石動・カミーチェの幸福


面白みのない男だと言われ続けた人生だった。

今更それを否定する気はない。自分でも心底つまらない人間だと思う。昔から趣味と呼べるようなものは何もなかった。新聞も本も読むことは苦ではない。テレビはニュースくらいしか見ないが、ドラマの話についていけないからといってさして困った覚えもない。他人と話を合わせるために一通りの娯楽は経験したが、特に入れ込むようなものはなかった。誘われれば食事にも旅行にも行く。だが自分から思い立つことはなく、どこまでも受動的だった。
休日は選択と掃除と料理で午前が潰れる。残りの時間は何をしたらよいのか分からず、意味もなくぼーっとしているか、人の居ない職場に行って細々とした仕事を片付けるか、それくらいしかやることがなかった。

そして今日も私は1人で職場に来てトイレ掃除をしている。誰に頼まれたわけでもなく、なんとなく汚れが気になったのでやっているだけだ。普段は清掃業者が来て掃除をしてくれているのだが、昨日の担当者は少しばかり手を抜いたらしい。
水色のゴム手袋をはめ、ブラシを片手に便器をこする。そうやって無心に掃除をしている間は、自分が何者なのかということを考えずに済むから気が楽だった。
ごみを取りまとめて捨てに行こうとした時、不意にオフィスのドアが開いて思いがけない人物が現れた。マクギリス・ファリド。私の直属の上司だ。私は彼を准将と呼んでいる。
誰もいないと思っていたのだろう、ゴム手袋をはめたままの私と遭遇して、准将は呆気にとられていた。

「こんにちは。休日出勤ですか。准将もお忙しいですね」
「いや、私は忘れ物を取りに来ただけだよ。人がいるとは思わなかった」
「休日の用事がなかったものですから」
「だからといってトイレ掃除とは……いつもやっているのか?」
「いつもではありません。今日は掃除をしたい気分だったので」

准将は狐につままれたような顔をして私をまじまじと見つめてきた。そんなにおかしかっただろうか。確かに、休日に職場へ来てトイレ掃除をしている人間はそうそういないとは思うが。
「准将の忘れ物はありましたか」
「え?……ああ、見つかったよ。大事なものだからといって仕舞い込んでいたら持って帰るのを忘れてな」
そう言って准将は引き出しの中から白い封筒を取り出した。宛名のない薄い封筒だ。何が入っているのかは分からない。
「そうだ、せっかく会ったのだし、お前には先に言っておこうか」
思い出したように准将は言う。「職場の皆には週明けに話そうと思っているんだが」と前置きして。

「式を挙げることになったんだ」

「……はあ」
間の抜けた声が出た。式。間違っても数学のことではない。正しくは結婚のことだ。私には馴染みのない言葉だった。
准将には年の離れた婚約者がいる。時が来れば結婚したいという話は聞いていた。……そうか、もう結婚できる歳になられたのか。准将の婚約者と初めてお会いした時のことを思い出して懐かしい気持ちになった。あの頃はまだ背伸びをした少女だったように思う。
「おめでとうございます」
とりあえず祝福は必要だろう。気の利いた言い回しが思いつかなかったので、飾り気のない言葉しかひねり出せなかった。これでも精一杯の祝福のつもりだった。准将は私のそういう性格をよくご存知なので、それ以上の言葉は要求してこない。「ありがとう」と一言返し、それからとても綺麗な顔で微笑んだ。

――ああ、それが。その表情が。本当に、綺麗だったのだ。

男性に「綺麗」という形容はふさわしくないのかもしれない。そうでなくても准将は男らしい魅力に溢れ、彫刻のように整った顔と体をお持ちの方だ。「美しい」と言われるほうが遥かに多いだろう。
しかし私は、綺麗だと思った。たとえば幼い子供が虹を見上げた時に言う「きれい」と同じニュアンスだった。思ったことがそのまま口から零れ落ちるかのような。
花が綻ぶように笑うその唇、柔らかな光を宿した瞳、彼の纏う空気そのものが、幸福という概念を表していた。

