月光だけが知っている


あの事件から数ヶ月が経った。オレは長くて短かった旅を終え、今は元プラズマ団の奴等の「罪滅ぼし」を手伝いながら平穏な日常を謳歌している。
びっくりするくらいイッシュは平和だった。プラズマ団があれだけ世の中を騒がせたとは思えないほど。プラズマ団が残した爪痕はまだ各地に点在しているけど、それでもみんな前向きに生きている。オレの妹もそのうちの一人だった。

プラズマ団から取り戻したチョロネコ――レパルダスは、やっとオレたちのことを思い出してくれた。妹がずっとモンスターボール越しに話しかけていたおかげなんだろう。
レパルダス改めてモンスターボールから出した時、実を言うとオレはレパルダスが妹を傷付けはしないかと不安だった。あの時……プラズマ団の船で再会したレパルダスの鋭い眼が、オレはまだ忘れられていなかった。
でもそんな心配は無用だった。妹が「おいで」と言うと、レパルダスは小さく一声鳴いて、妹の腕の中に歩み寄ったから。コイツはまたオレたちの家族として戻ってきてくれたんだ。そう思うともう涙が止まらなかった。レパルダスを抱き締めて嬉しそうに微笑む妹の隣で、オレは膝をついて顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣きじゃくった。あんなになるまで泣いたのは、きっとこれっきりだ。

今ではレパルダスもすっかり家族の一員として馴染んでいた。家の中じゃいつも妹と一緒にいるし、夜は同じベッドで寝ている。5年間の空白なんて嘘みたいだった。オレたちとレパルダスの間に生まれた絆には、何一つ疑う余地などない。
――たったひとつ、気になる点を除けば。

「お兄ちゃん!」

ぱたぱたと階段を降りる足音に、オレは渦巻く思考を停止させた。音のする方を振り向けば妹がオレの座るソファーの方へ駆け寄ってきていた。
ふんわりとした萌黄色のワンピースに、水色のショルダーバッグを提げている。髪には去年の誕生日にオレがプレゼントしたピンクのリボン。自分で選んでおいて何だけど、このリボンは本当に似合ってる。良い見立てをしたと思う。

「どうした、どっか出かけるのか?」
「うん。今日はお友達のピアノの演奏会があるの。言ってなかった?」
「あー……そういえば、一昨日の夕食の時に聞いた気がする」
「でしょ?だから、レパルダスちゃんと一緒にお留守番よろしくね!」

妹はにっこり笑って首を傾げた。こんな笑顔で頼まれたら了解しないわけがない。そもそも今日はヒマな日だ。最近忙しい日々が続いてたから、久しぶりに一日中家でのんびりしようと思っていた。もう留守番役は端から決まってるようなものだった。
「レパルダスちゃんもいい子にしててね」
妹は、オレの隣で寝転がっていたレパルダスの頭を優しく撫でた。するとレパルダスは気持ちよさそうに目を閉じて、任せろとでも言いたげに一声ミャアと鳴いた。
うちの家ではレパルダスを基本的に放し飼いしている。あの一件以来、家族みんなポケモンをモンスターボールには極力入れないように努めていた。少しでも多くの時間をポケモンと共有できるように。モンスターボールだけが唯一絶対の繋がりにならないように。……そう決めたんだ。

「じゃあ、いってきます!」
「おう、気をつけてな」

妹は軽やかな足取りで玄関のドアを開け、そのまま家を出ていった。パタン、というドアの開閉音を最後にして、家にはオレとレパルダスだけが残された。妹の姿が窓越しに見えなくなるまで見送り、また部屋の中に視線を戻す。つけっぱなしのテレビはちょうど昼過ぎのワイドショーを放送しているところだった。オレはテーブルの上のリモコンを手にとってテレビの電源を消した。どうせ誰も見ない。
雑音が止んで、家の中に静けさが広がる。窓の向こうでは鳥たちがさえずっているから完全な無音じゃない。だけどひどく静かに感じた。
さて、これから何をしよう。久しぶりの休日は存外手持ち無沙汰だった。両親は二人とも用事があって家にいないし、妹はさっき出ていったばかり。夕方になるまで家には一人と一匹だけだ。

レパルダスはソファーの上で丸まっていた。こいつにとっては毎日が休みみたいなものだ。それでも飽きたりしないんだから、人間とポケモンの時間の過ごし方はまるっきり違うんだろう。
「ヒマだなー……」
ぽつりと独り言を呟く。オレの言葉にレパルダスがちょっと反応して視線をこっちに向けた。ふと目が合う。エメラルドみたいな緑色の目だ。

