ネオメロ12/彼と彼女の事情1


窓のない部屋に、人工的な照明がぼんやりと光を放っている。一面を黒で塗り固められた壁と床は監獄のような不気味さを醸し出していた。
その中で、マントを羽織った大柄の男が、特別に誂えた椅子に腰を降ろす。男の名はゲーチスと言う。この国を動かす三大組織の中核「研究機関」の現長官であると同時に、政府の実権をも掌握する最高権力者だ。
モノクルで隠された右眼からは表情を窺うことはできないが、もう片方の眼は蛇のように鋭く冷たい光を宿していた。彼は決して背もたれに体を預けることなく、常に背筋を伸ばしたまま、目の前に跪く部下の報告を聞いている。

「……最後に、現在脱走中のNに関する調査報告です。最後に目標を捕捉した追跡部隊の全滅後一ヶ月、周辺地域をくまなく捜索しましたが、依然として足取りを掴めていません。山中での交戦で命を落としたという推測もなされましたが、残されていた死体は追跡部隊の物のみだったため、未だ存命中と考えられます。これだけ厳戒態勢を敷いているにも関わらず捕捉できないとなると、目標はどこかのレジスタンス組織に身を隠している可能性が高いかと」
レジスタンスという単語にゲーチスの眉がぴくりと動く。無論それは不快感から生じた変化だった。

「ソウリュウ市内の各施設にも目撃情報は入っていないのですか?」
「それが一切ありません。市長のシャガは厳格な人物ですから、強制的な取り調べを敢行するのも難しく……」
「……成る程、結構です。今後はあの市長周辺の監視体制を強化するように。現在最も疑わしいのは彼でしょうからね」
「了解しました。それでは」

部下は一礼して部屋を去って行った。その後姿を見送るでもなくゲーチスは思考の海を漂い始める。椅子の肘掛けを指でカツンカツンと叩くのは無意識の癖だった。本人も自覚のない苛立ちの現れである。
彼の苛立ちの原因は他でもない、先程の報告に出てきた脱走者の件だ。二十年の長きに渡り隠匿してきた天才数学者N。ここまで見つからないとは誤算だった。常人には決して侵入できない地下研究所からNを脱出させた、その事実だけでも信じがたいことだというのに。よもや3ヶ月もの間政府の手から逃げ回るなど誰が想像しただろう。追跡部隊とてそこまで無能ではないはずだ。考えられるのは、Nの逃走を手引きする者が相当な実力を持っているということ。
軍の関係者か、あるいは――身を隠すのに特化した人物か。ゲーチスの予想は非常に狭い範囲にまで絞られていた。もしその予想が正しいのならば、いくら精鋭とはいえ、ただの「人間」が敵うはずがない。対抗できるのは、その者と同じ「化け物」の力のみ。

「……ダークトリニティ」

ゲーチスが一声上げると、どこからともなく3人の男がゆらりと姿を現した。ゲーチスが絶大な信用を置く鉄壁の護衛たちだ。彼等3人がいるために、ゲーチスは暗殺の危険を恐れることなく堂々と日の下を闊歩できる。
驚異的な身体能力を持つ彼等もまた、「化け物」の側にいる存在だ。自らの目的を遂行するためならば、倫理に反する力を行使することも厭わない。それがゲーチスという男のやり方であり、そうやって現在の地位を築いてきた。

「……我等はここに。ゲーチス様」
「アクロマに連絡を取りなさい。生体強化研究所の成果を見せてもらいましょう。……ダークトリニティ、あなたがたの『同胞』にも活躍して頂かなくてはね」

彼等はゲーチスの言葉にも表情を変えることはなかった。3人の男のうち、1人が小さく頷いて闇の中へと消えた。
生体強化研究所に関する情報は極秘である。表向きの研究内容は重要ではない。真に隠すべきは、政府の一部の人間しか知らないとある研究についてだ。故にダークトリニティを通じてしか連絡は取らない。徹底した情報隠蔽の下に進む研究。今回の脱走者追跡は格好のデータサンプルになりうる。
ゲーチスは唇を歪めて笑った。完璧なるものへの復讐は、まだ始まったばかりなのだから。





