愛しさの重力


がたんごとん、がたんごとん。
錆びついた音を立てながら、鉄の塊が線路の上を進んでいく。時折軋むような音が混じる。まるで千鳥足だ。年代物のアンティークが、今もなお現役で人を運んでいることに感嘆してしまう。と同時に、年代物ゆえの鈍足さに呆れるのも致し方ないだろう。

車窓から西日が差し込んできて、島崎の背中をあたためる。不快というわけではないものの、じっとしていると徐々に汗ばんでくるような気がした。日よけを下ろすために体を捻ろうとして、ふと、隣に座る少年が穏やかな寝息を立てていることに気付いた。先程からやけに静かだと思ってはいたが、いつの間にか寝ていたらしい。

島崎は日よけを下ろすことを諦めて、元の姿勢に戻った。左肩にもたれかかる少年を起こさないよう、慎重に。しかしその努力すら必要ないとでもいうかのように、少年はぐっすりと眠っていた。寝息と共に胸が緩やかに上下するのが、接した肩から分かった。
普段の眠りは浅い方だというのに、今は驚くほど熟睡している。よほど疲れていたのか。
――いや、そこまで疲れさせたのは自分のせいだ。島崎はそう思い直した。



どこか遠くへ行こう、と切り出してきたは輝気の方からだった。
駆け落ちの誘いだろうかと期待したのも束の間、輝気はすぐさま「日帰りで行けるところがいいな。あまり騒がしくなくて、静かで落ち着けるような……やっぱり山かな」と話を続けた。「駆け落ち」どころか、「デート」という甘い響きも似合わない。島崎は思わず落胆したが、輝気がやたらと乗り気になっているのが珍しくて、「いいですね」と笑顔で頷いた。

行き先は、県を跨いだ先の山になった。山の奥に広い湖があり、パワースポットとして有名なところだという。
男子中学生が週末に遊ぶ場所としては些か渋すぎるチョイスだ。よりによって何故そこを選んだのかと首を傾げた。しかしすぐに気付く。輝気は自分に合わせて、行く場所を決めたのだと。
島崎は賑やかすぎる場所をあまり好まない。人よりも聴覚が発達しているためか、良くも悪くも音を拾いすぎてしまうのだ。その都度感覚を調整すればいいのだが、多少の手間はかかる。そのことを輝気に教えたわけではなかったが、察しのいい少年は、島崎と接する間になんとなく理解していたらしい。
輝気は島崎に気を遣うことを殊更強調することもなく、自分が一番行きたい場所がたまたまそこだったからとでも言うかのように、「ここにしよう」と提案したのだった。


「ただ、ひとつ約束してほしいんだけど」
この小旅行を決行するにあたり、輝気はある一つの条件を島崎に提示した。

「ズルはしない。それだけは守って」
「……ズル?」
「超能力のことだよ」

お互い、旅行中は超能力を使わない。使わせない。たとえどんな状況であっても。それが輝気の出した条件だった。
島崎にとって、超能力とは持って生まれた便利な道具のひとつだ。速く走れる脚や、器用に折り紙を折る手と変わらない。だからそれを「ズル」と表現されたことが不思議で仕方なかった。この子はなんて変なことを言い出すのだろうと思った。しかしその疑問を口にすれば、また輝気に説教をされそうだったので口をつぐむ。

たかが日帰り旅行だ、超能力など使うまでもないだろう。そう思って条件を二つ返事で受け入れた。
しかしその安請け合いを見越していたかのごとく、思いがけないトラブルはやってきた。電車をいくつか乗り継ぎ、やっと目的地の最寄り駅へと着いたかと思えば、湖に行くまでのバスがつい先程出発したばかりだという。悲しきかな、田舎の山奥ではバスなど1時間に1本来れば良い方だ。

