神の絵を描く男


※謎設定パラレル
※槙島出てこないけど狡→→→槙で狡噛さんと朱ちゃんが話してるだけ



とてもよく晴れた日だった。こんな晴天の下で気の進まない任務をこなさなくてはいけないなんて、とんだ厄日だと思う。
雑草の生い茂る中を踏み越えていく。かつては人々が通っていただろうその小道は、今や道としての役目を果たしていない。腰まで届く雑草の先端が容赦なく脚に突き刺さってきて、痛みと痒みが交互に襲ってくる。こんなことならスカートはやめるべきだったと一抹の後悔が頭をよぎった。
だけどこれでもまだましな方なんだろう。雑草の道は、既に誰かが踏みしめた痕跡があった。人ひとりが通れるくらいの幅だ。何者かがこの道を日常的に行き来していることは明白だった。
道を突き進んでいくと、不意に目の前の景色が開けた。さわさわと風の吹く音が耳をかすめる。
廃墟となった教会――ここが、私の目指していた場所だった。


その人は、無心に絵を描いていた。私が教会の中に入り込んだことに気付いているのかどうかも怪しい。ところどころ抜け落ちている床を避けながら、少しずつその人に近付いていく。一歩、二歩。なおもその人は振り返らない。
広い背中だ、と思った。本業は画家だが、普段は傭兵として各地を転々としている――と、渡された資料には記されていた。鍛えあげられた逞しい背中を見て、芸術家であることを見抜ける人はそういないだろう。だけど今回、私がここを訪れたのは、画家としての彼に用があるからだ。
すうっと息を吸い込んで、声と共に吐き出す。

「……あなたが、コウガミシンヤですね」

絵筆を持つ右手が止まった。そしてゆっくりと彼が後ろを振り向く。目が、合った。
短い黒髪、点々と絵の具が飛び散った白いシャツ、よれた黒いズボン。身なりに気を遣っていないのか、全体的に埃っぽくて薄汚れていた。しかし、そんな格好にも関わらず、貧相な印象は全くなかった。背筋がぴんと伸びていて姿勢がいいからだろうか。体格のよさもあるかもしれない。でも一番の理由は、突き刺さるような眼光の鋭さだと思う。

彼は億劫そうに眉を顰め、低い声で呟いた。
「シビュラの回し者が俺に何の用だ」
私からは何一つ自己紹介もしていないのに、一瞬で素性を見抜かれてどきりとした。どうしてそれを、と問おうとするより先に、彼は私の言葉を奪う。
「……その高級そうな革靴は、ここらの村じゃ到底手に入らない。城壁に守られた都市の中でしか拝めない代物だ。その歳でそんな靴を履けるってことは、あんたは余程シビュラに愛されているらしい」
思った以上に饒舌だった。そして否定しようがなかった。この人には隠し事も誤魔化しも一切通用しないのだ。私は早々に観念して、自分の目的を素直に告げることを決めた。

「そこまで見抜かれているなら、説明は不要ですね。――私はツネモリアカネ。シビュラの命により、あなたの絵を回収しに来ました」



この国は、シビュラの預言によって動いている。

古い言い伝えによれば、今から約千年前――シビュラという名の女が、一冊の書物をこの国の王に献上した。いわゆる「シビュラの預言書」と呼ばれるものだ。そこには、これからの国の未来が余すことなく記されていた。起こりうる全ての出来事を、幸と不幸の区別なく。
はじめは誰もが相手にしなかったという。それも当たり前だろう、シビュラは元々ただの機織り女だったからだ。「私は神の言葉を受け取った」というシビュラの訴えに人々は耳を貸さず、それどころか巫女を騙る不届き者としてシビュラを断罪し、惨たらしく殺した。誰もが自分たちは正しいことをしたのだと信じて疑わなかった。
しかし、預言書に記された出来事がことごとく現実になっていくにつれ、人々はその預言を信じざるをえなくなっていった。シビュラはまさしく神託の巫女だったのだ、と。

それから二千年の時が経った現在、この国はシビュラの預言なくしては成り立たなくなっている。かつて国を治めていた王家は断絶し、今はシビュラ教団が預言書を管理すると共に、預言の力で国を統治している。この国自体が一個の巨大な宗教のようなものだ。
預言書は1年ごとに古いページが消え、新たな預言が出現するのだという。人々はそこに記された預言に従って生きるようになった。生まれる場所も、与えられる仕事も、生涯の配偶者も、全てはシビュラの預言によるものだ。預言よって示された道をただまっすぐに歩むことが全て。そうすることで、人々は安寧を手に入れた。――少なくとも、今までの千年間は。



「あなたは、各地を転々としながら絵を描いた。ある時は宿代の代わりとして、ある時は道端に打ち捨てて……。あなたの絵を――その絵に描かれた人物を見た者は、誰もが魅了され、虜になった。
そして、いつからかその絵は『神の写し絵』として持て囃されるようになりました。この美しい青年こそが、我等の神なのだと」
私が話している間にも、彼は筆を動かし続ける。彼が左手に持つパレットには、白と黒の顔料しかない。たった二色のコントラストで、ここまで精緻な絵が描けるものなのかと驚嘆する。
身の丈ほどもある大きなキャンバスには、一人の青年の姿が描かれていた。背景は冥冥たる黒。その只中に浮かび上がる白。絵の中の青年は、髪も肌も、その身に纏う衣服も、すべてが白かった。

