眠れる森のなんとやら


※「コンスピーラシィ・アポン・ザ・ブロークン・ブレイド」の周辺、ラオモト様とモブ医者が昏睡状態のダニンについて喋る話
※モブ医者の主張が激しい


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薄暗いボンボリの灯りに照らされた四角い部屋で、一人の医者が億劫そうに手元のIRC端末を操作している。腰の曲がった小柄な男だ。着ている白衣は相当な年代物らしく、裾はぼろぼろで染みがいくつも付いている。医者というよりは怪しげな研究者のような出で立ちであるが、医者自身は清潔感の無さに頓着していないようだった。
端末の小さな画面は、彼の太く短い指には些か手狭であった。医療機器の扱いはお手の物だが、通信端末は未だに慣れない。しばらく格闘した後、彼だけにアクセスを許された通信回路をアクティブにすると、やっとのことで通信が繋がった。端末の機能制限もあって音声のみがスピーカーから漏れる。
「アー、ゲイトキーパー=サンですかな?ニシカタです。ハイ、ハイ、そうですダークニンジャ=サンについて……よろしくお願いしますよ」
応答したのは雇い主の側近だった。ニシカタと名乗った医者は、慣れた調子で取り次ぎを頼んだ。実際このやり取りは今までに何度も繰り返してきた。

通信が繋がるのを待つ間、医者は傍らのフートンで死んだように眠る患者を見やった。ダークニンジャ。ラオモト・カンの忠実な懐刀だ。先の戦闘で瀕死の重傷を負い、今なお昏睡状態にある。顔色は白を通り越して土気色に近い。呼吸音は微弱。身体中に繋がれた生命維持のためのチューブ類が痛々しい。固く閉ざされた目の周りにはくっきりと濃い隈が浮かんでおり、彼が未だ生死の淵を彷徨っていることを示している。この状態が続いて早一週間、医者の仕事はダークニンジャが死へと近付かぬよう見張り続けていることだった。

「ニシカタ=サンか。どうだダークニンジャ=サンの容体は」
不意に通信が繋がり、雇い主――ラオモト・カンの低い声がスピーカー越しに響いた。声だけでもその存在感と威圧感は本物である。だが医者は怯む様子もなく、のんびりとした口調で受け答えをする。
「ドーモ、ラオモト=サン。まだ油断ならない状況ではありますが、だいぶ安定してきましたよ」
「それは良きこと……と喜びたい所だが」
「ぬか喜びはいけませんな。問題はこの昏睡状態がいつまで続くか……目覚めぬままであれば、命を落とす可能性も十分にあり得ます。まあ本人次第でしょうなあ」
ダークニンジャが医者のもとへと担ぎ込まれた時には虫の息だった。骨という骨を折られ、内臓も深く傷付けられていた。特に深刻だったのは首の骨が折れていたことだ。医者は今まで幾人ものニンジャを診てきたが、ダークニンジャを見た時には「これは助からないな」と直感した。――が、信じられないことに、彼は未だ命を繋いでいる。いくら非凡なニンジャ耐久力と回復力を備えているとはいえ、あの状態でよく生きていられたものだと今でも思う。

ソウカイヤでも随一の実力を誇るというダークニンジャが、ここまで手酷くやられてしまうとは。相手は余程の手練だったのか、一体誰が?どのような状況で?……疑問は出そうと思えばいくらでも湧いてきただろう。しかし、それを問いという形で表出するべきではないことを医者は重々承知していた。好奇心は猫をも殺す。余計な詮索は命取りだ。医者は医者としての仕事を粛々と果たすのみ。
そして何より、医者にとって最大の関心事は目の前にいる患者の容体であり、患者の抱える背景には全くと言っていいほど興味がないのだ。この突き放すような淡白さこそ、ラオモトが彼を闇医者として重宝する理由なのだろう。

患者の事情には言及せぬ代わりに、医者は雇い主へと矛先を向ける。
「しかしラオモト=サン、貴方も随分とダークニンジャ=サンに目をかけておられる。瀕死のニンジャ一人にここまでの待遇、そうそうありませんよ」
医者とダークニンジャが居るのは、所謂「キンコ」と呼ばれる隔離施設である。歓楽街の奥深く、表向きは日焼けサロンの看板を掲げた店の地下。本来なら存在しないはずの地下12階と13階の間にこの部屋は存在している。ダークニンジャのためだけに用意された閉鎖空間は、外界から完全に隔離されている。医者のように特権を得た者でなければ誰も立ち入りは許されない。
2時間300万円のレンタルキンコ。腕は確かだが法外な報酬を要求してくる闇医者。いくらネコソギ・ファンド社が無尽蔵の経済力をもつとは言え、たった一人の部下ためにそこまでのカネと労力をかけてしまえるものなのか。――答えは、是。ラオモトはダークニンジャに、そこまで手厚くするだけの価値を見出している。

「実際ダークニンジャ=サンは有能である故。懐刀がおらぬと落ち着かぬのだ」
「では、過保護という自覚はあると?」
「……多少はな」

雇い主が予想よりも素直にその事実を認めたので、医者は思わず曲がった腰を伸ばして笑い声を上げた。
「ハハハ!それは結構!しかし気をつけなされ。猫可愛がりも行き過ぎは禁物。ただでさえこの懐刀殿は有能すぎて反感を買われやすいようですので」
「分かっておる。だから見舞いにも行っておらんではないか」
裏を返せば、本当は見舞いにも行ってやりたいということだ。さすがにそこまでするとやり過ぎなのは本人も弁えているようだが、そもそも部下一人のためにこの部屋を用意してやっている時点で相当に御執心なのは明白である。元々部下を労うことの多いラオモトではあるが、果たしてこの待遇は他の者達の目にはどう映っているやら。今頃、ラオモトの寵愛を一心に受けるダークニンジャに嫉妬心を抱いた――もとい、ダークニンジャを脅威とする輩が暗殺の機会を狙っているかもしれない。

