だめな大人のしつけ方


島崎がエコバッグの中に手を突っ込み、無造作に白菜を掴んだ。冷蔵庫の扉の前に立つ背中はどこか侘しさを感じる。野菜は引き出しタイプの野菜室へ。最近は野菜の価格が高騰してるから、こうして買ってきてもらうのは助かる。

次に掴んだのは豚バラ肉だった。観音開きになっている冷蔵室を開けて放り込む。その次は水菜。また野菜室を開ける。どうせなら野菜はまとめて同じタイミングで入れればいいのに。島崎は自分の手が掴んだものから冷蔵庫に入れていく主義らしい。いちいち冷蔵庫の扉を開け閉めすることで生じる無駄な電気代のことなんてきっと頭にないんだ。
しばらくそうやって冷蔵庫の前にいた島崎が、僕に背中を向けたまま呟いた。片手にしめじを持っている。

「……ねえテルキ、いい加減やめにしません?このシステム」

このシステム、とは。一言で言えば現物支給制度のことだ。僕は、この家の居候である島崎から、食費や宿泊費を受け取っていない。その代わり、必要な食材や雑貨を買ってきてもらっている。その分のお金は島崎持ちだ。
どうしてそんなややこしいことをしているかって――僕が島崎の財源に疑いの目を向けているからに他ならない。

「キミの口座に振り込むなり、現金を手渡すなり、他にやりようはいくらでもあるでしょう?なのに現物支給って。非効率的にも程がありますよ。無駄に手間が増えるだけで、やってることは同じじゃないですか」
「言えてるね。でも僕は、アンタからお金をもらいたくないんだ。出処も言えないような怪しいお金なんてさ」
「別に怪しくはないですよ」
「どうやって稼いだかは教えてくれないくせに」
「教えてもいいですけど……全部包み隠さず話したら、キミが1週間口を利いてくれなくなりそうだから嫌なんです」
「それが怪しいって言うんだよ」

島崎はなんでもかんでも煙に巻きたがる。なかなか僕に実体を掴ませようとしない。
でも僕は知ってるんだ。島崎が買い物をする時に取り出す黒いカードが、異様な存在感を放っていること。そいつは世界でも一握りの人間しか持てないカードだってことも。カードに記された銀行の名前をこっそり調べたから知っている。海の向こうにある国の、セキュリティの堅固さでよく知られた銀行だ。

島崎はそこらのスーパーで数千円足らずの買い物をする時にもそのカードを平気で使う。カードが使えない店では、尻ポケットから出した1万円札を差し出す。恐ろしいことに、島崎はその黒いカードと万札しか持っていないのだ。財布という概念はないらしい。お釣りで千円札や硬貨をもらうと、何のためらいもなくまるごと募金箱に突っ込んで去っていく。海外住まいが長かったからとか、そういう理由で片付けられるレベルの行動じゃない。

初めて島崎と買い物に行って、その狂った金銭感覚を見せつけられた僕は絶句した。小市民には耐え難い光景だった。そしてこいつとは絶対にお金のやり取りをしたくないと思った。もはやアレルギー反応に近い。

――以来、僕たちの生活は現物支給制度によって成り立っている。

島崎にはまず財布を持たせた。基本的にあの黒いカードは使わせない。財布に入れていい現金は上限5万円まで。千円札も硬貨もちゃんと持っておく。レシートは捨てずに僕に預ける。
細々とした約束事を提示されて初めはげんなりしていた島崎も、今ではだいぶ慣れてきたみたいだった。ちゃんと財布を持ち歩く習慣は身に付いたし、「お土産です」とか言って変なものを僕に買い与えてくることもなくなった。
とはいえ、完全に納得したわけでもないらしい。

「実を言うと私、戦車を買えるくらいの貯蓄はあるんですけど」
「物騒なたとえはやめて」

島崎の言葉はどこまでが本気でどこからが冗談なのかいまいち分からない。平気で僕を騙したかと思えば、たくさんの嘘の中に本当を紛れ込ませたりする。だから今の言葉だって話半分に聞いておいた方が身のためなんだ。――と言い訳をしつつも、あとで「戦車 値段」でグーグル検索してしまったのは秘密だ。検索で出てきた数字に口をぽかんと開けてしまったことも、秘密だ。戦車の値段なんてピンからキリまであるから、島崎の言う「戦車を買えるくらいの貯蓄」がどの程度を指すのかは知らないけど――日常生活ではお目にかかれない桁数であることは確かだ。

島崎は片手にしめじを持ったまま「世の中面倒なことだらけですねえ」とぼやいた。カード1枚でなんでも解決できる世界で生きてきた人間にとっては、さぞかし不便なことだろう。それでも付き合ってもらわなくちゃいけない。安くていいものを選ぶ努力も、食材がぱんぱんに入ったエコバッグの重さも、全部味わってもらう必要がある。この僕と暮らしていく覚悟を決めたからには。