「先輩!トウコせんぱーい!!もうお昼ですよ!ランチまだですよね?今日も食堂で食べます?だったら僕も一緒に行っていいですか?あ、そういえば今日の日替わりパスタメニューは5種のハーブのボロネーゼらしいですよ!カレーにしようと思ってたんですけど迷うな〜!」

時計が正午を指した途端、通りのいい少年の声が共同研究室内を駆け巡った。言うまでもなくそれは彼の「先輩」たるトウコに向けられたものであるのだが、当の本人はひどく煩わしげな表情で少年の誘いを一蹴する。

「キョウヘイ、あんた……」
「はい?」
「うっさい黙れその口閉じろ、それからヒウンの人混みに押しつぶされて灰になった挙句サザナミ湾の海底に沈んで一生浮かんでくんな」
「そんなこと言っても空腹には逆らえませんよね、ほら早く食堂行きましょうって〜」
「いちいち構うな!それにあたしはマコモと一緒に行くの、あんたは一人寂しくぼっち飯してればいいのよ」
「相変わらず酷いですよ先輩!」

さんざん暴言を吐かれてもへこたれない少年は鋼の精神力を持っていると言っても過言ではないだろう。どうせなら早々に折れてくれとトウコは願うばかりであったが、どうにも彼は諦める気はないらしい。そんなこと言っても結局一緒に来てくれますよね?という暗黙の期待を込めた視線がそれを物語っている。トウコは彼のそのきらきらした目を見る度に、苦虫を噛み潰したような顔をする羽目になるのだった。

ぴょんぴょんと跳ねる少年の茶髪は彼の威勢の良さをそのままに反映しているようだ。この研究室の中で、彼以上に若くそして騒々しい人間はいない。研究者のトレードマークである白衣がおそろしいほど似合わなかったが、彼とて歴とした技術開発研究所の一員なのである。
トウコが厄介な後輩を振り切ろうと思案を巡らせているさなか、キョウヘイは研究室の前の廊下を通りがかる女性の姿をいち早く発見した。

「あーっマコモさん!どうもこんにちは!」
「あらあ?その声は新人くんじゃない、今日も元気ね〜」
マコモと呼ばれたその女性は、声をかけられたのをきっかけにして、長い黒髪をなびかせて研究室の中へと入ってくる。今日は研究が順調に進んでいるのかやけに上機嫌だった。マコモの機嫌がいいのを察して、少年はすかさずにっこりと笑いかける。
「ありがとうございます!元気だけが取り柄なんで!ところであの、マコモさんはこれからトウコ先輩とランチに行くご予定なんですよね?僕もご一緒してもいいですか?トウコ先輩は嫌だって言ってるんですけど」

本人がダメならまずは周囲の人間関係から……とばかりに少年はマコモに対するラブコールを始めた。それに対して真っ先に反応したのは他でもないトウコだった。うんざりした表情から一転、急に眉を吊り上げて椅子から立ち上がりかけた。
「キョウヘイ!あんたいい加減に……!」
――が、しかし。彼女の抗議は、マコモのにこやかな声に遮られる。
「うふふ、いいわよ〜?ただしデザートのヨーグルトをご馳走してくれたらね♪」
「わあホントですか!やったー!」

二つ返事で成立してしまった取り引きを前にして、トウコはいよいよ焦り出した。完全に二人のペースに乗せられていることにはまだ気付いていないらしい。
「ちょっとマコモ、勝手なこと言わないでよ!あたしにこいつと向かい合わせでご飯食べろって言うの!?」
その言葉に、少年はわざとらしく傷ついたような素振りを見せた。見え見えの演技もここまで来るといっそ潔い。
「またまたそんな冷たいこと言って……トウコはもっと新人くんに優しくしてあげなきゃダメよ?いいじゃない、一緒にランチするくらい」
「ですよトウコ先輩!」
「だーかーらお前が言うな!」

ぎゃんぎゃんと喚くのも束の間、結局2対1の不利な状況には勝てず(というよりも、元々トウコはマコモに押し切られると弱いのだが)、トウコはキャラメルプリンパフェを奢ってもらうことを条件として渋々誘いに乗ることになった。
研究所の他の面々は毎日のようにそのやり取りを見ているわけだが、どの者たちも、いつになったらトウコは抵抗を諦めるのかと興味津々でならない様子であった。





