切り裂かれるのも悪くない


この一振りこそが絶対であると思っていた。
少なくとも、あの強い瞳を持った少年に出会うまでは。
力こそが正義という信条は借り物であったが、純粋な「強さ」を追い求める彼がその是非を問う必要はなかった。付き従う男が、どうしようもないくらいの矛盾を抱えた人間であったとしても。強さを手に入れることが出来るなら、それでよかったのだ。



「紫龍」
大きな戦いを前にして、背中合わせに立つ少年を呼ぶ。
「はい」
姿が見えずとも、その声の確かさが、此処に在ることを証明していた。
「覚悟は、できているな?」
「はい」
少年は素直に答えた。確認するまでもないことだった。
少年はいつだって凛とした覚悟を背負っている。時にそれは脆くもあった。だが今は、頼もしい存在として彼を支えていた。こうして背後を任せられるのを、嬉しく思う。


真の強さとは何かと、根底から揺さぶられたのは「あの時」が初めてだった。
どんな時代であろうと、正義の在り方が揺らぐことがあろうと、強さだけは変わらない。そう信じて―――「信じきって」いた彼は、疑問というものに打ち当たった。

あらゆるものを屈服させる力が、「強さ」か?
嘆きも悲しみも寄せ付けない拒絶が、「強さ」か?
懇願や慈悲を切り捨てる冷徹さが、「強さ」か?

……分からなかった。生じた迷いは瞬時にして身体中を駆け巡る。



敵との戦力差など、考えるまでもなかった。
三界すべての戦力を掻き集めたところで、あの大群に適うはずもなく。敵はまさしく「無限」だった。比喩ではなく、真実「無限」。
増殖の連鎖を止めるには、核を突かねばならなかった。しかしその役割は聖闘士にはない。彼らの女神こそが、核を滅ぼすに足る者。女神は空へ昇った。常にその傍らに付き従う天馬と共に。
ならば、女神の聖闘士が成すべきはただ一事。この場所を侵さんとする敵を排除し、女神の道を守り抜くこと。


だからこそ、少年の一言が深く深く響いたのだ。「女神の為だ」という、単純すぎる一言が。
衝撃、だった。信じられなかった。その真っ直ぐな意志。ちっぽけな子供一人の言葉に、彼の心はどうしようもなく震えた。
……見失っていた「強さ」の根源。誰かの為に戦うということ。
忘れかけていた心を、最期の最期に取り戻した。
けれど何もかも遅すぎて、彼が少年にしてやれることは多くなかった。命を救い、彼が高めてきた「強さ」を託す。たったそれだけしか、彼にはできなかった。



背中に感じる少年の体温。どこか懐かしく思えるのは何故だろう。
遥か遠い過去、それこそ彼が生まれるよりずっと昔――今と同じように「誰か」に背を預けて戦った記憶が微かにある。共に戦った「誰か」は、まだ幼く力も無くて。けれども必至に強くなろうとしていた。大切なものを守り抜こうとする意志があった。
……誰、だったか。思い出すことはできないが、それは誇らしい記憶であったように思うのだ。


暗く淀んでいた彼の魂は、少年によって浄化された。
仮初めの命を与えられ、血の涙を流したあの夜も。感覚が閉ざされ、消えゆく実感だけが鮮やかだったあの夜明けも。すべてを賭して起こした、光の洪水の中でも。
彼の魂は、しなやかだった。
燃え尽きようとする最期の瞬間まで、彼の心は満たされていた。

彼は思う。
死を以って大事を成すというのは、確かに華々しく気高い偉業であろう。
だが、今こうして少年と背中合わせになって初めて、気付けた。
「生きる」ことを目指す戦いこそ、何より美しいものであると。



「紫龍」
もう一度、愛しい者の名を呼んだ。今度は、鮮やかな覚悟を解き放つ為に。
彼と少年が持つ、二振りの聖剣。ひとつでは決して斬れなかったものが、斬れる。見えなかったものが、見える。対であるということは、「そういうこと」だ。
薙ぎ倒された有象無象、まだなお襲い掛かる異形の群れ。強い視線で前を見る。

「我等の双剣、やっと存分に振るえる時が来たぞ――!」

少年は返答の代わりに力強く頷いた。高まる小宇宙が、少年の長い髪を巻き上げる。
黄金と翠の小宇宙。ふたつの光は溶け合い、調和して、二筋の軌跡を描きながら目映い閃光となって大地を割る。
二振りの聖剣が形を成すのを、天は確かに見届けていた。



(切り裂かれるのも悪くないと、そう思えるほどに美しい、軌跡)





2009/03/26


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