「早く中学卒業してバイトを始めたいなあ」

白菜と豚バラ肉の鍋を食べ終えて、締めの雑炊をかき混ぜながら僕は言った。小鉢を持って雑炊を待機している島崎が、ゲテモノを食べたかのような顔をする。
「奇特なことを……家計面での親孝行はキミにはまだ早いですよ」
「いや、そっちの理由じゃないよ。怪しい財源に頼らなくてもアンタを養えるようになりたいだけなんだ」
今度は凄まじく酸っぱいものを食べた時みたいに顔をくしゃりと歪ませた。案外表情豊かだ。

「キミ、ヒモ男製造機の才能がありすぎじゃないですか?自覚してます?」
「なんだよ人をモノ扱いして」
「突っ込む所そこじゃないでしょう」

そっちこそ自分がヒモだっていう自覚はあったんだな、とは言わないでおく。まあ実際はヒモなんかじゃないんだけど。
現物支給制度を採用しているといっても、僕の知らないうちに島崎が何かと費用を肩代わりしてくれている。家賃とか光熱費とか水道代とか、名義は僕(の親)であるはずなのに、口座から一向に引き落としがないと判明した時には喧嘩になった。キミのご両親には気付かれないようにやっていますから大丈夫ですよ、そういう問題じゃないこのバカ!――等々、かなり言い争った記憶がある。結局そのあたりはうやむやにされてしまったけど、未だに納得はしていない。普段は子供みたいに我侭を言うくせに、こういう時だけ大人の力を行使して保護者面をされるのは腹が立つ。
だから早く経済的に自立したいんだ。親からではなく、島崎という子供みたいな大人から。

「キミにそう思わせてしまうとは、私もまだまだですね」
「何を今更」
「テルキが素直に私を頼ってくれればいいんですけど」
「怪しいお金は受け取らないって言ってるだろ」
「怪しくないお金ならいいんですか?」
「……まあ、そういうことになるね」
「…………怪しくないお金の稼ぎ方が分かりません」

自分で言ってて変だと思わないんだろうかこの人は。本人は至極真面目な表情をしてるから余計におかしい。思わず吹き出してしまった僕に、島崎がちょっと拗ねたような声を上げる。
「これでも真剣に悩んでいるんですよ」
「分かってる、わかってるけど、おかしくて」

首相誘拐実行犯の元テロリストが、「まとも」な仕事に就いたことがあると考える方が難しい。それこそ僕に言えないような血なまぐさい仕事をこなして、戦車を買えるくらいに荒稼ぎしてきたんだろう。
そんな彼が、スーパーで新鮮な野菜を吟味したり、うきうきしながら雑炊が出来上がるのを待っていたり、まっとうなお金の稼ぎ方について悩んでいたりする姿が、どうしようもなくおかしくて、好きだなあと思う。
だから今日だけは、あまり意地悪なことは言わないでおいてあげよう。

「そんなに難しく考えなくていいよ。求人見て、就活して、採用されれば働ける」
「シューカツ」
「とんかつの仲間じゃないからね?」
「知ってます」

その割には「就活」のイントネーションが変だったけど、ちゃんと分かってるんだろうか。とんかつじゃなくてヒレカツの仲間だと思ってたりしないかな。さすがにそこまで世間知らずじゃないか。
「とりあえずスーツを買えばいいんでしょう?明日付き合ってもらえますか」
「うん。…………うん?」

思わず頷いてしまったけど、ちょっと待ってほしい。何かものすごく話が飛躍しているような気がする。
まずその歳でスーツを一着も持ってないのも珍しい。いつもジャケットを羽織っているから、スーツだって似合いそうなものだけど。着たことがないわけではないのかな。必要な時に着ることはあっても、その都度用意するだけで、クローゼットに保管するという習慣がなかったんだろう。ホテル暮らしが長いって言ってたし。

――というか、それよりも。
「アンタほんとに就活するつもりなのか!?」
「はい。いけませんか?思い立ったが吉日という言葉もありますし」
就活の発音もおぼつかないくせに、そういうことわざはちゃんと意味も分かって使えるんだな。
島崎はいつもの本気か冗談か分からない顔をしている。固まってしまった僕からおたまを奪って、雑炊鍋をかき混ぜた。「ほら、焦げてしまいますよ」なんて平然と言いながら。

「どうしていきなり……」
「怪しくないお金なら、キミも快く受け取ってくれるんでしょう?働くのは面倒ですが、現物支給の手間に比べればまだマシかと思って」
その2つを天秤にかける感覚が僕には理解できなかったけど、それがこの人らしいというかなんというか。島崎がよそってくれた雑炊の小鉢を受け取り、僕は小さく溜め息をついた。
「……まあ、本気だっていうなら、僕も応援するよ」
「助かります。自分ではどのスーツが合うかは分かりませんから」

僕だって、制服は着慣れてるけどスーツは着たためしがない。就活にはどういうスーツがいいのかも知らない。でも、この人に一番似合うものを選べと言われれば、きっと誰よりもいい見立てができるはずだ。
自分の中に確かな自信を見出し、そしてそれが彼との共同生活で積み重ねられたものであることを理解して、僕は少しだけ笑った。



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2016/11/01


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