完全犯罪計画 1


早乙女学園入学式当日。
一ノ瀬トキヤは初日にして既に鬱々とした気分に見舞われていた。全ては昨夜の出来事が原因である。

――お前、俺とペアを組め。

ストレス解消のために深夜誰もいない庭で歌っていたら、見ず知らずの人間にそれを聞かれていた上に、いきなりペアの申し込みをされた。
その場では咄嗟に断ったが、向こうは諦めていないつもりらしい。あちら側から名前を訊いておきながら自分は名乗らないという非常識さも含めて、信じられない。しかも勝手に納得して去っていったのだからますます意味がわからなかった。早乙女学園の生徒であることは間違い無いだろうが、結局彼は何者で、何がしたかったのだろう。
おかげで昨夜は寝不足だった。気になって仕方ないというよりは、苛立ちの方が大きい。あんな非常識な人間に入学前のコンディションを崩されたということが腹立たしかった。もしもう一度会うことがあれば、一言ならず二言も三言も文句をつけなければ気が済まなかった。……いや、できることなら二度と会いたくないのが本音だが。

入学式自体はつつがなく進んだ。学園長挨拶の演出があまりにも派手なのが目についたが、それくらいである。トキヤは彼と昔から交流があったので今更あの奔放さを前にしても驚かない。
「よおトキヤ、久しぶり。相変わらず不機嫌そうな面してんなー」
「イッチーは笑った方が可愛いと思うよ」
オリエンテーションで一緒だった翔とレンはトキヤを友人として見ているようで、頼んでもいないのに絡まれた。どうか一人にさせてほしいと願っても、彼等はべたべたと纏わりついてくる。不愉快この上なかったが、振り払うだけ無駄だと判断し適当に合わせておいた。

「あ、そういえばクラスの名簿見たか?やっぱりSクラスってすげーんだな、ちょいちょい雑誌とかで見たことあるような顔がいるぜ」
お前もな、と翔がトキヤの頬を指で突き刺す。どうしてこう彼は馴れ馴れしいのか。「HAYATOは双子の兄だと言ったでしょう」といつもの台詞を口にするのも面倒になってきた。早くホームルームが始まってくれないかと切に思った。教室内は未だ生徒の話し声でざわついていた。

Sクラス、ここには早乙女学園の中でもトップクラスの才能を持つ者が集う。翔の言うように、クラスメイトの中には現役モデルとして活動している者などが多い。レンのように、金持ちセレブとしてテレビ出演の経験がある者もいる。だがトキヤにはそこまでクラスメイト個人に興味を持つことができなかった。このクラスにいる全員は自分のライバルだ。互いに競い合う者として情報を得る以外の馴れ合いは不必要だと感じていた。こうやって無駄話をするくらいなら読書していた方がましである。
「イッチーはお堅いねえ」
隣でレンが笑った。彼にはそんな心中も見抜かれているようでどうにも居心地が悪かった。

がらりと教室の扉が開く。
「おいお前ら席に着け!第一回ホームルーム始めんぞ」
早乙女学園の講師でありながら、現役アイドルとして活躍する日向龍也――彼の登場に、翔が歓声を上げた。龍也の呼び掛けでクラス内は一気に静まり、皆それぞれの席に戻っていった。今日初めて、クラスの全員が着席したのを見た。

(いや、ひとつ空いている……?)

教室内をぐるりと見回して違和感に気付く。窓際の後ろから三番目。その席だけ誰もいない。入学式初日に遅刻、もしくは欠席か。芸能界を目指す者としてあるまじき失態だ。そんな人間が、意識の高い人々の集まるSクラスにいるということが不思議でならなかった。

自己紹介もそこそこに、龍也はホームルームの内容を次々進めていく。
「まずは出席確認だな。名前読み上げてくから返事してけ。それと、自己紹介も兼ねて一言ずつ挨拶すること。中学の時の部活、趣味、得意楽器、目指してるアイドル像……まあ何でもいい。好きに言ってってくれ」
随分とざっくばらんな説明だ。しかしここでも、咄嗟に一言の内容を考え、はきはきとスピーチするアドリブ力が求められているのだろう。この程度ならお手の物だ。トキヤは余裕の表情を顔に浮かべた。
五十音順に名前が呼ばれていく。赤羽、阿久津、一ノ瀬……もう順番が来た。トキヤはすっと立ち上がり、背筋を伸ばした。

