半透明彼氏


※砂月が精神体だけの状態になってトキヤにとりついてる、という謎の設定




お前が涙を流す時、俺はこの世界に存在しない。

今初めて知ったことではなかったが、一ノ瀬トキヤという人間はとても綺麗に泣く。音もなくさめざめと、天然物の長い睫毛に縁取られた瞳から、米粒みたいに小さな雫を落とすのだ。頬を伝うひとすじの涙、こぼれ落ちるたびに小さく震える睫毛、閉ざされた形の良い唇。どれひとつ取っても美しく繊細だった。
一切微動だにせず、表情筋の活動をも尽く停止させて泣くものだから、まるで泣く機能を与えられた人形のようだ。感情を露わにする行為でありながら、心はどこにも存在していないのではないかとすら思えてしまう。初めてお前が泣く様子を見た時は、その作り物めいた美しさに狼狽してしまう程だった。だが決して演技ではないことを俺は知っている。演技ならもっと上手く泣いてみせるはずだ。見る者の心を抉るような、そんな泣き方を。
素の状態でなければ、こんな空虚な表情を見せることは絶対にない。心を空っぽにして泣くのは、きっと幼い頃に染み付いた癖なのだ。これがこいつ本来の自然な泣き方なんだろう。……だから、俺は焦燥する。

『おい』

今のお前に何を言っても無駄だと分かっていたが、俺は呼びかけずにいられなかった。
困ったことに俺は何故か那月の体を離れて、精神だけの状態で空中をふわふわと漂う存在になってしまった。そしてそれ以上に俺を困らせたのは、俺を認識できるのが、世界中を探しても一ノ瀬トキヤただ一人という事実だった。那月ですらも見えない俺が、何故よりによってお前に見えるのか分かりはしない。お前の歌が俺を引き寄せたのかもしれないし、何の必然性もないただの偶然にすぎないのかもしれない。どんな御託を並べたところで、俺の存在を証明できるのはお前だけだった。

『何か言えよ』

お前が心を空にして自分の内側に逃避すれば、たちまち俺と世界とを繋ぐリンクも切れてしまう。お前が俺を俺として認識しない限り、俺はこの世界に存在することすらできないのだ。
なのにお前は泣く。とても綺麗に泣く。泣くことで俺を、そして世界を拒絶する。
その涙の理由をお前は絶対に語らない。悲しい、寂しい、悔しい、つらい、そんな単純な感情の波すらも見せずに涙を零す。どうせ俺はお前以外誰にも見えないんだから愚痴のひとつでも吐き出せばいいだろうに、いつだって頑なに唇を閉ざす。生憎と俺は、泣いてる奴の様子を見ただけでそいつが何を思っているのか分かるほど察しがいいわけじゃない。

たまらず手を伸ばした。お前の頬を伝うその涙を、どうにかして拭い去りたかった。
それなのに、俺の指はあっけなく涙をすり抜ける。触れようとする瞬間に、俺とその周りを取り巻く境界が曖昧になって霞んだ。いつもこうだ。俺は誰にも見えないし誰にも触れられない。お前にすらも。
透き通るお前の涙以上に俺は透明だった。ゆらゆらと揺れる輪郭、時折周囲の背景に溶け込む肌、幽霊と言われても反論はできない。こんな中途半端なままならいっそ跡形もなく消えた方がマシだろうに。お前が人知れずそうやって泣くから、俺はお前に触れることも、お前と離れることもできないんだ。

涙ひとつ掬えない自分の手のひらを眺めて俺は眉を顰める。ばかじゃねえの、と呟いた声は、誰にも届かず地面に落ちた。





2013/05/31


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