灰に咲く花


※転生パラレル?本編のその後を勝手に妄想している
※相変わらず殺伐としてる殺闇
※あっさりだけど物理的に痛そうな描写あり


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からからと乾いた風が黴臭い倉庫に吹き込んでくる。倉庫の中は薄暗く淀んだ闇が広がるばかりだ。粗末なつくりのトタン屋根から漏れ出る光で、今が日中の時間帯であることがかろうじて分かる。
パイプ椅子に縛り付けられたスーツ姿の男は、目の前に立つ黒いパーカーの男を睨みつけた。彼は名をフジキド・ケンジといった。平凡で、どこにでもいそうな風体の会社員である。こんな場所でこんな仕打ちを受けるような恨みを買った覚えはない。
彼の口元はガムテープで塞がれており、荒い鼻息と唸り声しか出せずにいた。額には乾いたばかりの血がこびりついている。背後から強かに頭を殴りつけられた時の流血だ。一瞬で昏倒させられ、気付いたらこの所在不明の倉庫にいた。全ては目の前にいるこの男の犯行であることは明白である。フジキドは目を血走らせながら今にも殴りかからん勢いで全身を滅茶苦茶に動かすが、手足の拘束を外そうと藻掻けば藻掻くほど、細いビニール紐は執念深く彼をパイプ椅子へと縛り付けるのだった。

「……なるほど、よい眺めだ」
言葉の意味とは裏腹に、誘拐犯の声はどこまでも平坦で無機質だった。黒いパーカーとジーンズという簡素な出で立ちであったが、その手に握られた刃渡り20センチほどの刺身包丁が異様な存在感を放っていた。鼻から上はフードで覆われており表情を窺い知ることはできない。だが、決して笑っていないということだけは分かる。
「背後からの襲撃を咄嗟に回避することさえままならぬ。たったこれしきの拘束で、満足に手足を動かすこともできん。そして」
男は右手を――包丁を手にした方の手を掲げた。ゆらり。スローモーションのように緩慢な動作で、しかし精密な機械にも似た確かさで、その切っ先がフジキドの腿に深く突き刺さった。
「――ッッッ!!」
瞬間、焼けるような痛みと熱が同時にフジキドの脳髄を襲う。声にならぬ絶叫が全身を駆け巡った。痛い。熱い。痛い。熱い。痛い!熱い!だれか、だれか助けてくれ!この痛みを止めてくれ!――彼が生きてきた平凡な数十年の中でも経験したことのない刺激だった。刃物が肉を断ち抉り取る感覚。みるみるうちに流れ出る血。フジキドは白目をむいて激痛に耐えた。このまま気を失えたならどんなにか楽だろう。だが焼き切れそうになる意識の隅で、男がひっそりとついた溜息が、彼を現実世界に縫い止める。

「……分かっただろう?ナマクラの切り傷ひとつで、かくも無様に醜態を晒す。これが今のおれたちだ」
男はどこまでも無感情だった。ガムテープの端から唾液を零すフジキドを冷徹に見下ろす。つい、と人差し指で包丁の柄を下に押し込んでやると、フジキドの体がより大きく揺れた。これは単なるパフォーマンスにすぎず、特に意味のない加虐であった。
男は秒速0.2ミリメートルの速度で人差し指を下へ動かしていく。その間、謎かけのような言葉をぽつりぽつりと呟いた。

「『ここ』でのおれは家族に恵まれた。信頼できる友人も得た。背中にカンジの痣はなく、望んでやまない人生を送ることができるはずだった。――しかし足りない。何かが欠落している。その意識が常におれを苛んでいた」
「ウ、ウウ、ウウウウウ……」
「その『何か』の正体に気付いたのはごく最近の話だ。昨年のクリスマスイブ、貴様は何をして過ごした?おれは泣きながら震えていたぞ。無論、喜びでだ」
「…………」
「フジキド・ケンジよ。貴様、勝手におれとの決着をなかったことにするだけでは飽き足らず、今度は勝手に生まれ変わって、勝手におれの存ぜぬ場所で生きていくつもりか?」

