夏の屋上とコーヒー牛乳


屋上は学校の中で最も落ち着く場所だ。
今は三時限目の授業開始を告げるチャイムの音を、一輝は飛行機雲を見上げながら聞き流していた。屋上には一輝以外誰もいない。
今日の三時限目は世界史。授業を受けるのが面倒ということもあったが、一輝が苦手とするあの男が担当する授業だから、というのが、サボりの理由としては適当だった。
購買で買った紙パックのコーヒー牛乳を一口飲む。90円にしてはまあまあの味だった。
……さて、これからどうするか。ストローを口にくわえながら考える。今更教室に戻ろうとは思わなかった。遅れてきた訳を説明するのも面倒だ。いっそのこと今日の授業はすべてサボるのも良いかもしれない。

そこまで考えたところで、屋上の出入り口に続く階段を誰かが上っていく音が聞こえた。生徒指導部の教師か、または一輝同様にサボりの生徒か。どちらにしろ一人の時間を邪魔されることには変わりないので、近づいてくる足音を聞きながら不機嫌になっていく。
ギィ、と金属の軋む音を立てて出入り口の扉が開く。視線だけを扉に向けると、そこには予想だにしない人物がいた。
「……シャカ!?」
担任教師であるシャカだった。思わず声が裏返る。だがシャカはここにいるのがさも当たり前というように、いつもの調子で一輝に言う。

「一輝、仮にも私は教師だぞ。呼び捨てはいけないと思うが」
「……それより、どうしてここに」
「君と同じサボりだ」
シャカが平然とそう言い放つので、一輝は目をむいた。
「サボりって……授業はどうしたんだ。今の時間はお前の世界史じゃなかったか」
「自習にしてきた」
「……馬鹿じゃないのか」
「心外だな、私はわざわざ君に会いに来てやったというのに」
「朝のホームルームで顔を合わせたばかりだろうが」
「あれは『会った』うちに入らない」

この男はどうあってもマイペースを貫き通す気だ。一輝は呆れてものが言えなかった。
出席日数が壊滅的な一輝は、教師たちの中でも「扱いにくい生徒」という認識におかれている。そしてこのシャカも、同僚の教師たちだけでなく、生徒たちにとっても「扱いにくい教師」であるらしい。
よくよくこんな男が教師になれたものだと思う。教員免許は知識さえあれば取れるが、採用試験はそうはいかない。噂では、理事長である城戸沙織がシャカを気に入り、周囲の反対を押し切って採用しただとか言われている。城戸沙織の性格を良くも悪くも知っている一輝は、その噂もあながち間違いではないように思った。

「これもひとつの生徒指導だと思いたまえ」
「こんな時だけ担任面するな」
シャカは笑いながら一輝の隣に腰掛けた。どうやら本格的にサボるつもりのようだ。一人の時間を邪魔されるのは不愉快であったはずだが、別段それも気にならなくなった。
空に浮かぶ飛行機雲がだんだんと薄れていく。夏の日差しは容赦なく一輝の肌を焦がす。隣のシャカは相変わらず涼しげだ。色素が欠落しているんじゃないかと疑わせるくらい、抜けるような白い肌は日焼けを知らない。長い金髪が風に揺られてさらさらと一輝の肩をくすぐる。

「……なぜ、私の授業ばかり休むのかね」

ふとシャカが呟いた。まるで独り言のようだった。いつも目を閉じているからなのか、シャカは表情の変化に乏しい。それがますます、何を考えているのか分からなくさせる。
「別に、お前の授業だからってサボるわけじゃない。気分だ。面倒だと思ったらどんな授業だって出ないさ」
「私の授業が無い日は7時間目まで受けているだろう」
「……」
「そんなに嫌か」
「……」

一輝は黙って空を見上げた。シャカが目を開けてこちらをじっと見ているのには気づかない振りをする。
こうして直接的に訊かれるのは初めてだった。どう返答していいのか迷ってしまう。
シャカの教え方が悪いというわけではない。むしろ上手いと思う。シャカ先生の世界史は最高だ!などと信仰する生徒もいるほどだ。少しばかりインド史に偏る傾向はあるものの、時折歴史の裏側を穿つような話をしたりするし、今年度に入ってから数時間ほどしか授業を受けていない一輝でもシャカの教え方に不満はなかった。

「……問題があるとするなら、授業よりもお前自身だ」
「私に?」
「俺はお前のことが苦手らしい」
「ほう」
「たぶん、お前のことがよく分からないから、だと思う」

言葉にして自分の意図するところを相手に伝えるのは不得意だ。ましてや、今回はその「自分の意図」すら自分でもよく分かっていないのだから尚更。
コーヒー牛乳の残りをごくりと嚥下する。冷たい液体が喉を通り抜けていく。一輝は消えていく飛行機雲をひたすら見つめ続けることで気まずい沈黙をやり過ごそうとした。

「それなら一輝」
不意にシャカが沈黙を破って立ち上がる。その唇は「にやり」という形を描いていた。……何か、嫌な予感が。
「社会科見学に行こう!」
「……は?」
シャカが突拍子も無いことを言い出すのは今に始まったことではないが、果たしてこれほど脈絡の無い提案があっただろうか。この話の流れで、何をどうすれば「社会科見学」という単語に行き着くのか理解できない。社会科見学。実際に社会施設や街中へ降りて体験すること……という意味のはずだったが。

「平たく言えば『デート』というやつだ」
「な」
なんだと、と叫ぶよりも先に手首を掴まれて無理やり立ち上がらせられた。目線が近くなる。空になったコーヒー牛乳の紙パックが足元に落ちた。
「君は私がよく分からないと言った。ならば君が私を知ればいいだけの話」
「だから社会科見学、ってか」
「『教師』と『生徒』が連れだって外出するには立派な名目だろう?」
「名目だけならな」

シャカは本気らしい。この男のことだから、どうせ午後の授業はすっぽかすに違いない。教頭のサガが胃を痛める様子が目に浮かぶ。だが一輝は、シャカを止めようとは思わなかった。存外、「社会科見学」に乗り気であることを自覚する。……一度でいいから2人で肩を並べて歩いてみたかったのだ。学校の中では、体面上「教師と生徒」などという堅苦しい関係を維持しなければならなかった。だが校外なら、そんな面倒な演技も必要ない。

「そうと決まったら行くぞ一輝」
一輝があまり嫌そうな顔をしないのが嬉しかったのか、シャカは上機嫌で屋上の出入り口へ向かう。手首を掴まれたままの一輝はぐいぐいとシャカに引っ張られる。それでもやはり抵抗はしなかった。シャカの強引さは時にありがたい。一輝が躊躇って足踏みしていても、その足場ごと連れ出してくれる。
社会科見学がこれからどうなるかはまったく見当もつかないが、きっと退屈はしないだろう。

「シャカ」
「なんだね」
「……鯛焼きの美味い店、知ってるぞ」



(その日、鯛焼き屋やらゲームセンターやら商店街やらで、「長い金髪の男と黒髪の少年」という目立つ2人の目撃情報が相次いだのは言うまでもない)





2009/08/13


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