「……で、キョウヘイ。あんたはなんであたしにばっか纏わりつくわけ?正直迷惑なんだけど」

時は昼過ぎ、場所は研究所職員用のカフェテリア内。トウコはデザートのパフェをスプーンでつつきながら、憮然として溜息をついた。
甘ったるいはずのパフェがちっとも美味しく感じないのは間違いなく気分のせいだった。
「えー?でも仕方ないじゃないですか、研究所はほとんどの人が僕よりずっと年上ですし、色々教えてもらうならやっぱりトウコ先輩がいいと思うんです!」
そう語るのは彼女の形式上の「後輩」、キョウヘイだ。

キョウヘイは約一ヶ月前にここ技術開発研究所に新入りとしてやって来たばかりだった。まだ弱冠16歳という彼は、これまで研究機関に配属された中では歴代2位の年少記録を持つ。一方で、彼の向かい側に座るトウコは最年少記録保持者だ。12歳から研究機関入りを果たした彼女も今年で6年目、キョウヘイよりも2歳年上という立場にあった。年齢的にも経歴的にもキョウヘイにとってトウコは「先輩」にあたるため、その呼び名を使うのは当然でもあったが、トウコにはどうしても拒否感の方が強く表れてしまうのだった。
更に付け加えるなら、キョウヘイはトウコ以外には「先輩」という呼び方を使わない。他の研究員――例えばマコモにはさん付けをして、「先輩」と呼ぶのはトウコに対してだけらしい。それには彼なりの基準があるようなのだが、トウコしてみればまったく理解が及ばないものだった。

「そうねえ、ここじゃ未成年はあなた達2人だけだもの。気安く喋るなら年齢が近い方がいいわよね」
マコモはのほほんと笑っている。確かにこの研究所では、キョウヘイやトウコより一回り年上の職員などざらにいるのだ。割合では20代以下の方が少ないくらいだろう。
「さすがマコモさん、僕の言いたいことを代弁してくださってありがとうございます!やっぱりどうしても気後れしちゃうんですよね。僕、人見知りなんで!」
「とてもそうには見えないけど……」
盛り上がる2人を尻目に、トウコは面白くないというように小さく吐き捨てた。

この後輩、人見知りという言葉とは真逆の位置にいる。目上の人間に対しても常にこの調子でフレンドリーに話しかけてくる上、何故か皆一様にキョウヘイに対しては甘いのだ。マコモはその代表格だった。研究所内でも最年少だからというのもあるかもしれないが、キョウヘイなら許されるというような空気が蔓延している。そのおかげでキョウヘイは僅か一ヶ月の間にすっかりこの研究所に馴染んでしまった。この新人を甘やかす空気も、トウコが彼を気に食わなく思う原因の一つだった。

しかし、マコモはそんなトウコの心情にもお構いなしとばかりにキョウヘイを心配する。心配などいらない程、彼は研究所でうまくやっているにも関わらずだ。
「ここの研究所は新人くんには厳しい環境かもね。研修なんてあってないようなものだから……機器の使い方も見て覚えろっていうスタンスでしょ?右も左も分からない状態で、この一ヶ月よく耐えられたわねえ」
「あ、そこらへんはトウコ先輩のおかげでなんとか!面倒なんて見るか、って突き放しておきながら、僕が困ってるとさりげなーくサポートしてくれるんです。乱暴なのは口だけで、なんだかんだ優し……、」
そう言ったキョウヘイの満面の笑顔は、次の瞬間トウコによって崩されてしまった。トウコがぐっと腕を伸ばして、彼の顎を右手でがっしり掴んだからだ。それはもう強い力で。

「それ以上言ったら舌引っこ抜くわよ」
「……は、はひ……」
ドスの利いた声で睨みをきかせると、さすがのお調子者も怖気づいた。余計なことを言えば命の保障はないという、遺伝子に刻み込まれた本能的な恐怖である。
自分に関係がなければ何をどう騒いでいてもある程度は許容できるが、自分に関することに少しでも触れられると話は別だった。トウコは自分のことを語るのも語られるのも嫌っていた。多少交流がある程度で自分のことを分かった気になられるのなら尚更だ。