そして、私は重ねて思う。この綺麗な一瞬を、どうにかして切り取ることはできないかと。
私だけがそれを網膜に焼き付けることができるなんて、本当に勿体無いことだ。叶うならこの一瞬を永遠に残しておきたい。アルバムのページをめくるように、この一瞬を何度でも振り返りたい。
私は元来物欲に乏しい人間だったが、ここに来てたまらなく欲しいものが一つできた。今の私に必要なのは、この眼球が映し出した風景を再現するカメラだ。





カメラが欲しいという願望を認識してから、私は自分の望みに合うカメラを探すことにした。手始めに家電量販店へ行ってそれらしいものを見繕ったが、煌々と店内を照らす蛍光灯の下では、どれだけ優秀なファインダーでも色褪せて見えた。加えて接客をしてくる店員の態度にも辟易した。
「何をお探しですかあ?もしかしてカメラ初心者さん?でしたらそちらの商品がオススメですよお〜!今月発売されたばかりの最新モデル!うちは特別価格でご提供しておりまして、安さなら他店に負けませんよ!なんなら価格比較表も見てみます?あれっお客様?」
カメラについての知識をひけらかすか、自分の店で商品を買わせようと目をギラつかせているか、どこの店へ行っても対応は似たようなものだ。仕事帰りにカメラを見て回る日々はほとんど無駄といってよかった。

式の日は着々と近付き、招待状が私のアパートに送られてきた。差出人には、マクギリス・ファリドとアルミリア・ボードウィンの名が慎ましく記されていた。招待状は、繊細で美しい花の切り絵で彩られていた。きっとこれは新婦のセンスによるものだろう。准将がこの手のものを選ぶと、シンプルすぎるか派手すぎるかの両極端になりそうだからだ。

私はさっそく万年筆を手に取り返信を書いた。特別な用件の時にはこの万年筆を使うと決めている。そういえばこれも准将からの頂き物だ。安物の万年筆を使い倒していた私を見かねて、准将が「私の使っていたものでよければ」と譲ってくださったのだった。薄く紫がかった青地に、金の装飾が施されている。私が使っていた安物とは比べ物にならぬほど高価な一品であることは間違いない。これ一本でアパートの家賃は軽々と支払えるだろう。――そんな想像をしてしまう自分も大概俗物だ。

「出席」の二文字を丁寧に丸で囲み、祝いの一言を添える。気の利いた言い回しでも考え付けるならよかったが、悩んだあげく結局は形式張った言葉しか出てこなかった。私はいつもこうだ。たった三行の言葉を書くのに二十分も費やした。

最寄りのポストに葉書を投函する道すがら、小さな写真屋を見つけた。こんなところに店などあっただろうかと首をひねる。民家と民家の間に挟まるようにして、その建物はかろうじて店舗のかたちを保っていた。個人経営らしい、こぢんまりとした写真屋だ。そして年季が入っている。この道を通るのは初めてではなかったが、この店の存在を意識したのはこれが初めてだった。なぜ今になって目に留まったかといえば、理由は明白である。店のガラス越しに、展示してあるカメラが見えたからだ。

そのカメラがどうしても気になり、私は思い切って店の扉を開けた。乾いたベルの音が鳴り響く。店の中には誰もいない。開店休業状態だ。デジタルプリントが普及したこの時代に、写真屋の需要は激減しただろう。今でもまだ店を開いていることの方が珍しい。
「すみません」と一応声をかけるが、返事はない。高価そうな機器もあるというのに随分と不用心だ。誰も居ないのをいいことに、私は店内をぐるりと見て回った。壁の至る所に写真のサンプルが飾られている。風景写真が多かったが、それらに紛れて人物の写真もあった。七五三の衣装を着た姉弟、成人式の振り袖を着た女性、幸せそうに微笑む家族――どれも古い写真だったが、そこに写る人々は自然体の笑顔を浮かべていた。この写真を撮った人物に心を許しているのがよく分かる。