「一種の偶像崇拝なんでしょうね。あなたの絵に魅了された人々は、次第にシビュラの預言に従わなくなりました。預言よりも、その絵に真実を見出そうとしたんです。預言の支配から抜け出そうと、反旗を翻す人達まで現れました。今はまだ小規模な暴動に留まっていますが、教団としてはそれを見逃すことはできません。どんなに些細な反抗でも、シビュラの預言を脅かす危険因子は排除しなくてはならない。
コウガミさん。あなたの知らないところで、あなたの絵は独り歩きを始めています。……知っていましたか?」
「それは初耳だな。全く身に覚えがない」
それまで背景の暗闇を幾重にも塗り重ねていた彼は、急に細筆へと持ち換え、白の顔料で人物の指先を描き始めた。
「あなたは、描き上げた後の絵にはまったく執着がないみたいですね。その絵を手にした人がどうなったかなんて興味がないんでしょう?」
「全くだ。あんた、よく分かってるじゃないか」
細筆で薬指の先端を書き込む。彼は自嘲気味にわらう。絵を描いている間、彼がこちらを振り向くことはなかったから、どのような表情をしているのかは見えない。私は声だけで彼の心情を汲み取ろうと努力したが、彼の抱えているものが憎しみなのか愛しさなのかの判別すらつかなかった。

「人々がそれを神だと認識する限り、あなたの描く絵はこの国にとって大きな損失と成り得ます。私達の『神』はシビュラの預言の中以外に存在してはいけないんです」
だから教団は、この人の絵を脅威と判定した。たった一人の放浪者が戯れに描いた絵が、閉じた世界にゆらぎをもたらすことを恐れた。この絵の出現は預言にも記されていないという。預言から外れた存在は排除しなくてはならない。それがこの国のやり方だ。
「他の奴らには、こいつが神に見えてるのか」
「祭壇に祀って崇拝する程度には、そうなんでしょう」
「あんたも同じか」
「同じって?」
「この絵が神に見えるかどうかだ」
「さあ…………ただ、きれいすぎて、ちょっと怖いとは思いますけど」
少し考えてから、そう答えた。確かにぞっとするほど美しいと思う。襟足まで伸びた銀の髪、透き通るような白磁の肌と、しなやかさのある均整のとれた手足。見れば見るほど完璧な造形だ。うすく微笑む表情は謎めいていて、長く見つめているとこちらの心の内まで見透かされてしまいそうだった。
製作途中の時点でさえここまで圧倒されてしまうのだ、人々がこの絵の青年を神や天使だと見紛うのも無理はないだろう。シビュラの預言には神の容姿など記されてはいないけれど、これが神の似姿と言われれば信じてしまうかもしれない。

「コウガミさんは、違うんですか」
思わず尋ねていた。民衆や私の目とは違うものを捉えているであろう彼の目に、興味を抱かずにはいられなかった。彼の目には何が映っているのかを確かめたい。
「これが神の絵じゃないなら何だって言うんですか?天使や悪魔の類だとでも?」
「いいや。俺は神を描いたことなんて一度もない。こいつは紛れもなく人間だよ」
私は呆気にとられて彼の背中を見つめた。人間?これが?
「……この絵のような、こんなに綺麗な人が、実在するとは思えません」
率直な意見を述べると、彼の背中が軽く震えた。たぶん笑ったのだろう。先ほどの自嘲的なそれとは性質が異なっている。いたずらが見つかった子供のような無邪気さすらあった。急にこの人が身近な存在に感じられて、私は戸惑ってしまった。
「実を言うと、俺もこいつの実物を見たことはない。生きてるのかどうかも怪しい。……だがな、覚えてるんだ。生まれた時からこいつの姿が頭にこびりついて離れずにいる。俺はただ、記憶の奥底にいる奴の姿を写し取っているだけだ」
「それって……」
それって妄想と何が違うんですか?とは流石に言えず、曖昧に言葉を濁す。魂の記憶だとか、生まれる前に出会っているだとか、そういう妄想は狂人にありがちな思考パターンではあるけれど、彼があまりにも自然に言うのでつい信じてしまいそうになる。少なくとも私には彼が嘘を言っているようには思えなかった。何より彼の描く絵がその主張の真実性を支えている。何の手がかりもなしにゼロからこんな絵を描けるはずがない。彼が彼自身の妄想だけで創り出したというにはあまりにも美しすぎた。記憶の隅に残る姿を何度も何度も再生して、ありのままの美しさを描き起こそうとする執念深さが、この絵を生み出したのだろう。

「こいつの顔を忘れないために、俺は絵を描き続ける。もしあんたが俺の邪魔をするって言うなら、」
「邪魔なんて、できませんよ」
だって相手は彼の記憶の中にしかいないのだ。触れることも、声を聞くこともできない。私はただ、彼の描く絵を通してその姿を知るだけ。いくら教団が彼の絵を規制しようとしても、絵を描くという行為は彼にとって確認の手段にすぎず、彼が絵の中の青年を追い求めることは誰にも止められない。
私は脳内のタイプライターで、教団へ提出する報告書の文面を打ち始めた。どうやって彼を見逃そうかということばかり考える。“コウガミシンヤの描く絵は、我等には神のごとく映り、畏怖の念を抱かせるが、彼自身にとっては一人の美しい人間にすぎない”――たったそれだけの事実を伝えることが、こんなにも面倒だとは。

彼は再び筆を取り、白の顔料をキャンバスに走らせた。髪の毛一本一本を細部まで丹念に描いていく。彼の瞼の裏にはきっと、完璧な美しさを誇る青年の姿が色褪せずに焼き付いているのだ。
無心に筆を動かす彼の背中は、確かに恋をしていた。





2014/09/29


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