おろかなこども


「……っ!」
紫龍が肩を押さえてその場に蹲ったのは突然だった。ひゅう、と息を呑む音がこちらにまで聞こえてきた。
「紫龍!?」
頭で考えるよりも先に、身体はその少年を助け起こすためだけに動いていた。咄嗟に敵の攻撃かと思ったが、様子からして違うようだ。
「どうした紫龍、痛むのか?」
シュラの問い掛けに、彼は首を縦に振るだけで精一杯だった。ぎゅっと引き絞られた瞼、額に浮かぶ汗。悲鳴を漏らすまいと閉じられている唇は震えていた。
痛みを和らげるために、紫龍が押さえている肩の部分を手で包み込んでやる。数回ほどゆっくりとその痛いらしい場所を撫でていると、次第に紫龍の強張っていた身体から力が抜けていく。頑なに閉じていた瞼を開け、息をついた。
「……大丈夫か」
耳元で囁きかける。収まってきた痛みとシュラの声に安堵したのか、もたれるように背中を預けてきた。後ろから抱きとめる格好になっていたシュラは、注意深く紫龍を抱き締めた。
紫龍は幾分表情を緩めて、しかし疲れの残る瞳で言った。

「これくらいの痛みなら、耐えられる」

またか、とシュラは思った。
この子供は、己の痛みを顧みない言葉を無自覚に言う。戦場でなら強い力と成りえたが、大きな戦いが終わり平穏を取り戻した今では、脆さと危うさを内包していた。
痛みを痛みとして受け取らないという感覚、もしくは覚悟を身につけるには、この子供はあまりに幼すぎはしないか。

自分が彼くらいの年齢であったときのことを思い返す。
既に黄金聖闘士として比類なき実力を持っていた14歳の自分は、傷を作るような状況に直面する機会が少なかった。傷を付けられる前に、すべての敵は聖剣の一薙ぎによって斃れていた。アイオロスが死に、サガが偽の教皇として君臨してからは尚更だ。何者もこの身体に傷を付けることなどできなかった。飽和した強さを持て余し、ただ過ぎて行くだけの日々。
しかし、紫龍は違う。
青銅聖闘士という最下層の位から、未成熟ながらも黄金聖闘士と肩を並べる場所にまで這い上がってきたのだ。成長期前の若い身体をひたすらに痛めつける日々だったに違いない。
かつて自分でつけた痛みが、今になってリフレインする。

「……成長痛、」
紫龍が小さな声で言った。
「これが、成長痛というものなのだろうか……」
シュラの胸に寄りかかったまま呟いた独り言は、シュラではなく自分自身への問い掛けのようだった。
「どうだろうな。俺も成長痛は経験したが、おまえが感じた痛みと同じなのかは分からん」
「成長、しないかもしれない?」
「それはおまえの身体しだいだ」

この時は曖昧に言葉を濁したが、シュラには確信があった。紫龍の成長は、もうほとんど止まっているであろうということを。身長であれば1・2cm程度の些細な変化はあっても、それ以上の劇的な伸びは望めまい。
成長期の絶頂を迎えるはずの年齢を前にして、酷使しすぎた紫龍の身体が悲鳴を上げている。もう負荷をかけてくれるなと、懇願している。
先程彼が感じた痛みは、成長痛などではない。軋む骨と身体が、紫龍に必死で訴えかける悲鳴なのだ。

紫龍が、他の同年代の聖闘士たちよりも遥かに大きな傷を負っていることを知ったのは最近だ。
聖域で戦った際、妙に傷の多い子供だと訝ったのは果たして本当だった。
死んだ聖衣を蘇らせるために大量の血を流し、命が危険な状態で戦った話を聞いた。二度に及ぶ失明、幾度となく死の扉を叩いた話も。
紫龍は、他人が追うべき傷すらも受け入れて。痛みを溜め込みすぎた身体の方が耐え切れなくなるのは、至極当たり前の事実だった。

その痛みは、来たるべき成長に伴うものではないのだろう。
その痛みは、ひたすらに己の身体へと鞭打ってきた過去からの、現在に対する呪いのようなものなのだろう。
この子供は、たったひとりの女神を守る力、運命に打ち勝つ力を欲した。ひたむきな願いと自らの命を代償とすることで、彼は望み通りの強さを手に入れた。
しかし、その強さは刹那のものにすぎない。一時だけの強さは、次第にその意味を朽ちさせてゆく。歳月が積み重なるほどに脆さが露呈されてゆく。
過去を贖う為の痛み。この子供は、それに耐えている。彼自身を強くし、同時に脆くさせた力に報いようと。あたかも、血を以って聖衣を贖う行為に似ていた。……皮肉なことだ。長く辛い戦いが終わっても尚、痛みを抱えて生きなければならない。

シュラは、腕の中に居る紫龍を再び強く抱き締めた。
ならば俺は、この強く脆い子供の為に生きよう。痛みを和らげることは出来ずとも、一歩後ろで影のように支える存在となろう。守られることを知らない彼を、これからは俺がこの手で守りたいと願った。
紫龍が笑う。俺の腕の中で笑う。俺はその黒髪を梳く。くすぐったそうにして、また笑う。

嗚呼、なんと愛しい愚かな子供。



(だからこそ、守りたい)





2008/12/14


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