あたしはゆうれい


※フジオとパープルタコが喋ってるだけ
※時系列的には3部のどこか
※ニンスレさん出てこないけど殺闇要素あり


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彼女のあるじが眠っている。琥珀色の玉座に肘をつき、物思いに耽るその姿のまま、死んだように意識を手放していた。寝息ひとつ聞こえないので、本当に死んでいるのではないかと一瞬錯覚してしまう。パープルタコは息を詰めて、血の気がないその薄い目蓋をまじまじと見下ろした。
(こんなところ、はじめて見たわ……)
パープルタコは今までダークニンジャの寝姿を見たことがなかった。昼夜を問わず常に目覚めている機械のような人だと思っていた。かつてのザイバツにおいてでもそんな認識だったのだから、このキョート城に落ち着いてからは尚更だ。パープルタコでさえ、普通に眠りはするが、現世に在った時のように深く熟睡することはなくなった。極端に疲弊でもしていない限り、睡眠は必要最低限で済む。睡眠のみならず、生きることに繋がる全ての行為がほぼ無価値となる。そういう場所なのだ、ここは。

故に、ダークニンジャがこんなところで無防備に寝顔を晒しているという事実に驚きしかない。パープルタコはまずその寝顔を注意深く観察することに努めた。石膏のように滑らかな皮膚と柔らかそうな灰色の髪。均一な長さに生え揃った睫毛、白く透き通るような目蓋、珍しく皺が刻まれていない眉間。あの尖すぎる瞳がないだけで、こんなにも穏やかな印象になるものなのか。

パープルタコは三度瞬きをした。切れ長の目にきらきらと星が踊る。悪戯を閃いた少女のように。
彼女が次に起こした行動は、おもむろにメンポを外すことだった。八つに裂けた奇怪な触手が露わになり、湿り気を帯びてしゅるしゅるとうねった。その触手が音なく静かにあるじの顔へ近付いていく。興奮する気持ちを懸命に抑えながら、閉ざされた瞳に向かって触手を伸ばす。

ーーしかし、触手が目蓋に触れるか触れないかという瞬間、ハガネ色の瞳がかっと見開かれた。視線がかち合う。抜身の刀のような眼光と殺気に貫かれるが、パープルタコは怯む様子はなくあっけらかんと言った。
「アーララ、ばれちゃった」
まるで、ダークニンジャが寸前で目覚めることを最初から知っていたかのような反応だった。触手がダークニンジャの眼前から名残惜しそうに離れていく。あるじは顔をしかめた。

「……何の真似だ」
「食べたくなっちゃって。……そう、確かめてみたかったの。あなたの眼球はどんな味がするのか」
要領を得ない回答。彼女の中では明解に論理立てられた理由だったのだが、ダークニンジャとその他大多数の者にとっては理解の及ばぬ思考回路だ。あるじの眉間の皺がより深く刻まれるのを、パープルタコは不思議そうに眺めた。
「あたしの予想ではね、すごくしょっぱいんじゃないかと思うのよ。海の底にへばりついたフジツボみたいに」
海の底にへばりついたフジツボの味など知りもしないだろうに、パープルタコはまるで本当に味わったことがあるかのような口調でそう言った。彼女の言葉に合わせて触手も軽やかに想像の海を泳いだ。フジツボと眼球を一緒くたにして語る女など彼女くらいのものだろう。味も何もあったものではない。
ダークニンジャが名状しがたい表情で口の端を下げると、パープルタコはからからと笑った。

「ねえ、食べるのはダメでも、試しにちょっと舐めるくらいならいいでしょ?」
「駄目だ」
「つれない子ね」

彼の瞳を舐め取ったら、きっと懐かしい潮の香りがするだろう。零れ落ちたひとしずくは、深海の水を極限まで煮詰めたような塩辛さに違いない。その涙の味を思い描いて、パープルタコはうっとりと目を細めた。
あるじは無感情にそれを見る。ハガネ色の瞳にはさざなみひとつ起こらない。
「……それより用件を話せ。おれの寝顔を見るために来たわけではないだろう」
パープルタコはぱちりと瞬きをすると、お預けを食らった猫のように白い喉を反らせた。
「あなたが期待するような成果はなかったわ。ぜーんぶハズレ。そう簡単にはいかないみたい」

彼女らザイバツニンジャが総力を挙げて取り掛かっている任務ーーすなわちヤマト・ニンジャの墓所捜索は難航していた。日本各地に点在するアンカーを拠点としてくまなく探し回っているが、未だ有力な情報は得られていない。そもそも、簡単に探し当てられるものなら、パープルタコが自ら赴かずともよいのだ。現ザイバツの核たるニンジャを動員しても辿りつけないその場所に、果たして何があるのか。歴史にさして興味もないパープルタコには知る由もなかったし、知ろうとも思わない。ただ彼女のあるじがそれを望むゆえ、あるじの代わりに自分の手足を使っているだけだ。