男の顔を覆っていたフードがずり落ち、灰色の髪がこぼれおちた。そしてその眼がフジキドを見た。
刹那、フジキドの脳裏に膨大な記憶の粒子が濁流のように押し寄せ、一瞬で弾け飛んだ。目眩を覚えてまばたきをした時には既に何も残っていない。フジキドは食い入るように男の眼を見つめ返した。粉々になった破片を掻き集めるかのような必死さで。
男は視線を逸らさぬまま、フジキドの腿に突き立てた包丁を勢いよく引き抜いた。迷いも容赦もない。傷口から赤黒い血が溢れ、パイプ椅子の脚を伝った。だがフジキドはもう叫び声ひとつ上げなかった。燃え盛る炎がその眼に宿っている。

突然の襲撃と拉致。知らぬ顔。聞いたこともない声。一方的な加虐。意味の掴めぬ言葉。どれも全く身に覚えがなく、記憶にもなく、理解ができないはずだった。それなのに何故、目の前の「誘拐犯」を前にして恐れも怯えもしていないのだろう。何故、腹の底から言いようのない殺意と憎悪が湧き上がってくるのだろう。
今のフジキドの眼を見て、平凡で無害な一般人だと言い切れる者はおるまい。失血死寸前の量の血を流しながら、ぎらぎらと殺意を漲らせている眼。明らかに常人のそれではなかった。彼は穏やかで平和だった今までの人生をかなぐり捨てて目の前の男と対峙していた。

「その眼こそ、貴様が貴様である証明だ。故におれは貴様を殺す」
男は包丁を逆手に持ち換え、反りの部分に伝う血を払った。薄暗がりの中で刃が鈍く光る。今度はパフォーマンスではなく、確実に命を奪いに行く。動きを封じられた相手の心臓を狙うなど、言葉を覚えたばかりの幼子でもできる。何の準備もいらない。
刃は寸分違わずその心臓を刺し貫くはずだった。しかし振り下ろした腕は途中で遮られた。
「なに……?」
フジキドの左手が、男の手首を強く掴んでいた。拘束はどうした、と考えた男の視界を、黄色いビニール紐の残骸がひらりと通り過ぎた。よく見ると紐の先端は焼け焦げたように黒ずんでいる。男は咄嗟にフジキドの左手へと視線を移す。深く食い込んでいたはずの紐は消失し、代わりに火傷にも似た黒い筋が浮き出ていた。体から放出された熱で焼き切ったとした思えない痕だった。フジキドはほとんど無意識のうちに、自らの力で拘束を解いたのだ。だがその火傷痕だけは手枷のように彼の手首に残り続けている。

フジキドは残った右手で、口元を塞いでいたガムテープを引き剥がした。黴臭い空気を肺いっぱいに吸い込み、吐く。
「……もう逃がさんぞ」
ありったけの殺意と憎悪、そして昏い歓喜を込めた呪詛だった。男は唇の端を吊り上げ、にたりと笑った。
「駄犬め。逃げていたのは貴様の方だろう」
憶えているのかいないのか、そんな二択は最早どうでもいい。彼等にとって重要なのは目の前に殺すべき相手がいるという事実だった。

男は運命を唾棄していた。くだらない因果によって己の歩む道を決められるのは懲り懲りだった。自分で自分の人生を選び取るために、何度も失敗を重ねてはやり直してきた。そして巡り巡った今この時、運命の楔から逃れ、最上の環境を手に入れて、あとは何も望まなくていいはずだったのだ。だが――この再会をも「運命」と呼ぶのなら、もう一度嵐の中に身を委ねてもいい。そう思った。



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2015/11/04

【BGM】いばらのみち/椿屋四重奏


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