甘ったるいほど幸せな


「ショートケーキが食べたいの!」

発端は女神の一言だった。何の脈絡もなく唐突に言い放たれた言葉。彼女は矢継ぎ早に続ける。
「ウェディングケーキくらいに大きいな物がいいわ……ふわふわのスポンジの上に純白の雪のようなクリームがたくさんたくさん乗っていて、トッピングの主役はもちろん苺!あの鮮やかな赤色を、クリームの白色が優しく包み込むの……あぁ、考えるだけで幸せ!」
女神はうっとりと中空を眺める。その視線の先には、妄想でできた特大のショートケーキが聳え立っているのだろう。

「……そりゃーよかったですね」
蟹座のデスマスクは唇の端を引きつらせ、陶酔に浸る女神を見下ろしていた。
女神からの急ぎの用だと言われては断るわけにもいかず、気乗りしないながらも馳せ参じてみればこれだ。どんなに過酷な任務を命令されようと引き受けるつもりではいたが、想定外の「お願い」が来そうな予感がする。
「で?あんたは俺に何をさせたいんだ」
もうどうにでもなれ、と投げやりになりながら問いかける。女神の返答は既に分かりきっていた。

「ショートケーキ。……作って、くれるわよね?」

にっこり。可憐な笑顔の裏に潜んだ有無を言わせぬ迫力に気おされて、デスマスクは数歩後ずさった。山羊座の友人ならころっと騙されてしまいそうな微笑も、デスマスクの心を動かすには至らない。ただただ、「お願い」という名の「命令」が重くのしかかる。
あれやこれやと理由をつけて断ることなら可能だった。だが、何もかも見透かされてしまいそうな瞳で見つめられるとそんな気も起こらなかった。……どうもこの女神は苦手だ。調子が狂う。
デスマスクは最大限の渋面を作り、至極ゆっくりと頷いたのだった。





「……そんな嫌そうな顔をしておきながら、ショートケーキについて熱心に研究を始めてしまう君は、大概お人好しだと思うがね」
優雅に紅茶を飲みながらアフロディーテが言った。
巨蟹宮には甘ったるい香りがたちこめている。その香りを放っているのは、テーブルの上を占拠するワンホールのショートケーキだ。

女神からの「お願い」を受けてから、デスマスクはショートケーキの実物を見て研究する為に聖域周辺の村々へ下り、ケーキ屋や洋菓子屋を探して回った。普通のケーキならばあるのだが、「スポンジの上にクリームと苺が乗った」だけのケーキなど、店を何件はしごしても見つからなかった。
これはどういうことだと必死に情報を掻き集めた結果、スポンジ生地に生クリームを乗せただけのケーキは、聖域どころか洋菓子の本場フランスにも無いということが判明した。……つまり、女神の所望する「ショートケーキ」とは日本特有の洋菓子である、と。

「だからといって、わざわざ紫龍たちを動員するとは人使いが荒いぞ」
アフロディーテの隣でシュラが眉間に皺を寄せている。
シュラの前に置かれた一切れのショートケーキは、さっきから一度も手を付けられていない。常々甘い物が苦手だと言っていたが、どうやらその香りも駄目なようだ。
「仕方ないだろうが。そうでもしなきゃ、ショートケーキの作り方なんぞ分からん」
デスマスクは開き直っている。
結局、参考資料となりそうなものが聖域に無いと分かると、彼は日本にいた青銅の子供たちにショートケーキを買ってくるよう要求したのだった。
電話で応答した星矢は始め「なんで俺らがそんなこと」と口ごたえしていたが、頼みを引き受ける代わりに好きなケーキをいくらも買って食べて良い、その金は全部俺が出す、とデスマスクが告げるや否や「それなら任せろ!」と二つ返事で了承した。子供を釣るには甘味が最も効果的だ。

かくして、ストロベリーショートケーキの実物が揃ったのだった。デスマスクがそのケーキの味を確かめている間に、暇を持て余していたアフロディーテが来訪して午後のティータイムが一方的に開かれた。その後、鍛錬を終えて自宮へ戻ろうとしていたシュラを無理やり巨蟹宮へ連行したことで今に至る。
「ったく……青銅のガキども、自分たちが金払わないからって大量に買い込みやがって……」
星矢たちが買ったケーキ(デスマスクが日本から聖域まで瞬間移動させた)と共に送られてきた請求書を見ながら愚痴をこぼす。おそらく日本の城戸邸では、今頃ケーキパーティーが盛大に催されていることだろう。
一方、聖域の巨蟹宮では男3人がホールケーキを囲んで顔を突き合わせている。……なんというか、やるせない。

