考古学者と雑誌記者


※ニンジャがいない一巡後の世界
※フジオは考古学者でナンシーは雑誌記者
※フジオとナンシーの性格がだいぶ崩壊している


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締め切りを2週間先に控え、私はパソコンの前で頭を抱えた。取材するネタがない。いや、正確に言うとネタはあるにはあるけれど、しっくりこないのだ。
私が現在担当しているのは、二十代後半の女性をターゲットにした生活情報誌。その中で、日本各地の珍妙な物事や人を紹介するコラムを書いている。地方の奇妙な習慣や食べ物のルーツを探ったり、特殊な職業についている人の思いをインタビューしたり、たまにオカルトめいた何かを取り上げたり、我ながら女性向け誌にあるまじき内容だとは思う。まあいわゆるイロモノ記事扱いなのだが、書いている私自身は至って真剣に取材をしているのが伝わっているのか、読者に謎の人気を得ているらしい。噂のほどは確かではないけれど、私の記事を目当てにして、本来ターゲットではない男性読者も獲得しているとか。そして今月号は記念すべき連載10回目。そのネタに困窮している。

「おーいセンパイ。メシ行こうぜ、メシ」
椅子に座ったまま大きく伸びをしたら、視線の先に後輩の姿。エーリアスとは私が以前担当していたオカルト誌で仕事をした仲だ。別部署になった今も、一緒にランチを食べたりしている。……が、しかし。今はとてもじゃないけれど呑気にランチをしている場合ではない。
「ああごめんなさいエーリアス、今ちょっとそれどころじゃあないのよ」
「まあそんな気はしてた。締め切りは?」
「2週間後よ。進捗状況はお察し。とにかくネタがないの」
「アンタのことだから、パッと取材してパッと記事にできるネタのストックはあるんだろ? それじゃ駄目なのか」
「節目の連載10回目で、そんな妥協はできないわ。読者をあっと驚かせるような意外性がほしいわけ。……何か持ってない? そういうネタ」
そう、妥協はできない。したくない。読者のためであり、何よりも自分が納得できる記事でなくては嫌なのだ。ジャーナリストとしての矜持もある。とはいえその矜持が自分の首を締めている状況ではあるのだけれど。
記事にしたいと思ったネタは何件か候補があったものの、どれも取材に時間がかかりすぎたり、アポを取ろうと試みても一向に返事がこないようなものばかりだった。


エーリアスはしばし考える素振りをした後、「意外性重点といえば」と一言呟いて、ぱたぱたと駆け足でどこかへ行ってしまった。藁にもすがる思いで待っていると、彼女は数分後、何やら分厚い紙の束を持って再び現れた。デスクの上にどさりとそれを置く。
「これこれ、H大のフジオ・カタクラ。S大のウミノと並んでニンジャ研究者の双璧って話だぜ」
「は……忍者?」
忍者。なんで忍者。思いがけない単語にちょっと面食らった。確かに以前担当していた雑誌ではどう見ても信憑性が薄く怪しいネタを取材したことはあったし、今の雑誌でもオカルトに片足突っ込んだ記事を書いたこともある。だけど流石に忍者などという言葉を今更耳にすることになろうとは思わなかった。エーリアス曰く、彼女が担当しているオカルト誌で忍者特集を組む予定だったのが、急遽ツチノコ特集に変更になったためお流れになったネタの名残だという。

フジオ・カタクラ。聞いたことのない名前だ。エーリアスが持ってきた紙束の一番上にあった一枚に目を通すと、その人物のプロフィールが載っていた。
「……ええと、ちょっと待って。この人は考古学者なの? お門違いの私が言うことじゃないかもしれないけど、忍者って普通、民俗学とか史学の範疇じゃない?」
するとエーリアスは「分かってないなあ」と言わんばかりに大げさな溜息をついた。
「あのなセンパイ、よく見てくれ。忍者じゃなくてニンジャだよ、ニンジャ」
そう言ってプロフィールに書かれた「ニンジャ」の文字を指さす。確かにカタカナ表記だ。

ニンジャ研究者の視点で述べると、ニンジャとは世間一般で言われている『忍者』とは全く別物の概念だという。ニンジャは太古からこの世界を陰ながら支配していた存在で、世界各地にその形跡が残されている。ニンジャ研究者は世界中を飛び回り、エジプトやらミャンマーやらで遺跡発掘調査なども行っているため、表向きは考古学者という扱いなのだそうだ。
――ここまで説明されて、正直私は頭がぐらぐらしてしまったけれど、何とか耐えた。世の中には、端から見たら訳の分からないものについて本気で研究している人間が少なくない。このカタクラという人もその一人なのだと思おう。
「発想自体はトンチキだが、論文の文章がすげえ理路整然としてて妙に説得力があるってんで、業界内ではそこそこ有名らしいぜ。読んだ奴らはみんなニンジャ存在を疑いもしなくなるってもっぱらの噂だ。まあ俺は読んでないけど」
件の論文を取り寄せたはいいものの、結局読まずにお蔵入り寸前だったのを引っ張り出してきたのがこの紙束なわけか。細かい字がびっしりと埋まっている分厚いそれに、執念に近い何かを感じる。読んだら私も洗脳されるのではないかと思うと、恐ろしさよりも先に興味が湧いてくる。怖いもの知らずは生まれ持っての性分だ。

