噛み付く君に牙は無い


「なあトキヤ〜!時間あるならダンスの練習しようぜ!この前出た課題のやつ!」
「構いませんが……まさかここで練習するつもりじゃないでしょうね」
「え?ダメか?今なら人も少ないし、周りの迷惑にはならねえと思うけど」
「いえ、問題はそこではなくて……」

昼食を食べ終わって一息ついた頃。翔の提案にトキヤは眉をひそめた。そして警戒するように周囲をきょろきょろと見回す。
中庭には生徒たちがまばらにいる程度だった。昼時は弁当を食べる生徒で賑わうが、今は昼食を終えて思い思いの場所に散っている。ここは芝生が広がっているから、ダンスの練習をするにはうってつけの場所だった。しかし、トキヤは乗り気ではないらしい。
「……あの人に踊っているところを見られたくないんです」
小声でそう言われて、翔はぽかんと口を開けた。トキヤが名前を明言するのを避けて「あの人」と呼ぶのは、まず間違いなく四ノ宮砂月のことだ。そこそこの付き合いになる翔にはすぐに察しがついた。

「別に大丈夫じゃねえの?砂月の奴、昼休みはいつも一人でどっか行っちまうし。お前が踊ってる時だけそんな都合よく現れたりしねえだろ」
「それはそうですけど……」

トキヤはまだ安心できないようで、中庭じゅうに目を光らせて砂月の姿を探す。そんなに警戒される砂月が気の毒になってくるが、トキヤの気持ちも分かる。なにせ砂月はダメ出しが容赦ないのだ。
翔は以前、砂月がトキヤの歌に対して文句を言ってるところに居合わせたことがある。音程のこと、歌い方のこと、細かい表現のこと。砂月の指摘は非常に的確で、何も間違ったことは言っていない。だが言い方があまりにも辛辣すぎる。歌のことを言っているだけのはずなのだが、なぜか自分自身の人格まで否定されたような気持ちになってしまう。横で聞いているだけの翔でさえ心が折れそうになったほどだ。あそこまで言われてトキヤはよく我慢できるものだなと感心した。――いや、我慢できてはいないか。トキヤも負けじと言い返すが、舌戦の末、たまに教室を飛び出すこともある。あいつら数日口をきいてないよな……と心配していたら、いつの間にか仲直りしていて驚いたことも一度や二度ではない。仲が良いのか悪いのかよく分からない二人だ。

しかしまあ、砂月がトキヤのダンスを見たら、歌の時と同じように何かしらダメ出しをしてくるのは想像に難くない。トキヤが警戒する理由はそれだろう。
「気持ちは分からなくもないけど、あいつにビビってたらいつまでも練習できねーぞ。いいから始めようぜ!」
なおも渋るトキヤを置いて、翔はさっさと音源を流し始めた。アップテンポなダンスチューン。踊りこなすにはなかなかレベルの高い曲だ。これを課題として出す龍也先生もなかなかの鬼だ。
曲が流れ出すと無意識に体が動いてしまうようで、トキヤも仕方なしに踊り始めた。ただでさえ振りを覚えるのが大変なのに、二人で動きを合わせるとなると余計に難易度が高くなる。あれほど渋っていたにも関わらず、いつしかトキヤは翔と一緒に練習に没頭していた。

「――うしっ、決まった!」
曲の終わりの音と共に、翔が鮮やかにポーズを決める。そこからやや遅れてトキヤも同じポーズで静止。二人とも肩で息をしている。
練習を開始してから三十分ほど経過していた。はじめは動きがばらばらだったのを思えば、ここまで合うようになったのだから大きな進歩だろう。
「やっと最後まで通せたな!この短時間でかなりいいとこまで行ってる気がするぜ!」
「そうですね。あとは細かいところをしっかり合わせて……」
そこまで言いかけて、トキヤはふと口をつぐんだ。背後に気配。急いで振り向くと、一番いてほしくない人物がそこにいた。

「……三十五点」

四ノ宮砂月は、挨拶もなしに点数だけを告げると、フンと鼻を鳴らした。
「ダンスに関しちゃチビの方が上だな。お前が完全に足を引っ張ってやがる。特にラスト、決めのポーズで遅れただろ。そんな出来でよく人前で練習できるもんだな」
相変わらず辛辣な物言いだ。三十五点と砂月は言ったが、間違っても五十点満点中の話ではないだろう。客観的に見れば、そこまで非難されるほど酷い出来ではなかったはずだが……砂月の合格ラインには届かなかったということだ。翔は恐る恐るトキヤを横目で見た。冷ややかに受け流すか、怒って言い返すか、どっちだ?
トキヤはハンカチで汗を拭うと、背筋をぴんと伸ばして砂月と真正面から向き直った。

