雪ふる夜のつまさき


雪やこんこ、あられやこんこ、降っても降ってもまだ降りやまぬ。
今日の昼間に音也が歌っていた鼻歌が頭の中に流れている。つられて同じフレーズを歌いたくなるほどの雪だった。全身真っ白になることを覚悟しながら、白く濁る夜空の下を歩いていた。ここまでの積雪を予想していなかったブーツは今やすっかり雪の冷たさを内部に行き渡らせ、靴下をしとどに濡らしている。爪先の感覚はもう無い。
歩いて帰るという選択肢はどう考えても無謀としか言えなかった。だが、その決断をしてしまったのは間違えようもなく数十分前の私自身なのだから自己責任だ。

ようやく辿り着いたマンションの前の道はきれいに除雪されていて、ほっとしたと同時に歩みが遅くなった。室内に入った瞬間、私の帰りを待ちわびていたかのように温かい空気が全身を包みこんだ。もしここに四ノ宮さんがいたら、見事な曇り眼鏡が見られたかもしれない。
エントランス、エレベーター、そして廊下と渡り歩いていくうちに、コートの表面を覆っていた雪は徐々に溶けていく。扉の前に着く頃には半分ほどが水に変わっていた。つめたい。私は肩の上に乗る雪をちらりと一瞥した。
家に上る前に、服についた雪を払うのは常識。そのくらい分かっている。――だが今日は、振りかかる雪に知らないふりをした。

「ただいま帰りました」

ドアを開けながら小声で告げると、部屋の奥からガタガタッという騒々しい音と共に、見慣れたミルクティー色が玄関へ突進してくる。いつもは見送りも出迎えも面倒がって動きたがらないというのに、こういう時は嫌に俊敏だ。
「今までどこほっつき歩いてた!」
一言鋭く言い放って、砂月は勢い良くバスタオルを私の頭に被せた。エアコンの風で温めておきましたとばかりにふかふかで温かい。どうやらこのバスタオルはあらかじめ用意していたらしい。砂月は容赦なく私の髪をタオルでかき混ぜていく。

「わっ、ちょっと何を、」
「いいから拭け」
「じ、自分で、拭けます、から!」
拭けと言うくせにタオルの所有権は一向に譲ろうとしない。それどころか、私の肩に薄く残る雪を目ざとく見つけては、殊更わしゃわしゃとタオルを押し付けてくる。

「雪まみれで帰ってきやがって。そのまま部屋上がれると思うなよ、ああ?」
「すみません……」
「ったく……なんでこんなに体冷たくしてんだ。まさか駅から歩いて来たとか言うなよ」
「…………」
「……おい」
「…………バスもタクシーも、この雪でとても混雑していたので」
「ので?」
「……歩いて帰る方が、早く着くのではないかと……」
「馬鹿かお前」

豪雪地帯出身者によって、雪を舐めてかかった私の発言は容赦なく叩き落とされた。馬鹿呼ばわりされることは想定の範囲内だった。
「そんな薄いブーツで雪道進めると思ったら大間違いだ、この馬鹿」
間髪入れずに本日二度目の「馬鹿」を突きつけて、砂月はバスタオルの上から私の頭を小突いた。力は強くないが、冗談のつもりではないことがバスタオル越しに伝わってくる。心配と呆れと怒り。思わず私の口からまた謝罪の言葉が出てしまう。すみません、心配をかけてしまって。
すると砂月は大きな溜息をひとつ吐いて、タオルを動かす手を止めた。やっとわしゃわしゃ地獄から解放された私の髪は、セットの跡形もなく崩れてしまう。視界を遮る前髪で、砂月の顔はよく見えなかった。



