蜃気楼の成れの果て


私はまどろみの中にいた。薄い霞がかった世界で、たゆたう意識。
果たして此処はどこであったか。私は誰であったか。今はいつであったか。生きているのか死んでいるのか。夢なのか現実なのか。なにもかもが不安定で、曖昧さに身を委ねている。

(サガよ)
呼び声に目を細めた。ああ、私はサガという名だったのだな。自覚して確認する。私はサガだ。
……ならば、私を呼ぶこの声は?
(私はサガだ)
サガ?それは私の名前。お前もサガなのか?
(そうだ。私はもうひとりのサガ。もうひとりのおまえ)
曖昧だと感じられたのは、私がひとつになりきれていないからなのか。
おぼろげな意識の中でも妙に納得する。……私はどうすればいい。
(おまえは行け)
何故。
(女神が呼んでいる)
お前は?
(私は行けぬ。おまえだけだ)
……何故。私はサガで、お前もサガであるというのなら、共に在らなければならない。
なのにどうして、――



「起きましたか、サガ?」

はっと息を呑んだ時には、もう既に私はまどろみから覚醒し、曖昧さから解放された。
目の前には、女神の優しい微笑み。膝枕をされているのだと気付いて狼狽する。女神の膝枕などなんと畏れ多いことか。すぐに立ち上がろうとするのを、その女神自身から制止された。
「いいのです、このままで貴方と話がしたいの」
だからお願いです、と頼まれては断ることができなかった。
こうしてやり取りを繰り返す間にも、私の記憶が徐々に取り戻されていく。

……そうだ、私は死んだのではなかったか。
一度目は己の行いを償うために。二度目は仮初めの命を塵にして。三度目は、次代の子らに道を示すために。
だが、今こうして呼吸をしている感覚は本物だ。私は生きている。

「ええ。貴方は生きねばなりません。私が願ったのです」

ならば……ならば、もう一人の『私』は……?
まどろみの中での会話を思い返す。「私は行けぬ」と言っていたあの声。聞こえない。
いないのか。もう、いないのか。
私は『私』を置いてきてしまった。『私』は私の内から消えてしまった。私が背負わなくてはならぬ咎すら引き受けて、闇へと還っていった。黒は闇の中こそがあるべき場所だというのに、何故こんなにも欠落を感じるのだろう。

「……サガ」

――アテナ。どうか聞いてください。『私』はあなたを殺そうとしました。私の命でも引き換えにならぬほど罪深いことです。それを行ったのは『私』です。
私は『私』が憎い。内なる悪、内なる弱さが憎い……しかし、それは。たとえどれほどに悔やみ、憎んだとしても。それはどうしようもなく、私自身なのです。私の一部なのです。

「ええ……分かります。とても、分かります……」

女神はゆっくりと頷き、慈しむように私の頬を撫でた。知らぬ間に、頬を涙が伝っていた。
雨が地面に落ちて滲んでいくように、後悔とも悲しみともつかない感情が零れてゆく。
私は『私』の存在を忌み嫌い、排斥しようとしながらも、結局のところ『私』なくしては自我を保てなかったのだ。
『私』がいたからこそ私が在った。とうの昔に知っているはずのことだったというのに。
頬に触れる女神の手のあたたかさが、よりいっそう私に涙を流させた。



(この腕は何を奪い何を与えたのかを、私は知らない)





2009/02/25

【BGM】しなやかな腕の祈り/Cocco


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