「あなたがわざわざこんなところまで出向くとは意外ですね。昼寝でもしていましたか?寝起きの不機嫌を私にぶつけないでください」
「勝手にダンスの練習して醜態を晒してるお前が悪い」
「あなたは作曲家であってダンスの講師ではないでしょう。あなたにとやかく言われる筋合いはありません」
「ダンスも歌もパフォーマンスの一部だろ。どんなに歌がよくてもダンスが駄目なら全部台無しになる」
「そうならないために今練習をしていたのですが?未完成の状態のものに対して勝手に点数をつけて貶すなんて、よほどお暇のようですね。そこまで言うならぜひともご指導賜りたい」
「……じゃあ、手取り足取り教えてやろうか?」

ぐい、と砂月はトキヤの手首を掴んだ。おいおい、言い争いだけじゃ飽き足らず物理的に喧嘩するつもりか!?やめろよお前に敵う人類いないんだから!トキヤ消し飛ばされちまうだろ!翔は止めに入ろうかどうか悩むが、怯えの方が勝って動けない。
だが翔の心配は杞憂だった。砂月はもう片方の手で、叩くでも殴るでもなく、トキヤの腰に手を回すことに使ったからだ。
「え?」
「は?」
翔とトキヤは同時に素っ頓狂な声を上げた。一触即発の空気が一瞬にしていかがわしいような何かに変わる。我に返ったトキヤが慌てて体をじたばたさせるが、逃げられるはずもない。それどころか砂月はより強い力でトキヤの腰を引き寄せる。二人の体はますます密着した。
「ちょっ……何するんですか離しなさい!」
「ご指導賜りたいとか言ったのはお前だろ。お望み通り教えてやるよ、ダンスの極意ってやつを」
「こんな体勢で教えられたくありません!いい加減にしなさい、公衆の面前ですよ!?」
「……人目につかなければいいのか?」
「そういう問題じゃないでしょう!」

――なんだこの茶番。
翔をはじめ、騒ぎを聞きつけて聞き耳を立てていた周りの生徒たちは、自分たちの心配がまったく不必要であることを思い知った。この二人、喧嘩にかこつけていちゃつきたいだけなのでは?不仲を装ったバカップルなのでは?恋愛禁止という看板はどこに行ってしまったのか?降り積もる疑惑に答えられる者は誰もいない。
必死になって腕を引き剥がそうとするトキヤと、意地でも離そうとしない砂月。今も売り言葉に買い言葉の応酬が続いている。

四ノ宮砂月と一ノ瀬トキヤは早乙女学園の中でも有名なペアだ。成績は常にトップを独走しているが、音楽のことになると言い争いが絶えず、教室の中だろうと廊下だろうと所構わず険悪な空気を漂わせている――というのが学園内での専らの噂だ。「犬猿の仲のくせに何故かペアを組んでいる」と七不思議扱いされている話も聞いたことがある。
そんなふうに噂されているなどとは当人たちには知る由もないだろうし、二人にわざわざ教えてやろうとも思わない。翔とて自分の命が大事だ。
尾びれ背びれがついているものの、噂話はおおむね事実だった。砂月とトキヤは目が合えばいつも喧嘩している――しかし、単に「仲が悪い」だけではないことを、翔はきちんと知っていた。

「なあ、お前らみたいな関係、なんて言うか知ってるか?」
「は?」
二人は一瞬だけ言い合いをやめ、翔の方を見た。
「喧嘩するほど仲がいい、ってやつだよ」
「よくねえ!」「よくありません!」

トーンの異なる二つの声がぴったりと合わさって和音のように響いた。
これには二人も驚いたのか、はっと顔を見合わせ、しかし次の瞬間には眉間に皺を寄せて相手を睨みつけるのだった。怒っているのか恥ずかしがっているのかは分からないが、二人とも顔を赤くして。
その一連のやり取りがコメディドラマめいていて、翔は思わず「ブフッ……!」と噴き出してしまった。それがよくなかった。砂月とトキヤはいいスケープゴートを見つけたと言わんばかりに翔へと視線を向けた。――あ、ヤバい、終わった。
「余計なこと言いやがって、このチビ……」
「自分の立場というものを思い知らせてあげなければいけないようですね……」
普段は言い争いばかりの二人だが、何故かこういう時――そう、翔をいたぶる時だけは、妙に気が合ってしまうのだ。翔にとっては悪夢以外の何物でもない。自分が招いてしまった最悪の状況を呪いながら、翔は一刻も早くこの嵐が過ぎ去ってくれることを願うしかなかった。


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2021/01/06


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