「じゃ、歩こうか」
「本気で言ってます?それ」

輝気は臆面もなく頷き、「ズルはしないって言っただろ」と念押しのように言ってきた。テレポートは禁止。輝気が立てた予算の都合上タクシーも使えない。湖までの到達手段は徒歩一択だった。
初めは半ば引きずられるように歩いていた。少し前を行く輝気は息切れひとつ起こさない。「さすが若いですね」と感心してみせれば、「年齢のせいにするなよ。アンタが足腰鍛えてないだけだろ」と当然のことのように言われた。わざと煽られているのだと分かってはいたが、受けて立たないわけにはいかなかった。大人の意地だ。

競うように追いつき追い越されて数十分、休憩所の茶屋に辿り着いた時には二人とも肩で息をしていた。整備されたアスファルトを歩くだけとはいえ、移動距離は相当なものだ。ここまで長い道のりを歩いたのは久しぶりで、島崎は達成感と共に額に浮かぶ汗を拭った。テレポートを使えばこんな距離すぐなのに、という考えは、歩くことに夢中になる内にどこかへ吹き飛んでいた。

茶屋で頼んだあんみつの甘さは骨の髄まで染み渡るようだった。山の中で吸い込む空気は澄んでいて、肺の隅々まで満たしたくなった。湖の水は思った以上に冷たかった。
嫌がる輝気の腕を無理やり掴んで乗ったスワンボートは最高だった。終始自分がペダルを漕ぐ役を押し付けられたのも苦にならないくらいには。スワンボートのどこかに亀裂が入っていたのか、足元が浸水した時の輝気の慌てようには笑いが止まらなかった。
周りに人がいないからと、見晴らし台で二人で「やっほー」と叫ぶのも楽しかった。こだまが返ってきたのが聞こえて、年甲斐もなくはしゃいでしまった。「子供の遠足みたいだね」と笑う輝気に、「子供でしょう、キミは」と返した。

「その子供と一緒にはしゃいでるのは誰なんだか……」
「私は引率です」
「え、先生役してたつもりだったの?」
「板についていたでしょう」

旅行の発起人である輝気以上に、自分が楽しんでいる自覚はあった。――初めてだったのだ。誰かと旅行に行くことも、汗を流してあんなに長い距離を歩くのも、子供のように遊ぶのも、すべて。
だから気付くのが遅れてしまった。旅行中、様々な場面で、輝気がさりげない気配りをしていたこと。引率の先生はむしろ輝気の方だった。島崎の肩にもたれて眠るのは、単に遊び疲れたというだけではないのだろう。



がたんごとん、がたんごとん。
電車は不規則な揺れと共に進む。二人が乗る車両には、乗客の気配がまばらにしか感じられない。田舎を走る電車というものは常にこうなのだろうか。
車内では穏やかに時間が流れていた。電車の発する揺れと、次の駅名を告げるアナウンス。乗客のひとりが本のページをめくる音。隣で眠る輝気の寝息。聞こえてくるのはそのくらいだ。こういう静けさはあまり感じたことがなかった。

細く長いブレーキ音が響き、電車がゆっくりと止まる。がたがたと軋みを上げて扉が開くと、ひやりとした夕方の冷気が車内に滑り込んできた。輝気は目を閉じたまま少し身震いした。島崎は輝気の肩をつかみ、自分の方へより密着するように動かす。西日に照らされた背中の熱を、少しでも分けてやれるように。
数人が降りて、別の数人が車内に入ってくる。島崎の真向かいの席に、そのうちの一人が座った。ゆったりとした足取りだ。
少し強い揺れを伴って、電車が再び動き出す。ぐらりと傾いだ輝気の体を慌てて支えた。輝気はまだ起きない。

「ふふ、疲れて寝ちゃったのね。かわいいこと」

穏やかな声が投げかけられる。歳を重ねて掠れた、しかし優しく深みのある女性の声だ。ゆったりとした口ぶりは上品さを漂わせていた。
島崎は少し沈黙し、今の言葉はどうやら自分たちに向けられたものらしいと理解した。だが、どのように返事をすればいいのかが分からない。老婆はなおもくすくすと小さく笑っている。微笑ましいものを前にして、笑みがこぼれずにはいられない、とでもいうかのように。