「……確かに意外性という点では優勝ね。このネタ、もらっちゃっていいの?」
「おう! どうせニンジャ特集はあのままお流れだろうしな」
「じゃ、ありがたく頂いておくわ。無事にアポが取れればの話だけどね」
プロフィールの下に記された、大学の研究室のメールアドレスを指でなぞる。そう、問題は締め切りまでに取材を終わらせて記事が書けるかどうかだ。これで一安心というわけにはいかない。

エーリアスはもう自分の役目は終わったとばかりにうきうきとして言った。
「よし今度こそメシだ! さっきから腹減って仕方ないんだよ」
「だーめ。メールを送るまで待ってて。そんなに空腹が耐えられないなら、先に行っていてくれても構わないけど」
「えー!? ……なら待ってる」
すると彼女は、私の隣にある同僚の椅子を引っ張りだして、どっかりと大仰に座った。まるで最初からこれが自分の椅子だと言わんばかりに。お隣さんはランチをとりに行っている最中だから当分は帰ってこないだろうから、まあいいでしょう。
早くしろと言葉にはしない代わりに、彼女の視線はとても切実に空腹を訴えてくる。はらぺこの後輩をいつまでもこの状態でお預けさせておくのは可哀想だ。私はデスク上のパソコンに向き直ると、気持ちも新たにメーラーを立ち上げた。





驚いたことに、急いで出したメールの返事は、私がランチから帰ってきた時には既に返ってきていた。その間わずかに1時間にも満たない。なんという返信速度。勝手な先入観で、大学関係、その上実態がよく分からないマニアックな専門分野の知識人はこの手の連絡にルーズだという思い込みがあったのだが、見事に砕かれた。びっくりして思わず画面の前で変な声を上げてしまった。
中身は至って事務的だった。取材のアポには文面を丸々コピーしているからこんなに早いのかしらと一瞬疑ったが、事務的とはいえとても丁寧な文面を見て、そう思った自分を恥じた。

相手方の返事は、出張等の関係ですぐにとは言えないが、一週間後以降であれば都合がつく、ということだった。さっそく訪問可能な日時をリストアップし、相手に負けじと丁寧な表現を心がけて再度メールを送る。すると20分と待たずに、では○月×日の午前10時は如何でしょうという返信が。爆速だ。この仕事を始めてから、ここまでメールの返信が速い取材相手はいなかった。大抵の場合少なくとも3日は待たされるし、綺麗に無視されるのも日常茶飯事だった。近年稀に見るメール伝達の迅速さと相手の誠実さに感動を覚える。

聞きたいことや話したいこと、考えておいてほしいこと、インタビュー場所などの細かいすり合わせは後日お電話で……と返信したのも束の間、気が付くとパソコン上に「新着メール1件」の表示。ちょうど時間が空いているので、もしそちらで都合がつくなら、今電話していただいても構わない、という内容だった。相手の仕事が速いのかせっかちなのかは分からないが、私が焦ったのは言うまでもない。
いくら咄嗟のアドリブ力に自信があるとはいえ、流石についさっき名前を知ったレベルの相手、しかも専門家と電話で話すというのは気が引ける。アポ取りを最優先してしまったために、こちらは彼の分厚い論文すらまともに読んでいないのだ。懇切丁寧に、相手の気を損ねないよう細心の注意を払いつつ、電話はやはり後日でよろしいでしょうかと返信する。こちらの現状を察してくれたかどうかはともかく、相手は特に気分を害した様子もなく(相変わらず事務的な文面なので気分など分かりもしないのだが)、すんなり承知してくれた。しつこい人でなくてよかったと安堵する。

こうして怒涛のメールのやり取りは一旦終わった。アポ取り成功だ。
ネタを提供してくれたエーリアスにこの件を報告すると、まず真っ先に「仕事はやっ!」と驚かれた。それは私も同意見。
「でもよかった、なんとかなりそうで。いい記事が書けるといいな!」
にかっと歯を見せて笑う彼女は、心から私のことを応援してくれている。ああ、なんて可愛い後輩だろう。この子に相談してよかったと思うと同時に、期待に応えられるだけの記事を書かねばと意気込む。……正直、少し不安なのは否めないけど。





インタビューするに先立って、個人的にフジオ・カタクラという人物について調べさせてもらった。
幼い頃に両親を失い、孤児院に生活の場を移して中学高校、そして大学へと進む。成績は非常に優秀で、大学の成績優秀者表彰に何度も名前が挙がる有名人だったようだ。ニンジャ研究の第一人者であるウミノ教授に師事し、ニンジャに関する造詣を深めた。――しかし、ニンジャという不確かな神話的存在を研究する彼等への風当たりは強かった。満を持して研究成果を発表した学会において、彼等の研究は散々なバッシングを受ける。ニンジャ実在説信奉派から言わせると、あの学会での批判がその後のニンジャ研究を10年は遅らせたという。その愚痴が本当かどうかは別として、学会で批判の的になったことはカタクラ青年にとってもある種の転機だった。

