輪廻の果てまで追いかけて


※転生ネタ。狡噛さんが槙島さんをひたすらおっかける話
※ちょいグロ描写あり



西暦22××年2月11日。男は4度目の転生を果たし、悪夢のような記憶を取り戻していた。この世界に生まれ直してから28年目のその日、すべての記憶が男のもとへと戻る。あらかじめインプットされたシステムが作動するかのように。
「……また、か」
諦めにも似た呻き声を上げる。4度目ともなるともはや動揺や感傷はない。再び絶望を味わうためだけの人生の始まりに辟易しているのだ。
28歳を迎える年の2月11日――自分の誕生日でも命日でもない。それは記憶にある最初の人生で、ある一人の男を殺した日であった。友の復讐のためにただひたすらその影を追い、社会から切り捨てられながらも己の意地を突き通した。殺さなくてはならない、存在してはならない、殺してやる、殺してやる、他の誰でもない俺が、お前を。加速してゆく殺意が止まることはなく、最後はその男の頭を撃ち抜いた。人を殺したのは後にも先にもその一度きりだ。


記憶は転生を繰り返すたびに少しずつ曖昧になっていくようだった。
1度目は、フランスの金融家だった。鮮明な記憶に従って日本へ渡り、旧知の友やかつての上司との接触を試みたが叶わなかった。最初の人生が閉じてから既に十数年の歳月と、記憶を取り戻すまでの28年が経過していたのだ。生前見知っていた者達は既にこの世を去っていた。彼等は皆、義体を使った人工的な延命を望まない者ばかりだった。

それでもなんとか記憶の痕跡を辿ろうとしたが全ては徒労に終わった。強固な鎖国政策を取っていた当時の日本は、外部の人間による干渉をひどく嫌っていた。かつて公安局が関わった事件については厳重な管理体制が敷かれており、外国人の身分である男が入り込む隙は一切なかった。自分が執行官であった記憶は確かにあるのに、その事実を確かめることがどうしてもできない。もどかしさと失意ばかりが深く根を下ろした。


2度目は、運良く日本国内に生まれ落ちた。だが性別が変わっていた。28年目の2月11日までは、シビュラ社会の善良な構成員として、システムによって選ばれた理想的な夫と共に幸福な家庭を築いていたようだった。記憶が戻る直前、ちょうど部屋の模様替えのためにホロを操作していたことを覚えている。夫は壁の色を変えたいと言っていたから、その要望に合わせてあげようと――そんなつまらない日常を当たり前のように過ごしていた。記憶を取り戻してからは、あの時の幸福な感覚も忘れてしまった。最初の人生で経験したあの記憶に全てが上書きされたのだ。人殺しの業はそう簡単に消え去るものではない。

平穏な生活を放棄して、ただ一人を探し求めた。天使のように美しく、悪魔のように醜悪で、神のように残酷なあの男を。しかし、たとえ国内の生まれだったとしても、シビュラシステムの中では一般市民に与えられる権力など無に等しい。一度目の時と同じく、あの男についてはろくな手がかりも得られなかった。最後の賭けとしてノナタワーに侵入したが、強烈な既視感に襲われるだけでそれ以上の記憶は思い出せなかった。しかし、最上階に吹き付ける風の冷たさだけは鮮明だった。
結局最後はドミネーターによる執行を受けて終わった。記憶を取り戻したあの時、サイマティックスキャンが読み取った彼――この時は「彼女」だが――の色相は一瞬にして潜在犯レベルまで濁ったらしい。転生によって性別や生まれた環境がどれだけ異なろうと、自分の本質は何一つ変わっていなかったのだ。


3度目は、中東地域の貧しい労働者だった。28歳で記憶を取り戻しても、それが自らの前世だとは到底信じられず、はじめは白昼夢の一種だと思い込んでいた。執行官だった記憶は更に薄れて、細部に至ってはもう何も思い出せなかった。日本へ行かなくてはならないという漠然とした使命感は残っていたが、その目的は意識の外に追いやられていた。転生を繰り返す中で、みるみるうちに記憶は擦り切れていく。幾度となくやって来る2月11日を無感動に眺める。激しい肉体労働に駆り出されながら、生まれ変わる意味を問い続けた。答えは未だ出ない。
日本から遠く離れた異国の地で、広大な麦畑を目の前に、男はわけもわからず涙を流した。夕陽に照らされて黄金色に輝く麦はただ美しかった。


