諦めることをやめたのだ


※石動→マクギリス
※最新46話までのふんわりしたネタバレあり


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「先日の一件についての後始末は概ね終了しました。鉄華団との報酬の取引も済んでいます。残った雑務は私の方で処理させていただきます。それと……『例の件』も滞りなく進んでいるところです」
「ご苦労だった。いつも任せきりにして悪いな」
「いえ。これが私の仕事ですから」

マクギリスは資料に軽く目を通したものの、仔細な内容にまで言及はしてこなかった。部下の働きに全面の信頼を寄せていると取るべきか、単に興味がないだけか。石動・カミーチェは、上官に向かって折り目正しく礼をして、おそらく後者であろうと判断した。
――今日の准将は機嫌がいい。
石動は慎重にマクギリスの表情をうかがう。苛立っている時は眉根を寄せ、顔の前で手を組むのがこの上官の常であるが、今日は非常にくつろいだ空気を纏っている。表情もいつもより穏やかだ。肌を刺すような緊張感はない。

上機嫌の理由を考えてみるが、どれも当てはまらないように思えた。婚約者と会うのも予定ではもっと先だ。
この機嫌の良さが悪い方向へ影響しなければいいが――そう考えながら、石動は退出を申し出ようとした。しかしマクギリスは「少し待て」と石動を引き止める。

「なんでしょうか、准将」
「…………」
「……私の顔に何かついていますか」
「いや、至っていつも通りだよ」

マクギリスは穏やかな笑みを浮かべたまま石動を見つめる。彫刻のような美しい顔に凝視されると、さすがの石動でも居心地の悪さを感じずにはいられなかった。顔のつくりがいいだけに、いっそ不気味だ。マクギリスの隣に立つことはもはや日常の一部だが、真正面から対峙するのは未だに慣れない。

「そうだな、石動。褒美というほどでもないが、お前の望みを何でも一つ聞こう。もちろん私の力が及ぶ範囲で、だが」
「……は」

思いがけない言葉に、石動は一瞬相手が上官であることを忘れた。マクギリスの副官となってからというものの、彼の気まぐれに付き合わされた経験は一度や二度ではなかったが、しかし。よもや、その矛先が自分に向けられるとは思いもしなかったのだ。
これは試されているのだろうか。気前よく望みを叶えてやろうというのは表書きにすぎず、返答次第で今後の処遇を決めようということか。准将はどのような意図でこの問いを投げたのか?――石動はこれまでにないほど爆速で思考を巡らせた。しかし納得できる答えは出てこない。マクギリスの考えを理解することなど、石動には一生かかってもできるはずがないのだから。

石動はマクギリスの意図を汲み取ることを早々に諦めた。その意図に沿った望みを返すことも。
ひとつ呼吸を置いて、顔を上げた。目の前にはマクギリスの碧い瞳がある。作り物めいていながら、奇術師が次に繰り出す手品を心待ちにする少年のような無邪気さを湛えているようにも思えた。
「――では、ひとつ。私の質問にお答えいただけますか」
マクギリスは興味深げに頷いた。それを受けて、石動はゆっくりと口を開く。

「私を副官に選んだ理由を、お聞きしたく」

ずっと頭の片隅で引っかかっていた率直な疑問だった。一見すれば他愛のない問いであるが、石動は一世一代の決心でもってその疑問を口にしたのだった。これが、ある意味ではマクギリスの真意に触れかねない問いであることを、石動は理解している。決して入ってはいけない領域に足を踏み入れている自覚もある。一歩間違えれば、マクギリスの逆鱗に触れて副官の座を追われる可能性すらあっただろう。
だが――それでも、訊かずにはいられなかったのだ。

「……それだけか?」
マクギリスは意外そうに目を見開いていた。石動が決死の覚悟でいることなど知りもしないのだろう。石動は内心の震えを器用に隠して頷いた。
「はい」
「相変わらず欲がないな。私はてっきり、貴族連中しか知らないギャラルホルンの内部事情でも探られるのかと思っていたのだが」
「私にとっては大きな欲です」
「……そうか。ならば誠心誠意答えねばなるまい。その欲に見合うだけの答えを」

マクギリスは膝の上で緩く手を組んだ。それが考え事をする時の癖であることを石動は知っている。
沈黙が訪れる。俯いてマクギリスの手元を見ることしかできない。やはり訊くべきではなかったのではないか。石動は期せずして処刑前の死刑囚の気分を味わう羽目になった。
たっぷり8秒分の沈黙を挟み、マクギリスはようやく口を開けた。

