ドリーミングメルト


【ドリーミングメルト/第1夜】


「すみません、時間が掛かってしまって」
「お、おう」

シャワーを終えたトキヤが浴室から出てきた。いつものかっちりとした制服とは違い、薄い布地のパジャマに身を包んでいる。シャツの隙間から白い鎖骨が覗いている。ほんのりと頬が上気していて色っぽい。
ベッドの上に座ってトキヤを待っていた俺は、その姿に釘付けになった。そういえばトキヤのパジャマ姿は初めて見る。

(……こいつ、こんな無防備でいいのかよ?)

いや、よくないだろ!
それ以上見てはいけないような気がして、俺は慌ててトキヤから視線を逸らした。顔が熱くなっているのが分かる。
トキヤはそんな俺を見て「緊張してるんですか?」とからかうように言った。そんなわけねえだろ、と必死になって反論しようとした声は見事に裏返ってしまい、トキヤの指摘を肯定せざるをえない結果になった。
あー情けねえ。こういう時くらい「大人の余裕」みたいなものを発揮できたら最高に格好良いんだろうが、生憎と今の俺はそんなもの持ち合わせていない。緊張でだらだらと汗が吹き出る。
トキヤがゆっくりと、俺の座るベッドの方へ近付いてきた。

「大丈夫です。初めのうちは私がリードしますから……ね」

にこり。さっきのからかうような笑い方とは全く違う、妖艶ささえ感じさせる微笑だった。これから始まるであろう行為の予感に、俺はごくりと生唾を飲み込んだ。





「うひゃああああああっっ!!??」

覚醒、それと同時に絶叫。俺は勢い良く上半身をベッドから起こした。
辺りを見回すとそこは見慣れた俺の部屋、向こう側では那月がピヨちゃん抱きまくらを抱えて幸せそうに眠っている。トキヤの姿は、無い。
「ゆ……夢かよ……」
がっくりと肩を落とす。落胆?いいやこれは安堵だ。だって。俺と、トキヤが。
さっきまでの夢の内容が頭の中でぐるぐると回る。――あれは……あのシチュエーションは、ほぼ間違いなく。

(『そういうこと』、だろ……?)

その本番が始まる前に夢は途切れてしまったわけだけど。むしろ直前で終わってくれたことに感謝したいくらいだ。あのまま先に進んだりしたら、それこそ俺は立ち直れなくなっていただろう。だって俺とトキヤは男同士だ。同性相手にあんなゴニョゴニョな行為に至るなんて、考えるだけでもどうかしてる。それを夢に見るってことは、まさか俺の深層心理ではトキヤとそういうことをしたいっていう願望があるってことか?
……いや、絶対にない。あるはずがない。あいつは俺の友達だ。大切な友達。それ以上でもそれ以下でもない――そのはず。

(何考えてんだよ、俺……)

一気に自己嫌悪の波が押し寄せてきた。トキヤへの申し訳なさで一杯になる。欲求不満なのかどうかは自分でも分からなかったが、自分のよこしまな妄想にあいつを巻き込むなんて最低だ。今日、学校であいつに会ったらどんな顔をしていいか分からない。
頭を抱えて自分をひとしきり責めていると、「どうしたんですか翔ちゃ〜ん」という那月の寝ぼけた声が聞こえた。





一時間目が終わった休み時間、俺は素早くズボンのポケットから携帯を取り出した。ネットに接続し、検索バーに「夢占い」の三文字を打ち込む。勿論、朝に見た夢について調べるためだ。もしかしたらあの夢には、俺がトキヤに対してそういう願望を抱いているというわけじゃなく、何か別の意味があるんじゃないかと期待して。単なる気休めにしかならないと分かっていても調べずにはいられなかった。

(えーと項目は……同性との、)

――駄目だ、言葉にすると生々しい。余計なことは考えず、無心になって携帯の液晶に並ぶ文字を読んでいった。
複数の夢占いサイトを回ってみたが、どこも同じようなことばかり羅列していた。自分に足りないものを補いたいと思っているだとか、そのヒントは夢の中の対象人物にある、とか。残念ながらどれもピンと来ない。必ずしも性的願望の表れではないという診断には内心ほっとしたが、俺の求めているような回答とは少し違っていた。こんなものに頼るだけ無駄ってことか。溜息が漏れる。

「おチビちゃん、何してるの?」
「うわっ!?」

俺の前に突然ひょっこりと顔を出してきたのは、同じクラスのレンだった。慌てて携帯を遠ざけるが、レンは目ざとくそれに反応した。
「ふうん、夢占いか。気になる夢でも見た?」
……明らかに俺をおちょくる気だ。こいつのニヤニヤ笑いは今までに何度も見てきた。そしてその度に散々な――恥ずかしい思いをさせられるのは俺なんだ。思い出すと腹が立ってきた。