彼は大学を中退し、マレニミル社というトレジャーハント紛いの会社の立ち上げとともに最初の社員となった。以後5年間に渡り、世界各地を飛び回って財宝だ遺跡発掘だと様々な犯罪すれすれのことをやってきたらしい。その後、マレニミル社がエジプトで大量の金塊を発見し一気に業績回復したのと入れ替わりで、彼は会社を離れた。彼が選んだのは、再び大学に入り直して、ウミノ教授とは別のアプローチからニンジャ真実に迫るという道だった。最短ルートで博士号を取得し、H大の准教授として現在もニンジャ研究を続けている。


ジャーナリストを志してからこれまで色々な人を見てきたが、こんな人生を送る人もいるのだな……と、しみじみしてしまう。一言でいうなら波瀾万丈、彼の半生だけで一冊の本が書けそうなくらい。それをたった4ページの記事にまとめなくちゃいけないのだから結構な暴挙だと思う。
彼がこれまで書いた論文の類もざっと目を通したが、なるほど、これは確かに凄い。無礼を承知で例えるなら、小学生が広告の裏側に書いた無駄に壮大すぎるファンタジー設定を、大の大人が本気で考察してみました、といった趣き。しかもその考察と検証がどこまでも論理的だからたちが悪い。文章の巧みさも相まって、本当にニンジャがいるのではないかと否応なしに思わせてくる。あんなに分厚い紙束を、息もつかせず一気に読ませる力がある。読み終わった後は興奮でしばらく眠れなかった。よく練りこまれた長編推理小説の傑作を読んだ気分だった。この人は大学教授なんかより作家を目指した方がよかったのでは?と考えてしまうほど。界隈ではカルト的な人気を誇るというのも納得した。

それにしても、調べれば調べるほど実態がつかめない。ニンジャ研究者という肩書きから想像するのは、胡散臭さ全開の不気味で陰気な姿。だけど彼の経歴を見てみると、とても頭がいい人だからインテリな感じもするし、世界各地を飛び回って発掘調査なんかをしているからには結構体格がよさそうな気もするし、大学教授に収まるまでに所属する場所を転々と変えていて気難しそうな印象もある。どれだけ探しても彼の写真が見つからなかったのは惜しい。
そして先日、電話での打ち合わせに出た本人と思しき人の声。落ち着いたバリトンボイス。あれを聞いてからますます分からなくなった。





謎が謎を呼んでいる間に当日が来てしまった。インタビュー場所は大学内の彼の研究室だ。ただでさえそう広くはない部屋が、小難しそうな資料と本がずらりと敷き詰められた本棚のせいで圧迫されている。部屋の奥のデスクには古文書らしき紙束やよく分からない形の置物がある。物の量こそ多いが、不思議と雑然とした印象は受けない。本や資料は明確な分類のもとに並べられているのが分かるし、しっかりと整理されている。どこに何があるのかがすぐに分かる部屋なのだ。
「先生は授業が終わり次第いらっしゃるので、少し待っていてください」
そう言ってコーヒーを出してくれたのはおそらく研究室の学生だろう。ふんわりした栗毛の可愛いお嬢さんだけれど、彼女もニンジャを信じる一人なのかと思うと業の深さを感じる。

黒いソファーに腰掛けて部屋の中を観察していると、不意に背後の扉が開いた。振り向いた先には背の高い男性の姿。
「お若い、ですね……」
名刺交換と挨拶もそこそこに済ませた後、私の口からまず出てきた一言がそれだった。相手が怪訝そうに首を傾げたので、慌てて弁解する。
「あ、ごめんなさい。電話の声の感じで、私よりずっと年上の方というイメージをもっていたので」
落ち着き払った物腰柔らかな声の印象が先行して、私の脳内の「フジオ・カタクラ教授」は完全にロマンスグレーの紳士だった。大学が出していたプロフィールには生年月日こそ載っていなかったが、経歴から計算すると、多く見積もっても三十代後半といったところ。ロマンスグレーは程遠い。ちょっと考えれば分かることだったのに、声の第一印象にここまで引きずられるとは思わなかった。

しかし、そのイメージを取り払って見ても、目の前の彼は推定される実年齢よりかなり若く見える。二十代と言われても普通に納得してしまうだろう。外見だけなら学生に紛れていても違和感がない。
「実際よく言われます。年齢を教えると驚かれる」
「ああ、私の知り合いにもいます。何年経っても、知り合った当初から見た目がほとんど変わらない人。彼は普通のサラリーマンですけど」
「ほう、一度会ってみたいな」
互いの緊張を解すための雑談。彼は意外にもちゃんと会話の応酬に乗ってくれた。はじめのうちは金属のように冷たく鋭い目に怯んでしまったけれど、実際喋ってみるとそこまで無愛想というわけでもない。私も安心して話題を切り出すことができた。