レジ横のガラスケースにはカメラが陳列されていた。先ほど店の外から見えたカメラだ。大きさもシルエットも少しずつ異なっていた。同じものを撮っても、使うカメラによって写り方はまったく変わるのだろう。どれも重厚な佇まいがある。とてもカメラ初心者が手を出せるような代物ではないと感じた。だが――どうしても惹かれたのだ。端正なフォルムのカメラたち、その中のひとつに。
このカメラが写す景色はどんな色をしているのだろう。私の網膜に焼き付いた一瞬を余すところなく切り取れるだろうか。私は思わずガラスケースに指を這わせていた。できることなら今すぐにでもファインダーを覗いてみたい。このカメラが映し出す景色を確かめてみたい。

「そいつが気になるのかね」

突然背後から声がして、私は咄嗟に振り返った。腰の曲がった白髪の老人がそこにいた。おそらくはこの写真屋の店主だろう。気難しそうな顔で私を見ている。
「すみません、勝手にお邪魔していました」
「用があるんなら声をかけてくれ。盗人かと思って肝が冷えた」
「一応呼びかけはしたのですが」
「こっちに聞こえなきゃ声をかけたとは言わんよ」
「すみません」
「いちいち謝らんでもいい」

店主はつかつかとこちらに歩み寄り、私の横に並んだ。ガラスケースに収められたカメラたちを見回す。
「お前さん、カメラは初めてか」
「はい」
「そんなんでうちの商品に目を付けるとは中々に無謀だね。まあ見る目はあるよ」
貶されているのか褒められているのか分からない。歯に衣着せぬ物言いとはこういうことを言うのだろう。

「で、お前さんは何のためにカメラを探してるんだい」
投げかけられた問いに、私はすぐに答えることができない。真っ先に思い描いたのは、准将の伏せた瞼の美しさだった。式を挙げると告げたあの時、幸せと充足感に満ち足りた表情。窓から零れ落ちる光が彼の金髪に透けて、とても綺麗だった。
今からカメラを買ったところで、あの一瞬が再現されることはないだろう。けれどこれから先、またあの時のように美しい光景を目にできるなら。次こそは写真に収めたいのだ。一瞬を永遠の中に閉じ込めるために。

「……上司の結婚式に呼ばれているんです。きっと素晴らしい式になるだろうと思っています。だから、どうしても写真に残しておきたい」
「なるほど。お前さんは人が撮りたいんだね」
「そう……ですね。主役は人です」
「だったらそれにしときな。気になってるんだろ?人を撮るにはそれが一番いい」

店主はそう言ってガラスケースの中から一台のカメラを取り出した。私が先ほどからずっと見ていたカメラだ。店の外で見た時からずっと気になっていた。
ほら、と手渡されたそれは、他のカメラよりも一回り小さかった。私の両手にすっぽりと収まりながらも、確かな存在感を放っている。

「一目惚れってやつは案外信用できるもんだ。お前さんが『これがいい』と思ったんなら、それが運命だよ」

――結局、その言葉に導かれるまま、私は購入に踏み切っていた。カードで一括払い。値段を見て狼狽はしたが、今更になって一目惚れを覆せるほどではなかった。ボーナスが軽々と飛んでいったが、元より私は他に給与の使い道などなかったのだ。生活必需品以外で金を使ったことさえ久しぶりだった。徒に増えていくばかりだった預金残高から、6桁単位の金額が消えていくのを見るのは痛快ですらあった。金は使うためにある、とは誰の言葉だっただろうか。
消えた金と引き換えに、私の腕の中にはカメラがある。近いうちにやってくる「とっておきの日」のために、私が得た最高の装備だった。





「そういえば最近、休日出勤をしていないらしいな」
私の淹れたコーヒーを飲みながら、准将は思い出したように言った。この人はコーヒーを飲む仕草ひとつ取っても絵になってしまう。私はシャッターを切りたい気持ちを抑えながら、平静に受け答えができるよう努めた。
「さすがにトイレ掃除は卒業か」
「すみません」
「いや、冗談だよ。本来休日は仕事場になど来るべきではない。余暇を自分のために使うのは良いことだ」
自分のため。果たしてそうだろうか。ここ最近の休日の使い方は、半分は自分のためであり、もう半分は准将のためでもあるような気がした。