「別にお前には関係ないだろ」
「そう?オレでよければ相談に乗るけど」

嫌な予感しかしない。
だが悔しいことに、今の俺にはこの悩みを相談できる相手がこいつくらいしかいないというのもまた事実。実際に経験豊富で駆け引き上手なレンなら、夢占いサイトの満足行かない結果よりも的確なアドバイスをくれるだろう。羞恥心と安心感を秤にかければ、安心感の方に傾くのは目に見えていた。一時の恥ずかしさよりも、俺は継続的な心身の安寧を取る。
唇を引き結び、打ち明ける決意を固める。レンの後頭部に手をやって、こちら側にぐっと引き寄せた。できるだけ周りの奴等に聞こえないよう声をひそめる。

「あのさ……夢に友達が出てきたとするじゃん?現実世界ではそいつと俺はただの友達なんだけど、夢の中ではめっちゃいい雰囲気で、なんかこう……友達以上の関係っぽいつうか……この夢、お前的にはどう思う?」

我ながら遠回しで分かりにくい説明だと思う。夢の相手がトキヤのことだとは決して悟られないように細心の注意を払った結果だ。まぁレンなら言いたいことは理解してくれるだろう。
レンは少し考えるような仕草をした後、これまた小声で俺に耳打ちした。

「『夢に出るほど好き』っていうのはよくあるけど、『夢に出たから好き』はあまり聞かないね。……でも、誰かを好きになるきっかけなんて人それぞれさ。偶然夢に出てきたのがきっかけで、相手のことを意識する――なんていうのも、オレは充分にあり得ると思うよ」
「そういうもんか……って、俺はそいつと今後どう付き合っていけばいいか訊いてるだけで、そいつが好きだとか気になってるとか全然ないからな!?なんでもかんでも恋愛に結びつけんなよ!?」
「はいはい」

こいつ俺の話聞いてねえ。完全に俺が夢の相手を好きになり始めてると思ってやがる。そんなわけないだろ、そんなわけ!
思わず、斜め後ろの席にいるトキヤに視線を向ける。
俺の中で気まずさもあって、今日はホームルーム前に一度挨拶をしたきりだ。いつもは休み時間ごとに他愛もないことを喋ったりしてるのに。
トキヤは誰とも話さず、文庫本に目を落としていた。
こいつは自分から積極的に他人に関わっていこうとしない。俺かレンが絡みに行かない限り、トキヤは休み時間いつもこうして静かに読書をしているだけだ。もっと他のクラスメイトとも仲良くすればいいと思う一方で、俺たちには心を許してくれているという嬉しさもあった。トキヤが他人と打ち解けるようになったらなったで、俺は喜びと同時に一抹の寂しさも感じるんだろう。

「……なるほどねえ」

俺の視線の先にいる人物に気付いたレンが、意味深にそう呟いたことを、このときの俺はまだ知らない。



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【ドリーミングメルト/第2夜】


舌を入れた濃厚なキス。間近で触れる体温。何もかもはじめての経験で頭がくらくらした。
恥ずかしいことに俺のそれはすぐに熱を持ってしまった。体の中心から全身に向って大きく脈打つ。
いっぱいいっぱいな俺とは違って、トキヤにはまだいくらか余裕があるようだった。とろんとした目をしてるけど、まだ理性が残っている。

「出して、おきましょうか」

トキヤは俺の前に立つと、おもむろに床に膝をついた。そしてためらいもなく俺のスウェットに手をかけ、そのまま下にずり下ろす。俺が慌てたのは言うまでもない。
「ちょちょちょ、トキヤ!?いきなり何やってんだお前……!」
しかしトキヤは俺が驚く理由が分からないのか、不思議そうに首をかしげた。あ、くそ、かわいい。

「何って……フェ」
「わーっ!!言わなくていい!言わなくていいから!!」

自分で訊いておきながら、全力で阻止する。トキヤの口からその単語を聞きたくなかった。普段あれだけお固いのに、こういうシチュエーションだといとも簡単に言ってのけてしまえるらしい。夢の中とはいえ随分と大胆だ。

「我慢しなくていいんですよ」
トキヤはくすりと笑って、既に勃ち上がっている俺自身に触れた。桜色の舌先が筋を舐め上げる。思わず引きつった声が出た。びりびりとした刺激が全身を駆け巡る。
舌と手を両方使って、トキヤは快感を与え続ける。緩急をつけた手の動きに翻弄されるしかない。ただひたすら、押し寄せる波に身を捩らせた。
「んっ……ふぅ、んん……」
トキヤの熱い息がかかる度に背筋がぞくぞくした。あのトキヤが俺を咥えてる。信じられない思いだった。綺麗な顔を汗と唾液で汚しながら、俺を気持ち良くさせようとしてくれている。