「だが中々に美味じゃないか、このケーキ。スポンジに生クリームと苺を乗せただけではあるが、そのシンプルさが逆に素材の良さを引き出している」
ケーキのひとかけらを口に入れてアフロディーテが笑んだ。この3人の中で一番ケーキを消費しているのは彼だ。もう既に2切れを食べ終えようとしている。シュラは相変わらず手を付けようともしないし、デスマスクはケーキの味を楽しむよりも、材料や作り方を模索するのに忙しい。

デスマスクはレシピをまったく見ないというスタンスで料理をするのが普通だった。実物を見て、食べて、そこから使われている材料や調理法を判断する。そのため、出来上がった食事は皆一様にデスマスク風にアレンジされたものになる。たとえ同じ材料、同じ調味料を使ったとしても、やはり趣が異なるのだ。それでもデスマスクの作る料理は美味という以外になく、アフロディーテとシュラは彼なりのアレンジを気に入っていた。
だがしかし、「菓子作り」となると話は大きく変わる。
料理を作らせれば聖域一という自負はあっても、デスマスクは菓子作りに関してはまったくの初心者だった。

一体、女神は何を思ってデスマスクにショートケーキを作るよう頼んだのか。
女神アテナでありながらグラード財団の総帥でもある彼女には、超一流のお抱えパティシエがいくらでもいるはずだ。なにもデスマスクをわざわざ呼びつけずとも、最高級のケーキを用意させることなど造作もないだろうに。理解に苦しむ。
頭を抱えるデスマスクを前にして、2人は顔を見合わせた。

(……まだ気づいていないのか?)
(そのようだ)
(まさか今日が何の日かを本人が忘れているわけでは……)
(どうだろう。彼の頭の中はショートケーキのことで一杯だろうから、そこまで考えが回らないのかもしれない)

なるほど、とシュラは頷いた。鋭く察しが良いデスマスクだが、自分自身の事となるとだいぶ鈍いようだ。気づかれないのからそれに越したことはない。
アフロディーテは飲み終えた紅茶のカップをテーブルに置くと、気を取り直すように声を上げた。
「アテナが何を考えていようと、君のなすべきことはただ一つだ。『可及的速やかに』と言われているのだろう?ならすぐに取り掛かったほうが良い。私たちも手伝う」
「……『私たち』?俺もなのか?」
「もちろんだシュラ。あまり料理をしない君でも、果物を切るくらいの雑用はできるだろう?私は最後のデコレーション担当だ」
友人2人の心強いのかそうでないのかよく分からない言葉を受けて、デスマスクは一言呟いた。「結局、作るのは俺だけなのかよ」と。





黄金聖闘士が守護する宮には、彼らが普段寝泊りする居住スペースのほか、例外的にまた別の区画が与えられている場合がある。処女宮脇の沙羅双樹の園、双魚宮周辺の薔薇園などと同じように、巨蟹宮のキッチンもその「例外」に含まれる。
普通のキッチンならばどの宮にもあるのだが、巨蟹宮のそれはまったくもって普通ではない。おびただしい量のフライパンに始まり、肉と野菜でそれぞれ別個に分けられた冷蔵室、ピザ焼き専用の窯。「キッチン」と呼ぶことすら憚られるほどに、それはそれは立派な調理設備が設けられているのだ。しかもその設備はどれも業務用で本格的だ。
それらは、数年前まだサガが偽教皇をしていたころに「必要経費」と偽って購入したものだった。サガも金が何に使われているのか薄々気づいていたようだったが、黄金聖闘士を手なずけておく目的もあって黙認していた。そんなわけで、デスマスクは存分に設備を揃えることができた。

「とりあえずシュラはひたすら苺を洗ってへたを取る作業、ディーテは……まぁ、デコレーションをどうするかでも考えとけ」
「ああ」
「了解した」

3人だけで使うにはいささか広すぎるキッチンで、デスマスクはシュラとアフロディーテに指示を出す。といっても、スポンジを焼くなどの重要な作業は人に任せられないので出せる指示はごく僅かだ。
アフロディーテは最初から調理自体に手を出す気は無いようで、すぐにキッチン脇のリビングルームに移動すると紙とペンを取り出しデコレーションの構想を練り始めた。自らデコレーション担当を名乗り出ただけはある。
対するシュラは、テーブルの上に乗った大量の苺の山を見て呆けている。

「これだけの苺、一体何に使うんだ……?」
「さっきから言ってんだろ、ショーケーキだって。いいか、これから作るのはホールケーキなんてちゃちな代物とは違う。それこそウェディングケーキ並みの大きさで、しかも滅茶苦茶うまいショートケーキだ。そのためには苺100個じゃ足りねえんだよ」