「改めて、取材の依頼を快く引き受けていただき、ありがとうございます。先日お話させていただいた通り、今回は先生が研究されている内容そのものではなく、先生ご自身についてのお話を伺いたいと思っておりますがよろしいでしょうか」
「ええ。勿論そのつもりです。……しかし、学術誌以外でこういった取材を受けるのは初めてなものですから、意に添えないことがあるかもしれません。そもそも私のような研究者の話が、貴方の雑誌のカラーに合うのか……依頼のメールを頂いた時には驚きました。人違いではないかとね」
「ニンジャ研究者のインタビューが載る女性向け雑誌……なんて、普通はないでしょうね。でも安心してください、私が担当してるコラムは元から『そういう』空気なんです」
私が自信満々に言い切ってみせると、彼は少し表情を緩めた。このくらいの軽口は許容範囲らしい。
それから少しだけ雑誌の話になった。インタビューの参考として雑誌のバックナンバーを何冊か送らせてもらったのだが、彼はその全てに目を通してくれていた。その上、私のコラムを暗記する勢いで熟読したのだという。意外性のある題材と、キレのある語り口がとても良い、という褒め言葉つきの感想を貰ってちょっと嬉しくなる。大学の先生様にお褒めいただけるなんて光栄だ。


インタビューは定型的に、彼がニンジャ研究の道へ進むことになった経緯の話から始まった。
彼はソファーに腰を下ろして、手を膝の上で組んでいる。リラックスしたその姿でさえモデルのように様になっていて、思わず溜息が出そうになる。高級そうなワイシャツにダークグレイのベストの組み合わせは、すらりとした彼によく似合う。灰色がかった髪の下からのぞく瞳は理知的な光を宿していた。纏う雰囲気はどこかの御曹司かと見間違えそうな上品さにあふれている。
正直、フジオ・カタクラ教授がこんなに見目のいい男の人だとは思いもしなかったので、私は絶賛混乱中だ。今まで分からないなりに積み上げてきた彼のイメージが粉々に砕かれて再構築されていく。ああこれは相当モテるだろうなと思ったが、研究内容が内容だからどうだろう。憧れを抱かれるのは第一印象だけで、付き合いが長くなればなるほど変人っぷりに引かれるパターンかもしれない。――会って十数分の私がこんな失礼すぎる邪推を繰り広げる程度には眉目秀麗なのだ、彼は。

「きっかけ、ですか」
カタクラ先生はしばらく沈黙した後、何度か瞬きをして、その形の良い唇を開いた。
「……背中に刻まれた漢字の痣、でしょうか。その謎を解きたいという思いが、今の私を形作りました」
「痣?」
思わず聞き返してしまう。私が調べたものの中にそんな情報はなかった。初めて聞く話だ。
「ええ。生まれつき、私の背中には痣があるんです。『ハガネ』を意味する古代漢字の痣が。私の家系では、男子の背中に必ずその痣が表れるのです」
……す、すごい。いきなりスピリチュアルな話題に舵を切りそうな気配がする。さすがニンジャ研究者の名は伊達ではないということかしら。そもそもこんな重大そうな話を雑誌記者に喋ってしまっていいものなのですかカタクラ先生。しかし私の焦りを他所に、当の本人はさして気にも留めない様子なので、大人しく耳を傾けることにした。

彼の家系に代々伝わるその痣は、遺伝なのか何らかの呪術的要素があるのかは定かでない。彼は幼少時より、自分の背中に刻まれたその痣を不思議に思っていたという。そして父親にも自分と同じ形の痣があることを知っていた。父親は遺伝だと彼に語って聞かせた。しかし、こんな奇妙な痣が遺伝するなど聞いたことがない。
痣のせいでいじめられたこともあった。ヤクザだ、刺青を入れるなんて悪い奴だ、などとからかわれた。その度に幼い彼は父親に泣きついて、どうしてこんな痣があるの、消えてなくなっちゃえばいいのに、と何度も訴えたという。いつしか彼はその痣を忌み嫌い、殊更に隠して生活するようになった。
隠そうとしたのがいけなかったのか――それから程なくして、彼は両親を交通事故で失った。まだ10歳だったフジオ少年にとって、それは耐え難い苦痛だった。

「いつしか私は、自分に降りかかる不幸の全てはこの痣のせいなのだと思うようになりました。この痣さえなければ、いじめられることも、両親が死ぬこともなかっただろうと。……ただの現実逃避、責任転嫁です」
私は何も言えず、彼が膝の上で組んだ指を見つめた。家族を失った悲しみや寂しさを紛らせるには、そう思い込むしかなかったのだろう。
「当時の私にとって、この痣は『呪い』以外の何ものでもありませんでした。自分の家系を苦しめ続け、今まさに自分を絶望へと追い込もうとする呪いです」
呪い。とてつもない重みを伴うその言葉に、私はハッとして顔を上げる。カタクラ先生は眉をひそめて、自らの肩口に手を当てていた。その指の先にある痣を確かめるように。
ただこの場で話を聞き齧った程度の私には、彼が経験したその絶望が如何ばかりかを知ることができない。ただ、想像することはできる。それが私の仕事だ。

