まぶしすぎるきみがすきだ


【前提】本編から数年後、リヒトは海外のクラブチームで、佐治はJリーガーとして活躍中



からりとした秋空と、広い広い緑のグラウンドに響く掛け声。練習に励むチームメイトを率いるのは、今年から主将となった佐治雪哉だ。Jリーグの中でも強豪と呼ばれるこのチームにおいて、彼は最年少キャプテンとして君臨している。プロ入りしてもなお、彼の雷帝たる能力は躍進を続けていた。
秋とはいえ、とてつもない運動量の前では涼しい風も意味を成さない。佐治は全身汗だくになりながらも走り込みをやめなかった。

「オラそこ、勝手にさぼってんじゃねえ――」

動きが鈍り始めたチームメイトを叱責しようと大声を上げたその瞬間。ざわり、とコート内の空気が変わった気がした。静電気の膜が辺りに張り巡らされたようにも思える。その感覚に、佐治は咄嗟に驚きと懐かしさを覚えた。ぴりぴりとした空気が肌を刺す。その空気の変化を他のチームメイトたちも感じ取ったのか、皆きょろきょろと周囲を見回した。この空気を作り出したのはチームメイトではない、コーチでもない、ならば一体誰が……?皆が困惑する中で、佐治だけが強い確信を抱いていた。
忘れもしない鋭い眼差し、むせ返るほどの熱気、眩しすぎたあの日差し。高3の夏の日をありありと思い出す。これは。この空気は。

コートの選手出入り口に視線を集中させた。刹那、息を呑む。声にならない叫びが全身を駆け巡り、背筋に震えが走る。
驚きと喜びと憧れがないまぜになった表情で、佐治はそこに立つ人物目掛けて突進した。

「おい、リヒトォ!」





「練習続けてくれてよかったのに。オレ、見学しに来ただけっスよ」

吏人は選手用のベンチに腰掛けて、少しだけ不満そうに唇を尖らせた。その横顔を佐治は視線だけを寄越してちらりと見やる。
以前会った時よりも短くなった赤みがかった髪、健康的に日焼けした肌、顔立ちも幼さが抜けてすっかり精悍になった。ぱりっと糊のきいているシャツに包まれた背中は、熱すぎる本人の性格とは裏腹にやたらと爽やかだった。シャツの水色ストライプ模様が憎らしいほどに似合っているし、シャツ越しにも無駄のない引き締まった筋肉が見て取れて、佐治はなんだか負けた気分を味わう羽目になった。

しばらく見ない間に身長が随分と伸びたようだ。思えば、佐治は吏人と一年しか関わっておらず、その間はまだ成長期の真っ最中だったのだ。高校時代はまだ佐治の方が高いはずだったが、成長期を終えた吏人はまるで向日葵のごとく真っ直ぐに伸び、こうして並んでみると僅かに佐治が見上げる形になった。態度だけじゃなく図体まででかくなりやがって!と愚痴を零さずにはいられなかったが、さすがに大人気ないと思い留まる。

「まーまー、そう言うなって。たまには合法的にサボらせろ」
「サボりってアンタ……」
吏人は呆れ気味に溜息をついたが、彼は佐治が怠けることを目的として隣にいるわけではないことを知っている。かつてのチームメイトとの再会に、両者とも少なからず心を躍らせているのだ。
「にしても久しぶりだな。2年ぶりくらいか?……つっても、お前の活躍はニュースでしょっちゅう見てっから、あんま長い感じしねーわ」

佐治がJリーグで国内有数の選手として活躍する裏で、吏人はあっさりと日本を飛び出してしまった。海外のクラブチームで“新進気鋭のジャパニーズルーキー”と呼ばれて縦横無尽に飛び回っているという話だ。サッカー雑誌やテレビ番組で特集が組まれることも多々あり、天才だなんだと騒がれている。国内に留まり続ける自分とは大違いだ、と佐治は肩を竦めた。その佐治の表情に吏人は僅かに眉根を寄せたが、言及することはなかった。

