鳥にでもなりたい


※「ビヨン・ド・ザ・フスマ・オブ・サイレンス」の後、瀕死になったパープルタコとそれを救ったアイボリーイーグルの話


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灰色の天井。ぼんやりと明滅するシーリングライト。窓のない無機質な部屋。
たった今まで死の淵で眠りについていた彼女は、拍子抜けしたような声で呟いた。

「なァんだ、あたしまだ生きてたの」

およそ生の実感を得られないその場所で、彼女は確かに自分が命を繋いでいることを知る。喉はかさかさに乾いて掠れた声しか出なかった。ヤスリで頭皮を擦られるような頭痛と、体の節々に鈍い痛みが残る。今にも再び閉じようとする目蓋の重みに、自分が眠っていた時間の長さを感じた。
満足に動かない体の代わりに目だけをくるくると動かす。その横で、有翼のニンジャが両腕を組んで椅子に座していた。

「残念ながらまだ死なせはせんぞ、パープルタコ=サン」

低い声が彼女の鼓膜を震わせた。その言葉は、彼女にとって死刑宣告よりもなお無慈悲な響きを伴っていた。ほんとうに残念ね、と二人にしか聞こえない音量でささやく。

「あそこで死んでたらみんなと一緒になれたのに」
「やめてくれ。私に誰一人救わせない気か」
「やだわ、冗談よ、ジョーダン。……助けてくれてアリガト」

あそこで死んでいたら幸せだったという思いも、命拾いしてよかったという思いも、どちらも同じくらい嘘偽りのない本心だった。
礼を受け取った彼は静かに頷いた。アイボリーイーグル。シテンノの一角にして、彼女に唯一残された仲間だった。師父はザイバツを去り、他の仲間はみな殺された。生きているのはパープルタコとアイボリーイーグルのみ。たった二人だけになってしまった。

先の戦いでアイボリーイーグルが助けに入らなければ、あのままパープルタコは仲間の後を追うように爆発四散を遂げていただろう。だがアイボリーイーグルはそれを許さなかった。敵前で戦わずして撤退する不名誉を敢えて負ったのだ。
彼はその美しい翼を、戦うためではなく逃げるために使った。誇り高いシテンノにとってその選択はどれほど屈辱的だったことか。しかし彼は心を乱さない。誇りと引き換えに、大切な仲間の命を救うことができたのだから。

パープルタコは寝台に横たえられた状態で、首だけをぎこちなく動かした。象牙色の装束、嘴めいたメンポ、そして大きな翼へと視線を移す。目によく馴染んだアイボリーイーグルの姿を、彼女は眩しそうに見つめた。

「……きれいね、その翼」

荘厳な宗教画に描かれた天使でも見るかのように、羽根の一枚一枚を丹念に観察する。人の手によって作為的に与えられた翼だ。だが、本来あるべきではないはずの翼が、何故か彼にはとてもよく似合う。あたかも最初からその場所に羽根が生えていたかのような自然さだった。

パープルタコは、逃げるさなか、アイボリーイーグルの腕に抱かれたまま気を失ったことを思い出す。夢うつつの中で空を飛ぶ感覚はとても心地よく、敵への憎悪も忘れてすっかり安心させられたのだった。

「あたしも触手じゃなくてハネ生やしてもらえばよかったかしら。そうすれば、あの子たちだって助けられたかもしれないわ」

考えるだけ無駄だと分かっていても彼女は期待してしまう。過ぎ去ってしまった過去を巻き戻すことができるなら。もし自分にもっと力があれば。アイボリーイーグルのように自由に空を駆ける翼があったなら。――そうすれば、師父は自分たちを捨てなかったかもしれないし、仲間の死を回避する道も選べたかもしれない。こんな場所で二人きりの孤独を分け合うこともなかったかもしれない。
全ては無意味な仮定だった。生き延びた者の傷は癒えるが、死んだ仲間は戻らない。それだけだ。パープルタコは誰も救えず、仇を討つことさえ叶わなかった。

アイボリーイーグルは眉を顰めた。大きな翼がばさりと揺れる。
「翼があったところで何も変わらん。現に私はお前の命ひとつ救うだけで精一杯だった」
無力さを噛み締めた声だった。パープルタコは、「もしも」の先を考えていたのは自分だけではないことを知った。翼があっても、救えないものは救えない。
「でもあたしよりはいくらかマシでしょ。この触手、なんの役にも立たなかった」
「何を言う。お前の触手が放つドク・スリケンに、私は幾度背中を助けられたことか。お前が要らぬというのなら、私が譲り受けたいくらいだ」
「……触手を?」
「ああ、触手を」

パープルタコは想像した。アイボリーイーグルが空中から地上へと静かに舞い降りる。彼が厳かに嘴型のメンポを外すと、その下には歪にうねる奇怪な八本の触手がーーと、ここまで思い描いてから、彼女はとうとう堪えきれずに吹き出した。
「ダメよそんなの、似合わなさすぎてダメ。あなたには翼がいちばんよ」
アイボリーイーグルと触手の組み合わせはあまりにも不釣り合いだった。黄金の瞳をもつこの男には、やはり美しく猛々しい翼こそがふさわしい。

「似合わないのはパープルタコ=サンも同じだろう」
「そうね。お互いに無いものねだりをしてたみたい」

自分にとっても、分不相応な翼ではなく、体に馴染んだこの触手が一番合っていると思えた。この世には適材適所という便利な言葉がある。アイボリーイーグルには翼、パープルタコには触手。彼等が成すべきは、それぞれに最も合った力を宿して、最大限の働きをすることだ。たとえ、過去を変えられず、残された命がふたつきりだったとしても。
黴臭い空気を吸い込んで、パープルタコは思い出したように呟いた。

「ねえ。あたしたち、二人だけでもシテンノって呼んでいいのかなァ?」
「逆だ。我等二人だけだからこそ、シテンノと呼ぶのだ」

金色の瞳がきらめいた。弔うべき遺体が残らぬ以上、爆発四散した仲間たちの墓など作りようもない。故に墓標は彼等自身の記憶の中にあった。彼等が自らをシテンノと名乗る限り、記憶はそこへ留まり続ける。
パープルタコとアイボリーイーグルは、死んだ仲間の記憶を、シテンノという四文字の中で生かすことを選んだ。そしてそのためには自分たちが生きねばならない。誇りを汚されても、地を這いずってでも、生きて記憶を繋げていくのだ。

二人は顔を見合わせ、同時に笑った。心の一部をはぎ取るように。



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2015/11/01

【BGM】鳥にでもなりたい/米津玄師


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