「……見ますか?」
「えっ」
再び訪れた沈黙を破ったのはカタクラ先生だった。彼は申し訳無さそうに私を見る。
「なんだか、とても痣に興味がおありのようなので」
「あっ、その、ごめんなさい!そんなお構いなく……!いやでも見せていただけるなら是非ともお願いしたいですけれど!強いる意図はありません、ええ!」
いけない。私の「ここまで事細かに痣のエピソードを語っておきながら肝心の実物を見せないなんて言うわけないでしょうね」という声なき声が視線の中に滲み出してしまったのかもしれない。ジャーナリストとしての意地汚さが表出してしまった。慌てて言い訳めいた言葉を口にするも、「あるなら見せろ」という要求を抑えきれない。

「しかし痣は背中にあるものですから、服を脱がないとお見せできず……」
「えっ?この場で脱いで頂いて全然構いませんが?何か問題が?」
「アッハイ」
カタクラ先生は怯みながら必死に首を縦に振った。私の気迫に気圧されている。本来インタビュアーたる私は相手に敬意を払わねばならないはずなのだが、この手の駆け引きの場合は話が別だ。形勢逆転、今やカタクラ先生と私の力関係は完全に私の優位にある。
彼は相変わらず無表情だけれど、全身から困っているオーラが出ていてちょっと可哀想になる。私の目の前でぎこちなくベストのボタンを外していく指先にはいじらしささえ感じる。ごめんなさいカタクラ先生、私はどうしてもあなたの「呪い」の元である痣を見たいのです。

「先生、もう少し早くしていただけます?」
「ハイ」
がんばって先生。もう少しでワイシャツのボタンが全部外せるわ。私は腕を組みながら心の中で謝罪と応援の言葉を繰り返す。こうなってくるといよいよ自分が何をしにこの場所へやって来たのか分からなくなってくるけれど、うん、雑誌の取材だ。私は取材のために彼に脱いでもらっているのだ。もしかしたら彼の脱衣の様子を鮮明に記憶しておくことで、記事を書く時に何か役に立つかもしれないし?やましいことは何もない。

先生が一番下のボタンを外し終えると、はらりと肌蹴たワイシャツの隙間から彼の肌がのぞく。どうやら彼は着痩せするタイプらしい。想像した以上に逞しく鍛えられた、しなやかな筋肉があらわになった。それでいて肌は大理石のようになめらかで美しい。
「ワオ……!彫刻みたいにキレイ!」
「はあ……それで、痣の方は」
「ああそうでしたね、拝見します」
いいカラダしてるじゃねえか、などと、どこぞの変態小説のような感想を抱いてしまったのは仕方ないことだと思って許していただきたい。私は席を立ち、先生の背後に回った。カタクラ先生は両手を膝の上に置いてじっと俯いたまま動かない。人間様の掌の上に乗せられて死を覚悟するハムスターのようだ。あの、背中の字を見せてもらうだけですから。そんなに怯えられるとこちらの良心が痛みます。

「……うわあ、これは結構、いやかなり、はっきりと……」
カタクラ先生の背中には、刺青と見まごうほどにはっきりと「刃鉄」の二文字が刻まれていた。こんな綺麗な身体に、禍々しささえ感じる古代漢字の痣が刻まれているなんて、倒錯的で背徳的な何かを感じる。そういう趣向を持った人々にとっては堪らない題材ではなかろうか。とはいえ私は高尚な芸術を解するセンスを持ち合わせない俗な一般人なので、これでは銭湯の受付で容赦なくお断りされてしまいそうだな、と余計な想像をするに留まる。
確かにこうも明確に文字が識別できるレベルだと、呪いのような何かがあるのではないかと疑いたくなるのは道理だ。実際に痣を目にしたことで、在りし日のフジオ少年の苦悩を想像しやすくなった。

「でも、こういうことを言っていいのか分かりませんが、ちょっとかっこいいと思ってしまう自分がいます。アートみたいで」
「かっこいい、ですか」
「あ、気を悪くされてしまったならごめんなさい。アートで済む問題じゃないですよね」
「いえ、構いませんよ。……しかし、この痣を『かっこいい』と言われたのは初めてです。そういう見方もあるのか」

そう言いながらワイシャツのボタンを留めるカタクラ先生は、無表情の中にどこか嬉しそうな様子が見て取れた。かっこいいと言われて嬉しく思わない男子はいないということだろう。相手は自分より遥かに年上の男性だとは分かっているが、可愛いところもあるじゃない、とニコニコしてしまうのは不可抗力だった。