「とはいえ、お前がどのように休日を過ごしているのか全く想像がつかんな。実際何をしているんだ?」
「旅行に行っています」
「旅行?お前にそんな相手がいるとは知らなかった」
「いえ、一人です。写真を撮りたいだけですから。……先日カメラを買ったので、その練習も兼ねて」
准将は長い睫毛を上下させて瞬きをした。ぱさぱさと睫毛の擦れ合う音が聞こえてきそうだった。要するに驚いた表情をしている。

カメラを買ってから、私は週末の度に外へ出かけるようにしていた。ある時は手近な公園へ、またある時は電車を乗り継いだ先の観光地へ。泊まりがけで行くこともしばしばだ。場所はどこでもよかった。思い描くような写真が撮れる場所なら。
撮影するのは、自然の風景と人だった。その場所に住む人々の営みと、その場所を訪れて感動を味わう人々の喜び。そういったものを私は撮った。写真を撮らせてくれと頼むと、大抵の人は少し驚いた顔をして、しかしすぐに「いいですよ」と笑う。老若男女問わず断られたことが一度もないのが不思議だった。これまでに何度シャッターを切ってきたことだろう。

「お前は人をよく見ているから、良い写真が撮れるだろうな」
准将はさも当然とでも言うかのように頷いた。私は得体の知れないむず痒さを覚える。どうやら私は准将に褒められているらしい。この人は迂遠な言い回しを好む割に、時々こうやって率直な言葉を投げかけてくることもある。その対象が私に回ってくることは今までなかったのだが――ああ、苦手だ。ただでさえ眩しいこの人を、真正面から見られなくなってしまう。私は目を細めざるを得なかった。

「……准将、ひとつお願いが」
苦し紛れに新しい話題を切り出す。本当はこちらの方を先に言いたかったのだ。
「准将の結婚式――私に写真を撮らせていただけないでしょうか」
数多のプロの写真家がいるとしても。カメラを持って一ヶ月も経たない私が、彼等に太刀打ちできるわけがないとしても。技術は遠く及ばないが、准将を見てきた時間は他の誰よりも長い。その自負があった。だから、願わずにはいられなかった。

准将はかすかに笑った。まるで私がそれを言い出すことを最初から見越していたかのように。そうしてコーヒーを一口飲んでから、ゆっくりと頷いた。
准将の背後の窓ガラスは、底抜けに青い5月の空を透過していた。そういえば結婚式は6月だったか。准将の奥方になられる人は、紫陽花がよく似合う少女だった。





「ささやかな式にしたい」というのは、新郎新婦たっての願いだったらしい。
ファリド家とボードウィン家、ともに大きな家同士の結婚式とは思えぬほど、参加者は非常に少なかった。なにせ、職場の部下でしかない私が、披露宴どころか結婚式にまで出席を許されたのだから。カメラマンとしての役割があるとはいえ、他にも呼ぶべき相手はいただろうに。

新婦の父と兄――ガルス・ボードウィンとガエリオ・ボードウィンはこれでもかというくらい泣きに泣いていた。あまりにも泣きっぷりが激しいものだから、周囲の人間が一歩引いてしまうほどだった。新婦からは「まったく大げさなんだから」と呆れられていた。周りの目を気にせずに泣けるというのも一種の才能だろう。彼等の様子も忘れずに写真に収めておく。

主役の2人はとても綺麗だった。純白の衣装が世界一似合っていた。陳腐な言葉をいくら重ねたところでその美しさは表現できないだろうから、私は代わりに写真を撮った。2人の表情、動き、感情さえも余さず全て。ファインダーが私の眼であり、シャッター音が私の声だった。





