ショートショート・ラブレター(2)


Chapter2:ごめんね言えるかな




HAYATO引退の報道が出てから3か月。世間がその話題を忘れ去りそうになった頃に、一ノ瀬トキヤのCDデビューが発表された。シャイニング事務所の新人としてのデビューだ。
発売されたら記念に買ってやるか、とぼんやり思っていたら、那月がうきうき顔で俺の前にチラシを突きつけてきた。

「じゃ〜〜〜ん!さっちゃん、これは何でしょう?」
「『一ノ瀬トキヤデビューシングル発売記念インストアライブ』……?」
「正解です!マネージャーさんにお願いしたら、このライブのあと、控え室に遊びに行ってもいいことになりました!わ〜い!」

3か月も前の俺の頼みを、那月はしっかり覚えていてくれたらしい。律儀で優しい奴だ。さすが那月。
「……俺も行っていいのか?」
「え?さっちゃんが行かなきゃ意味ないでしょう?」
何を言ってるんだといわんばかりに那月が首を傾げる。それはそうだが……いまいち実感が湧かないし、対面する覚悟もできていない。あいつにとっては事務所移籍で怒涛の3か月間だったことだろう。俺の手紙のことなんて忘れてるんじゃないか?いやむしろ忘れていてほしい。今になって俺は怖気づいていた。

そうこうしている間に時は過ぎ、インストアライブの日になってしまった。
那月は俺が怖気づいているのにしっかり気付いていたらしく、「いきますよ〜〜〜」と首根っこを掴む勢いで俺を会場まで連れて行った。こういう時の那月には逆らえない。
インストアライブといっても、CDショップの店内ではなく、ショッピングモールの吹き抜けに設置された特別会場で行われるらしかった。一ノ瀬トキヤとしては新人だが、既にHAYATOとして固定ファンを掴んでいるので、会場は既に観客でいっぱいになっていた。あいつが登場する前から、既存のファンと思しき女子や、見物の買い物客でごった返している。
俺は客席の後方で、フードを目深に被っていた。隣に那月がいるからあまり意味はないが、気持ちの問題だ。

BGMと共に一ノ瀬トキヤが現れると、会場に歓声が響き渡った。
――ああ、こんな奴だったのか。
テレビで見たHAYATOとはまったく違う雰囲気だ。手紙からイメージしていた、柔和で物腰穏やかそうな姿とも違う。初めて生で見た一ノ瀬トキヤは、想像よりもずっと自信に溢れた表情で、凛とした佇まいをしていた。

「初めまして。一ノ瀬トキヤです」

少し低めの、鼻にかかった甘い声。これも想像と少し違う。
これまでの想像図がばらばらに散らばって、俺の目の前で「一ノ瀬トキヤ」が再構成されていく。ありのままのこいつが。
ステージ上で歌う一ノ瀬トキヤは、その日誰よりも輝いていた。



「ほら、さっちゃん!ちゃんと歩いて!」
「やっぱり俺はいい」
「恥ずかしがってないで行かなきゃ駄目だよ!さっちゃんはトキヤくんに会いたいんでしょう!?」
「代わりにお前が行ってくれ……」
控え室に続く廊下で、俺と那月は戦いを繰り広げている。一ノ瀬トキヤの控え室へ俺を引っ張ろうとする那月と、なにがなんでも行きたがらない俺の戦いだ。双子なので力は同等。どちらかが折れなければ決着はつかない。

結局、俺を説得することに折れた那月が、一人で控え室に行くことになった。
「まったく……僕が中でお話している間、さっちゃんはそこで待っていてくださいね。勝手に帰っちゃ駄目ですよ!」
「分かったよ……」
念押しをされて、俺は仕方なく廊下の長椅子に腰掛けた。
那月が控え室に入っていくと、すぐさま「トキヤくん、デビューおめでとうございます〜〜〜!!」という声と、一ノ瀬トキヤのうめき声が聞こえた。そして次に悲鳴。おおかた、テンションが上がった那月に「ぎゅ〜〜〜っ」というハグと「たかいたか〜い」をされたのだろう。容易に想像がつく。

しかしそれ以降は、二人の会話は廊下まで漏れ聞こえてこなかった。耳を澄ませてみても駄目だ。
俺は仕方なしに、「一ノ瀬トキヤ様」と書かれた控え室の表示を見上げた。二人は今頃何を話しているんだ?一ノ瀬トキヤは手紙について話題に出すだろうか。那月はぽかんとした顔で「何のことですかあ?」と尋ねるだろう。そうなったらもう、おしまいだ。俺が隠し続けていた事実が二人に知られてしまう。

ああ、そうだ。俺はあいつに「自分を偽る人が嫌い」などと大見得を切っておきながら、俺自身がずっと自分を偽り続けていた。偉そうなことを言える立場じゃなかった。
あいつとの関係を繋いでいたい一心で、俺は嘘をついたんだ。

