愛玩のすゝめ


朝からの曇天は、午後になって小雨を降らせた。
ぱらぱらと空から落ちてくる雨の粒は、傘を差さずに歩くには少し煩わしい。

右手に通学用の鞄、左手にビニール傘を持って、私はマンションへの帰り道を歩いていた。
大学の午後の授業が休講になったはいいが、自主勉強をしようにも今日に限って図書館は蔵書整理で休館、カフェテリアは騒がしくて集中できず、結局家に帰ることにしたのだ。
雨が降り出してきたのはバスに乗ってから。天気予報の降水確率20%を甘く見たのが間違いだった。おかげでわざわざコンビニで傘を買わなくてはならなくなった。無駄な出費だ。

マンションの近くにはゴミ捨て場がある。
新年度が始まって新しく入居してきた学生はとにかくマナーが悪く、分別がきちんとなっていない上に曜日を無視して不燃ゴミを捨てたりする。私はそれを見付ける度に正しく処理してやっているのだが、いつまでたっても改善されない。
そして今日もまた、夕方のうちから明日のゴミを捨てて――

「……え?」

私は素っ頓狂な声を上げてゴミ捨て場を凝視した。
古いテレビやら雑誌やらが打ち捨てられたゴミの山の上に、人が倒れている。
幻覚かと思って何度も瞬きをしたが見間違いではない。人間だ。そしておそらくは成人男性。
そろそろと近付いて様子を見る。微かに上下する肩は、それが生きた人間であることを証明している。
顔は雨に濡れた髪が張り付いてよく見えない。それでも彼が相当に見目が良い人物であることは分かった。蜂蜜色の髪は綺麗に乾かしたらそれはもう柔らかいのだろう。
身につけている服は泥で汚れているもののくたびれた感じはなく、どうやら行き倒れらしい。

本来なら、声をかけるなり人を呼ぶなりして対処するべきだ。もしかしたら彼は重い病気を患っていて、その発作に襲われてここに倒れているのかもしれないわけで。
しかし私の本能は、この人物と関わってはならないと告げていた。嫌な予感が胸をざわつかせる。

一歩、二歩、私は徐々に足を横に滑らせ、そのままゴミ捨て場から視線を逸らした。
見なかったことにしよう。この時間ならきっと他の誰かが見つけてくれるはずだ。何も自ら厄介事に首を突っ込む必要はない。
自分に言い聞かせながらコンクリートの地面を蹴って歩く。
黒い雲は分厚さを増し、雨足が強くなっていた。ビニール傘に叩き付ける雨粒の音が不快だ。

「……、」

もう目の前はマンションだ。屋内に入ってしまえば煩わしい雨からやっと解放される。私は何も見なかった。普通に学校へ行って普通に帰ってくるだけの一日、それでいい。

足を止めて、ビニール傘越しに曇天を見上げた。
この調子だと、時間が経てば経つほど雨は強くなっていくばかりだろう。部屋に戻ったら雨戸を閉めなければ、とぼんやり考える。
ゴミ捨て場の彼はいつ目を覚ますのか。もし夜まであのままだったら?誰にも見つからず、冷たい雨に打たれ続けることになったら?

「――後味が悪いなんて話じゃないでしょう!」

小さく叫んで、私は勢いよく振り返った。そして小走りで来た道を駆け戻っていく。途中で水溜まりに足を突っ込んでしまったがこの際気にしない。
目指すは先程のゴミ捨て場。目的はもちろん、行き倒れた彼を引き上げるために。

結局、また厄介事を抱え込む羽目になりそうだ。


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