(睫毛なげー……)

ぼうっとする頭の中でどうでもいいことを考えた。
こんなことを自分からするなんてトキヤらしくない、そう思うと同時に、真面目で健気なあいつなら、きっとこうやって一生懸命やってくれるんだろうなあと思う。
夢の中にいるこのトキヤは確かに大胆で積極的だけど、本質的には現実のあのトキヤとあんまり変わらないんじゃないか?たとえ夢のトキヤが俺の願望を体現した存在に過ぎないとしても。

トキヤの熱い口内に、ゆっくりと俺自身が埋め込まれていく。
「ん……、んむっ……」
トキヤの目から余裕の色が薄れてきた。苦しそうに歪められる顔を見て、急に罪悪感が湧いてきた。
「トキヤ……もう離していいから……、」
俺の声に、トキヤは視線だけを上に向けた。しかしトキヤは上目遣いで俺をじっと見つめたまま、抽送をやめようとはしなかった。それどころか更に強く吸ってくる。
「え、ちょっ……」

じゅぶじゅぶと粘着質な音を立てながら抜き差しは繰り返される。
トキヤの舌が括れを丹念に辿ると、先端からじわりと熱い体液が滲み出した。そろそろ限界が近い。
染み出した滴りが舐め取られ、上下に擦り上げる手指の動きが徐々に早まると、トキヤの手に握られた俺自身が強い脈打ちを繰り返すのがはっきりとわかった。

「……っ」
やばい。そう思った瞬間に俺はトキヤの肩を掴んで引き剥がした。でもそれは逆効果だった。引き摺りだされた刺激でそれはびくびくと震え、勢いよく熱が放出される。トキヤの顔に、髪に、白濁が飛び散った。
「あっ……!!」
ぽかんと口を開けたトキヤと目が合った瞬間、俺は一気に青ざめた。どうしよう、こんな。
「ご、ごめ……っ!ごめんトキヤ……!!」
慌てて謝る。でもトキヤはさほど動揺した様子もなく、顔についた液体を指で掬い取ってぺろりと舐めた。その行動に呆然としたのは俺の方だった。

「大丈夫です。……翔のなら、嫌じゃありませんから」





「どえええええええええええい!!!!????」

絶叫と共に飛び起きた。額と言わず全身から冷や汗が流れ出ていた。
ま、待て。待て待て待て待て。あの夢に続きがあったなんて聞いてないぞ。つーか展開が早過ぎる。な、何だよ、何なんだよ一体。
前の夢は本番開始ぎりぎりで終わってたのに今日のは思いっきり真っ最中じゃねえか。しかも……と、トキヤが……トキヤが俺に……――
そこまで考えて俺の頭は爆発した。やばい。いくら夢とはいえこれはやばい。罪悪感がどうのこうのとかいう問題じゃない。

途方に暮れていると、ふと下半身に何か違和感を感じた。
(ま……まさかな……?)
嫌な予感が全身を駆け巡る。冷や汗の量が尋常じゃない。震える手で恐る恐るシーツをめくる。一応こっちはセーフ。問題はその下だ。しかし俺自身の体、確認せずとも悲しいくらいに分かってしまう。

(間違いなくアウトだな、これ……)

俺は泣いた。


ごうんごうん、豪快な音を立てて回る洗濯機に背中を預けて、俺は本日何度目か分からない重い溜息をついた。一日が始まったばかりなのに気分は最初から底辺だ。自己嫌悪で死にたい。
パンツ一枚とカモフラージュのためのスウェットを洗うため、朝っぱらから働かされる洗濯機も大変だろう。どうか耐えてくれ、俺の男としてのプライドがかかってるんだ。無機物にでも話しかけないとやってられない気がした。

「翔ちゃん、朝からお洗濯物ですか〜?」

洗濯機の置いてある浴室に那月が顔を出す。こいつが俺より遅く起きてくれて本当に助かった。目覚めたばかりの俺の姿を見られたらたまったものじゃない。
「あ、ああ……さっき野菜ジュース飲もうと思ったら、服の上にこぼしちまって……仕方ないから洗ってんだ」
苦しい言い訳を搾り出す。これがレン相手だったりしたら絶対見破られてただろうが、なにせ相手は那月だ。俺のバレバレな言い訳でも簡単に信じてくれる。

