに。
問い詰めるのも面倒だったから言うとおりにしてやることにした。私のほうも仕事続きだったために気分転換したい所だったのだ。あの小娘と会って話をするのも悪くはない。
椅子から立ち上がってぐっと伸びをした。関節が軋んだ音を立てる。頭の中で「サガ」がしきりに急かす声にも耳を貸さず、私はゆっくりとした足取りで神殿へと歩いていった。





神殿には人ひとりいなかった。しんと静まり返っていて却って不気味だ。「サガ」が何のために神殿へ向かいたいと言ったのか真意を図りかねる。
……おい、「サガ」。アテナどころか誰もいないぞ。お前はここで何をしたかったのだ?
問いかけても返事が無い。私に人格交代を頼んできたことといい、「サガ」の行動には疑問が残る。
腕組したまま「サガ」を呼び続けていると、不意に神殿内の空気が変わった。背後に人の気配を感じてすぐさま迎撃の体勢に入る――はずだったが、蓄積された疲労がとっさの反応を鈍らせた。私はあっけなく背後から羽交い絞めにされてしまった。
まさか、「サガ」の行動の目的はこれにあったのか。私を疲れさせ、捕らえる際の抵抗を少なくするために。再び私を「サガ」から引き剥がすために?
……嵌められた。いや、私が油断していたのだ。「サガ」がこの私を騙せるはずがない、と。なんということだ。

「よし捕まえた!さあアテナ、今です!」

驚愕で思考が停止していた私の背後で、聞き慣れた声が私ではない誰かを呼んだ。聞き慣れたどころか、これは私と同じ声――――弟のカノンではないか。「サガ」はアテナのみならず、弟とまで共謀していたのだ。
私は力の限り抵抗したが、カノンの拘束は解こうとしても簡単に解けるものではなかった。
「ふふ、久しぶりね、もう一人のサガ」
微笑を湛えながら小娘が近づいてきた。表情は女神の微笑そのものだが、私は知っている。その顔は別名「したり顔」と呼ばれる類のものであることを。
「観念なさい。すぐに決着をつけてあげますから」
小娘は手に持った黄金の杖を天高く振り上げた。神殿内が眩い光で覆われる。私は耐え切れず目を閉じた。
……もう良い。私が聖域にとって歓迎されるべきでない存在であることくらい、私自身がよく知っている。私は再び「サガ」から離れ、魂だけの状態で闇を彷徨うのだ――





「あ、起きた」
「起きたのか?」
「起きたのですね?」

興奮ぎみの3人の声が頭上に響いた。何度かまばたきを繰り返して、自分が今どのような状況におかれているのかを確認する。全身に感じるのは大理石の冷たさ。おそらくここはアテナ神殿だろう。私が意識を失ってから場所は変わっていないようだ。ぼやけていた視界が次第に鮮明さを取り戻していく。私の目が捉えたのは、アテナ、カノン、そして――「サガ」だった。

……「サガ」、だと!?

「うわっ」
「きゃっ」
「痛っ!」

勢いよく上体を起こしたせいで、私は自分の額を、目の前にいた「サガ」の額に激しく打ち付けてしまった。じんじんとした痛みが額を中心に熱を広めていく。……いや待て、私は今の今まで「サガ」の中にいたのであって、「サガ」が私と額をぶつけあうことなど不可能ではないか?私と「サガ」の精神が分離して、片方の精神が別の器に入りでもしない限り……

「そのまさかだ。……おはよう、『もう一人の私』」

赤くなった額を押さえながら「サガ」が微笑んだ。髪と瞳の色が違うだけの、私と同じ顔で。
「これはアテナとサガの発案で、俺は手伝っただけだからな。間違っても俺を恨んでくれるなよ」
やれやれといった表情でカノンが呟く。
「あらカノン、私たちは感謝されることはあっても恨まれる覚えなんてないわ」
鈴を鳴らすような声でアテナが笑う。

……一体、何が起こった?
呆然とする私を見かねた「サガ」が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「強引な手段を取ってすまない。こうでもしないとお前は内側に引き篭もったまま、素直に祝われてくれないだろうと思って……」
「まずサガがお前を弱らせておいて神殿まで連れて行き、俺が背後から捕まえる。身動きできなくなった所で、アテナが神の力でサガとお前の精神を分離させたってわけだ」
「ちなみに貴方が今入っている器は特注品よ。ハーデスをパシリ……もとい、ハーデスに『お願い』して、貴方に合わせた身体を作ってもらったの」
確かにこの身体は、今まで入っていた「サガ」のものとは違う。細部まで丁寧に作ってあるが、所々に違和感がある。
しかし、このような真似をしてまで私を引き剥がしたのは何故だ?理解に苦しむ。

私の言葉を受けて、3人は驚いたように顔を見合わせた。そして、一斉に私に向かって笑いかける。
「だって……今日は私たちの誕生日だろう?」
「お前はサガであってサガじゃない、もう一人のサガだ。お前も一緒に祝わないと居心地悪いだろうが」
「カノンはこんなこと言っているけれど、本当は貴方を祝いたくて仕方ないのよ。サガも私も、そして皆も」
ふと耳を澄ますと、神殿の外から喧騒が聞こえてきた。「なあ、あいつらまだ来ないのかよ?」だの、「こらガキども!せっかく綺麗に整えたテーブル引っ掻き回すな!」といった怒鳴り声に混じって、楽しそうに笑う子供たちの声も聞こえる。
「今日はアテナ神像の前で立食パーティーだ。食料を調達するために黄金聖闘士が世界各地を回ってきてくれた」
気を利かせた「サガ」が私に耳打ちした。アテナも頷く。

「もちろん、主役は貴方たち『3人』よ」

なんとまあ、揃いも揃っておめでたい奴らばかりだ。私まで祝って何になる?自分自身の存在に卑屈になっていたのが馬鹿らしく思えてきた。結局こいつらは誕生祝いと称して宴会をしたいだけなのだ。
しかし、そんな馬鹿らしく愛すべき者たちがいるからこそ、私が聖域に戻ろうと思ったのもまた事実だ。
……仕方ない、祝われてやるとするか。

私は立ち上がって颯爽とパーティー会場へ向かう。アテナたち3人は少し驚いたようだったが、すぐに笑みを取り戻して私の後をついてきた。
まだ、私が赤面しているのに気付かれていないことを、願う。



(あ、お前、耳真っ赤だぞ)
(うるさい黙れ)
(やっぱり嬉しいのではないか)
(ふふふ、素直じゃないんだから)
(ああもう黙れと言っているだろう!)






2010/05/30


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