「それじゃあトキヤくん、これからも頑張ってくださいね〜!応援しています!」
がちゃりと控え室の扉が開いて、にこにこ顔の那月が出てきた。俺はつられて顔を上げる。
「ええ、四ノ宮さんもお元気で――あっ、」

一瞬、時間が止まったかと思った。
那月を見送りに出た一ノ瀬トキヤがそこにいた。目が合った。……一ノ瀬トキヤが、俺を見た。
現実時間にしたらほんの数秒に満たない時間だっただろう。だが俺には永遠にも似た時間のように思えた。まっすぐな目。濁りのない、凛として透き通った目。

――たまらず、俺はその場から逃げ出していた。
フードを被り直し、早足で廊下の床を蹴る。背後で那月が俺の名前を叫んだが、振り返ることはできなかった。俺はあの場にいちゃいけない人間だ。あんな目に見られてまともでいられるわけがない。
「……待ってください!」
だが、そんな俺の逃走を一ノ瀬トキヤは阻止した。廊下の突き当りを曲がろうとしたところで、強く手首を引かれる。掴んでいるのが一ノ瀬トキヤの手だと意識した途端、俺はその場に立ち尽くした。
「……なんだ」
「待って、ください」
「離せよ」
「離しません」
じろりと睨んでやっても、一ノ瀬トキヤは俺の手を離さなかった。意外と頑固な奴だ。俺なら無理やり手を振り払うこともできる。突き飛ばして走り去ることだってできたはずだった。だが、俺はそうしなかった。……いや、できなかった、という方が正しい。こいつに見つめられると動けないのだ。
「あなたに用があるんです」
そう言ったあと、一ノ瀬トキヤの口が少しだけ開いて、閉じた。たぶん俺の名前を呼ぼうとしたんだろう。でもこいつは俺の名前を知らない。俺が那月のふりをしていたから。

黙って睨み合っていると、後ろから那月がぱたぱたと駆け寄ってきた。
「さっちゃん!乱暴は駄目ですよ!」
「乱暴してない」
「こわい顔も駄目!」
すると、一ノ瀬トキヤが割り込んでくる。
「……あの、四ノ宮さん。この人と少し話をしたいのですが、お時間をいただいてもいいですか?」
「さっちゃんとですか?もちろん!今日はそのために来たんですから!ね、さっちゃん?」
「……知るか」
「ごめんなさいトキヤくん、さっちゃん恥ずかしがり屋さんだから……でももう大丈夫、二人でゆ〜っくりお話してくださいね!」
那月が力ずくで俺を控え室に押し込もうとする。一ノ瀬トキヤも俺の手首をぐいぐいと引っ張ってくる。那月となら力は同等だが、一ノ瀬トキヤに加勢されては俺に勝ち目はない。結局、俺は一ノ瀬トキヤと控え室で二人きりにさせられてしまった。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。俺は腕を組んでテーブルを睨みつけた。一ノ瀬トキヤはたぶん俺をじっと見つけ続けているようだった。痛いほど視線を感じる。

「あの。初めまして、一ノ瀬トキヤです」
「……四ノ宮砂月だ」
「さつき、さん」
「…………」
「…………」
それきり、また沈黙。なんなんだよ、お前は俺に用があるんじゃなかったのかよ。そう言ってやりたいが、俺から口火を切るわけにもいかずにまた黙る。

「…………」
「…………あの」
「なんだよ」
「ここに、この文章を書いてみてくれませんか」
「は?」

顔を上げると、一ノ瀬トキヤは手帳とスマホを俺に差し出していた。スマホの画面には、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際……」と、枕草子の書き出しが映し出されている。
「俺に写経でもしろってのかよ」
「そうです」
真剣な表情。こいつは大真面目だ。仕方なく手帳とペンを受け取った。――いや、ペンじゃない。これは万年筆だ。やけに手に馴染む感覚に、俺は「ああ」と声を上げた。
「これ、俺も同じの持ってるぜ。持ち運びしやすくていいよな」
その言葉に一ノ瀬トキヤが突然顔を明るくする。
「そうなんです!カートリッジ式なので、いつでもどこでも書ける上、とても握りやすくて……って、今はその話をしてる場合じゃありません。早く書いてください」
いきなりテンションが上がったと思ったらまた真面目な顔に戻る。百面相みたいで面白いなこいつ。緊張が少し緩んだ。

監視の中、俺は枕草子の「春」を書いた。書き終えると、すぐさま手帳を奪い取られた。一ノ瀬トキヤは食い入るように俺の文章を見つめている。……何秒かの沈黙の後、一ノ瀬トキヤは安堵のような溜息をついた。