連れて来られた先の浴室で、私は脅されるまま浴槽に全身を沈めた。芯から凍えるようだった体が、ゆっくりと温もりを取り戻していく。特に冷えていた爪先は、急な温度上昇でじんじんと痺れた。
部屋着に着替えている途中で、洗面台の上に置いていた携帯電話が光っているのに気がついた。1件のメールと3件の着信。いずれも砂月からだった。この雪で帰りは大丈夫か、大変そうなら迎えに行くという内容のメールで、受信時刻は私がちょうど駅を出たばかりの時間だった。徒歩で雪道を歩いていたため、寒すぎるあまりメールも電話も気付けなかった。だからあんなふうに――帰宅するなり玄関に駆けつけてきたのか。乱暴に髪を拭いてきたのも、バスタオルがふかふかに温かかったのも、私の帰りをずっと待っていたからだ。
申し訳なさと嬉しさが入り混じって、鼻の先がつんと痛くなる。私は急いで着替えを済ませることに全神経を集中させた。

リビングの扉を開けた瞬間、のそりとその巨体が私の行く手を阻んだ、かと思うと腕を強く掴まれてソファーへと導かれる。そこまでしなくても逃げたりなどしないのに。
ソファーの上にはブランケットの山が築かれていた。まさかクローゼットの中から全部持ってきたのか。私が着席するや否や、砂月はモスグリーンのカーディガンを差し出してきた。これを着ろ、という無言の要求だ。どこか見覚えのある柄だと思ったが、確か以前一度だけ砂月がこれを着ていたのを見た気がする。砂月の服なので私には些かサイズが大きい。
私がカーディガンをすっぽり被るのを見届けないうちに、次は私が愛用しているブランケットを被せてきた。そしてその上からこれまた温かそうな地の厚い毛布を巻くと、とどめとばかりにクッションを投げつけてくる。
目にも留まらぬ速さで私はすっかり簀巻きの状態にされてしまった。両手を出そうにも身動きが取れない。これは新手の嫌がらせか何かだろうか。

「これも履け」
しかしそれだけでは満足しなかったのか、砂月は私にルームソックスを押し付けてきた。ふわふわもこもこを極めた、いかにも温かそうな、それ。マカロンカラーの布地にピヨちゃんがプリントされている。そんなものどこに隠し持っていたんですかと言いたくなるのを堪えて、私は精一杯の抗議を試みる。
「さすがにそれはちょっと、デザインが」
「……素足のままでいいとでも思ってんのか?」
「そ、そういうわけでは……」
威圧感が尋常ではない。もはや脅しである。ルームソックスを履くこと自体は別にいい。問題はデザインにある。この歳でピヨちゃん柄の着用が許されるのは四ノ宮さんくらいのものだ。しかし、私がそのルームソックスを履かなければ、砂月はこの地獄の門番のような顔を緩めてはくれないだろう。

「お前が履こうとしないなら俺がやる」
「は」
「ほら足出せよ」
「ひいっ……やっ、やめてください!自分で履きますから!!」

砂月が大真面目な顔でソックスを履かせようとしてくるので、私はもう必死で阻止するより他になかった。むりやり毛布から両腕を出して、砂月の手からソックスを奪い取る。人に靴下を履かせてもらうなんて今どき小学生でもやらない。砂月にうやうやしくピヨちゃんソックスを履かせられる絵面を想像してぞっとした。――が、砂月はあくまでも真面目に任務を遂行しようとしていたらしい。「だったら最初からそうしろ」と呟くと、そのまま身を翻してキッチンへ向かってしまった。



「そういえば、メールと電話、気付かなくてすみませんでした」
砂月が用意してくれたホットミルクを一口飲んで私は目を伏せた。マグカップから伝わってくる熱が、冷えた指先をゆるやかにほどいていく。先ほどの毛布はまだ体に巻いたままだ。身動きが取りにくいからと取り払おうとしたら、砂月に無言で差し戻されたのだった。
砂月は隣に座って、「別にいい」とぶっきらぼうに答えた。

