いつか星になるその日まで


「一緒にギャラクシアンエクスプロージョンを浴びてもらうぞラダマンティス!」
光の洪水が身体を包み、まるで花火のように上へ上へと昇っていく。
贖罪を終え、聖衣は正当な持ち主である兄に返した。自分にはもう何も残っていなかった。悔いも、存在理由も。戦場で敵を道連れに華々しく散れるのなら、これ以上幸せな最後はあるまい。
「何故だ、おまえ程の男が、何故」
羽交い絞めにした腕の中で、敵である男が驚愕と共に慄いた。……何故だって? そんな問い、答えるまでもないことだ。この愚かな男にさえ生きる意味を与えてくれた世界のためだ。俺は数え切れないほど多くの命を奪ったが、同時にそれらの命によって救われた。今こそそれに報いる時なのだ。

「ならば」
眩い光に呑み込まれようとするその刹那、男がひどく静かに告げた。
――「生きろ」、と。





はっと目覚めた時、視界に飛び込んできたのは2つの丸い瞳だった。
「あ、起きたぁ!」
それが幼い少女であると気付くまでに数秒を要した。少女は大きな瞳をせわしげに動かしてカノンを見る。
「おにーさん、だいじょうぶ? 気分悪くない?」
「…………?」
覚醒したばかりの頭ではうまく状況を把握することができず、カノンはぼんやりと中空を眺めるだけだった。視線だけで辺りを見回す。木で作られた狭い小屋だ。カノンは寝台の上に横たえられていた。
なぜこのような場所にいるのだろう。自分は死んだはずではなかったか。それともここが冥界とは違う死後の世界だとでもいうのか。だがそれにしては現実味がありすぎる。

「起きたばっかりで分からないかもしれないけど心配しないで、ここあたしの家だから。あのね、おにーさんは山の中で行き倒れててね、あ、見つけたのはあたしなんだけど、それからあたしのお父さんがここまで連れてきてくれたの」
眠ってばかりだった怪我人が目覚めたことへの興奮と、自分の手柄を知ってほしいと逸る心が、少女に矢継ぎ早に説明をさせた。カノンは一気に雪崩れ込んでくる情報を解析しようとするが、処理能力が追いつかない。抽出したひとつひとつの情報から、ゆっくりと状況を把握していく。やがてある結論に辿り着いたカノンは呆然とした。

「……俺は」
「え?」
「俺は、生きているのか……?」

少女は怪訝そうに首をかしげた。
「当たり前じゃん! あたしが見つけた時は確かにおにーさん死に掛けてたけど、ちゃんと生きてるよ! ほらっ!」
そう言って両手でカノンの右手をぎゅっと握る。小さな子供の掌が、大きな男の無骨な掌を包み込んだ。触れ合った場所からじんわりと柔らかな人肌のぬくもりが伝わってくる。
「ね、生きてるでしょ?」
少女は笑う。無邪気に笑う。カノンは目を見開いて少女を見、それから2人の掌を見た。

ずっと、自分は死んだのだとばかり思っていた。あの時ラダマンティスと心中することを選んだ命は、今こうして生き長らえているはずがないと。だが、この目で見る景色も、この耳で聞く音も、何もかもが本物だ。疑いようもない。掌越しに伝わる少女の体温は、まさしく生きている人間のものだった。
……生きて、いる。

どうしてだ、と自問しようとするのを、少女が満面の笑みで遮った。
「じゃあ、おにーさんが起きたこと、あたしのお母さんに教えてくるね! すぐ戻ってくるからちょっと待ってて」
うまく言葉を発せないカノンを置き去りにして少女は部屋を出て行く。一人きりの静寂の中で、彼はじっと右手を見つめていた。




「この子の父親があなたを連れてきた時、それはそれは驚きました。とても酷い怪我だったもの。出血が多かったし、呼吸も浅くて。あの怪我で生きていること自体が不思議なくらいでした。1週間、ずっと眠っていたんですよ」
少女の母親が心配そうにこちらに視線を向けた。記憶は冥界で心中しようとしたあの時で途切れている。無意識のうちに地上へ戻ってきたのなら別だが、話を聞く限りそのよう重傷で動けはしなかっただろう。1週間も眠っていたというが、どうりで身体中が鋭い痛みで軋むわけだ。
カノンは少女から渡されたホットミルクのカップを受け取り一口飲む。あたたかな甘味が口の中に広がり、そこでやっと空腹を自覚した。

「前日にここの地域一帯で大きな地震があったから、きっとそれに巻き込まれたのね。ハインシュタイン城なんてほぼ全壊だとか……あのお城は10年以上も前から無人だったけれど。でもあなた、見たところ地元の人間ではないようだわ。どうしてこんな山の中に……?」
その疑問に対する答えを簡単に見つけることはできなかった。カノンは言葉に詰まる。
戦いが起こったことを一般人に悟らせてはならない。冥闘士は全て倒されたとはいえ、まだハーデス軍の残党が身を潜めている可能性も考えられる。自分のこの怪我では思い通りに動くこともままならず、もしもの場合に一般人を守りきれる自信はなかった。ならば災いを振りまいてしまう前に、自分は早々に去るべきだろう。それが彼女たちのためだ。
カノンはそう思い定め、少女の母親に向き直った。

「助けてくださったことには感謝しますが、その問いには答えられません。……私はここを出ます。これ以上迷惑をかけたくはない。1週間も目覚めぬ私の世話をしてくださっただけで充分です」
「いけません、そんな怪我では……!」
「いや、もう大丈夫です」
口では大丈夫などと言ってみせたが、実際は身体中が痛みで悲鳴を上げている。それを必死に気力で押さえ込んでいる有様だ。だがここで甘えてはならない。
軋む身体を動かして寝台を降りようとした時、不意に左腕を掴まれた。