「さんぜんごひゃくにじゅうはちまい?」

素っ頓狂な声が私の鼓膜をびりびりと振動させる。耳を塞ぐタイミングが遅かった。
「え、これって1日でこの枚数?三千枚?頭おかしいんじゃない?」
「これでも写りが悪いものは削除した」
「いやいやそれでも多すぎでしょ!ひー、あったまおかしい!」
二回も繰り返さなくたっていいのではないかと思ったが、彼女にとってはそれほど衝撃が大きかったらしい。写真データの入った端末を手に持ったまま、赤毛を揺らしてけらけらと笑っている。彼女の裏表のない言動は嫌いではないが、もう少し時と場を考えてはくれないだろうか。ここは職場のカフェラウンジだ。他の利用者が何事かとこちらを振り返っている。

彼女の名はヤマジン・トーカという。同じ会社の同僚だが、部署は異なるため先日の結婚式には呼ばれていない。写真だけでもぜひ見せてくれというのでその通りにしたらこの反応だ。私は彼女に写真を見せたことを早速後悔し始めている。
「茶化したいだけならもう見なくていい」
「別に茶化してるわけじゃないよ、アンタがこの結婚式に懸けた情熱の重さに笑いが止まらないだけだから」
それを茶化していると言わずして何と言うのか。突っ込みを入れる気力もなく、私はブラックコーヒーを啜る。

「いやーしかしどれを取っても絵になるって凄いわ。ファリド室長がえらい美形なのは今に始まった話じゃないけど、お嫁さんも滅茶苦茶かわいいし。ヴィダ……ボードウィンとこの妹さんでしょ?年の差いくつよ?犯罪にならない?」
「一応法的には結婚が認められている年齢だ」
「でも婚約者としてのお付き合いは相当前からって話じゃない?やっぱファリド室長ってロリコ」
「それ以上のコメントは准将への侮辱と見なすぞ」
「ごめんってば」

コーヒーカップを握り潰す勢いで威圧すると、ヤマジンはあっけなく謝罪した。私は准将を悪く言う者には容赦しないということを彼女もよく知っている。毎回そのぎりぎりのラインを攻めるかのような言動を取るのは故意なのだろうか。だとしたら悪質だ。彼女は真面目な人間を観察しおちょくることに生き甲斐を感じる類の生き物だ。
「ま、でも、良い写真ばっかりなのは認めるよ。意外な才能ってやつね」
褒められているのか馬鹿にされているのか分からない。私は無言で再びコーヒーを飲んだ。ぬるい。

ヤマジンは端末に映し出された写真を見ては、「へえ」だとか「綺麗ね」という独り言を呟いていた。ボードウィン家の人々の写真が出ると毎回吹き出すのはどうかと思うが。
彼女はしばらくの間写真を眺めていたが、後半に行くにつれ口の端がへろへろと垂れ下がっていくように思われた。――いや、気のせいではない。最後の1枚を見終える頃にはチーズトーストのように蕩けた顔をしていた。
「どうした」
「あのさあ」
彼女は蕩けた目のまま、心底おかしくてたまらないという顔で言った。

「アンタ、本当にあの人のことが好きなのね」

――人は、自分の理解を超える出来事に遭遇すると、言語機能が著しく低下するらしい。
「…………は?」
事実、私はその言葉の内容が全く理解できなかった。優に1分はそうして固まっていただろう。ただでさえぬるいコーヒーがますます温度を失っていく。その間ヤマジンはスコーンに齧り付いて一個丸々平らげてしまっていた。

「……どういう意味だ、それは。あの人、とは?」
「ファリド室長のことに決まってるじゃない。好きっていうか、惚れてるっていうか。写真を見れば分かるわよ。アンタの目にはあの人がこう映ってるのか〜って」

ヤマジンは両手でカメラのフレームを作る真似をした。わざとらしく片目を瞑り、指でかたどったフレームの中に私を入れる。週刊誌の記者気取りか。私は手を伸ばしてフレームを壊そうとするが、ヤマジンはひらりと避ける。認めたくはないが彼女は私よりも腕が長い。
好き、とは何だ。惚れているとは何だ。敬愛とは違うのか。

「わけがわからない……」
「アンタが完全無自覚だろうと、写真は正直だからねえ」

謎掛けのような言葉を残して、ヤマジンはもう一つのスコーンをつまみ上げる。私のコーヒーはすっかり冷たくなっていた。



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2017/05/03
2017/05/22
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