凍蝶03/一握


「今、星矢が泣きながら病院を出て行ったよ」

開け放しになった病室の扉から、瞬が音を立てずに入ってきた。手には花束。すっかり痩せて小さくなってしまった紫龍を痛ましそうに見やる。
「何か、言ったの?」
「俺はもうすぐ死ぬ、と。もう手遅れだ、と」
「だめだよ、そんなこと言っちゃ。よりによって星矢に直接」
「……助かる、と嘘をついたところで何も変わらない。星矢だってそんな嘘は望んでいないはずだ」
「でも」
言いかけて、瞬は口を噤んだ。紫龍の言っていることは本当だ。何も反論できないが、それは何かが違うと思った。

「……ごめん、紫龍」
気付いてあげられなくて、ごめん。ずっと傍にいた僕達が、気付いてあげるべきだったのに。自分の痛みを痛みとして受け取らない彼だからこそ、僕達が気付かなければならなかったのに。
紫龍は首を振った。
「お前たちのせいじゃない。誰のせいでもない。これは運命なんだ、きっと」
彼の口から「運命」という言葉を聞いて、瞬は目を見開いた。
……運命? 僕達は、たとえどれほど強大な敵が立ちはだかっても、負けるはずの運命を覆してきたじゃないか。運命に抗うことで、僕達は生きてきたんじゃないか。どうして今更、従順に運命を受け入れようとする?

瞬は紫龍を見る。彼は、力なく笑っていた。優しく優しく、微笑んでいた。
――ああ、そうか。紫龍はすべてを諦めているんだ。
だから笑っていられる。泣いたって何にもならないから、せめて笑っていようと。彼の死を見届ける僕達の悲しみが、少しでも和らぐように。

瞬は窓の外へと視線を上げた。さえずる鳥の声。青空を駆ける雲と風。
こんなにも世界は平和に満ちていて、こんなにも世界は美しい。なのにどうして、この優しい人が死なねばならないのだろう。戦って戦って、やっと手に入れたはずの平穏の中で。残酷すぎる、と思った。



(これほどに穏やかな諦観を、僕は知らない)





2009/02/03

一握(いちあく):片手で握ること。また、その程度のわずかな量。


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