「ひだりて!」

叫んだのは、それまでじっと黙ったまま母親とカノンのやり取りを聞いていた少女だった。
「出てく前に、ひだりて見せて」
頑としてカノンの左腕を掴んで離さない。無理に振り払うのも気が引けたのでカノンは少女に尋ねた。
「俺の左手がどうかしたのか?」
「うん。……あのね、おにーさん、今までずっと、寝てる間もずーっと、左手をぎゅって握ってたの。すんごい強い力だったから、てのひら開けようとしても無理だったの。どうしてそんなふうにしてたのか、ずっと不思議だったんだ。だから、見せて」
少女からそう言われて初めて、カノンは自分がずっと左手を握り締めていることに気がついた。まったく意識せずにそうしていたのだが、自分でもその行動が何を意図してのことなのか分からない。
強張った左手をゆっくりと開き、『それ』が露わになった瞬間、カノンの時が止まった。

「それとね、」
カノンの変化に気付かない少女は言葉を続ける。
「あたしがおにーさんのこと見つけた時、おにーさんね、黒くてキラキラしてるきれいなヨロイを着てたんだよ。おっきな翼もついてた。でもそのヨロイね、しばらくしたらお日様に照らされて消えちゃったの。さらさらさらーって、砂みたいに! それでヨロイはなくなっちゃったんだけど、おにーさんはそのままだったから、あたし急いで…………おにーさん?」
言葉が途切れた。少女は不思議そうに顔を覗き込んだ。それにつられるようにして母親がカノンを見、はっと息を呑む。

「おにーさん、どうして泣いてるの?」

彼の瞳から溢れた涙が、頬を伝って白いシーツの上に落ちて染みを作った。ぽたりぽたりと、その雫はたとえようのない重さと共に、次から次へと零れていく。
少女はしばらくの間、音も泣く流れる涙の軌跡を目で追っていたが、ふと視線を下に落とした。
「あ」
カノンの掌に乗る『それ』を見て、嬉しそうに笑う。見覚えのある品物だったからだ。
「あの時のヨロイとおんなじキラキラだぁ!」
小さな『それ』は、黒い輝きを放つ欠片だった。カノンはそれが何であるのか知っていた。知りすぎて、いた。
――冥衣の破片だ。

冥衣は冥界の鉱物で出来ている。カノンにとってそれらは敵が身に付ける鎧であり、破壊すべき対象に他ならなかった。しかし少女は言うのだ。何の先入観も介入しない、純粋すぎる目で。きれい、と。
カノンは涙で滲む視界の中で、黒い欠片を見つめた。冥衣は美しかった。禍々しさも不気味さもない。夜色の煌きを映し出す冷たい輝きは、聖衣にも鱗衣にもない美しさだった。

「きれい」と少女が呟いた。
左手が握り締めていたこの欠片、そして少女の言葉から、あの冥界での戦いでラダマンティスが自分に何をしたのかは明らかだった。……救われた。敵であったはずの男に、救われた。敵のものであったはずの冥衣を着せられて、救われた。何故だ。何故俺などを。
涙が溢れて止まらない。少女の母親がカノンに視線を注いでいるのにも構わず泣いた。悲しいのか嬉しいのかも分からず、カノンにはただ泣くことしかできなかった。少女が何も言わず小さな手で頭をなでてくれる、その優しさに涙した。





『何があったのかは敢えて問いません。でも今はゆっくりと休んで、怪我を癒すことだけを考えて欲しいの。ここを出て行くのは、それからでも遅くはないでしょう?』
静かな口調でそう説得された日から、今日で2週間が経った。傷もだいぶ塞がり、出歩けるようになるまで治癒した。瀕死の状態からこれほど早く回復できたのは、カノン自身の生命力だけによるものではないのかもしれない。

星の出ている夜、カノンはひとりで外に出て空を眺めた。夜空に広がる星々を守護星座にしていた聖闘士たちはもういない。彼らは死に、自分は生き残った。……いや、「生かされた」のだ。カノンは自分を生かした男、ラダマンティスを思った。
「……馬鹿な男だ」
死に瀕しようとする極限状態にあって、自分自身ではなく他者を、しかも敵の命を救うなど。おまえの強さを支えていた絶対的な忠誠心はどこへ行ったのだ。おまえが最後の最後に命を懸けて救うほどの意味を、この俺に見出したとでもいうのか。
問いは日増しに大きくなった。自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感、永久に失われてしまった存在に対する喪失感がそうさせた。

そしてそんな時、カノンはラダマンティスが残した冥衣の欠片を見る。
この欠片だけは、朝陽に触れても灰のように消えることはなかった。深く落ち着いた漆黒の輝きは、波立つ心をいつも鎮めてくれる。穏やかな小宇宙が欠片の中に込められていた。あの日、敵としてカノンを討とうとしてきた苛烈な攻撃的小宇宙はどこにこ感じられず、ただカノンを生かそうとする想いだけが満ちている。
死によってではなく、生きることでその命に報いよと言いたいらしい。

「……生きないわけには、いかないな」

小さく呟いた。
生きることを願われた命だ。ならば最後の瞬間まで、生きて生きて生き抜いてやろう。贖罪のためなどではなく、泣きたくなるほど美しい世界のために。それは紛れもなく自分自身の意志だった。
星の光がカノンの元に降りてくる。黄金の魂を持った彼等もまた、星になってカノンを見守ってくれている。
己の誓いを刻み付けるように、ゆっくりと目を閉じる。これから歩む道はひとつに決まっていた。
再び目を開けた時、カノンの瞳はまっすぐに聖域の方角を見据えていた。



(今はただ、絆の底に眠る)





2009/09/23


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