「そうなんですか、大変ですねえ」
「そりゃあもう大変デスヨー、はは……」

乾いた笑い声。また涙が出てきそうになるのを必死で堪らえた。最悪だ。





その日の気まずさときたら、最初にあの夢を見た時の比じゃなかった。
俺がただ一方的に気まずさを感じてるだけでトキヤは何も悪くはないし、むしろ俺が土下座して謝らなくちゃいけないんだろうけど、まさか本人に向かって「あなたがアレをナニする夢を勝手に見ちゃってすみません」と言うわけにもいかず、結果として俺は非常に悶々とした重い空気を漂わせながら一日を過ごすしかなかった。
トキヤには話しかけるどころか挨拶だってできてない。いや、トキヤはいつものように「おはようございます」と言ってくれた。それにまともな返事ができなかったのは俺だ。あからさまに顔を背けて無視してしまった。そのせいもあって絶賛自己嫌悪の嵐だった。

(最悪……)

休み時間の間もぐったりと机に突っ伏すことしかできなかった。起き上がって誰かと喋る気力もない。俺が分かりやすい負のオーラを発しているのに周りも気づいているのか、話しかけようとする奴等もおらず、今の俺には好都合だ。

「翔、大丈夫ですか?」

――にも関わらず、トキヤは平然と俺に声を掛けてきた。
「ここ数日あまり調子が良くないようですが、今日は目に見えてぐったりしていますよ。何かあったんですか?」
その原因はお前にあるんだよ、と言えるはずない。
でも、トキヤには俺が悩んでることがお見通しだったみたいだ。さすがに原因までは分からないにしても。
トキヤは心の底から俺を心配しているようだった。あー、優しいな、こいつ。
一番話しかけられたくない相手のはずなのに、なんだか安心して泣きそうになる。

せめてこれ以上心配をかけないようにと、机から体を起こして大きく伸びをした。
「ん、だいじょーぶだよ、気にすんなって。ちょっと寝不足なだけだから」
あの夢のせいで若干寝不足気味なのは事実だ。別に嘘をついてるわけじゃないからいいだろう。
しかしトキヤは納得がいかないようだった。
「……翔、ちゃんと私の目を見て言ってください」
ぐいっと顔を近付けてくる。咄嗟に視線を逸らそうとするが、逃さないとばかりにがっちりホールドされた。至近距離で目が合う。

(あ、やっぱり睫毛、長……)

不意に、あの夢の出来事がフラッシュバックする。
長い睫毛、薄く色付いた肌、皮膚を這う赤い舌、上目遣いの煽情的な視線――
(ダメ、だ)
思い出してはいけない。あれは夢だ。現実のトキヤとは違う。……分かっているのに、記憶にこびりついて離れない、あの姿。
(ダメだ……!)

ぱしん、と音がした。手がひりひりする。急に現実に引き戻されたせいで頭が痛い。
俺の目の前には、呆然と俺を見つめるトキヤがいて――俺がトキヤの手を振り払ったのだと気付くまでに幾らかの時間を要した。
「あ……」
思わず間の抜けた声が出る。そんなに強く振り払うつもりはなかった。ただ、抑えが効かなかっただけで。……いや、そんな言い訳はいらない。
だってトキヤはひどく傷ついた目をしてる。そりゃそうだろう、本気で心配して声をかけたのに、こんな態度を取られたんだから。トキヤは何も悪くない。俺の頭の中は気持ち悪いくらい冷静だった。
「……っ、」
トキヤは俺に振り払われた手を胸でぎゅっと握りしめて、そのまま踵を返した。駆け足で教室を出ていく。

「イッチー!」
俺達のやり取りを遠くで見ていたらしいレンが、トキヤを追いかけて同じように教室を後にした。間もなくして授業開始のチャイムが鳴る。
その場に取り残された俺は、未だに痺れが残る右手をじっと見つめることしかできなかった。



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【ドリーミングメルト/第3夜】


恐る恐る、その白い肌に触れる。ぴくりとトキヤの体が跳ねた。甘い吐息を漏らす唇は、いつもより鮮やかな赤だった。
「あ……翔、そこ……んっ」
完璧な歌声を創りだすそこが、今は俺の名前だけを呼んでいるという事実にぞくぞくする。もっと呼んでくれ。もっと声を聴かせてくれ。
耐え切れなくなって、俺は剥き出しの首筋に吸い付いた。「見える場所に跡を残さないでください」なんて苦情を言われるかと思ったけど、意外なことにトキヤは抵抗らしい抵抗を見せなかった。それをいいことに、赤いキスマークを所構わず付けていく。もう夢中だった。

「……顔、見せてくんないの?」
俺にされるがままになっている間、トキヤはずっと腕で顔を隠していた。見られるのが余程恥ずかしいのか、俺の問いかけに首を横に振る。さっきはあんなに積極的だったのに、今のトキヤはまるでか弱い小動物だ。普段の気の強さからは想像もつかないほど。
嫌だと言われると余計に見たくなってしまう。俺はトキヤの腕をぐっと押しのけた。羞恥心で耳まで真っ赤にしたトキヤと目が合う。トキヤの瞳は真っ直ぐに俺を映し出していた。

(きれい、だ)