「すみません、話を戻します。……では、漢字の『呪い』から解放される手立てを、ニンジャという超常存在に求めたということですか?」
「ええ。その判断が正しかったのかどうかは、未だに分かりませんが」
カタクラ先生はコーヒーを一口飲んで再び手を膝の上で組んだ。ワイシャツとベストをきっちり着直して、ぴんと伸びた背筋はやはりかっこいい。ワイシャツを肌蹴させたお姿もそれはそれで良かったのだけれど。
「『刃鉄』の二文字を頼りにして行き着いた先はウミノ先生の研究室でした。ニンジャという概念を知った時、私の世界は一気に開けました。漢字の痣とニンジャの間に、確かな繋がりを見たのです」
その出会いは啓示にも似ていた。ウミノ教授の助けもあって、彼は脇目もふらずニンジャ研究に没頭していく。世界中に散らばるニンジャの痕跡を調べれば調べるほど、彼の予測は確信へと近づいていった。

大学時代のことを語るカタクラ先生の表情は穏やかだった。きっと充実した日々だったのだろうなと思う。両親を失い、漢字の呪いに苦しめられてきた彼の心にも平穏がもたらされたのだ。――しかし、その安寧も長くは続かない。学会での批判、嘲笑。その程度で彼のニンジャに対する熱意が消えるわけはなかったが、代わりに新たな可能性が彼に示された。当時ウミノ研究室で助手をしていたホソダ氏がベンチャー企業を立ち上げ、社員として彼を勧誘したのだ。現在のマレニミル社である。
マレニミル社の事業内容はほとんど違法行為に近いものだったが、世界各地を回って調査ができるという点は非常に魅力的だった。大学時代は、予算の関係もあって満足に現地調査ができなかったのだ。悩んだ末、彼はホソダ社長について行くことを決めた。
金銀財宝のありそうな場所なら世界のどこへでも飛んで行くホソダ社長の方針は、彼の目的と綺麗に合致していた。古代文明の起こるところにニンジャあり。ホソダ社長に随行し世界各地のニンジャの痕跡を辿る中で、カタクラ先生は彼独自のニンジャ観を構築していった。

そして、彼にとって幾度目かの転機が訪れる。エジプトのピラミッド遺跡調査だ。
「かねてより、私はエジプトという土地に強い関心を抱いていました。……いや、関心というより、本能的に『エジプトには何かがある』と感じ取っていたというべきでしょうか。エジプトについて考えると、背中の痣が疼くような気がするのです。私はそれに特別な繋がりを感じざるを得なかった」
ホソダ社長の狙いは、ピラミッド地下に眠ると思われる黄金であったが、彼にとっては黄金などどうでもよかった。彼の主眼は、痣に纏わるニンジャ真実を解き明かすことにあった。エジプトに行けば何かが、とても重大な何かが分かるに違いない。根拠の無い確信が彼を突き動かした。

「それで」
私は思わず身を乗り出していた。ここが今回の話の山場だと思った。漢字の痣、彼の数奇な人生、エジプトのピラミッドに眠る真実……十分に魅力的な題材だ。
「痣の謎が、ついに解けたのですね?」
「…………いえ」
カタクラ先生は膝の上で組んだ指をきつく締めた。無表情だった彼の顔がぐしゃりと歪む。

「……黄金はありました。その輝きで目が潰れそうになるほどの、大量の金塊は。しかし私の求めていたものは――ニンジャ真実に迫り、痣の謎を解き明かす手がかりは、何ひとつなかった。……何ひとつ」

私はカタクラ先生の瞳に、どこまでも昏い虚無の闇を見た。光はない。全身にぞくりと鳥肌が立つのを感じる。喉がからからに乾く。
――これは、絶望だ。両親を失った時よりも、背中の痣を『呪い』と呼んだ時よりもなお深い、絶望。地獄の底に垂らされた細い糸が、実は初めから天上になど繋がっていなかったのだと。必死で糸を辿ってきた末に突きつけられた現実。あの確信は何だった?自分のしてきたことは全て無駄だったのか?
彼の瞳の闇に引きずり込まれそうになる。私はハッとして目を逸らすと、慌ててコーヒーを飲んだ。

再び視線を戻すと、彼は元の無表情に戻っていた。瞳の奥にどす黒く渦巻く闇も無い。彼は自嘲気味に口元を歪めた。
「……さすがにここまで酷い肩透かしを食らうとは思っていませんでした。自分で思う以上に、エジプトという土地がもたらす何かを期待していたんでしょう」
マレニミル社及びホソダ社長による金塊の発見は大ニュースになった。当時の社会に黄金発掘ブームやエジプトブームを引き起こし、ベンチャー企業にすぎなかったマレニミル社は大幅に業績を回復した。今ではトレジャーハントに留まらず様々な業界に進出する大企業となっている。ホソダ社長は成功者としてよくテレビに出ている有名人だ。
金塊の発見に沸くホソダ社長や周囲の熱狂とは裏腹に、エジプトから戻った後の彼はしばらく無気力状態に陥った。金塊がもたらした膨大なカネと事務仕事を淡々とこなし、社員が増え急激に大きくなっていくマレニミル社をぼんやりと見届け、自分のやるべきことを粗方終えたら、そのまま消えるように会社を去った。無論、ホソダ社長は金塊発見の功労者を手放したくなかったはずだが、彼は賞与も何も望まずに、ひとりになることを選んだ。

