ふたりで世界を回そうか


「……っ!」
俺は大きく肩を震わせ、勢いよく振り向いた。しかし当然のことながら背後には誰もいない。抜けるほど青い空が広がっているだけだ。
すると、隣から声が掛かる。
「どうしたんだアスプロス。何か気になることが?」
弟のデフテロスは、不思議そうに首を傾げた。……そうだ。弟はもう、俺の背中を見つめ、俺の後ろをただ付いてくるようなことはしない。今のデフテロスは俺と肩を並べて歩く。光でも影でもない、たったひとりの弟として。

「……なんでもない。誰かに見られているような気がしたんだが、たぶん気のせいだ」
デフテロスの顔が曇った。前にあんなことがあったせいで、俺に対する「視線」には敏感なのだろう。俺は心配をかけないように優しく微笑んだ。あの違和感はほんの一瞬だけだった。特に気にするようなことでもない。もし仮に、それが後になって災いをふりまくようなことになったとしても、きっと俺たち兄弟なら大丈夫だ。どんなことだって乗り越えていける。

「そんな顔をするんじゃない。今日はアテナ様からお茶会に誘われているんだろう?今みたいに泣きそうな顔をしていてはアテナ様が心配してしまう」
「あ……そうか」
やっと思い出したようにデフテロスは顔を上げた。どうやら今こうして二人で花畑に来ていた目的をすっかり忘れていたらしい。茶会に合うような花を手土産として持っていきたいから、もし忙しくなければ兄さんも花を選ぶのを手伝ってくれないか。そう言って遠慮がちに頼んできたのはデフテロスの方だったというのに。俺の事となると他が疎かになってしまうのは弟の悪い癖だ。

(お前はもっともっと広い世界を見るべきだ。……俺ではなく、世界全体を)

この弟は、俺が何も言わなければ一生俺の隣に居続ける気なのだろう。しかし、それでは駄目なのだ。時には一人で生きていくことも必要になってくる。だから、控えめな弟の代わりに、俺がその背中を押してやらなければならない。

「ほら、早くその花を持ってお茶会の会場へ向かうんだ。約束の時間までもう少ししかないぞ」
笑いながらデフテロスを促してやる。
しかしデフテロスは手に持った白い花をじっと見つめたまま動かなかった。何か悩むように、そして迷うように視線を逡巡させ、口ごもりながらこう言った。
「兄さんも一緒に行こう」
予想外の申し出に俺は少なからず狼狽した。デフテロスが俺の意に反する発言をしたのはこれが初めてだったからだ。動揺を悟られまいと首を横に振って表情を隠す。
「俺はアテナ様から呼ばれなかった。一緒に付いていく資格はない」
「でも」
「お前は一人で行くんだ、デフテロス」
さっきより語気を強めて言い返す。ここまで言えばデフテロスは決して逆らわないはずだった。……そう、今までは。

「でも俺は、兄さんと一緒が良い」

すっと顔を上げ、視線を合わせ、はっきりとした口調で。デフテロスは真正面から俺の意見を突っぱねた。明確な意思表示だった。俺が返事できないでいると、意を決したように言葉を紡ぐ。
「アテナ様が兄さんのことを呼ばなかったのは、たぶん、兄さんがまだ『聖域』を受け入れられずにいるのではないかと、お考えになっているからだと思う。アテナ様は兄さんの事情も分かっているんだ。だから……もし兄さんが俺と一緒に来てくれたら、アテナ様はとても喜んでくれるはずだ。たぶん、いや、きっと」
それは推測でしかない発言だったにも関わらず、俺には真実のように思えた。デフテロスは普段無口な分、発せられる言葉には重みと真実味がある。何よりもその眼が真っ直ぐに俺を見ていた。嘘などどこにもない瞳だった。

俺はこの弟を、兄に依存することなく生きていけるようにしてやりたいと思っていた。しかしデフテロスは言う。俺と一緒が良い、と。俺に依存するわけではなく、共に生き、共に笑うことを望む、と。
俺が弟を想うのと同じように、いやそれ以上に、弟は俺のことを想ってくれているのだ。デフテロスには俺しかいないのと同じように、俺にもまたデフテロスしかいない。デフテロスが世界に向かって歩き出せば、俺はデフテロスの居ない世界で独りになる。
昔のデフテロスなら、自らに影を落として俺だけを輝かせようとしていただろう。だが今は違う。デフテロスは今、どちらか一方が幸せになるのではなく、両方とも幸せになれる世界を選択しようとしていた。兄と弟、二人いっしょに。