――しかし、マコモはそんなトウコの「建前」をよく理解しているようで、にこにこ顔のまま言うのだった。
「トウコったら、ほーんと素直じゃないんだから」
「うっさい」
ぎりぎりと締め上げられながらも、キョウヘイはトウコが僅かに赤面したのを見逃さなかった。




「新人くんを見てると、ここに来たばかりの頃のトウコを思い出すわあ」

ちょっとトイレ、と言って席を外したトウコの背中を見送り、マコモが遠い目で呟いた。それは独り言のようでもあったが、キョウヘイはここぞとばかりに便乗する。
「先輩って確か、史上最年少で研究所に配属されたんですよね。12歳でしたっけ」
キョウヘイがトウコについて知っていることは少ない。公に明かされている情報でも、研究所に配属される以前の経歴は不透明だった。
マコモは冷めかけの紅茶を一口飲んだ。

「そ。天才少女と謳われてね。小さい頃から色んなことを知りすぎちゃってたのかもしれないわ。新人くんとは真逆でね、ちっとも笑わないし、近寄るなオーラ全開だしで大変だったのよ?それでも研究実績は人並み以上だったから、他の研究員の嫉妬の対象にされたり……それが原因で揉めたことは一回じゃ二回じゃなかった」
「大変だったんですね……」
「まあ、色々とね。最初の1年はどうなることかと思ったわ」

初日の自己紹介の時から、既に冷め切った目をしていたのをマコモは今でも鮮明に思い出せた。
瞬く間に研究所に馴染んだキョウヘイとは違って、トウコは慣れ合いを拒む少女だった。まだ小さい子だから、という理由で世話を焼いてくれる女性の研究員もいたが、トウコはその親切も尽く突っぱねては一人黙々と研究に没頭した。始めのうちは親身になって接していた者も徐々に愛想をつかし、周囲と年齢が大きく離れていることもあってトウコは自然と孤立していった。
研究部門の異なるマコモは普段からあまりトウコと接する機会がなかったが、ある時食堂で一人で食事をするトウコの姿を見て、思わず声をかけた。それが繋がりの始まりだった。

「そういう大変な時にマコモさんが味方してくれたから、今のトウコ先輩があるんですよね」
「……そんなことないわよ。アタシはただ、あの子に余計なお節介を焼いただけだもの」
苦笑するマコモの横で、余計なんかじゃないです、とキョウヘイがふるふると首を横に振った。
「トウコ先輩にはそれが一番の励ましになったんじゃないでしょうか?……トウコ先輩のこと見てると分かります。マコモさんが本当に大好きなんだなって」
マコモは一瞬虚を突かれたように目を見開いて、それから少し照れくさそうに破顔した。
「あらあら、嬉しいこと言ってくれるじゃない?そうなのよ、あの子って言葉に出さないけど実は案外……」

「――あたしの話題であることないこと盛り上がってる所悪いけど、もう昼休み終わるわよあんたら」

言いかけた言葉は、やはりトウコに遮られた。腰に手をあてた仁王立ちの格好で、トウコは口をへの字に曲げている。
「やあね、あることないことじゃないわよ〜?」
「そうですよ先輩!あることあることです!」
「減らず口叩くヒマあったらさっさと戻る!」
「はいはい」
追い立てられるようにしてマコモとキョウヘイは席を立った。時計は1時を過ぎようとしていた。また単純作業の時間かあ……とキョウヘイがぼやきながら歩く。新人のキョウヘイにはまだ大きな研究は任されていないのだ。

キョウヘイの後に続いて、マコモとトウコは肩を並べて歩いて行く。今日一日振り回されっぱなしのトウコは不機嫌丸出しだったが、文句を連ねるわけではなかった。
「ねえトウコ。あの新人くん、結構見る目あると思うわよ?」
その耳打ちにトウコは怪訝そうな顔をする。
「はあ?何の話?」
「ふふ、ここだけの話!」
発言の意図が分からず首を傾げるトウコに対し、マコモはより一層にっこりと笑うのだった。





2013/05/28


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