潤んだ瞳、僅かに開いた唇、長い睫毛。近くで見ると、ひとつひとつのパーツの美しさが際立っていた。なんで今まで気付かなかったんだろう。トキヤはこんなにも綺麗だってこと。改めて思い知らされるその事実に動揺する。こんな綺麗な存在に触れてもいいんだろうか。今更になって尻込みした。

「……翔、」
トキヤが俺を呼ぶ。微熱を含んだ、けれど静かな声で。細く長い指が伸びてきて、俺の左胸に触れた。
「すごく、どきどきしてますね」
俺の胸からトキヤの手に、心臓の鼓動が伝わる。どくん。自分でもびっくりするくらい強く脈打っていた。俺の、心臓。
導かれるように、俺もまたトキヤの左胸に手を当てた。どくん。俺に負けないくらい拍動が速い。
「お前こそ」
するとトキヤは小さく笑って「ええ」と頷いた。

「だって、嬉しくてたまらないんです。こうしてあなたに触れられることが」

思わず見蕩れてしまうほどの優しい笑みだった。こんなふうにも笑えるんだなあ、なんて頭の隅で思う。
トキヤが本当に心からそう思ってくれてるなら、俺だって嬉しい。俺もお前に触れたかったんだ。ずっとずっと。友達としてじゃなくて。
そっとトキヤの額に口付けを落とす。トキヤの言葉は嬉しいはずなのに、どうしてか俺は泣きそうだった。





目を開ければそこはやっぱり見慣れた天井で、ベッドの上には俺一人しかいなかった。――久しぶりにあの夢を見た。一週間ぶりくらいだろうか。
右手を突き上げてまじまじと見た。トキヤの肌に触れる感覚が、未だに残っているような気がしてならない。それくらいリアルだった。
夢が連続しているとしたら、次に見るのはあれの更に先を行く内容になるんだろうか。俺がトキヤに……、

(……考えるな)

思考を止めた。これ以上考えてはいけないことだ。俺自身が見たくないと願っても、夢は否応なく俺にトキヤとの行為を見せてくる。それは確信に近い。夢には抗えないのだと、俺はどこかで諦めていた。
本当にあの先まで夢で見てしまったら、俺はどうしたらいいんだろう。


いつしか、俺は無意識の内にトキヤを目で追うようになっていた。
例えば授業中、日向先生に指されて、問題の解答を黒板に書く後ろ姿。実習で、レベルの高い曲を難なく歌いこなす横顔。休み時間、目を伏せて読書にふける姿。放課後、一人でレッスンルームに向かう背中。
夢を見て以来、俺からトキヤに話しかけることはめっきり少なくなっていたが、その代わりにトキヤを見つめる時間が長くなった。それがいいことなのか悪いことなのか俺にはよく分からない。

トキヤをよく目で追うようになってから、トキヤの癖や仕草の数々に気付いた。驚いた時は必ず三度瞬きを繰り返すこととか、読書をしながら栞を指でなぞる癖とか、本人すら自覚していない些細な発見だった。
たぶんレンは俺よりずっと先にトキヤのそういう癖を知っているはずだ。あいつはトキヤに限らず人をよく観察してるから。俺が絡みに行かないからか、最近のトキヤはレンと一緒に過ごしてばかりだ。少し寂しげなのはきっと気のせいだろう。

果たして、俺はトキヤが好きなんだろうか。
トキヤを意識し出したきっかけは間違いなくあの夢からだ。もしかしたら夢の中の自分の感情に引きずられているだけかもしれない。それって、トキヤに対して失礼極まりないことじゃないか?夢の中じゃない、現実世界にいる俺自身の意志は?
――俺は、いつまでも答えが出せないでいた。


その日の四時間目は、二人一組でグループを作る授業だった。隣に座る女子が「来栖くん一緒にやろー」と席を近付けてくる。適当な返事をしてそれに合わせる一方で、俺の視線はトキヤに注がれていた。
案の定、レンが真っ先にトキヤの机の前に進み出る。近づいてきたレンを見上げると、トキヤは安心したように笑った。それを見て胸がざわつく。

(……そう、だよな)

トキヤとレンが並ぶと、驚くほどバランスがいい。トキヤの方が僅かに低いものの、その身長差は良い方向に作用している。
このクラスでトキヤに釣り合うのはレンくらいだ。それは体格だけでなく、性格の面もある。レンはいつも余裕があるし、大人だし、トキヤのこともよく理解してて――意識して見ていないと気付けないような俺とは、違う。なんだか自分が惨めに思えてきた。

ふと、レンがこちらに振り向いた。目が合う。そして俺に向けてにっこりと笑顔を見せた。
「イッチーは渡さないよ」――そんなふうに挑発されてるような気がした。俺は目を見開いてレンを凝視した。……なんだそれ。どういう意味だ。腹のあたりがムカムカする。あいつの好きにさせちゃいけない、そう思った。