「あなたが自分で好きに動けたら、ナントカの墓所なんてすぐに見つかっちゃうはずなのにね。だけど、みんながみんな、あなたみたいに古代文字が読めたり、ニンジャ知識に精通していたりするわけじゃないわ」
「端から期待などしていない」
「……まあ、期待してたら、こんなところで無防備にうたた寝はしないわね」
パープルタコは皮肉と自嘲まじりにそう言った。ニンジャ真実に迫る何らかの手がかりを持ち帰ってくることが分かっていれば、ダークニンジャはそのカタナのような瞳を閃かせて出迎えたことだろう。だが現実はこうだ。キョート城へと舞い戻って以降、ホウリュウ・テンプル書庫を始めとする城内のあらゆる書物やレリックを調べ尽くしてしまった彼は、「退屈」の二文字を全身に塗り込めたかのような空気を纏わせてここにいる。反ダークニンジャ派のニンジャ達が牙を研いでいた頃ならばともかく、今は不気味なほどに平穏である。ただでさえ刺激の少ない日々だ。眠りがもたらす夢に身を委ねたいと思うのは無理からぬ話ではなかった。

「やっぱり、戦えないのはつまらない?」
ダークニンジャはその問いには答えなかった。答えないということが彼の答えだった。
「このお城の中じゃあ、今のあなたより強い子はいないものね。ヘビのおじさまはアカチャンたちのお世話にかまけてるし」
ニーズヘグは若いニンジャ達を伴って頻繁に外界に出ている。キョート城は外の世界とは時間の流れ方が異なるため明確にどの程度とは言えないが、行動可能時間ぎりぎりまで外に出ていることはよくある。キョート城の息苦しさに耐えかねているのはグランドマスターとて例外ではないのだろう。後進の育成に注力し、血気盛んな若人を率いて戦うニーズヘグの姿はとても生き生きとしているように見えた。
パープルタコはその背中を見送っては、早く帰ってきてと待ちくたびれるだけの毎日だった。たまに今回のように現世へ下りる用事があったとしても、ニーズヘグ達のように楽しめそうにはない。
ザイバツニンジャは誰もがイサオシを求めて心を昂らせている。パープルタコはその喧騒の輪から外れ、一歩引いた場所で頬杖をついている。この城の中で、退屈を持て余しているのはパープルタコとダークニンジャの2人だけだった。

パープルタコは琥珀色の玉座の前に立つと、しゃがみ込んであるじの顔を見上げた。豊かな胸と太腿が露わになる。パープルタコがその露出を気にしないのも、あるじが眉ひとつ動かさないのも、ごくごくいつも通りのことだった。パープルタコはハイヒールの踵をもう少しだけ上げて体を浮かせた。膝の上に肘を乗せ、両の手のひらで自分の顔を包み込む。いたずらをして叱られた子供を諭すような、あるいは、街角で迷子になった子供に親の居場所を尋ねるかのような姿勢だった。そして彼女は言った。

「……ねえ、あなた、ニンジャスレイヤー=サンが恋しいの?」

パープルタコはこの時初めて――そう、ダークニンジャという人物の存在を知った時からこれまでにおいて、本当に初めて、この男がまともに動揺するさまを見た。フードで隠された表情がよく分かるようにと、彼を見上げる位置にいたからよく分かる。
気怠げに半ば閉じられていた目が、その瞬間だけ重力を忘れたかのようにふっと見開かれた。パープルタコは見逃さなかった。錆びきってざらついていた瞳が、閃光にも似た殺気を放つのを。深海で眠っていた怪物が、月の光を目指してみるまに波間を抜けて跳ね上がる。
(ーーああ、これだわ。)
パープルタコの背筋に震えが走る。くらりと視界が揺れるが、踵を床につけて堪えた。彼女は久方ぶりに確かな恍惚を覚えていた。

「……恋しい、だと?」
気が遠くなるような沈黙の後、怪物が低い声で唸った。彼を怪物たらしめている殺気は既に息を潜め、常の平静さを取り戻していた。だが彼の放った殺気の残響が、今なおパープルタコの肌を粟立たせ続けている。
ーーニンジャスレイヤー。その名が、その存在が、彼の意識を深海から引きずり上げたのだ。心臓の高鳴りを確認しながら、パープルタコは頷いた。
「やっぱりそうよね、一番イイところまでいく直前でお預けになっちゃったんだから、ちゃんとイキたくて仕方ないわよね。その気持ちはよくワカルわ」
「……紛らわしい言い方はやめろ」