「万が一ここが襲撃に遭ったとしても、責任は負えませんぞ。懐刀殿の安全も保障できかねる。なにしろ私はニンジャではないのでねえ」
キンコのセキュリティを疑うわけではなかったが、心得あるニンジャの手にかかれば容易く侵入できてしまうだろう。ありえない話ではない。
「構わん。己を狙う殺気を感じ取れば嫌でも起きよう。むしろ良い目覚めの機会だ」
「おお、怖い……過保護なのか手厳しいのか分かりませんな」

医者がわざとらしく震えた声でそう言うと、画面の向こう側にいるラオモトはあの特徴的な笑い声を上げた。冗談めかした話しぶりであったが、おそらく半分は本気なのだ。
たとえ暗殺の危険が迫ろうと、己の力で回避あるいは撃退できねばそれまで。悠長に眠り続けてみすみす命を落とすような愚か者は不要というわけだ。全身の骨を折られて昏睡中の重傷者相手にそこまでのレベルを求めるのも酷な話だと医者は思った。しかしラオモトにしてみれば、懐刀として相応しい力を持つ者なら、その程度の危機は身ひとつで乗り越えられて当然なのだろう。ダークニンジャの力を信用しているからこそ出てくる発言であった。

通信を終えて、医者はフートンに横たわる患者を見下ろした。眉間に皺を寄せ、決して安らかとはいえない表情であるが、確かに呼吸をして生きている。
「……眠れる森のなんとやら、ですかな」
ひとりごちたその言葉を聞く者はいない。







「昏睡状態からの復帰、一先ずおめでとうございます。爽やかな目覚めとはいかなかったようですがね……」

検査を終えたダークニンジャに向けて医者が声をかける。ダークニンジャは体の具合を確かめるように掌を握ったり開いたりしながら、感情のこもらない声で答えた。
「問題ない。襲撃者は残らず撃退した。新しく負った怪我もない」
医者の見立てでは、少なくともあと数週間は昏睡状態が続くとされていたが、見ての通り彼は完全に目覚め、今にも仕事に戻りたいという空気を醸し出している。恐ろしいまでの回復力である。ニンジャという存在には一切の常識が通用しないからタチが悪い。医者としては患者の回復を喜ぶべきなのだろうが、こうもあっけなく見立てを崩されてしまうと立場がない。皮肉交じりに肩をすくめる。
「それはよかった。貴方がお強い人でよかったですよ、ええ。自分のいないところで患者に死なれたら堪ったものじゃありません」

瀕死のダークニンジャを暗殺せんとする不届き者たちの目論見は、昏睡状態を脱した彼自身の手によって叩き折られた。襲撃の折、医者はちょうど別件で隔離施設を離れていたために難を逃れる形となった。もしあの場に居合わせていたら、ニンジャ同士の戦いに巻き込まれてあっけなく絶命していただろう。自分の運の良さにほっと息をつくばかりである。
眠り姫を覚醒させる引き金となったのは、彼に向けられた殺気。ラオモトの予言はまさしく的中したのだ。医者は以前ラオモトと交わした会話を思い出して唸り声を上げた。

「しかし、本来ならあと1ヶ月は安静にしておいてほしいところなのですよ、ダークニンジャ=サン。……医者として一応は訊きますが、治療施設に戻るおつもりは?」
「ない」
「でしょうなあ」
一切の迷いのない返答に、医者は苦笑せざるを得なかった。
ブルーの検査着に身を包んだダークニンジャは平素と全く変わらぬ振る舞いをしているが、よくここまで涼しい顔を保っていられるものだ。先程の検査の結果がタイプされた紙には「要入院・要手術・要絶対安静」という大きな赤文字がこれみよがしに踊っていた。ダークニンジャの傷は未だ完全には癒えておらず、今なお尋常ではない痛みが彼の全身を苛んでいるはずである。任務を果たせる程度に動けるとはいえ、それは彼自身の強靭な精神力によるものだ。やせ我慢に変わりはない。

「……まあ、無理をするなと言ったところで、話を聞く貴方ではないでしょう。痛み止めは出しておきますが、くれぐれもそればかりに頼らぬように。来週また必ず検査を受けに来ること。よいですかな?」
「承知した」
薬の入った紙袋を手渡すと、ダークニンジャは無表情で頷く。果たしてこの患者が来週また来るのかどうか甚だ疑問である。「仕事」が忙しければいとも簡単にその義務を無視してしまうのだろう。自分の身体を顧みない大馬鹿者は今までに嫌というほど見てきたが、ダークニンジャも間違いなく同じ類の患者だ。身体の異常なら最新医療で完治させることが可能である。しかし生来の頑固さばかりは手の施しようがない。
せっかく治してやっても当の本人がこの調子なのだ、医者のモチベーションは下がるばかりだった。だが相手はニンジャ。何を言っても無駄なのだ。

検査着姿のダークニンジャの体を黒い繊維が覆い始める。医者が瞬きをした時には、オブシディアン色の装束に身を包んだニンジャが目の前に立っていた。変身にも似たこの衣替えは何度見ても圧巻であるなあ、と医者は内心感嘆した。
「では失礼する」
「はいはい、オタッシャデー」
ダークニンジャは静かに一礼すると、音もなくその場から姿を消した。残された医者は誰もいなくなった空間に向けてひらひらと手を振りながら、あの無愛想な患者が死なない程度に酷い目に遭ってくれることを願うのだった。



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2015/10/07


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