四角い空にも桜は舞い散る


※審神者が猫
※死ネタ&消滅ネタ


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彼等の主が静かに息を引き取った。麗らかな春の午睡の途中に。

主が彼等と出会った時、主はまだとても小さな子供であった。ふわふわの柔らかな毛並みと、気分次第で上下する尻尾。より好みが激しく、上等な魚しか食べようとしなかった。昼寝は刀たちの膝の上でないと承知しないし、夜は同じ床で寄り添って寝ることを命じた。猫らしく奔放で勝手放題な主であったが、刀たちに向ける愛情はなによりも深く、大きかった。
主は審神者の力を振るって刀たちに人の体を与え、人としての生活を与え、人のような愛情を与えた。

――そうして、幾度の歳月が流れた。
長く続いた戦いもようやく終わりを迎えた。歴史は正しい道へと戻され、審神者と刀が共に戦う必要もなくなった。付喪神の魂は人の体を離れ、あるべき場所へ戻り、あるべき形へと収まる運命だった。
だが、刀たちは願う。もう少し、ほんの少しの間だけ、人の身でいたいと。長い時を経てやっと本丸で再会できた者達がいる。共に戦場を駆け抜け、絆を深めた仲間もだ。刀としての本分を忘れたわけではない。それでも、一つだけ願えるのならば。
刀たちの切なる願いに、主は「にゃあ」と一声鳴いて応えた。まるで、最初からそのつもりだったとでも言うかのように。

審神者の力は強大だ。物言わぬ刀に命を吹き込み、時空を繋ぐ。そして強大であるがゆえに、力を行使する者の命を容赦なく削っていく。ただでさえ猫の命は短い。戦いが始まってから既に何年もの月日が経っていた。いかに付喪神の加護を得、時を遡る力を振るえど、天命には逆らえるわけがない。
姿形の変わらぬ刀たちに囲まれながら、主の周りにだけ時は流れる。幼い子猫はいつの間にか歳をとり、体の衰えた老猫となっていた。ふわふわの毛並みもよれてしまったが、そのたびに刀たちが丁寧に毛繕いをしてやった。庭の散歩もままならず、ひげを垂れて微睡む時間が多くなった主のために、刀たちは代わる代わる自らの膝を貸した。大きな毛玉を乗せて足を痺れさせる短刀も、一緒になって大いびきをかく薙刀も区別なく。

いつか来る別れの時を、誰もが感じ取っていた。今日か、明日か、明後日か。そろそろと確実に忍び寄ってくるその影を横目にして、彼等はいつも通りの日常を送ることに努めた。戦いが終わり、平和が訪れたこの本丸で。主が分け与えてくれた限りある時間を、限りなく充実させるために。
そして、眠るように命の終わりを迎えたのが一昨日のこと。お気に入りだった江雪左文字の膝の上で、ひっそりと息をしなくなった。主の周りには本丸にいた全ての刀が集まり、その最期を見届けた。
短刀たちがわっと泣き出しそうになった瞬間、主が放つ最後の力が本丸を包み込んだ。優しくあたたかな春の光によく似ていた。おそらくそれは、主が彼等に分け与えた最期の愛情だったのだ。







満月の青い光がいっそう冴え渡る夜だった。かつては主の特等席であった場所に、三日月宗近は静かに座している。手にするのは赤い盃。だが、一杯目を注いだきり先程からまったく減っていない。盃を手の中で弄びながら、その瞳は満月と庭の桜ばかりを見つめている。

「おや、こんなところで月見酒とは」
静寂の帷を開け放ったのは小狐丸の声だった。小狐丸は、まるでたった今三日月の存在に気付いたとでもいうかのように、わざとらしく驚いたふりをした。そして悠々と隣に座り、差し出された杯を受け取る。三日月も、小狐丸がここに来ることは最初から分かっていた。酒盃は既に二人分用意されており、小狐丸を出迎える。とくとくと注がれた杯の水面になめらかな満月が揺れる。

「まだ夜は冷えます。風邪をひきますよ、三日月」
「刀が風邪をひくか。面白いことを言う」
「付喪神といえど体は人の身ですから。……まあ、この器に留まっていられる時間もあと僅かですが」
普段の軽口も今は鳴りを潜めていた。狐の名を冠する者とはいえ、迫り来る終わりを前にして、完璧に己を取り繕えるほどの道化には徹しきれなかった。

「本丸の桜を見るのも今宵限り、ですか。惜しいものです」
その言葉に、三日月が桜の樹へと目を向ける。風を受けてひらひらと舞い散る花びら。草木が触れ合ってざわめく音と、草叢に隠れる虫の音と、わずかな衣擦れの音。あとには何も聴こえない。驚くほどに静かな夜だ。

「あれほど賑やかだった本丸も、随分と静かになったものだなあ」
「何を当たり前のことを。ここには、もう三日月と私しか残っておりませぬ」
「ははは、そうだった。ではふたりきりか」
「ええ。ふたりきりです」
「……寂しいな」