がたん、と音を立てて椅子から立ち上がる。来栖くんどうしたの、という女子の声も耳に入らない。
俺はノートとペンケースをひっつかみ、トキヤの席へと突き進んだ。レンとトキヤの間に強引に体を割りこませる。
「トキヤ」
直接名前を呼ぶのは久しぶりかもしれない。トキヤは三度瞬きをして、「はい」と返事をした。レンは薄く笑いを浮かべたまま俺達のやり取りを見ている。
「あのさ……俺とグループ組もうぜ」
「え……、でも私はレンと、」
「レンじゃなくて、俺はお前と一緒がいいんだって!」
思った以上に大きい声が出た。俺達の周囲の生徒たちがびっくりしてこちらを見る。この際周りの視線なんてどうでもいい。
トキヤはまた何度も瞬きを繰り返す。よほど驚いてるらしい。でもしばらくして、不意にその表情が綻んだ。

「……いいですよ」

ふわり。少し顔を赤らめて、目を細める。なんだかとても嬉しそうだ。トキヤが思いがけず見せたその微笑に、俺の胸が跳ねた。
男に向かってこういうこと言うのは失礼かもしれない。だけど俺は「かわいい」と思わざるを得なかった。かわいい。すげーかわいい。今の俺は顔真っ赤なんだろうなあ、と他人事のように考えた。
心の中の揺らぎが止まる。自分自身への懐疑は確信へと変わり、一つの答えへと収束していく。

(――俺、トキヤが好きだ)

もう迷わない。俺は答えを見つけた。
「夢に出てきたから」というのは単なるきっかけ。それがすべての理由じゃない。俺は今まで意識してなかっただけで、ずっと前からトキヤに惹かれてた。友達の枠を超えることが怖かっただけだ。……どうして今まで気付けなかったんだろう。
自覚した途端に、トキヤに対する「好き」の感情がみるみるうちに膨れ上がっていった。早く、早く伝えたい。

今日が終わったら、全部打ち明けよう。この想いを受け止めてもらえなくて、粉々に砕け散ってもいい。
トキヤに笑いかけながら、俺はそう思った。



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【ドリーミングメルト/さいごのゆめ】


人気の少ない階段の踊り場。放課後、俺はそこにトキヤを呼び出した。沈みかける夕陽が窓から差し込んで床を赤く染める。
「……何ですか?その……言いたいこと、というのは」
トキヤは妙に落ち着いていた。そのせいで俺の方が逆にそわそわしてしまう。帽子をいじってみたり、ネクタイの位置を直してみたり、つまらない仕草で緊張を紛らわそうとしたけど意味がなかった。ちゃんと伝えようって決めたはずなのに、いざ実行に移そうとするとなかなか踏ん切りがつかない。
「あ……あのさ、トキヤ」
懸命に搾り出した声は震えてた。くそ、意気地なしめ。それでも、一度言葉として出た以上は変えられない。トキヤの静かな目が俺に注がれるのを感じ取って背筋がこわばる。

「話半分に聞いてもらえると助かるんだけどさ……お前、レンのことどう思ってんの?」
何言ってんだ俺。聞きたいのはそんなことじゃないだろう。レンという要素はいらない、必要なのは、俺がお前を好きだっていう事実だけなのに。口をついて出てくるのは、俺の意志とは反対の言葉ばかりだった。トキヤは怪訝そうな顔をする。
「レンは、ただの友人です」
「あ……そうなんだ?いや、ほら、あいつとお前、最近やたら仲良いからさ、なんか気になって」
しどろもどろになる。自分のことながら情けない。
トキヤの眉間の皺がよりいっそう深くなった。

「……翔。いい加減にしてください。あなたは何が言いたいんですか」
苛々してる。それに怒ってる。当たり前だ。俺がいつまでも本当のことを言い出さないから。
ぐっと唾を飲み込んだ。いつもの男気はどうした。覚悟を決めろ、俺。
「お、俺はっ!」
大きく息を吸い込んで、

「おれは、ほまえのひょとがとぅきっ、」

――盛大に噛んだ。

これ以上ないくらいの噛み方だ。しかも声が裏返った。俺の一世一代の男気が台無しだ。
トキヤは呆気に取られて口を開けてる。対する俺は顔を真赤にして涙目。穴があったら入りたい。
「……ごめんっ!やっぱ無理……っ!!」
「ちょ、待ってください翔……!」
耐え切れなくなって俺は一目散に逃げ出そうとした。しかし階段を数段駆け下りる俺の腕をトキヤが掴む。逃げるのに必死な俺は、勢い良くその手を引っ張ってしまった。ぐらり、トキヤのバランスが崩れる。
「あ、」
小さく声が上がる。宙に浮いたトキヤの足。そのまま着地する場所を見つけることができず、足を踏み外す。――危ない!そう思うより先に体が動いていた。