「仲良しねえ。その子は弟くん?」
老婆の言葉を受けて、島崎は不意に手を離した。膝の上、輝気の手に重ねていた自分の手を。
老婆に他意はなく、純粋な疑問として何気なく問うたつもりなのだろう。だが、島崎にとっては答えるのが難しい問いだった。
恋人です――とは言えなかった。後ろめたい思いがあるわけではない。ただ、ありのままに伝えることで、この穏やかな静寂が失われることを望まなかっただけだ。

「……いえ。知り合いの子です」
僅かな沈黙を挟み、島崎は言葉を選んだ。ぼんやりとした薄い膜で二人の関係を覆う。胸に何かがつかえているような錯覚を覚えた。そんな島崎の反応に気付く様子もなく、老婆はのんびりとした声で続けた。
「あら、そうなの?家族なのかと思ったわ。……その子、すっかり安心した顔をしてるから」
がたんごとん、電車が揺れる。それに合わせて輝気の体も揺れる。島崎は、肩にかかる輝気の重みを改めて意識した。
島崎の肩に体を預け、頭は電車の揺れに合わせてぐらぐらと傾ぎ、あまつさえ口は半開きになっている。「かわいい」という言葉は出てきても、「かっこいい」と言われることは決してないだろうその姿。ここは電車の中、公共交通機関だ。不特定多数の他者の目がある場所で、輝気は一番無防備な姿を晒している。

普段は眠りが浅く、島崎にさえ寝顔を見られることを嫌がる彼が。人に頼るよりも、人に頼られることを選ぶ彼が。人に弱さを見せたがらず、常に余裕のある強い自分でありたいと願う彼が――こんなにも柔らかな表情をして、島崎の隣で眠っているということ。

「安心しているように見えますか」
「ええ、ええ。あなたの肩がよほど心地いいのね」
「……それは、よかった」

噛みしめるように呟く。自分の声が微かに震えていることに気付いて、島崎は誤魔化すように咳払いをした。胸のつかえはいつの間にか消えていた。
それきり老婆は話すのをやめ、真向かいに座る二人と、窓の向こうで落ち行く夕日を眺めることにしたようだった。島崎は、先程離してしまった手を、もう一度輝気の手に重ねた。眠っているからか温かい。重ねた手からじわりと熱が伝わってきた。
老婆が今もにこにこと微笑んでいるのが気配で分かった。見られている。しかし今度は手を離さない。

――大切な人、なんですよ。

老婆の視線に、島崎は心の中でそう答えた。恋人という呼び名の代わりに。




数駅ほど過ぎて、向かい側の席は再び無人になった。夕日が落ちるのと時を同じくして車内に暖房がついた。目的の駅までもう少し。
不意に左肩が軽くなる。輝気が薄く目を開けて身じろぎした。

「あれ……僕、寝てた……?」
「大丈夫ですよ。もうしばらく寝ていてください」
「ん……」

肩にかかる重みを手放しがたくて、島崎は輝気の目覚めを穏やかに阻む。空いている右腕を伸ばして輝気の頭を撫でた。輝気はとろんとした目で素直にそれを受け入れる。まぶたは再び閉じられ、すうすうという寝息が聞こえてきた。
車内のアナウンスが次の駅名を告げる。降りるまであと十分ほどしかないが、少しでも長くこの時間が続けばいいと願った。

がたんごとん、がたんごとん。
電車が軋みを上げながら二人を運ぶ。速度は遅いし、ブレーキの度に大きく揺れるし、移動手段としてはとてつもなく非効率的で不便だ。しかし、心地よい振動と、左肩に感じる重みは、きっとこの空間でしか感じることができないのだろう。たまにはこういうのも悪くない。
島崎は、電車がホームへと吸い込まれるまで、輝気の頭を飽きることなく撫で続けていた。



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2016/11/04


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