不思議なことに、審神者の命が尽きた後も、刀たちはしばらくの間現世に留まっていた。主の最後の光が、そのあたたかさが、なおも彼等の魂に残り続けた。主が、仲間たちとの別れの時間を与えてくれたのだ――彼等はそう考え、残された僅かな猶予を大切に使うことにした。共に過ごし、共に笑い、共に泣いた。

やがて、力の弱い者から順に消えていった。その瞬間は驚くほどあっけなく、ささやかに訪れる。依代となる美しい刀だけを残して。この時代に現存していない刀は、跡形もなく消えた。
一昨日、昨日、今日と、日を経るごとに減っていく彼等の姿。別れは既に済ませていたとはいえ、嘆き悲しむ者がいなかったわけではない。だが、涙に暮れる前に、その者達も後を追うようにして消えていった。

仲間たちを見送り、とうとう最後まで残ったのが三日月と小狐丸だった。なぜ、現世に執着のない者ばかりがしぶとく留まり続けてしまうのか。悠々と月見酒ができてしまうくらいなら、その分の時間を、早々に去ってしまった短刀たちにこそ譲ってやりたかった。だが、二振りだけ残された今となっては、語るにも虚しい。
去りゆく者と、残される者。おそらく、消えるまでの時間にほとんど差はないだろう。どちらが先に行くかは、ふたりとも薄々分かっている。

「小狐丸よ」
「はい」
「審神者の力の加護を失った俺たちは、どこへ行く?」
「三日月も見たでしょう。刀の姿へ戻るのですよ。柔らかな人の体を離れ、鉄と鋼の塊に」
「だが、そなたのように依代なき者はどうなる」
「さて。……しかし、存外意識は残るものですよ。私の依代は現存せず、今や伝承の中でしか存在できぬとはいえ、千年の間こうして自我を保ってきたのです。むしろ、依代に縛られるよりも自由かと。三日月の心配には及びませぬよ」
「……自由、か」

三日月は酒盃の表面に浮かぶ満月に目を落とした。ゆらりゆらり、朧げに揺れる月がそこにある。硝子の壁に囲まれて生きる未来を思った。戦うこともなく、人々の鑑賞に供されるだけの日々はさぞや退屈だろう。この本丸での賑やかな暮らしを知ってしまった後ならば尚更のこと。
肉の器を得て、人として生きることの不便さを知った。体を酷使すればとてつもない疲労感に襲われるし、十分な睡眠を取らないとろくに動くことも叶わない。柔らかな毛並みに触れられることの喜びと、心にだけは触れられないもどかしさ。三日月宗近にとって、人の体を得たことはまたとない僥倖であった。それ故に、今目の前に迫る別れが惜しい。
小狐丸は依代となる刀身すら残さず消えるだろう。再び相まみえるのはいつの日か。小狐丸の体が徐々に透き通っていくのを、三日月はできるだけ意識しないようにしていた。

「輪廻とやらの仕組みは分かりませんが、私とて神の端くれ。やろうと思えば、人の身として生まれ直すこともできましょう。……ああ、その時は、美術品に戻った三日月を冷やかしにでも行きますか」
三日月の翳りを察してか、小狐丸は大げさに身振り手振りを加えて先の未来を語る。確証のもてない可能性を、さも必然であるかのように。自らが今にも消えようという時でさえ、小狐丸は三日月のために心を砕き、時間をあてがい、言葉を残す。その誠実さと献身に、少しでも応えたいと願う。

「ははは、朗報だ。そなたが逢いに来てくれるというのであれば、これほど嬉しいことはない」
「では左様に。いつになるかは分かりませぬが」
「そなたとの逢瀬のためならばいくらでも待っていよう。百年でも千年でも、刀である俺には同じことだ」
「これはまた熱烈な……。たとえ何年かかろうと、御前に馳せ参じてみせましょう」

仰々しく頭を垂れた小狐丸は、うすく透き通る己の手を、三日月の手に重ねた。あとは消え行くばかりの身だ、人の体温はもはや感じられない。それでも触れようとせずにはいられなかった。

「……ですから、そんなにさびしい顔をなさるな」

三日月は、自分がどのような表情をしているのか、小狐丸の言葉以外からは知ることができない。くしゃりと顔を歪ませて笑う小狐丸の方が余程さびしそうに見える。
小狐丸の姿は、もう限りなく周囲の景色と同化していた。三日月の頬に差し伸べられた手も、肌に触れることなくすり抜ける。月の光はますます明るく、別れの瞬間を照らした。
「……さびしくなどあるものか。再会の契りを交わしたばかりだというのに」
三日月が震える声で囁やくと、小狐丸は虚を突かれたように目を見開いて、最後にもう一度笑った。

「ではまた、いつか」

蛍火のように淡い光が、美しい一瞬を運び去っていった。遠い日の約束だけを形見にして。



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2015/05/18

このあと、博物館から盗まれて世界各地を転々とする三日月を、人に生まれ直した小狐丸ちゃんが何度も転生を繰り返しては追いかけて、やっとのことでもう一度巡り会うはずなので安心してください


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