一番星には願えない


※さっちゃんがだいぶ前にさよならした世界線の話



ふわふわと綿飴が溶けるような眠りの中にいた。さらさらと水の流れるような音がする。きらきらと煌めくような予感は瞼を上げさせるきっかけとして十分すぎた。
「よお。……お目覚めか?」
目を開けた先、視界にぱっと入ったのは、透き通るようなエメラルド。遠い過去に取りこぼしてしまった、もう二度と出会えないはずの色だった。
「……さつき、さん?」
呼ぶことをやめていたその名前を呟く。起こっていることが信じられなくて、問いかける声も震えていた。あんなにも焦がれていたのに、いざ本物の色を前にするとどうしたらいいのか分からない。私の動揺を悟ってか、あなたは肯定も否定もせず、その右手で私の髪をくしゃりと撫でた。ぞんざいに見えるけれど本当は誰よりも優しいのだ。
――ああ、ほんとうに、あなたなのか。
未だ覚醒前の頭でも、横に座るその人が誰であるかは、切実なほど知っている。知りすぎている。

どうしてあなたが今ここにいるのか。いなくなったはすではなかったのか。これは夢ではないのか。
問い詰めなくてはいけないこと、確かめなくてはいけないことは星の数ほどあった。しかし、滔々と流れる眠りの波が、沸き上がる疑問たちを川底の砂粒のように押し流していく。
ささやかな静寂の後、私の唇からこぼれ落ちたのは、
「……おひさしぶりです」
なんということはない、ありふれた月並みの挨拶だった。まるであなたが昨日会ったばかりの友人であるかのように微笑みかける。
するとあなたもまた、穏やかに笑った。
「今夜だけの特別サービスだ」
「サービス?」
「ああ。お前の願いを叶えに来た」
懐かしむように目を細める。こんな表情を私の前で見せてくれるのは初めてで、胸が締め付けられそうになる。

「一瞬でいいから、俺に会いたい――そう願ったろう、お前。」
遠い空の高みから見透かすような問いかけだった。否、あなたには本当に見えているのかもしれない。ずっとずっと見つめ続けていたのかもしれない。
あなたはおもむろに手を伸ばして、私の左手にその右手を絡めた。幾分か大きいその手は、重ねてみると私の手の輪郭から少しはみ出した。重なりきらない余剰なぬくもりが愛しい。
たわむれのように掌をなぞる指先にくすぐったさを感じて、私は笑みを浮かべていた。そして一言、「ばかですね」と呟く。

「私が願わなかったことなんて、1日もありませんでしたよ」

はた、とあなたの手が止まったのと引きかえに、今度は私のほうから手を握り返す。あなたの大きな掌はまだ動かない。

七月七日、七夕と呼ばれるこの日には、願い事がひとつ叶うという。誰もが星に願いを託す夜だ。
けれど私にとっては特別な意味がなかった。七夕に限らず、毎日が願いの日々であるからだ。願わない日などなかった。
たとえ叶うことはないと分かっていても、会いたいと願うことだけは許されたくて、ただそれだけだった。

重ねられたままだったあなたの手が、ふとした瞬間に再び強く握られる。絡み合う二人の指先がゆるやかに熱を持つ。
「……知ってる。俺も同じだった」
つめたい沈黙を経て零れたあなたの返事は実にそっけなかった。しかしその言葉に込められた歳月の重みは何物にも替え難い。あなたは私の願いの意味をどこまで知っているのだろう。

穏やかな微睡みが私の瞼に囁きかけていた。この瞼を下ろしてしまったら、次目覚めた時にはもう、繋いでいた手はどこかへ行ってしまう。もしかしたら二度と彼を感じることはできないかもしれない。このぬくもりも長くは続かない。――続かないからこそ、今この瞬間に会えた喜びを、てのひらの記憶に刻んでいこうと思うのだ。

また会いましょうと言いたかった。けれど会える確証などどこにもないから、代わりにおやすみなさいと呟いた。
「……ああ、おやすみ」
遠ざかる意識の隅で、優しい声が聞こえたような気がした。





2014/07/08


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