「そう……だな……一緒に、行こう」
感動なのか何なのかよく分からない感情が熱と共に喉元へこみ上げてきて、うまく返事をすることができなかった。しかしデフテロスにはそれで充分だったようで、瞳に喜色が浮かんだ。他の人間からすると、デフテロスはいつもの無表情のように見えるかもしれない。だが俺には分かる。弟はとても嬉しがっているということを。





お茶会の会場は、アテナ神殿から少し離れた場所にある草原の真ん中だった。白い大きなテーブルにはティーカップとケーキが並べられ、いかにもお茶会といった雰囲気を漂わせている。
俺とデフテロスが到着すると、アテナ様が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ああ、よかったデフテロス、来てくれたのですね……それにアスプロスまで……!よかった、貴方はこういった場は嫌いかと思って遠慮していたのだけれど……」
両手をしっかりと握り、満面の笑みで出迎えられるとこちらの方が焦ってしまう。アテナ様の笑顔は、俺には少し眩しすぎる。同じように歓迎を受けるデフテロスも眩しそうに目を細めて微笑みを返していた。ああ、そんな顔もできるんじゃないか。

顔を上げて辺りを見回すと、テーブルには既に、セージ様とテンマ、そしてシジフォスが座っていた。テンマは別として、残りはあまり良くない思い出を想起させる二人だ。思わず視線を逸らしてしまった。少し居心地が悪い。
すると背後から、思い出したくない声が聞こえた。

「おやアスプロス、弟だけでなく君も呼ばれていたのかね」

――乙女座のアスミタだ。引きつった表情になる俺の横を通りすぎて、さっさとテーブルに着席してしまった。俺がここにいることを大して気に留めていないようだったが、向こうが気にしていなくても俺が気にする。
……どうしてこう、俺のトラウマを抉るような者ばかり集まるのだ?
俺の思いを知ってか知らずか、アスミタと入れ違いにテーブルを離れてこちらへとやって来たシジフォスが説明を加えた。
「本当は聖域の皆を集めたかったんだが、さすがにそれは時期が早いかと思って、互いに顔をよく知っている人たちだけ集めたんだ。そうすれば二人とも気軽に話すことができるだろう?」
どうやら余計な気を遣わせてしまったらしい。デフテロスはともかく、俺にとってみればこのメンバーに揃って欲しくなかったのだが。

「今年は少人数だけど、来年はもっと盛大にやろうぜ、盛大に!せっかくの誕生日だしさ!」
テンマが楽しそうに笑う。私は一瞬、重要な単語を聞き漏らしてしまいそうになった。今、テンマは「誕生日」と言わなかったか?今日この日に誕生日を迎える者を俺は知らない。この場に居る人間で双子座生まれといえば……
「あ、そういえば言ってなかったっけ?今日はアンタら双子の誕生日なんだよ」
あっけらかんと言われて俺とデフテロスは目を見開いた。そのような話聞いたことがない。俺たちは自分の生まれた日など知らなかったのだ。
「セージが星見をして教えてくれたのです。今日が貴方たちの誕生日だと」
俺はセージ様の方へ顔を向けた。ふ、と視線が交わる。セージ様は何も言わず、ただ優しく微笑んだ。その微笑は言葉無い言葉で「誕生日おめでとう」と語っていた。
……俺はさっき、このメンバーを最悪だと思っていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。昔の俺にとっては最悪でも、今の俺たちにとっては最高の人々だ。

「ほら、はやく来たまえ。君たちがいなくては始まるものも始まらないだろう」
まるでこの席の主のようにアスミタが傲岸不遜に言い放つものだから、俺とデフテロスは思わず同時に吹き出してしまった。互いに顔を見合わせてまた笑う。
そしてどちらともなく手を繋ぐと、俺たちは二人いっしょにお茶会のテーブルへと歩いていった。



(ああ、紅茶はアールグレイで頼む)
(じゃあ俺はダージリンに砂糖10個を)
(……デフテロス、お前意外と甘党なんだな……)






2010/05/30


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