ロードに反旗を翻したあの夜。ダークニンジャは因縁の相手であるニンジャスレイヤーと対した。戦いはほぼ互角。あの時は決着がつかぬまま、戦いの行方を先送りする形で別れてしまった。不完全燃焼だったのはおそらく両者とも同じ。今なおダークニンジャの奥底には殺意が燻り続けているのだ。パープルタコはその炭火にほんの少し息を吹きかけてやっただけにすぎない。それだけにも関わらず、背筋を震わせるほどの殺意が解き放たれた。もし「本物」が彼の目の前に再び現れたならどうなってしまうのだろう。想像するだけで身が捩れるようだった。退屈などどこかへと吹き飛んでしまう。

「ああ、それにしても、あの戦いを間近で見られてよかったわァ」
キョート城の瓦屋根での一戦を思い浮かべ、パープルタコは熱い吐息を吐く。あの時のパープルタコは、勝負の邪魔をされたくないからといって、間に入ろうとしたシャドウウィーヴもろともダークニンジャから理不尽な暴力を受けた被害者であった。しかし彼女自身はそのことを根にもつどころか、何よりも燦然と輝く思い出の一つとして心に留めている。ダークニンジャは怪訝そうにパープルタコを見下ろした。
「あれはお前の仲間の仇だろう」
「そうよ、許してなんかいないわ。今でも殺したいほど大嫌い。……でもね、あたしは、あの人と戦ってる時のあなたが一番好きなの」
目を細めて笑う。殺してその肉片に唾を吐きかけてやりたいと思うニンジャスレイヤーへの憎しみも、戦う背中を目で追う時のダークニンジャに向ける愛おしさも、彼女の中では等しく価値を持つ感情だった。憎悪と慈愛の混濁が、彼女の海に鮮やかな雨を降らせる。
この世で最も嫌いなものが、この世で最も好きなものを引き出すための鍵ならば、そのふたつとも宝箱に入れてしまおう。パープルタコはそういう考えの持ち主だった。

「だってあの時のあなた、とびきり強くて、こわくて、ホントに楽しそうだったもの……まるで恋する乙女みたい」
あの戦いを脳裏に描きながら、パープルタコはうっとりと夢見るような表情で中空に視線をやる。血の臭いに支配された戦場。脚をもがれニューロンを焼かれ、それでもなお戦おうとする大馬鹿者たち。数多の生と死を踏みにじりながら、まるで世界にたった二人しかいないかのように向かい合うふたつの影。とっておきの一場面を、パープルタコは劇場の特等席で観ていた。
「ねえ、気付いてた?ニンジャスレイヤー=サンと殺し合いをしてる最中、あなた、笑ってたのよ。それはもう、楽しくて仕方ないって顔で」
「…………」
パープルタコはそれを恋と呼んだ。命を削り合う泥仕合のような戦い、その中で狂った笑いを浮かべる横顔を。彼女にしか分からない感性で、それを恋と呼んだのだ。

ダークニンジャは静かに瞠目し、無意識のうちに自らの手を口元へ当てていた。何かを確かめるかのように。しかし、当然のことながら今の彼は笑ってなどいない。あるじとしてこの玉座に君臨してからというものの、彼の表情筋はほとんど機能を失っているようなものだった。
ーー笑っていた?自分が?まさか。
ダークニンジャは信じられない思いで彼女の言葉を聞いていた。すると疑いの眼に気付いたパープルタコが、不思議そうに首をかしげる。
「なあに?疑ってるの?嘘だと思うなら、あたしの眼球を抉り取って網膜記憶を調べてみるといいわ。きっとギラギラ笑ってるから」
怖気づくことなく、パープルタコはまっすぐにダークニンジャと視線を合わせた。紫がかった彼女の瞳が、今に限っては星を散りばめたようにきらめいている。さながら宝石箱を見つめる少女だ。彼も、そしてあの宿敵も、少女の瞳には美しい宝石の一つとして数えられている。
ダークニンジャはひとつ瞬きをし、それからゆっくりと溜息をついた。何とでも好きに呼ぶがいい、と半ば諦めにも似た思いと共に息を吐き出す。パープルタコはその息が最後まで吐き出されるのを見送ってから、立ち上がって思い切り伸びをした。

「あーあ。あなたとあの人がもう一度戦う時まで、あたし生きていられたらいいなァ」
思い出したように呟かれた言葉も、常ならばくだらぬ世迷い言として捨て置いていただろう。しかしダークニンジャは事も無げにそれを拾い上げ、パープルタコへと返してやった。
「当たり前だ。生きて見届けろ。おれがあの男の心臓を刺し貫く瞬間を」
「……じゃあ、それまでは死ねないわね」
前向きに物騒なその言い回しを聞いたのは随分と久しぶりのような気がする。パープルタコは嬉しいような懐かしいような気持ちになって、いたずらっぽく笑った。



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2015/10/25

【BGM】あたしはゆうれい/米津玄師


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