エジプトに何か大事なものを置き忘れてしまったかのように、彼は空虚だった。誰もいない部屋の中で彼は考える。背中の痣は、消えない。謎も解き明かせない。ならばこの世界で自分の成すべきことは何か。何もないのではないか。
「……それでも私には、ニンジャ真実を追うことしか考えられなかったのです」
気が付けばまた世界を旅していた。行ったことのない国へ行き、どこかにニンジャがいた痕跡はないかと探し回った。スポンサーもいない個人が行える調査には限りがあったが、彼には関係なかった。それはもう執念に近い。

そして彼はチベットの山奥へと辿り着いた。古い洞窟壁画にニンジャの姿が描かれているという情報を見つけたからだ。しかしその調査の途中、彼は原因不明の高熱に倒れた。熱にうなされ一歩も動けない彼を助けたのは、通りがかった近くの村人だった。
「そこで私は、村の長だという老人と面会しました。彼女は自らをバーバヤガと名乗りました」


ふと、私の脳内をひとつの情景がよぎる。
四方の壁に呪術的なお面や布が所狭しと飾られた狭い部屋、中央に置かれた布団に横たわる青年。そしてその傍らには、子供のように小柄な老婆が座している。黒いフードを目深に被り、怪しげな首飾りをいくつも首から提げている。占い師のような風貌だ。フードに隠された老婆の顔はよく判別できず、皺だらけの口元だけが見える。蝋燭の薄明かりが二人を照らした。
「アンタの背中にある漢字の痣、見せてもらったよ。面白いものを持ってるじゃないか」
老婆はおもむろに話を切り出した。カタクラ先生は目を見開いて老婆に詰め寄る。
「この痣について何か知っているのか。話せ」
「ファーファーファー、どうだろうね。ただ、その痣がアンタをひどく苦しめてるってことは分かる。うちの村に来たのも、元はといえばそれが原因だろう?」
奇妙な笑い声を立てて老婆は口元を歪める。

「いいことを教えてあげよう。その痣が果たすべき役割は、もうずっと前に終わっている。それこそお前さんがこの世界に生まれる前からね。……その痣は古傷みたいなもんさ。アンタのやってることは、古傷を無理やり抉っているのと同じ。あんなに苦労して断ち切った運命を、どうしてまた無理やり繋ぎ合わせようとするんだい?そりゃあ単なる偶然の積み重ねも『呪い』と呼びたくなるだろう」
まるで謎掛けのような言葉だ。青年は低く呻いた。
「……何が言いたい」
「インストラクションだよ」
「インストラクション?」
「そうさね。物事は捉え方次第でいくらでも変わるってことを覚えておきな。アンタにとってその痣は、本当に『呪い』なのかい?」
青年は答えられなかった。当たり前だ、と言おうとした声が、喉の奥で引っかかって出てこない。ファーファーファー。老婆は愉快そうに笑う。
「まずアンタは、その痣の呼び名を考え直さなくちゃならないね。『呪い』じゃあまりにナンセンスだよ。……まあ、どう変えて、どう変わるかはアンタ次第だ」
「…………」
精々頑張りな、と老婆は言った。あの奇妙な笑い声が反響する。青年は自分の掌をじっと見つめる。背中の痣は、消えない。


――そして、私の思考は再び研究室へと戻ってきた。薄明かりに照らされた青年の顔と、目の前にいるカタクラ先生の顔が重なる。
「どうしました」
「あ、いえ、大丈夫です。……そのあと、また大学へ入り直したんですよね?」
「はい。痣の謎は解けず仕舞いでしたが……もう一度最初から研究をやり直そうと思いました。あの老人が言ったように、もしかしたらこの痣は『呪い』ではないのかもしれない。それを確かめたかったんです」
研究の足跡は、彼がこれまでに書いた論文や報告書の量が物語っている。彼の提唱する「ニンジャによる世界更新仮説」――すなわち、かつてニンジャが存在する世界があり、ニンジャによる何らかの働きかけによって現在の形に世界が書き換えられたとする説は、謎の説得力で学会に衝撃を与えた。
彼の研究は、かつての世界の断片を掻き集めるかのようだった。世界中に散らばるニンジャの痕跡にひとつひとつ意味を与え、存在したかもしれないニンジャ世界を描き出す。私にはそれが『呪い』を憎み消し去ろうとしてではなく、もっともっと切実な願いによるものだと思えた。
「先生にとってその痣は、もう『呪い』ではなくなったんですか?」
すると彼はひとつ瞬きをして、それから、笑った。

「捉え方を、変えました。これは『呪い』ではなく――何か大切なことを忘れないための『形見』だと。そう思うようになりました。随分と長い時間をかけてしまいましたが」

こともなげに彼は言う。清々しい顔をしていた。
形見。その二文字にどれだけの意味を込めたのだろう。誰の形見なのか。亡くなった両親?自分自身の過去?かつての世界にいたニンジャ達?それとも――?訊いてみたかった。何のために『呪い』を『形見』に変えたのか。誰を想って変えたのか。だけどこれだけは訊いてはいけないのだ。彼だけが知っていればいい。私の役目はただ、彼の出した結論を――『形見』という言葉の美しさを伝えること。