「それより風邪ひかないようにしろよ。雪に降られて体調崩しました、なんてことになったら」
「……アイドル失格、ですからね」

彼がここまで世話を焼いてくれるのも、ひとえに私が健康第一の仕事をしているからだ。アイドルたるもの、体調管理には人一倍気を遣わなくてはならない。雪の降る夜に薄いコートで出歩くなど言語道断といっていい。
「今日に限ってどうしたんだ。お前らしくもない」
砂月の声はいつになく優しかった。そんなことをそんな声で言われると、堪えていても泣きたくなってしまう。
「そうですね。本当に、らしくな…………っくしゅん!」
自嘲気味に笑おうとした矢先、小さなくしゃみが出た。寒さから来るものなのか、ブランケットの埃に反応したものなのかは分からない。だが砂月の眉間により深い皺を刻むには充分すぎるくしゃみだった。

砂月はテーブルに置いてあったエアコンのリモコンを掴み取り、目にも留まらぬ速さでボタンを連打した。ピピピピピというリモコンの無機質な音は、設定温度を上げる時のものだ。もうだいぶ温まっていた室内が更なる温風で満たされる。
しかしそれでも飽きたらず、砂月は自分が着ていたセーターを勢い良く脱ぎ出した。
「な、何してるんですかあなた、」
設定温度自分で上げておきながら服を脱ぐって一体どんなマッチポンプですか。矛盾した行動を取る砂月に私は戸惑いを隠せない。しかしその戸惑いも、砂月の次の行動によってすぐに解消された。
そう、砂月は脱いだセーターをそのまま私に掛けたのだ。カーディガンとブランケット、分厚い毛布にルームソックス。これでもかというほどの重装備に、砂月が今の今まで着ていたセーターが新たに加えられた。なにもここまでしてくれなくたって……と言いたくなるのをぐっと堪える。
横から腕が伸びてきて、私の肩を引き寄せた。さっきよりも二人の体が密着した状態になる。少しでも温かくなるようにという砂月なりの気遣いだ。

「あまり心配させるな、この馬鹿」
「……すみません」

砂月が馬鹿と言うのも、私がすみませんと謝るのも、今ので何度目だろう。なんだか今日は謝ってばかりいる。ここまで心配をかけてしまったことへの罪悪感は少なからずあった。しかしそれ以上に、――嬉しくてたまらないのだ。
ここまで砂月が優しくしてくれることは滅多にない。ならば少しくらいは甘えてもいいだろうか。


窓の向こうに広がる白い景色を見ながら、今夜の出来事を振り返る。
雪のせいで電車が遅れ、バスは渋滞に巻き込まれ、タクシー待ちの長蛇の列が出来たのは本当だ。しかしだからといって、いつもの私ならば、徒歩で家に向かうなどという無謀なことはしないはずだった。今回の件はまったくもって一ノ瀬トキヤらしくない判断だった。

バスやタクシーを無視したのも、雪に降られながら歩くことを選んだのも、そして、玄関の前でわざとコートの雪を払わずにいたのも。――本当は砂月に心配されたいだけだと言ったら、彼は怒るだろうか。
間違いなく怒る。烈火のごとく怒る。そんなもののためにアイドルの資本をおざなりにするなと説教される。あなたが「そんなもの」と言い捨ててしまうことこそが、私には何よりも必要なのに。

心配されたい、優しくしてもらいたい。そうやって大っぴらにねだることを、今の私にはできそうにない。だからわざと雪に降られて、ぎりぎり風邪をひかない程度まで濡れそぼって、砂月が世話を焼かざるをえない状況を作り出した。我ながら小賢しい真似だと思う。たった一言「甘えさせてください」と頼めば済むはずのことで、ひどく面倒な遠回りしてしまった。私も大概素直ではないから、大雪を口実にでもしないとあなたに甘えられないのだ。

「……だけど、あなたも悪いんですからね?」
「あ?何の話だ」
「ふふ、教えません」

簡単に甘えさせてくれないあなたをなじって、私はその肩に体を預ける。素直になれない者同士の恋人関係は、いつまでたっても飽きが来ないから不思議だ。
何枚もの毛布と可愛らしい靴下に包まれて、爪先の冷たさなどとっくのうちに忘れていた。窓の外では、しんしんと雪が降り続いている。





2014/02/10


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