「オレも佐治さんの情報はチェックしてますよ。去年は最優秀選手賞もらったんスよね」
「海外の強豪と渡り合ってるお前に言われてもなあ……嫌味にしか聞こえねーぞ」
「は?嫌味?オレが嫌味で褒めてると思ったんスか?そんな考え2秒で切り返してください」
「出た、いつもの口癖!久しぶりに聞いたわそれ」
「はぐらさないでくださいよ」

眉間の皺を深く刻んで、吏人はぐっと佐治に顔を近づけた。逃げを許さないその強い瞳が佐治を映す。佐治はこの真っ直ぐすぎる目に見つめられるのが苦手だった。何もかも見透かされてしまいそうで気圧されてしまう。
「んだよ、文句あっか」
強がって睨み返したところで、吏人は1ミリたりとも動じない。
「大ありですよ。佐治さん、まさかオレに引け目を感じてるわけじゃ、」
「感じねーわけねーだろ」
遮るようにして吐き捨てられた言葉に、吏人ははっと息を呑んだ。俯く佐治の目には自嘲の色がありありと浮かんでいた。

どうしても比べてしまうのだ。世界の舞台で羽ばたく吏人にしてみれば、国内で満足している自分は、井の中の蛙に見えているだろうと。そう劣等感を感じずにはいられなかった。いくら天才と持て囃されようと、その「天才」にも格の差がある。数多の「天才」の中で、吏人は間違いなくその上澄みに位置していた。一方で自分は――有象無象のひとつに過ぎないのだ。

「……佐治さん、まだその悪い癖、直ってないんスね」
低い声で吏人が唸った。高校時代によく見た表情だった。厳しい練習に音を上げるチームメイトを見下ろす時の、あの顔だ。
「悪い癖?」
「そう、自分に自信が持ててないトコ。なんでもかんでも一歩引いて相手の表情を窺うトコ。高校の時よりちょっとはマシになってるかと思ったのに」
「ひでー言い草だな」
「だってホントのことですよ」

せめて「驕らない性格」って言えよ、と佐治はひとりごちた。確かに吏人の言うように、根本的な性質は変わっていないのかもしれない。臆病で、自信がなくて、脆い心。
それでもこのチームに入ったばかりの頃よりは遥かによくなったのだ。信頼する市立帝条の皆と離れ、一人このチームに転がり込んだ当初は、生まれたての子鹿のように周囲に怯えて誰も信じられなかった。“イヴァン雷帝”の名も型なしだった。しかし少しずつ時間をかけて新しい仲間たちと信頼関係を築き、やっと自分のサッカーを取り戻した。最優秀選手賞を獲得したのもそういった経緯があったからだ。
だが吏人の目にはまだまだ悪癖は直っていないと映るらしい。――いや、吏人の前だからこそ、隠していたものが零れ落ちてしまったと言うべきか。

「ねえ佐治さん」
ことさらゆっくりと紡がれたその呼び声は、ひどく優しい響きを伴っていた。こんな声も出せるのかと驚く。
膝の上で握りしめられた佐治の手に、吏人のそれが重ねられる。海外の眩しい日差しに当てられた吏人の手は、佐治よりも日焼けの濃さが強かった。日焼け止めを塗ることなど考えもしないのだろう。佐治の知らない季節を吏人は海の向こう側で経験している。それと同じように、吏人も佐治と会わずにいた空白の時間を知りはしない。二人が共有できるのは、あのたった一年きりの暑い夏の日々と、今こうして向かい合っている息苦しいほどの距離だけだ。

重ねられた吏人の手を見つめて、それからおもむろに顔を上げた。あの強い瞳を真正面に受け止めて、思わず面食らう。けれど視線を逸らしはしなかった。
「……言いたいことがあるなら、言えよ」
その言葉もやはり強がりでしかなかったが、吏人は目を細めて「ならお言葉に甘えて」と続ける。
「オレが海外に行こうと、アンタが日本にいようと、プレイする場所なんて関係ない。大事なのはその場所で『やるか、やらないか』だ。そんで、アンタは日本で――このチームで『やる』って決めたんだろ。だったら誇りを持ってやるべきなんじゃないスか?」