「アイドルコースの一ノ瀬トキヤです。福岡出身で、今年16歳です。趣味は読書で、明治・大正期の近代文学を好んで読みます。楽器は幼少期から色々と学んでいたので基本的にどれでも弾けます。強いて言えば、やはり歌うことが一番得意ですね。……ああそれと、最初に断っておきますが、私はアイドルのHAYATOでは――」

最後まで淀みなく言いかけたところで、急に背後で大きな音が鳴った。振り向くと、教室の後ろの扉が乱暴に開けられた所だった。
よりによって私の自己紹介の最中に邪魔が入るとは。トキヤは妨害を受けた苛立ちと共にその扉の前に立つ人物を睨みつけようとした……が。
「なっ……!?」
トキヤは言葉を失った。

柔らかい蜂蜜色の髪、見上げるような長身、そして不機嫌さを隠そうともしない目。
間違えるはずがない。そこにいたのは、昨夜のあの無礼者だった。
教室中の視線が一身に彼に注がれる。だが彼はそれらの視線に見向きもせず、ずんずんと窓際まで足を運び、空席だったそこへ無言で腰を落ち着けた。
教室中が呆気に取られたのは言うまでもない。入学早々に遅刻したどころか、それに対する謝罪も何もなく、まったく悪びれもせずに教室へ入ってきたのだから。そして当たり前のように席に着いている。いや、ふんぞり返っている、という表現の方が正しいか。非常識の極みだ。にも関わらず、教室内は彼の纏う空気に呑まれ、しいんと静まり返っている。担任の龍也でさえ、しばらく口を開けて呆けていたくらいだ。

「あー……お前、四ノ宮だな。初日だからとやかくは言わないが、遅刻っつーのは褒められたもんじゃねえぞ」

龍也の一言でやっと教室は張り詰めた空気から解放された。再びざわつきが戻る。
えー、何よ彼、入学式出なかったの?
イケメンだけどなんか怖いねー。
近寄ったら殺しそうな目してるぜ、あいつ。
本人がすぐ傍にいるというのにこの言いようだ。しかし当人はというと、龍也の注意にも、クラス内のひそひそ話にも耳を傾けていないようで、俺は俺だと言わんばかりにふんぞり返って窓の外を眺めているだけだった。マイペースというべきか、それとも。

トキヤは驚愕を顔に張り付けたまま硬直していた。昨夜に引き続き、今日までも邪魔をされた。あの非常識男が同じクラスだということが信じられない。この1年間、あの男と同じ教室で同じ空気を吸いながら授業を受けなくてはならないというのか。そう思うだけでみるみるうちに顔が青ざめていく。
結局、トキヤは自己紹介を締めるタイミングを失い、肝心の「私はHAYATOではありません」という一言を言い逃したまま着席する羽目になった。当初の予定が何もかもぶち壊しである。最悪だ。
教室の後部中央席にいる翔は気の毒そうにトキヤに目をやり、その後ろのレンは窓際に座る彼を興味深そうに眺めていた。

気を取り直して龍也は再び生徒の名前を読み上げていった。声音が先程より高めなのは、悪くなった教室内の空気を少しでも元に戻そうとしているからだろう。さしもの彼も、この闖入者には面食らったらしい。
「じゃあ次……、四ノ宮砂月」
例の名前が挙がった瞬間、再び緊張が走る。もはや条件反射と言っていい。
名前を呼ばれた彼――砂月は、頬杖をついた顔を上げ、気だるげに立ち上がった。誰もが、自己紹介すら無視する気かと思っていたので、彼が意外にも素直に従ったことで少しばかり安堵の空気が流れた。しかし――普通の自己紹介など、彼がするはずもない。

「作曲家コースの四ノ宮砂月だ。趣味は作曲。得意楽器はヴィオラ。……それと、」

ここまでは普通だった。不機嫌そうなオーラをありありと放っている以外は。問題はそれからだった。
がたん、と椅子が引かれる。何を思ったか、砂月は席を離れて教室内を歩き出した。途端に教室内がざわつき、龍也は「おいおいまたかよ」と困ったように頭を掻いた。
教室を出ていってくれるのならその方がありがたい。トキヤは一心に砂月の退場を望んだが、事態は思わぬ方向へと転がっていく。砂月が目指すのは教室の扉ではなく、壁沿いの席――トキヤがいる場所だった。
「え……、」
みるみるうちに近付いてくる砂月に動揺を隠せない。ここから離れるべきか否か迷っている間に砂月はトキヤの席の真横に来ていた。その強い瞳がトキヤを真っ直ぐに射抜く。思わず肩が竦んだ。教室中の視線が二人に釘付けになった。
混乱をよそに、砂月は無言でトキヤの腕を掴んだ。そのまま強く引っ張られ、無理矢理立ち上がらされる。
「ちょ、一体何を……!」
砂月はトキヤの言葉を制し、教室中に響き渡る声で厳然と言い放った。


「聞け、お前ら。こいつは俺のパートナーだ。もう先約済みで、俺以外の誰ともこいつはペアを組まねえ。……分かったな」


凍りつく教室。呆気に取られて砂月とトキヤを交互に見やるクラスメイト、やっちまったな……と頭を抱える翔、これは面白い事になりそうだと笑みを浮かべるレン、先程とは打って変わって「ほう」と驚きの声を上げる龍也、そして。
「はあ……!?」
口をあんぐりと開けて、トキヤは絶句していた。思考回路が現状把握に追いつかない。一体何を言ったのだ、この非常識男は。
昨夜の出来事が頭の中を駆け巡る。俺とペアを組め、と。彼は確かにそう言ったが、それを了承した覚えなどこれっぽっちもない。即座に断ったはずだ。あれを了承と受け取ったなら、彼は対人コミュニケーションにおいて深刻な欠落を抱えているとしか思えない。どこをどう曲解すれば、あれで先約を獲得したなどという結論に行き着くのだろう。まったくもって理解不能だ。

……いや、今それよりも問題なのは一点集中で注がれるクラス中の視線である。龍也は腕を組んでしきりに感心したように何事か頷いていたが、大半の生徒はぽかんとしている。トキヤと同じように、あまりの急展開についていけていないのだ。
しかし砂月はあくまでもマイペースだった。クラスメイトたちが何の反応も返さないのを見て、自分の宣言が全員に知れ渡ったと判断したらしい。「フン」と鼻を鳴らすと、それまで強く握っていたトキヤの腕を離して自分の席へと戻っていった。そして何事もなかったかのように再び頬杖をついて窓の外を見る。
トキヤはへなへなと自分の席に崩れ落ちた。全身の力が抜ける。
何だったのだろう。もしかしたら今の出来事は全部白昼夢だったのかもしれない。いや、そうであってくれ。リアリティの欠片もない願いに縋りつきたくなるくらいには頭の中がパンクしていた。
しかしそんなトキヤの現実逃避を突き破るがごとく、龍也はハハッと軽く笑った。

「お前、度胸あるなぁ」

そんな度胸、必要ありません。





「どうしてくれるんですかっ!!」

激動のホームルームを終え、寮へと戻る生徒たちの流れに逆らうように、トキヤは砂月の手を掴んで人気のない廊下へと連行した。文句を言うどころの話ではない。ビンタの一発や二発食らわせないことには煮えくり返る腹わたを落ち着かせることができなかった。
そして問答無用にその左頬を思い切り張り倒したのである。砂月は敢えて避けようともせず、甘んじてトキヤのビンタを受け入れた。叩いた頬がじわりと赤く腫れていくのを、トキヤは肩で息をしながら見ていた。右手がひりひりと痛む。何故こちらまで無用な痛みを受けなければならないのか。砂月の方がよほど痛いであろうことは無視して、トキヤの怒りは上昇していくばかりだった。

「……痛いじゃねえか」
「痛いように叩いたのですから当たり前です」
砂月はくつくつと笑った。何がおかしい。
「そんなに怒ることか?ただ俺は自分の所有権をあいつらに知らしめただけだぜ」
「私はあなたの所有物になった覚えはありません。勝手に自分の都合のいいように解釈しないでください」
トキヤは自分を抑えるのに必死だった。ビンタどころか鈍器で殴りつけたいところだったが、今ここで感情を爆発させては後々に問題が起こる。それだけは避けなくてはならない。飛びかかりそうになる衝動を寸でのところで抑えながら、トキヤは鋭く砂月を睨みつける。だが砂月は平然としていた。むしろ不敵な笑みを浮かべてさえいる。

「そんなに俺のパートナーになるのが嫌か」
「嫌に決まっているでしょう!」
トキヤが感情を顕にすればするほど、砂月は愉快そうに笑うだけだった。相手のペースに乗せられていることは自覚している。だがこの怒りを発散させないことには気が済まない。
「入学初日からクラスの印象は散々です!順調にアイドルデビューへの道を邁進しようという私の計画は今の時点で失敗しました。最悪の滑り出しです。ただでさえ私はこの顔で周囲から好奇の目で見られてしまうというのに、その上あんなことがあっては……」
「この顔?」
砂月は7センチ上からトキヤを見下ろす。トキヤは自分の身長が平均よりも上であると思っていたが、砂月はそれ以上に高い。身長差だけはどうしようもないとはいえ、この男に見下ろされるのは非常に腹が立つ。

まじまじとトキヤの顔を観察し、不意に砂月は「ああ、HAYATOか」と言葉を零した。
「……違います。HAYATOは私の双子の兄、私は一ノ瀬トキヤです」
「嘘つくな。HAYATOはお前だろう」
当たり前のように指摘されてトキヤの心臓は強く絞めつけられるようだった。だがここで怯んではいけない。
「何を知ったような口を、」
「知ってんだよ。俺はお前の歌を聞いたからな」
砂月はトキヤに顔をぐっと近付けた。吐息すらかかりそうな程の距離に互いの顔がある。トキヤは咄嗟に顔を逸らそうとしたが、そうはさせないとばかりに砂月はトキヤの腕と顎を掴んだ。嫌でも視線が合う。――なんて、強引な。

「俺の耳は絶対に間違えない。……お前の歌声は、HAYATOと同じだった」

その目はあまりにもまっすぐで、真摯で、澄んだ光を湛えていた。闇の中の光のようだと思った。逸らしたいのに逸らせない。息が詰まりそうだ。この目を前にして、言い逃れなどできようか。トキヤはあっさりと白旗を振った。認めてしまうしかないと本能が告げていた。
「私は、」
浅く息を吸う。十分な酸素は得られそうにない。

「……少なくとも、この学園内での私は『一ノ瀬トキヤ』です」

せめてもの抵抗とばかりに睨み上げる。ライオンを前にした草食動物の心境が分かったような気がした。どんなに効果は見込めなくても、無駄な足掻きをせずにはいられない。
トキヤのその言葉は、事実を認めたも同然だった。ただ明言していないだけだ。己の矜持が、全てを白日の下にさらけ出すことを拒んでいた。完全に認めてしまえば、今まで必死に守り通してきたものすら暴かれてしまいそうだったからだ。
その無意識の恐怖に、砂月は気付いていたのかいないのか。ふっと興味を失くしたように視線を逸らすと、そのまま大股で廊下を歩いて行ってしまった。取り残されたトキヤは壁にずるずると寄りかかる。もう自力で立てる気力も残っていなかった。

――見透かされている。何もかも。

理由もなく悔しさが込み上げてきた。目頭が熱くなるのを、何度も首を横に振ることで忘れようとした。
砂月はトキヤがHAYATOである事実をネタに脅迫しようとはしなかった。それだけは救いだった。
……彼はただ、押し付けてくるだけだ。自分の要求を、ただ一方的に。
振り切って逃げてしまえれば簡単だったのだろう。だがトキヤは、あの真っ直ぐな目を忘れられずにいた。





「はぁ、つっかれたあ〜!」
Aクラスの担任、月宮林檎は勢い良く教員用の机に突っ伏した。その衝撃で机の上に積み重なった書類の山がぐらぐらと揺れた。
新学期が始まったばかりでまだまだ多忙な時期ではあるが、束の間の休息が取れないわけではない。たとえば、二人きりで職員室にいるこの時間。

「お疲れさん。まあコーヒーでも飲んで休め」
龍也は林檎の顔の横にコーヒーの入ったカップを置き、それから労るように林檎の頭を優しく撫でた。林檎は顔を上げると、「……ありがと」と言ってカップを手に取りコーヒーを一口飲んだ。ほう、と安心したような声が漏れる。徐々に表情が緩んでいった。
その様子を、龍也は横目で見守る。右手にはそろそろインクが少なくなってきたボールペン、左手にはコーヒーの入ったカップ。彼は入学式関係の書類を地道に処理していく。

「龍也ってホント真面目よねえ。今くらい手を止めてゆっくりすればいいじゃない」
「そうはいかねえな。今日は夜にドラマの番宣が入ってるんだ。それまでにこの書類は片付けるって決めてある」
「大変ね〜」
「そういうお前こそ」

林檎とてゆっくり休んでいられるわけでもない。春は特に仕事が多く入る季節だ。化粧品のCM、ファッション雑誌の撮影、トーク番組の収録。
慌ただしい卒業式が終わってゆっくりできると思ったら、数週間後に入学式である。その上アイドルとしての仕事も忙しいとあっては休まる暇などどこにもない。それでも、入学式を終えた後はいくらかの余裕があった。
「Aクラスは今年も期待できそうな子たちが集まったわ。そっちはどうなの?」
「……ああ、うちにも面白い奴がわんさかいるぜ」
にやりと龍也は笑った。その顔を見て拍子抜けしたように林檎は目を見開いた。

「龍也がそんな顔するの久しぶりに見た。Sクラスっ子はそんなに有望?」
「有望っつうか……嵐が巻き起こりそうな予感はあるな」
「ぷっ、なにそれ」
「いや本当だぜ?とんでもなくふてぶてしくて度胸のある奴がいるんだ。……ほら、お前のクラスにいるだろ、四ノ宮那月。そいつの弟で作曲家コースの砂月って奴がSクラスに来たんだが、入学初日にやらかした。入学式はサボり、ホームルームにも大幅遅刻。その上自己紹介が凄まじいのなんの。いきなりペアの相手を指名してきやがった」
「……あ、それうちの子たちが噂してるの聞いたわよ。あれでしょ、相手はHAYATOの、」
「一応『双子の弟』、な。一ノ瀬も初日から大変だろうよ、あんな凄いのに目ぇつけられて」
「ふふ、今年も波乱がありそうねえ!なんだかドキドキしちゃう」
「本人達は苦労するだろうがな」

どんなに多忙を極めようと、早乙女学園の講師であり続けたいと思う理由がここにある。
毎年入れ替わりで入学してくる新しいアイドルの卵。彼等の成長を助け、華々しく巣立っていく姿を見届けるのが何よりも楽しみなのだ。
若いエネルギーに溢れた彼等には無限の可能性がある。それをどこまで伸ばせるかは導く側の力量次第だ。彼等に才能があればあるほど、こちらのやる気も上がるというもの。
特に今年は例年以上に個性的な人材が揃っている。楽しませてくれるに違いない。
二人は同時に顔を見合わせると、ふっふっふっ、と堪え切れずに笑い出すのだった。





「イッチー、顔死んでる」
平日の昼下がり、げっそりと疲れきった顔でトキヤは重く溜息をついていた。見かねたレンが声をかけても、「私はイッチーではなく一ノ瀬トキヤです、そんなあだ名で呼ばないでください……」といつもの台詞を虚ろに口ずさむばかりでろくに反応しない。目の前で手を振ってみせても上の空だ。
「かなりの重症だな……」
「その苦労、推して知るべしってやつか」
レンと翔は苦笑するしかない。これは助けてやろうにもできない問題なのだから。

あの入学式以来、四ノ宮砂月はトキヤに対する執着心丸出しで毎日のようにトキヤを追った。
授業中でもそれ以外でも暇さえあれば見つめてくるし(視線が気になってちっとも集中できない)、廊下ですれ違えば「いつでも歓迎してるぜ」などと必ず一言かけてくるし(廊下に他の生徒がいてもその調子なので変な噂が広まっているらしい)、教室で目が合えば意味深な笑みを浮かべてくるし(それに対するクラスメイトの反応にももう慣れてしまった)、以前一度だけではあるが寮の部屋にまで押しかけてきたことがあったし(その後音也に事情を説明することのなんと面倒だったことか!)、とにかくしつこいのだ。おかげでトキヤはノイローゼ一歩手前の所まで来ている。
トキヤが一度でも砂月の申し入れを受け入れれば、それらの嫌がらせまがいの行為もぱったりと消えてなくなるのだろうが、それだけは断固拒否である。ただでさえ関わり合いを持ちたくないというのに、ペアを組むとあってはそれこそ1年間ずっと付き合っていかなければならなくなる。一時的な付きまといに辟易して折れてしまったが最後、それこそ悪夢のような日々が待ち受けているに違いない。
砂月がトキヤをパートナーにすることを諦めてくれるか、それともトキヤに対する行為に飽きてくれるかを待つしか道はなかった。途方も無い話だ。

「オレは、シノミーとイッチーがペアを組んだら凄く面白いと思うけどね」
「あなたは部外者だからそんなことを言っていられるんですよ……」
現実に戻ってきたらしいトキヤが、亡霊のように呟いた。まるで呪いの言葉だ。
「そうかな?シノミーはイッチーが要求するだけの実力を兼ね備えてるじゃないか」

実際、砂月の才能はSクラスの中でも頭一つ分飛び抜けていた。彼は授業のサボり・遅刻の常習犯であったが、成績は誰よりも優秀だった。
実習は滅多に出席しないものの、たまに思い出したようにふらりと現れては、脅威の身体能力と判断力でアイドルコースの生徒すら余裕で追い越してしまう。必死で努力してトップを維持し続けているトキヤが危機感を覚えるほどである。出席率が異様に悪いため成績はトキヤが優っているが、彼が本気を出したら誰も敵わないだろう。才能でいえばトキヤだけでなくレンをも抜くかもしれない。四ノ宮砂月は、いわゆる天才と呼ばれる類の人間だった。

「あの手の、凡人を見下しているような態度が嫌なんですよ」
トキヤは剥き出しの嫌悪感を隠そうともせずに言った。砂月の才能はトキヤも認めざるをえない。作曲家コースの中ならば彼は最も優秀な生徒だ。そしてトキヤが自分のパートナーに求める要素は充分すぎるほど満たしている。能力面だけ見ればトキヤは間違いなく砂月をパートナーに選んでいたことだろう。
――だが、性格の不一致だけはどうしようもない。第一印象からして既に最悪だったのだ。彼に対する好感度が下がることはあっても、上がることは決してない。

「まあ、卒業オーディションのペアを正式決定すんのはまだまだ先だし、これからどうにかなるんじゃねーの?」
気休め程度に翔が励ます。確かにまだまだこれからなのだ。入学初日からペアの相手を指名した砂月が性急すぎるだけで、他の生徒はまだ学園生活に慣れるだけで精一杯の状態である。これからクラス内外の交流を広げ、自分に合ったパートナーをゆっくり決めていく。それが本来あるべき形だった。
「どうにかなればいいんですけどね……」
今のところ、砂月がトキヤを諦める気配はまったく見えない。いつになったら飽きてくれるのだろう。

「シノミーも、数あるSクラスの才能の中からイッチーを選んだのは、なかなかに見る目があるよ。この二人が組んだら最高のペアになるに違いないと、オレは密かに期待してるんだ」
「あなたはいつもそれですね、レン」
「だってそうだろう?イッチーだって分かってるはずだ。シノミーとペアになれば無限の可能性が開けるって。……違う?」
「違います!」
「はは、とんだ頑なボーイだねえ」
「変な呼称を付けないでください」
「はいはいお前らそのへんにしとけー」

言い争い(といってもトキヤが一方的に苛立っているだけだが)に割り込むのは翔の役目だ。気性の荒い猫のようなトキヤの頭を撫でて落ち着かせる。
もう彼の扱いに関してはレンも翔もお手の物だった。レンは敢えてトキヤをからかっている節がある。トキヤの新鮮な反応が面白くて仕方ないのだろう。それに対して律儀に反応してしまうトキヤもトキヤだ。
トキヤ、レン、翔。この三人は何故かいつも一緒だった。意識はしていない。故意でもない。最初はトキヤも二人を鬱陶しく思っていたはずだったのだが、いつの間にか自然と三人セットになっていた。
なんとなく集まり、なんとなく世間話をして、なんとなく一緒に昼食を取り、なんとなく楽しい。まったく性格の違う三人なのに落ち着く。不思議だった。トキヤはたまにこの二人との関係に首を傾げることがあるが、今まで一度として明確な答えが出たことはなかった。すべては「なんとなく」でいいのだと思う。


「そういや明日の午後、全クラス合同で実習なのな。何やるんだ?」
翔の言葉に促されるように、黒板に掲示された明日の連絡に目をやる。

『明日は5限から全クラス合同で特別実習を行います☆ 動きやすい服装でグラウンドに集合すること!もちろん全員強制参加!欠席は認めません♪』

月宮先生の丸くて可愛らしい文字が白い紙の上に踊っている。「全員強制参加」の部分が赤字で大きく強調されているのは、サボり常習犯に対する牽制なのだろう。つまりあの砂月も参加しなければならないということである。滅多に実習には来ない彼だったが、流石にこれを避けて通るわけにはいかないだろう。
「……嫌な予感しかしませんね」
「まったくだぜ」
「オレは楽しみだけどね」
三者三様の反応と共に昼が過ぎていく。どうせ不可避のイベントであるならば、早く終わらせてくれることを祈るばかりだった。



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