さも当然のことのように言い放つ。どうやら女神の無理なお願いは、デスマスクの料理人魂に火をつけたようだった。
一度やると決めたことは最後まで全力を注ぐ、というのが彼の信条である。サガの乱で教皇側についた時も、ハーデスとの戦いにおいて悪を演じきったのも、その信条によるものだ。
そして今、彼は「菓子作り初心者が世界で一番美味しいショートケーキを作る」ことに燃えている。スイッチが入ってしまった彼を止めることは誰にもできない。
そこまで気合を入れたケーキは、果たして完成までにどれほどの時間がかかるのだろうかと、シュラは天井を見上げた。



「……っしゃ!完成!」
最後にアフロディーテ作の砂糖でできた薔薇をケーキの上に乗せ終えたデスマスクは、思わず歓喜の声を上げた。
午後3時のティータイムから始まったケーキ作りは、ここでようやくの終わりを見たのである。キッチンの中から外の様子は分からなかったが、既に陽は暮れてしまっていることだろう。
出来上がった巨大なケーキを見て、アフロディーテは満足げに微笑み、シュラは達成感に満ちた表情をした。

「やはり私のデコレーションは完璧だったな」
「いや、それよりも味だ。俺が丹精こめて洗った苺の甘さこそがものを言う」
「……おまえら、スポンジ焼いてクリーム塗った俺の努力忘れてるだろ……」
3人が3人、自分の仕事こそ最高だと思っている。それだけ会心の出来だった。
さあ、あとは女神に献上するだけだ。





ウェディングケーキもかくやというくらいの大きさのケーキを片手で支えるデスマスクを先頭に、3人は巨蟹宮から女神の元へと急いだ。途中、8つの宮を抜けたが、そのどこにも黄金聖闘士の姿は見えなかった。全員が外出中というのは珍しいことだとデスマスクは首をかしげた。
女神の間に続く廊下を進んでいると、妙な騒ぎ声が聞こえ始めた。声だけではない。なにやら浮かれた小宇宙も感じられる。
「まさか、俺ら以外の黄金が揃ってるのか?」
デスマスクがそう呟くと、アフロディーテとシュラは薄ら笑いを浮かべて「さあ?」と意味ありげな返事をする。
「なにも女神の間へ入って確かめればいい話だろう」
シュラの言葉に従ってデスマスクはおもむろに女神の間の扉を開け――

「ハッピーバースデー!!」

……熱烈な歓迎を、受けた。
いきなりのことに驚いてケーキを取り落としそうになるのをなんとか堪え、デスマスクは気の抜けた顔で辺りを見回した。
特大のジョッキを片手に笑っているミロとアイオロスは、おそらく酒の飲み比べてもしていたのだろう。サガは酔っているのか半裸だ。他の皆は酔いどれというほどではなくとも赤い顔をしていたから、紛れもなくこの状況は「宴会の最中」であったことを示している。女神の間で宴会など聞いたことがない。
「宴会ではないぞ、誕生パーティーだ!」
アルデバランがそう言って豪快に笑った。
「もちろん貴方のですよ」
ムウが言葉を引き継ぐ。
そう言われて初めて、デスマスクは自分の誕生日を思い出すに至った。ケーキ作りに没頭していたせいですっかり忘却の彼方だったのだ。

「みなさん、やっとケーキが来ましたよ!」
女神が満面の笑みでデスマスクの元へ駆け寄ってきた。
「こんなに素晴らしいショートケーキを作ってくれるなんて……本当にありがとう!」
口では彼に対する感謝の意を述べているが、女神の目は巨大ケーキに釘付けだ。
「おい、あんた……誕生パーティーと称して、本来祝われる立場である俺にケーキ作らせるってどういうことだ」
怒ればいいのか呆れればいいのか。デスマスクは不本意な顔で女神を見やる。すると彼女は「そんなの決まってるじゃない」と言わんばかりに目を見開いて、極上の微笑と共に言ったのだった。

「大切な人には、とびきり美味しいものを食べてもらいたいでしょう?だから私は他でもないあなたに頼んだの。世界で一番美味しいショートケーキを作れるのは、あなた一人だけだって分かっているからよ!」


……あぁ、そんな笑顔で、そんな言葉を言われてはかなわない。
呆れやら何やら、ありとあらゆる負の感情はすべて吹き飛んでしまった。
ちらり、と後ろにいるアフロディーテとシュラに目を向けると、2人はにやりと笑っていた。今日のことを分かった上で、ケーキ作りに付き合っていたということだ。
デスマスクは「おまえらなぁ……」と溜息をついたが、その唇は笑みの形に弧を描いていた。



(おいお前ら、ケーキはちゃんと手ぇ洗ってから食えよ!)





2009/06/24


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