ボーイ・ミーツ・アゲイン


冬の一大行事に賑わいを見せる灰色の街。空から舞い落ちる雪は、上辺だけの華やかさを凍り付かせるほど冷たくない。雑踏に耳をすませる。このまま騒音の中に溶けてしまえたらと思った。
なにかが、違うのだ。なにかが、足りないのだ。いや、足りないと言うよりも――「欠けて」いる。
世界のすべてが作り物めいている。灰色がかった暗闇で埋め尽くされている。
知らぬ誰かから無理矢理押し付けられたような、自分自身が蓄積してきたという確証が持てない記憶。無意識のうちに支配されているような屈辱。常に監視を受けているような違和感。なにもかもが不愉快だった。曇天はその心象風景を忠実に再現していた。

欠けている。何かが、確かに。

苛立ちの正体が分からず舌打ちする。通り過ぎる人間の誰もが微笑む中で、自分だけが取り残された気分だった。防寒を目的としたコートが意味を成していない。身体よりも、心が凍えていた。
不快を紛らわせるため、煙草に手を伸ばす。1日でいったい何箱吸っていることだろう。財布に残る僅かな金を勘定する気にもならなかった。

煙草を取り出し、火をつけようとしたところで指がライターから離れた。軽い音と共に、雪が降り積もり始めた街道へと落下した。不注意で物を落とすなど自分らしくもない。仕方なしにライターを拾おうとして、

「あっ」
「…………、」

冬の灰色とは対照的な、新緑の翠と眼が合った。かちり、と何かが符合した音が響いた。
「ライター、落ちましたよ」
翠の宿主は少年だった。大人びて見えるのはおそらく長く伸ばした黒髪のせいだろう。実際は十代前半といったところか。名も知らない自分に向かって優しげに笑う顔を見て、身に覚えのない懐かしさにとらわれる。
どうぞ、と差し出された手はどこかで見た記憶があった。いや、見るだけではなく、その手に触れた記憶までもが。……この感覚は、なんだ?

「……どうも」
頭の中を駆け巡る動揺を振り払い、冷静を装った返答。少年の掌に乗せられたライターを受け取る。その際に一瞬だけ触れた手は穏やかなぬくもりを宿していた。この、あたたかさを。俺は確かに知っている。
「……君は」
受け取ったらすぐに立ち去るものだと思っていたのだろう、不意に呼ばれて少年が目を見開く。
「君は、覚えているか」
「……え?」
我ながら意味不明な質問をしてしまった。傍から見れば不審者と思われかねなかったが、少年は困ったように眉根を寄せるだけで、今の発言に対する俺からの説明を待っているようだった。首をかしげ、翠の双眸が俺を見る。

――やはり俺は「覚えて」いる。この翠を。

この翠とまっすぐに対峙して、心を奪われた。
何者かによって拭い去られ、新たに付け加えられた仮初めの「記憶」によるものではない。身体が、感覚として覚えていた。それは、魂の記憶といえるものだった。
どこでだとか、いつだとかいった具体的な事柄は思い出せない。だが、覚えているのだ。
俺はこの少年に会った。戦った。託した。……そして、

「あ……あの……」

困惑を露わにした声によって思考が中断される。見ると、少年が不安げにこちらを窺っていた。じっと凝視していたのが悪かった。俺の眼の鋭さは、初対面の人間を竦ませるのに充分すぎるのだ。少年の瞳には明らかに怯えの色が混じっていた。

「ああ、すまない。俺の思い違いだったようだ。先程の言葉は忘れてくれ」
俺は視線を反らした。
えっ?と素っ頓狂な声を上げる少年に背を向けて、コートを翻す。
考えすぎだ。いくら本能的な感覚が彼を覚えていた所で、「今」の彼と俺には何もない。落し物を拾って手渡すだけの関係、それで終わる。それで、それだけでいいのだ。関わりなど持たない方がいい。
躊躇いを振り切るように早足で歩く。街の賑わいから、そして少年から逃れるように。
何かを期待していたわけではなかったが、惨めな気分だった。
――だが、不意に。

足音が近付いてくるのを、鼓膜の振動で感知する。駆け足で、追いかける速さで。
自分を追ってきたわけではあるまいと思い振り向きはしなかった。しかし、その足音が俺のすぐ後ろで止まったのを感じて、まさか、と思った。
コートの裾が引かれる。それはおそろしく控えめな行為だったが、俺を引きとめようとしているらしいことは分かる。

「……どうした」
前を向いたまま、返事。これ以上の期待を抱かせるなと念じた。もしかしたらなどという希望的観測を持つのは煩わしいからだ。彼に出会う前の自分は、そう思っていた。
「ひとつ、訊いてもいいですか」
背後から声が聞こえる。先程の少年とまったく同じ声音にもかかわらず、どこか違っていた。

再び合わさった歯車が、新たに動き始めるのを感じる。灰色の世界に、失われていた色が取り戻されていく。
雪は、これから塗り重ねていく新たな記憶のために、世界を白く浄化してくれたのかもしれない。厭わしいものとしか思えなかった雪の白さが、急に愛おしくなった。その劇的な変化をもたらしたのは、この少年だ。

「俺はあなたと、」

不安が疑問へと変わり、疑問が推量へと変わる。やがてそれは、確信へと昇華して。
確かに、俺は彼に会った。戦った。託した。そして――愛した。


「どこかで、お会いしませんでしたか?」



(偶然でも必然でもない、それは奇跡)





2008/12/20


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