のこされた かけら


聖戦後の聖域はひどく荒廃していた。
かつて十二宮を守っていた黄金聖闘士たちの、あの温かく頼もしい小宇宙が一気に掻き消えてしまったのも大きな原因だろう。聖域の復興の為に働いている青銅・白銀聖闘士たちは努めて明るく振舞おうとしていたが、尊敬し憧れていた彼等がいなくなった影響は計り知れない。

聖戦後にすぐ姿を消した一輝は別として、今は復興作業に手を貸している星矢や瞬、氷河も同じような様子だった。数箇月に及ぶ昏睡状態から覚醒して、最初に突きつけられた現実があの荒廃した聖域だったのだから仕方ない。居るべき人が消えてしまった、無人の宮。かつて自分たちが倒した相手であっても、「二度目の死」という事実は重い。いつも皆を引っ張っている星矢の、空元気な声が聖域に響く毎日だった。


紫龍は黙々と歩いていた。彼の姿を見つけると、他の聖闘士たちが駆け寄って挨拶してくる。その声には、「神聖衣を纏って世界を救った英雄」に対する憧れが混じっていた。挨拶を返すと、やっと紫龍の眼が不自由であることに気が付いたらしい。気まずそうに礼をして、そそくさと帰っていった。そんなやりとりを、今までに5回は繰り返している。
紫龍の視力はいまだに回復していない。身体的にはいつ見えるようになってもおかしくないのだ。
心が、「見える」ようになるのを拒んでいるのかもしれないと思った。……現実を。「彼」がいないという現実を、認めたくないが為に。

人馬宮を抜けたところで、紫龍は歩みを止めた。
――磨羯宮。彼が目指していた場所はそこだった。



『俺が行くまで、磨羯宮には誰も入らないようにしてもらえますか』

聖域の復旧作業が始まる際、沙織に頼んだ言葉を思い出す。子供の我侭と大差ない頼みごとだったが、沙織はその理由を尋ねようとはしなかった。
『わかりました、紫龍。磨羯宮に関してはあなたに一任します』
紫龍と彼の関係を知っていたのは、おそらく彼女だけだ。
自分の眼が見えないままでよかったと思った。あの時の女神は、泣いていただろうから。

冷たい空気で満ちている磨羯宮を通り、居住区域に足を踏み入れる。ここへ来るのは初めてだった。磨羯宮には戦いの記憶しかない。そこに彼が住んでいたという事実を受け入れるのには時間がかかった。
彼の小宇宙はどこにも感じられない代わりに、煙草の香りが紫龍を迎え入れた。ふわりと漂う苦い香りに彼を思い出す。これは、あのひとが吸っていた煙草の香りなのだろうか。

磨羯宮を訪れたのは、「遺品整理」という名目だった。
しかし、彼が住んでいたと思われる部屋に遺品らしきものはほとんど置かれていなかった。まるで生活感のない部屋。眼が見えないため、手で触れることでしか部屋の内部を把握できなかったが、それでも簡素な部屋だということは分かった。家具なども備え付けてあるものだけ、動かした形跡もほとんどない。本当に彼が住んでいたかどうかすら怪しかった。
煙草の香りだけが、彼が此処にいたことを証明している。

紫龍は、当初の目的を忘れて彼の痕跡を見つけ出そうと必死になっていた。
だが、どんなに探しても目新しいものはない。
いつ死ぬか分からない聖闘士は、あまり多くのものを残すべきではない――そういった考えが彼にもあったのだろうか。

なかば諦めかけていた時、何かの落下音が聞こえた。
意識しなければ気づかないほどの小さい音だったが、視覚以外の感覚が鋭敏になっている紫龍には確かに聞き取ることができた。

(……紙?)

音がした場所周辺の床に手を這わせていると、紙らしきものに触れた。机かどこかに置いてあったらしい。立ち上がって、両手でその紙に触れる。形状からそれは封筒だと分かった。

(手紙、だろうか)

封筒にはきちんと封がされていた。開けられた形跡はない。『彼』が、誰かに手紙を書いてそのままになっていたのかもしれない。多少の厚みがあるから、中には便箋が入っているのだろう。
封筒の表面を指でなぞると、なんらかの文字が書かれていることに気が付いた。宛名だけであっても、個人の手紙を勝手に読んでしまうことは躊躇われた。しかし、『彼』の残したものならばどんなものであっても知りたいという思いが紫龍にはあった。『彼』と自分を繋ぐものが、あまりに少なすぎて。

震える指が、文字の上を滑る。凹凸だけで書かれている文字を察するのには慣れていないから大変だろうと思っていたが、文字の判別は意外なほどに簡単だった。
……なぜなら。

≪Shiryu≫

そこに書かれていたのは、親しみすぎた自分の名であったのだから。



(それは、遺書と呼ぶべきもの)





2008/12/23


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