そうして4度目を迎えた。これまでとは違って、前の命が終わってから新しく生まれ直す間の空白がやけに長かった。正確な年月は覚えていないが、3度目の人生が閉ざされてから少なくとも二十数年の歳月が流れていた。
その間に世界の状況は驚くほど激変していた。特筆すべきは、日本において長らく絶対的な支配力をもっていたシビュラシステムが崩壊したことだ。もとから抜け穴の多いシステムではあったが、とうとう内側から崩れてしまったのだ。海外からの難民が大量に流入し、サイマティックスキャンは意味を成さなくなった。ドミネーターはただの鉄屑と化した。社会基盤が大きく崩れたことで日本国内は混乱を極めた。
シビュラの恩恵を失った人々の生活は、シビュラシステム確立以前の原初的なそれへと戻りつつあった。犯罪係数の計測によって瞬時に善悪の判断が成される時代が終わり、証拠を掻き集めて犯人を追い詰める泥臭い時代へと舞い戻った。誰もが自分で自分の進む道を選ばなくてはならない。かつては机上の空論にすぎなかった夢物語が現実のものとなったのだ。

しかしそれで男の心が晴れるわけではなかった。社会の変化に僅かな希望を見出せたのはほんの最初だけだ。どれだけ探しても手がかりは見つからず、ビルの隙間から覗く青空に目を細めるしかなかった。
何のために転生前の記憶を取り戻すのか。何度生まれ変わっても願いを果たせず死んでいくだけの命に意味はあるのか。一人の命を手にかけた時から、この魂はすでに輪廻の輪から大きく外れている。だが、繰り返し続けているのは本当に自分だけなのか。

「……どこにいるんだ」

積み重なる問いの中で、ただ一つ確かなこと。それは成さなければならない再会。呼ぶ名すら忘れてしまったあの美しい金色の瞳に、もう一度出会わなければならなかった。なぜそう思うのかは彼自身にも分からない。それでも男は確信していた。



まるで男の心を映し出すかのように、空は暗く淀んでいる。ぽつぽつと零れ落ちる雨粒が、眼下に広がる川の水面を揺らした。男は橋の欄干から体を離して歩き始めた。全身びしょ濡れになる前に帰路を急ぐが、しかし、橋を渡り終えたすぐ先の交差点で足を止めざるを得なかった。青信号だというのにトラックが横断歩道の前で立ち往生している。後続の車は億劫そうにトラックを避けて走り抜けていく。妙な胸騒ぎを覚えて男は自然と足を速めた。
トラックの前を通って横断歩道に辿り着いた時、今しがたここで起こったことのすべてを理解した。トラックのタイヤの下に赤い血の海が広がっていたのだ。灰色の雨と鮮やかな赤が混じり合って不気味な濁りを生んでいる。死体の首から上はタイヤの下敷きになって原型を留めていなかった。頭部だけが見事に轢き潰され、それ以外は思ったよりも綺麗な状態で残っていた。身に付けている服装でその死体の主が若い女であることが分かる。

視線を上に向ければ、トラックの運転席に男の姿を見とめた。何が起こっているのか理解できていないのだろう、放心状態のままハンドルを握り続けていた。その反応も無理はない。シビュラの加護を失ったとはいえ、オートメーション化が徹底されたこの国における道路の安全管理体制は未だ世界第一の水準にある。この時代に交通事故が起こる確率は、街の只中に隕石が落ちてくるのと同等だった。しかし数百万の一とはいえ可能性は存在する。今回は不運にも、その途方もない確率のひとつを拾い上げてしまった――それだけの話だ。