「カタクラ先生」
「はい」
「やっぱり私、かっこいいと思います、その痣。かっこよくて、きれいだわ」
紛れもない本心だった。そして、目を細めて「ありがとうございます」と微笑む彼は美しかった。





「何それ、呪われそう」

翌日、猛烈な勢いでパソコンに文字を打ち込む私の横で、エーリアスが引き気味に言った。彼女の目線の先には、ペーパーウェイト代わりに使っているヘンテコな置物。
「ああこれね、もらったのよ、フジオ・カタクラ先生に。チベットに行った時のお土産なんですって」
「あー?……あー!インタビュー昨日だったのか!どうだった?」
自分が提供したネタを今の今まで忘れていたらしい。とぼけた顔で驚くエーリアスに、私はニヤリと笑ってみせた。
「ふふふふふ。おかげさまで良い記事が書けそうよ。ありがとね」
「そっかあ〜紹介した甲斐があったってもんだぜ!」
「お礼に、今日は私のおごりでランチしましょ。あなたの好きなところでいいわ」
エーリアスは歓声を上げて、「どこがいいかなあ」と涎を垂らさんばかりに口元を緩める。本当はランチだけじゃなく、もっともっとお礼をしたい気分だ。そのくらい今回のインタビューはよかった。テーマは「呪い」と「形見」。記事が完成すればこれまでの最高傑作間違いなしだ。私の心はいつになく弾んでいた。





携帯端末によく見知った知人からの着信が入ったのは、あの記事が掲載された雑誌が発売されて間もない頃だった。
「もしもし……ああ、フジキドさん?久しぶり。読んでくれたのね」
彼は何年か前に仕事の関係で知り合ったサラリーマンだ。出版業界とは直接の関わりはないのだが、私は彼の実直な性格を気に入っていて、よく仕事の合間に会ったりしている。私が担当した雑誌が出ると、彼は毎回必ず自分で購入して、記事を読んだという報告を電話でしてくれるのだ。わざわざ買わなくてもこちらから送ってあげるのに、と申し出ても「一読者としてお金を出させてくれ」と逆に頼み込まれる始末だ。本当に律儀な人。

「うん、そうそう……今回はちょっとテイストが違うでしょ?あの取材、結構私も楽しんで――え? あの先生の連絡先?」
簡単な感想のやり取りで終わると思いきや、とんでもない。いつもは言葉少なに感想を伝えて電話を切る彼が、今日はやけに焦っている様子だった。受話器越しからでも切迫した感じが伝わってきて、思わず私も自分の心臓の鼓動を確かめてしまう。

彼は、あの記事で取り上げたカタクラ先生に会う方法はないか、と私に尋ねてきたのだった。あの、彼が!
「そりゃあ知ってるけど……大学に問い合わせるにしたって、いきなりはまずいでしょう。……いや、あのね、ちゃんと会わせてあげるから少し落ち着いて。どうして急にそんなことを思い立ったわけ?」
とてもとても珍しいことだった。彼とはもう数年来の付き合いになるが、記事の内容に関して一言二言自分の意見を述べたり、「興味深い」と賞賛することはあっても、自分からそのインタビューの相手に会ってみたいなどと言い出すことは初めてだった。まあ確かに、今回はニンジャの研究者という異色の題材ではあったけれど……そこまで彼の心の琴線に触れるような内容だったのだろうか?
私の問いに、彼はひと時沈黙した。そして言った。

何故と訊かれても分からない。ただ、どうしても、会わなくてはならないと……心の奥で、何かが叫んでいるのだ。

そんな感じのことを言っていた気がする。私は、受話器越しに聞こえる彼の声がひどく切実な響きであったことに驚き、彼がそこまで何かに心を引きずられている事実に驚き、「心が叫ぶ」なんていうポエットな表現を彼が使うことに驚き、とにかく驚きすぎてよく覚えていない。ジャーナリストがその程度で動揺するなんてと言われたらぐうの音も出ないけれど、今日だけは許してほしい。
だって仕方ないでしょう。思い出してしまったんだから。

(捉え方を、変えました)
あの日、古文書や何やらがうず高く積み上げられた研究室で、あの人が言った言葉。その声。その響き。
(これは『呪い』ではなく――何か大切なことを忘れないための『形見』だと)

私は彼の声が、あの人と重なって聞こえたような気がした。似ていたのだ。思い出したいのに思い出せない、だけど追い求めずにはいられない――あまりに切実な願いのコトダマ。
すまない、頼む、お願いしたい……と壊れた機械のように何度も繰り返している彼に向け、私は言う。
「大丈夫、大丈夫よ、フジキドさん。私に任せて」
無意識のうちに、私の唇から笑みがこぼれていた。理由も何もないけれど、何故か私には、あの気難しそうな教授が彼と同じ思いでいるのではないかと思えた。わけもわからず祝福したい気持ちで満たされる。
あの記事を書いてよかったと、今、心の底から思った。



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2015/08/30


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