「――トキヤ!」

トキヤの体を受け止める。なんとかその場に留まろうとするが、勢いがついているせいで間に合わない。
なんとかトキヤだけでも無傷で済ませたい、頭の片隅でそう願いながら、俺の意識は闇に消えていった。





再び目を開けると、そこは夕陽の差し込む踊り場ではなく、間接照明の淡い明かりが灯る部屋だった。
この部屋の風景も見慣れてしまった。間違いない、夢の中だ。
「……翔、」
ベッドに横たわるトキヤが声をかけてくる。一糸纏わぬ姿だった。……ああ、俺が脱がしたんだっけ。前回までの夢の記憶を繋ぎ合わせて、今の状況を把握する。記憶に間違いがなければ、これは「本当の」本番直前だ。
トキヤはうっとりとした目で俺を見る。
「ほら、早く始めましょう。私はあなたが欲しくて仕方ないんです」
耳元で囁かれる吐息混じりの声。思わず流されてしまいそうになる。トキヤの赤い唇が、俺のそこに近付く。

「――ごめん、トキヤ」

唇同士が触れようとする刹那、俺はトキヤの肩を掴みそっと離した。トキヤの瞳が戸惑いがちに揺れる。
「翔……?」
そんな不安そうな顔しないでくれよ。躊躇ってしまいそうになる。
目の前のトキヤを抱きしめたくなる気持ちを抑えて、俺は真っ直ぐにトキヤと視線を合わせた。大丈夫、ちゃんと言えるはずだ。

「こっから先は、やめとくよ」

かろうじて声は震えていなかった。
トキヤは目をいっぱいに見開いて何度も瞬きをした。こういう所は現実のトキヤと変わらない。
「……いいんですか?」
「うん。……ごめんな、俺の変な妄想に付き合わせちまって」
頭を下げて謝る俺を、トキヤは静かに見つめた。俺の方からはトキヤの表情は見えない。

もしかしたら、このトキヤは全部分かってたのかもしれない。分かった上で、俺との戯れを続けてくれた。
……ごめん、本当にごめん。夢の中のお前は俺を好きだと言ってくれる。俺のもっと奥底まで知りたいと言ってくれる。それが嬉しかった。現実のトキヤも、俺に対してそう思ってくれてるんじゃないかって。俺の喜びはいつだって現実のトキヤを思って生じるもので、目の前にいるお前には何一つ向けられていなかった。結局、俺は自分自身のことしか考えていなかったんだ。だから、ごめん。俺の我が儘に付きあわせて、ごめん。

トキヤの手が、うなだれる俺の髪に伸びた。慈しむように、優しく撫で梳かれる。
「……確かに、私はあなたの夢の中でしか生きられません。ですが、だからといって、私を形作る要素すべてが、あなたの妄想や願望だけというわけではありませんよ?」
「え……?」
まるで謎掛けみたいだ。顔を上げてトキヤを見上げると、トキヤはきらきらと光る目を細めた。

「私は、現実世界の『私』の心の一部から生まれた存在です。あなたを好きだと思う純粋な気持ち、それが私の源――気付いてくれました?」

トキヤが俺を覗き込む。その目には間の抜けた俺の顔が映っていた。
「そ……それって、どういう……」
なおも問おうとする俺に、トキヤはにっこりと笑いかけるだけでそれ以上は答えなかった。
でも、胸に残る温かいものは、きっと夢じゃない。





「翔、翔……っ!」

ぱちん。目を覚ますと、眼前にトキヤの泣きそうな顔があった。こいつがこんなに焦ってるのなんて初めて見た。……そうさせてるのは、俺だ。
「……トキヤ、」
「あ……っ!? 翔、よかった、気が付いたんですね……!?」
俺が目覚めたことを確認するや否や、トキヤは俺の体を抱きしめた。いた、ちょっと痛い、というか結構痛い。それは抱き締められる力が強いだけじゃなく、階段から転がり落ちた衝撃で体を所々打ち付けているからだった。
「そういやお前、怪我ないか?」
トキヤは首をぶんぶんと横に振った。「あなたが私を庇ってくれたので……」と消え入りそうな声を肩口で聞く。ああよかった、なんとか助けられたんだ。
相変わらずトキヤは俺を離さない。トキヤからこんなに分かりやすい好意を受け取るのは初めてだ。……それを「愛情表現」と呼んでもいいんだろうか。

「なあ、トキヤ。さっきは噛んじまったから、改めて言わせてくれ」
最初は玉砕覚悟で告白するつもりだった。たとえ想いが実ることはなくても、この気持ちを全部打ち明けること意味があると思っていた。
でも今は、トキヤがちゃんと受け止めてくれるという確信がある。
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「俺……お前のことが、好きだ」