「――私がお前を選んだ理由は、大きく3つある。1つは、仕事の迅速さ・正確さ。監査局時代、幾度か書類を交わしたことがあったが……どれも完璧な仕事ぶりだった。特に、6月期の会計監査を頼んだ時があっただろう。急な頼みだったにも関わらず、お前は私の想定よりも遥かに早く提出してきた。一切手を抜かず、また1つのミスもない。お前のような優秀な人材があんなところに埋もれているとは驚いたよ」
「……勿体なきお言葉です」
「なに、事実を述べているまでだ。さて。2つ目だが、己の立場を弁えている点だ。優秀さを鼻にかけず、決して驕らず、上司を立てるだけの余裕がある。そして3つ目。仕事に私情を挟むことがない。当たり前のことのように思えるが、その『当たり前』を忠実に実行できるのは、この世界では貴重な人材だ」

ここまで手放しで褒められるとは思っていなかった。賞賛されるためにあの問いを差し出したわけではなかったが、上官に認められて嬉しくない部下がどこにいるだろう。石動は己の表情筋が緩まぬよう強く律さなくてはならなかった。部下をいい気にさせるための上辺だけの言葉だったとしても、今はそれでいいと思えた。
身に余る光栄です、と謝辞を述べようとするのを、マクギリスが遮る。

「――と、ここまでが、上官としての見解だ」
「は」
「そしてここからは、私個人の独断と偏見が大いに混じる」

理由は3つだけではなかったのか。石動は再び豆鉄砲を食らったかのような錯覚に襲われた。この上官、気まぐれにも程がある。もしや自分は彼に遊ばれているのではないかとさえ思う。いい加減にしていただきたいと諌めたくなる気持ちもあったが、耐えた。その代わり、ささやかな抵抗とばかりにマクギリスへの抗議の視線を向けようとして――動けなくなった。
マクギリスが、石動を見ている。そこに先ほどと同じ穏やかな微笑みはない。試すような意地悪さも、揶揄するような無邪気さも、ない。

「石動。お前は――飽いた目をしていただろう」

ただただ、空虚だった。
すべてを見透かすような碧い目だ。石動はマクギリスと初めて会った日を思い出した。彼がまだ特務三佐と呼ばれ、石動が監査局勤めをしていた頃。あの時のマクギリスは、今と同じ目をしていなかったか。

「……それは、どういう意味でしょうか」
絞り出した声は自分でも分かるほど震えていた。動揺を隠し切れていない。だがマクギリスは意に介さず答える。
「お前ほど優秀な男が、監査局の隅で冷や飯を食わされているという事実。お前よりも遥かに無能な者共は、ただ家柄が良いというだけで昇進していく。お前はただ、出世とは縁のない場所で、ただ日々を無為に過ごしていくだけ。与えられた仕事を淡々とこなし、事を荒立てぬよう上司を立て、己を殺してやり過ごす。……そんな日常に、飽き飽きしていたのだろう?」

石動は何も否定できなかった。全てが真実だったからだ。
死に物狂いで努力し、優秀な成績を収めても、与えられた職場は監査局の片隅だった。誰がやっても同じと思われるような仕事を、自分にしかできない速さと正確さでこなしてきた。少しでも自分のいる場所に誇りを持てるようにと。だが、そんな僅かな誇りさえ、いともたやすく蹴散らされ、取るに足らないものとして扱われる。そういう世界だった。
いつしか、冷静な頭で全てを諦めていた。生まれ落ちた場所がコロニーだった時から全ては決まっていたのだ。必死で足掻こうとも、巨大な権力の前では全てが無意味。自分には夢を抱く権利はないのだと無理やり納得するしかなかった。――彼に出会うまでは。

「幾百ある選択肢の中で、お前ほど飽いた目をしている者はいなかった。私がお前を選んだのは、それが理由だ」

これで満足か?と問うように、マクギリスは石動を見る。いつの間にかその顔には穏やかな微笑が戻っていた。
――ああ、そうだ。准将と出会ってから、私は諦めることをやめたのだ。
あらゆるものを切り捨ててでも理想を追い求める苛烈さ。自分とていつ捨て駒にされるか分からない。だが、それでいいと思えた。生きることに飽きていた、この命の使い道をやっと見つけたような気がした。

「どうだ石動。退屈しのぎはできているか?」
「……ええ。飽きる暇すらないほどに」

マクギリスからの召集を二つ返事で受諾したのも、空虚な日々を脱したかったからだ。少しは退屈せずに済むだろうと。初めはその程度の動機にすぎなかった。――だが、今はどうだろう?戻れないところまで辿り着いた今となっては、もはやただの暇つぶしのためにマクギリスについていくことはできない。退屈しのぎと呼ぶにはあまりにも感傷の密度を濃くしすぎてしまった。

石動はマクギリスの視線を真正面から受け止め、そして、自らもまたマクギリスを見つめた。
マクギリスの笑みの裏側にあるものを、下賤な企みだとか野望だと言い捨てるのは簡単だ。血塗られた道にふさわしい呼び名だろう。
だが石動は、それを理想という美しい名で呼びたいと思った。美しい感傷を理解できない彼の代わりに。



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2017/03/06


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