そう言って、吏人は佐治の手を握る力を強めた。触れた箇所からじわじわと熱が伝染していく。……ああ、これだ。これに弱いのだ。拘束の力は弱く、逃げようと思えばすぐにでも逃げられるはずなのに、どうしてか手を離せない。ずっとこのままでいたいとすら思う。
前にもこんなふうにわけわかんねー説教されたなあ、とぼんやり思い出した。あの時ほどの苛烈さはなく、代わりに包み込むような優しさがある。

「……そんなん最初っから分かってるよ、バーカ」
照れ隠しで突っぱねると、「言うと思った」と笑われた。このやり取りも、高校時代から変わらないものの一つだった。くだらないことで笑い合ったり、しょっちゅういがみ合ったり、すぐ馬鹿らしくなって肩を叩き合ったり、時々真剣になってみたり。あの眩しすぎる夏の日を、きっとこれからも飽きることなく繰り返していく。

ニッと笑って、佐治は勢いよくベンチから立ち上がった。繋いだ手が自然に離れ、二人の間を秋風が通り抜ける。
立ち上がる佐治を見て、吏人とのやり取りが終わったと判断したチームメイトが佐治に手を振った。ピッチ内へ来るようにという合図だ。少しばかり休憩に時間を取りすぎた。
「じゃ、練習に戻るわ。……ここで『やる』って決めたからな」
その言葉に吏人も唇の端を吊り上げて笑い、親指をぴんと空に突き立てた。二人がいる場所も、共に戦う仲間も、今ではまったく違うものになった。数年の歳月は、些細なものから大きなものまで数多くの変化を二人の間にもたらした。だが、決して変わらないものがここにある。

「あ、佐治さん、忘れ物」

ふと吏人が何か思い出したように声を上げた。ちょいちょいと軽く手招きする。佐治に忘れ物の心当たりなどなく、そもそも身一つで来たのだから忘れるも何もないだろうと訝ったが、吏人の目がやけに真剣なので、それに従わざるを得なかった。チームメイトにちょっと待ってろと声をかけて、吏人の座るベンチへと戻る。
「なんだリヒト、忘れ物なんて無――」
文句を言いかけたその口の形のまま固まった。吏人の腕が急に伸びてきて、佐治の後頭部をがっちりと押さえたからだ。何が起こったのかを考える暇も、抵抗をする隙すらも与えずに、吏人は流れるような動作で唇を重ねた。触れるだけの簡単なキス。ちゅ、という軽いリップ音。大の男二人の口づけとは思えないほど可愛らしい音だった。

吏人が佐治に触れてからこの間僅か2秒の出来事である。しかし、佐治がキス直後の茫然自失状態から脱し、今しがた決行された行為の内容を把握すると共に、やっと「忘れ物」の意味に気付いて盛大に赤面するまでにはかなりの時間を要した。今までの話の流れを考えると、キスという行為はあまりに突拍子もなかったからだ。
しかし、耳まで真っ赤にしてわなわなと震える佐治に向けて、吏人は恥ずかしげもなくあっけらかんとこう言い放った。

「佐治さん、キス程度でいつまで赤くなってるんスか?羞恥心なんて2秒で切り返して、早く練習に行っちゃってくださいよ」

海外の挨拶文化に感化されたというべきか、それとも元々の性格がこうなのか。佐治にはまったく理解できなかったが、それに対する反応はたった一つ。
「テメェ、公衆の面前で何やってやがる……ッ!」
秋空に響き渡る渾身の右ストレート。いつもなら張り手で済むはずだったが、恥ずかしさに支配された佐治は手加減の三文字を知らない。情け容赦のない見事な握り拳だった。
その後、左頬が腫れた状態で吏人が練習を見学する羽目になったのは言うまでもなく。「天谷吏人と佐治さんの痴話喧嘩は激しい」という限りなく真実に近い噂がチーム内に蔓延るのも時間の問題である。





2013/06/27


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