男を驚愕させたのは事故現場の凄惨さではない。誰一人として助けを呼ばない群衆の薄情さでもない。ただひとつ、潰れたトマトのような死体の前に立ちすくむ小さな影に、目を奪われていた。
「ママ、」
小さな影は小さな声でつぶやく。肉の塊がかつて生きた人間だった頃の呼び名を。か細く、今にも消え入りそうな声だった。
「ねえ、ママ、あたまいたくない?」
この光景を前にしてなお母親の心配をするのは、自分が置かれている状況を把握しきれていないのか、死という概念を知らずにいるのか。年の頃は4〜5歳、身に纏う白いパーカーは、死体から飛び散った血液をもろに浴びて真っ赤に染まっていた。その赤の中には少量ではない肉片も混じっている。コンクリートに叩きつける雨が臓物の臭いを掻き消してくれるのが唯一の救いだった。

襟足まで伸びた銀色の髪が雨に濡れる。まばたきもせず死体をじっと見つめるその眼は、3度目の最期に見た麦畑の色をしていた。頭を潰されたこの子の母親は果たして同じ色をもっていたのだろうか。
風になびく金と銀、この色のコントラストを自分は確かに知っている。3度目の人生だけではない。そう、終わりにして始まりの日、あの燃えるような茜色の空で追い求めた色だ。

「――やっと、見つけた」

男は全てを思い出した。薄れかけていた記憶が急激にはっきりとした輪郭を取り戻す。その色を。その眼を。その声を。
この子供こそ自分が何度も転生を繰り返す理由。探さねばならない、出会わなければならない、たった一人。輪廻の果てに見つけたもう一つの魂だ。かつての青年は今、幼い子供の姿を取っているが、間違いない。……槙島聖護。ようやくまた会えた。
お前でなくてはだめだった。代わりなどいるはずがなかった。今日この日のために3度の人生を振り切ってきたのだ。

「……痛くないか」
少年の前にしゃがみこんで、その視界から死体を切り取った。しかし子供は男の体をすり抜けて母親の元へ向かおうとする。
「わからないよ。だってママ、へんじしてくれないから」
「違う。お前のほうだ」
「え?」
「お前は、痛くないのか」

その問いかけに、少年は初めて男と視線を合わせた。大きく見開かれた目が、男の真意を汲み取れずに瞬きを繰り返す。そうしてやっと、少年は自分が膝を擦りむいていることに気がついたようだった。全身に返り血がべっとりと付いているせいで見た目では分からない。しかし男は少年の些細な擦り傷をも見逃さなかった。母親が我が子を助けるために付けた傷だ。
返り血に触れることも厭わず、男は少年の膝に手を当てた。命懸けの傷をいたわるように。降りしきる雨が血を洗い流していく。

「……いたい、よ」
うつむいたままで声を上げる。か細く弱く、しかし確かに生きている人間の言葉で。
「いたいよお……!」
顔をくしゃくしゃにしながら小さな子供は泣いた。膝に残る痛みと、肉親を目の前で失った悲しみと、――そして、やっと見つけてもらえた喜びに泣いた。遠い遠い記憶、かつて殺し殺される宿命にあった日のことはきっと覚えていないだろう。魂の奥底に刻まれた僅かな記憶が涙を流させているにすぎないのだ。それでも構わない。離れさえしなければいい。

少年の小さな体を優しく抱きしめてやりながら、男は恐ろしいほどの速さで計算をしていた。この先に自分が取るべき行動を数千のパターンでシミュレートする。百年近い歳月をただ徒に過ごしていたわけではないのだ。どんな手段を使ってでも離れるものか。しかしできる限り穏やかな方法を取れるならそれに越したことはない――まずは、合法的にこの少年をそばに置ける道を探さなくては。
泣きじゃくる子供の体温に自然と笑みが溢れる。幾度となく繰り返されてきた命の中で、男はこれ以上ないほど満たされていた。

元は殺意と復讐心から始まったはずの長い旅路は、気の遠くなるような歳月を経て、いつしか全く別の何かへと変質していた。深い愛情すら伴うそれを男はとても大切に掻き抱く。憎悪と絶望の内から湧き上がってきたのは、紛れもなく歓喜だった。





2014/09/29


[ index > home > menu ]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -