ひとりぼっちの君は泣く


誰もが寝静まる夜、砂月は月光が照らす薄明かりの下で学園内を歩き回っていた。
「深夜徘徊」と表現すると聞こえは悪いが、ただ単に寮のファンシーな部屋の居心地が悪いだけだ。彼は今夜も落ち着ける場所を求めて宛もなく彷徨う。だが学園の敷地は広大で、丸一日かけても制覇できる気がしない。
校舎の近くにある湖の周辺をぐるりと一周する。やはり自然に囲まれた環境の方が砂月の好みに合っていた。適当に寝転べそうな場所を探し、芝生の上に体を預ける。こんな夜は誰にも邪魔されずに月を眺めるのが一番だ。

空を見上げると、大きな月が視界いっぱいに飛び込んできた。今夜は満月らしい。雲ひとつなく、月と星だけが紺碧の夜空に輝いていた。
砂月は月が好きだった。太陽の光を受けて輝く月、太陽がなければ暗闇に沈むだけの存在。まるで自分自身のようだと思う。自分は月でいい。誰にも気付かれなくていい、誰にも理解されなくてもいい。太陽を守ることさえできるのなら、他には何もいらない。
「……馬鹿らしい」
自嘲気味に呟いた。月を見たせいか嫌に感傷的になっている。自分は那月を守る影。存在理由など考えた所で無駄なだけだ。

寝返りをうとうとした時、がさり、と茂みが揺れる音が耳に入った。野良猫かとも思ったが、音の大きさからして小動物とは思えない。おそらく人間だ。しかし、こんな時間に湖の周辺を訪れるものだろうか。
相手が誰であれ、せっかくの一人の時間を邪魔されたのだ。一度殴ってやらねば気が済まない。砂月の短気な性格は時間帯が深夜であろうと関係なかった。
いつでも迎え撃てる構えを取り、音のした方へにじり寄っていく。ある程度近付き、相手の背中を捉えたあたりで立ち止まった。

「トキヤ」
無意識のうちに声が出ていた。先ほどまでの苛立ちはどこかへと吹き飛び、代わりに驚きが砂月の体を硬直させた。
砂月の声に反応して、背を向けていたトキヤが反射的に振り返る。その頬は涙で濡れていた。
「四ノ宮さ……いや……砂月、ですか……?」
はらはらと流れる雫を拭うことも忘れ、トキヤは呆然と砂月を見る。まさかこんな所で遭遇するとは思っていなかったのだろう。それは砂月とて同じだ。その上相手がこんな有り様では殴る気も失せてしまった。

「……お前、泣いてたのか」
目を細めてトキヤを見る。彼の瞳からこぼれ落ちていく涙は月の光に照らされてきらきらと光った。心がざわつく。
その光景を純粋に美しいと感じてしまった自分の心が信じられない。人の涙を美しいと思うなどどうかしている。きっと月があまりにも眩しいせいだ。月の光は人の心を乱れさせる。そうでもして自分に言い聞かせなければ、トキヤに対する不確かな感情を認めてしまいかねなかった。
砂月は自身への苛立ちで眉をしかめた。それを自分に対する不快感と取ったのか、トキヤは慌てて涙を拭った。
「す、すみません、こんな醜態を晒すなんて」
しかし拭っても拭ってもまた新しい涙が溢れ出る。トキヤの意志ではどうしようもできない程に。一度溢れてしまった涙は止まることを知らない。

彼が今までどれだけの涙をこらえ続けてきたのか、泣く場所としてなぜ此処を選んだのか。その理由が砂月には朧げながらに分かっていた。
自分を縛るあらゆるものから解放されたい。身動きのできない今の場所から逃げ出したい……そんな弱音を表に出すことは許されない。だから隠れて泣くしかなかった。誰にも見つからないような場所で、たったひとり。誰にも頼ることのできないトキヤは、溢れる涙を一人で抱え込むより他に選択肢はなかった。
けれど、ひとりで流す涙は、悲しい。その辛さは何より自分が知っている。その大きすぎる悲しみに耐え切れなかったために、那月はもう一人の自分――――砂月を生み出したのだから。

トキヤは顔を伏せ、砂月の前から去ろうと駆け出した。しかし砂月がそれを見逃すはずがない。逃げようとするトキヤの腕を強く掴んでその場に引き止めた。トキヤも初めから逃げ切れるわけがないと分かっていたのか、大人しく足を止めた。
「顔、上げろ」
その言葉にトキヤは小さく首を振った。拒否の意だ。あれだけ無防備に泣き顔をあらわにしておきながら、今更になって砂月に涙を見せることを拒みたいらしい。こんなところでプライドの高さを示さなくてもいいだろうに。
顎を掴んで無理矢理顔を上げさせる。未だに涙を流し続けるトキヤの顔が月に照らされた。迷いと悲しみを宿しながらも、彼の瞳はどこまでも真っ直ぐに砂月を射抜いた。

(……欲しい)

そう思うと同時に、砂月はトキヤの唇を奪っていた。
両腕を塞いでしまえばもはや抵抗などあってないようなものだった。逃れようとする舌を絡め取り、深く深く。息継ぎの暇すら与えずに。
トキヤが苦しそうに眉を寄せるが、構いはしなかった。こんなふうに口付けをしたところで、欲しい物は手に入れられないと分かっている。それでも求めずにはいられなかった。
砂月の唇から逃れようと必死になっていたトキヤも、抵抗するのを諦めたのか次第にされるがままになった。熱を孕んだ舌が絡み合う。周りが静かなせいで互いのリップ音がやけに大きく響いた。だが羞恥に顔を背ける余裕もトキヤにはない。与えられる熱に浮かされ、ただひたすら本能の赴くままに唇を貪る。

長いキスが終わると、砂月は最後に、トキヤの頬を流れる涙をぺろりと舐めた。その行為が予想外だったのかトキヤは顔を真っ赤にして舐められた頬を手で押さえた。
「な、ななな、なにを」
「味見」
「そんなものの味を確かめて何になるんですか!」
怒り狂った猫のように喚き立てる。つい先ほどまで砂月に熱い視線を送っていたにも関わらず、キスの余韻など欠片もない反応だった。
「でも、泣き止んだだろう」
にやりと笑いながら言う。トキヤは一瞬わけがわからないというような表情で固まったが、数秒かけてやっと砂月の言葉の意味を理解したらしい。泣き止んだ顔を綻ばせて「そうですね」と小さく笑った。
泣いた顔よりも笑っている顔の方が好きだ、などという陳腐な言葉をかけるつもりは毛頭なかったが、月に照らされた涙の美しさ以上に、今の表情は砂月にとって好ましいものだと思えた。できることなら、あんな涙はもう見たくない。

砂月はトキヤの体を引き寄せて軽く抱き締めた。あまり力を入れすぎないよう注意を払い、薄い背中に腕を回す。トキヤは抵抗するでもなく素直にそれを受け入れ、砂月の肩に頭をもたれた。
近くなった距離で、砂月がトキヤの耳元に語りかけた。
「……お前の涙を知っているのは俺だけだ」
だから、と続ける。
「もう、一人で辛気臭く泣くのはやめろ。泣きたくなったら俺のところに来い。……分かったな」
トキヤが腕の中で微かに頷いた。砂月からはその表情を見ることはできない。また泣いているのだろうか。せめて、今トキヤが流している涙には、ひとりきりの寂しさが取り除かれていればいい。
他人を思いやるなんてらしくない、と心のなかで独りごちる。そうだ。それもこれも、月が眩しすぎるからだ。自分がいつになく感傷的なのも、トキヤが素直に身を預けてくるのも、すべて。

砂月は何もかも夜空の月のせいにして、縋りつくトキヤの背を飽きもせず何度も撫でた。





2011/08/13


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