「……やっぱり、あなただったんですか……」

その言葉の意味を聞くのが、怖かった。
本当はもうとっくに分かっている。こいつが俺を文通相手だと疑っていたこと。その確証を得るために、わざわざ俺に目の前で文章を書かせて、筆跡を確かめたこと。
筆跡で相手を判別するなんてと思ったが、俺自身もこいつと同じような確かめ方をしていたので何も言えなかった。文字は口ほどに物を言うというやつだ。
俺は観念して息を吐いた。全身から力が抜ける。

「……いつから気付いてた」
「やり取りが始まって2、3回目あたりから、おかしいなとは思っていました。四ノ宮さんがインタビューで話していた内容と、手紙に書かれている内容が微妙に異なっていたので」
そんな早い時期から疑われていたのか。始めの頃はかなり気を遣って那月に寄せようとしていたはずだったのに。
「それと、半年ほど前に仕事でご一緒させてもらった時に、それとなく手紙絡みの話題を出したのですが……四ノ宮さんの反応は、まったく事情を知らない人のそれでした。話が噛み合わないんです。だから、あの手紙は、四ノ宮さん本人が書いているのではないのだろうなと。そこまでで8割です」
「残りの2割は」
「もちろん、あなたから怒りの手紙が来た時ですよ。そこで100パーセント確信しました。あの手紙の中では四ノ宮さんのふりをするのをやめていたでしょう?敬語だけはかろうじて残っているのがおかしいくらいでしたよ。四ノ宮さんは『ぶん殴る』なんて言葉は使いません」
「それは俺も思った」
ふふ、と一ノ瀬トキヤが笑った。つられて俺も口元を緩めた。やっぱりあの手紙には無理があったか。
あんなに事実が露見することを恐れていたはずだったのに、バレてしまってからは不思議と心が軽かった。今なら、素直に自分の気持ちを吐き出せる気がした。

「……もともとは、那月の負担を減らすために始めたことだった。あいつはどんなに忙しくても、律儀にファンレターの返事を書くから。その頃はちょうどコンサート直前で、睡眠時間を削るくらい忙しかったんだ。少しでも那月に楽をさせてやりたくて、俺が代わりに返事を書いた。……全部俺が勝手に始めたことだ。那月は何も知らないし、何も悪くない。あいつのことは責めないでやってくれ」
「……責める気なんて最初からありませんでしたよ。ただ、理由が訊きたかっただけですから」
一ノ瀬トキヤがそうやって俺を許すだろうことは、たぶん分かっていた。那月だって俺を責めはしないだろう。だけど俺が言いたいのはそれだけじゃない。俺は、本当は。

「忙しい時期が終わったら、もう終わらせていいはずだったんだ。俺が那月のふりをする必要なんてなかった。那月にもお前にも本当のことを打ち明けて、全部元通りにすれば。本来そうだったように、那月とお前が手紙のやり取りをするようになれば、それでよかったんだ。……なのに俺は、それがどうしてもできなかった。お前との繋がりを、終わらせたくなかったんだ」
慣れない敬語を使って手紙を書いて。那月ならどう書くだろうかと想像して。そんなことをしてまで、俺はお前との間の糸を途切れさせないように必死だった。
「馬鹿だったな、俺。お前にはとっくに勘付かれてたっていうのに、ずっと那月のふりを続けて……。はは、笑えよ」
「いいえ」
きっぱりと、一ノ瀬トキヤは首を横に振った。

「私は嬉しかったんです。そこまでして四ノ宮さんのふりを続けてくれたあなたが、あの時だけは本音を剥き出しにしてくれたことが。私の悩みに、あなた自身の言葉で真正面からぶつかってきてくれた。……それにどれだけ救われたか。あなたの言葉が、私の背中を押してくれました」

顔を上げると、一ノ瀬トキヤが微笑みながら俺を見つめていた。凛として透き通った目。――ああ、救われたのはお前だけじゃない。
「ありがとうございます、さつきさん。手紙の相手があなたでよかった」
「……俺もだよ」
「四ノ宮さんには、後できちんと謝りに行きましょうね」
「…………」
「嫌そうな顔をしても駄目ですよ。大丈夫です、私も一緒に謝りますから」
「なんでお前が謝る」
「私も、相手が四ノ宮さん本人じゃないと気付いていながら文通を続けていたんです。共犯ですよ」
「共犯か」
「ええ、共犯です。……あ、そうだ。『さつき』ってどういう字を書くんですか?」

俺は、手帳をもう一度借りて、枕草子の下に「四ノ宮砂月」と書いた。一ノ瀬トキヤは何度も何度もその字を見た。
「――四ノ宮砂月、さん」
大事そうに手帳を抱えて、うっとりとそう呟くものだから、俺は何か見てはいけないものを見た気になってしまった。




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