夢の中のお前も、今ここにいるお前も、全部が俺の好きなトキヤだった。
この気持ちに気付くまでに、随分と遠回りをしてしまったような気がするけど。たぶんそれは、俺達にとって必要不可欠な遠回りだったんだと思う。そうでなくちゃ、ここまでお前を好きになることなんてなかった。

トキヤは顔を俺の肩の辺りに押し付けたまま、一度だけ首を縦に振った。小刻みに震える肩を抱き寄せてやる。込み上げる愛しさが止まらない。
肩口にじんわりと染みる熱を感じて、俺はトキヤが泣いていることを知った。





「おめでとう、やっと二人が結ばれてくれてオレは嬉しいよ!」

先生不在の保健室で、レンは高らかに手を打ち鳴らしながら俺達を祝福した。……なんかムカつく。
「その割にはお前、俺を差し置いてトキヤと仲良くしてただろーが!……いてっ」
「ああ翔、あまり動かないでください」
階段落下のせいで体中のあちこちにできた擦り傷その他を、トキヤ自ら甲斐甲斐しく手当てしてくれる。俺は幸せ者だ。その隣にレンがいさえしなければ。

「おいおいおチビちゃん、どこぞの馬の骨扱いされるのは心外だ。オレはイッチーの恋愛相談に乗っていただけなんだから。……翔が私を見る度に苦しげな表情をしているのですが、私は彼の気に障るようなことをしてしまったのでしょうか――とかね」
「え、うそ、それマジ?」
「れ……レンっ!それは他言無用と言っておいたでしょう!」
「はは、つい口が滑っちゃったよ」

真っ赤になってレンを睨みつけるトキヤ。かわいい。……じゃなくて、いやトキヤは可愛いけど、ともかくアレだ、レンは本当にトキヤの悩みを聞いていただけらしい。トキヤの反応を見ればそれが真実だということが分かる。
……ん?というか、「恋愛相談」ってどういうことだ?レンはトキヤのこと知って……?

「もちろん!イッチーがずーっと前からおチビちゃんに首ったけってことくらい、オレには全部お見通しさ!」
めっちゃ良い笑顔してんなこいつ。隣でわああああ!と耳を塞いで叫んでるトキヤとは対照的だ。
「つーかトキヤが前から俺のこと好きだったなんて初耳だぞ。本当かよ?」
「おチビちゃんはこういうところが鈍感だからね。……本人に聞いてみたらどうだい?」
その言葉を受けて俺は改めてトキヤに向き直る。なるほど、本人が目の前にいるんだから直接聞くのが一番手っ取り早い。

「なあ、」
声を掛けると、トキヤの肩が面白いくらいびくっと跳ねた。言い逃れはさせない。顔を隠そうとする腕を掴んで取り除け、至近距離で顔を覗き込んだ。あーあ、耳まで真っ赤。
「俺のこと、ずっと前から好きってホント?」
「……、」
「……トキヤ」
「……っ、す、……」
口をぱくぱくさせて、トキヤが何か言いかける。その言葉の先は分かりきってるけど、敢えて何も言わずにいた。本人の口からありのままの言葉が欲しい。
トキヤはしばらく言い淀んでいたものの、とうとう観念したのか、か細い声で呟いた。

「すき、です……」

なんだこの可愛い生き物は。思わず抱きつきたくなるのを堪えて、「俺もだぜ」とかっこつけてみた。微妙に声が震えていたのはノーカンだ。
すると俺達の背後でレンがぷっと吹き出した。ぎりぎりまで堪えていたんだろうが、今ので全部台無しになった。鋭くレンを睨みつけると、レンは腹を抱えて涙目で「ごめんごめん」と軽い口調で謝った。まったく誠意が見られない。
「お前な……」
「いや、だって、二人とも初々しくて可愛いなあって」
何様だよ。引っぱたきたくなる衝動を呑み込み、代わりにレンの肩を引き寄せた。不意打ちをくらってバランスを崩したレンを、そのまま羽交い締めにする。

「あのなあレン、お前はトキヤと違って全然可愛げがねえ!――でもな、俺はトキヤと同じくらい、お前のことも死ぬほど大好きなんだぜ!!」

どうだ、これが俺の男気だ。
レンは呆気に取られたようにぽかんと口を開けて、それから少し俯いて「ありがとう」と小さく呟いた。なんだ、こいつも照れてるじゃねーか。
その隣でトキヤが「あなたも素直じゃありませんね」と笑う。俺とレンのどちらに向けた言葉なのかは分からない。……いや、どっちもだな。

トキヤとレンを両脇に置いて、俺はしばらくの間、両手に華状態を味わうのだった。




2012/03/19


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