――時々、本当に時々だけど、レパルダスがまるでオレの知らないポケモンのように思える時がある。
野生のポケモンとか、そういうんじゃなくて。他人のポケモンみたいな感覚。確かにコイツはオレの家族のはずなのに。やっと取り戻して、やっと元の関係に戻れたはずなのに。
レパルダスはちゃんとオレに懐いてる。だけど、違うんだ。オレを見てるはずなのに、瞳はオレを映してない。もっともっと遠く、オレを通して別の誰かを見てる。それが誰なのかは分からない。……いや、分かってるけど認めたくない。

「レパルダス……オマエ、誰のこと考えてるんだ?」

小さな声でレパルダスに問いを投げかけた。自信のない声だ。自分で自分が情けなくなってくる。
だけどレパルダスはオレを見つめたまま、肝心の問いには答えずに顔を伏せるだけだった。





その夜の夕食では、ピアノの演奏会から帰ってきた妹が大はしゃぎで今日の出来事を報告してきた。難しい曲をすらすら弾いててすごかった!だとか、上手な人の指には魔法がかかってるんだろうなあだとか、次から次へと興奮気味に話す妹を見てオレも両親も笑った。妹が楽しそうだとオレも楽しい。だから夕食の席では、レパルダスとふたりっきりで過ごした時のモヤモヤもすっかり忘れていた。

忘れかけていたそのモヤモヤを思い出したのは、風呂から上がってベッドに倒れこんでからだ。一人になった途端、あの言いようのないやりきれなさが胸の辺りに渦巻いて気持ち悪くなる。
隣にある妹の部屋の照明はもう消えていた。今日一日で疲れたんだろう。オレも部屋の電気を消して寝る体勢に入った。早く寝て、朝起きたらこの胸のわだかまりがすっかり消えてることを願おう。気分を入れ替えるには眠るのが一番だ。
……でも、そんな時に限っていつまでも寝付けないのがお約束だ。眠ろうとすればするほど色んなことが頭の中をよぎってしまう。考えることが多すぎるんだ。結局、何時間経ってもまどろむことすらできなかった。横目でちらりと目覚まし時計を見ると、とっくに日付の変わる時間を過ぎていた。別に昼寝をしたわけでもないのに、こんなに目が冴えるなんて久しぶりだった。オレは頭の片隅で、今夜はもう一睡もしないことを覚悟するしかないかもな、と半ば諦めの境地に辿り着こうとしていた。

今夜は満月だった。窓の外から差し込む月の光が眩しく感じる。夜なのに電灯がなくても周りがはっきりと見えるくらいだ。中々眠れないのはこの明るさも原因なのかもしれない。
もう遅い時間だから、家の中も外もひっそりと静まり返っている。遠くで虫の声が聞こえる以外、何も音がしない。世界で自分一人が夜の中に取り残されているような気さえした。寂しいわけじゃない。ただ、心細かった。こんな歳になってまで一人の夜が心細いなんて、誰にも言えない。

(……え?)

――ふと、静寂の空間が揺らぐのを感じた。部屋の外で何かが動いているような気配がする。妹の部屋からオレの部屋の前を通り、階段を降りていく。
この気配はたぶんレパルダスだ。レパルダスはいつも妹の部屋で寝ている。何かの拍子で起きてしまったんだろう。
ああ、ちょうどいい。オレはむくりと起き上がって、ベッドから床に足をつけた。レパルダスの様子を見るついでに、キッチンに行って水でも飲もう。少しでも気分転換になるはずだ。
名案だとばかりにオレは部屋を出た。家族を起こさないようにそろそろとした足取りで階段を降りる。案の定そこにはレパルダスがいた。
「ようレパルダス。オマエも眠れなかったのか?」
勝手に親近感を覚えてレパルダスに声をかける。だがレパルダスは小さくミャアと鳴いたっきり、そのままオレの横をすり抜けて玄関の方へ行ってしまった。どこに行こうというのだろう。オレはキッチンに向かう足を止めて方向転換した。レパルダスが気になったのだ。

リビングを通りすぎて玄関へ行くと、レパルダスは器用にドアの鍵を開けて外に出た後だった。思いがけないその行動にオレは意表を突かれた。
こんな夜中に散歩か?わざわざ家の鍵を開けてまで?それともまさか――家出?
いつもならそんな選択肢、考えるはずなかっただろう。でもオレは咄嗟に今日の昼過ぎの出来事を思い出していた。もしかしたらレパルダスは、オレたちを置いて「別な誰か」の元へ行ってしまうんじゃないか。
心臓が早鐘を打つ。冷や汗が背中に流れるのを感じる。喉がカラカラに乾く。
不安と怖れが一気に襲ってきた。……またあんな思いをするのは嫌だ。家族を失うなんて、そんなことは。

オレは恐怖に駆られるままに玄関のドアを乱暴に開け、転がるように家の外に出た。月の光が青白く辺りを照らしていた。
どこだ、レパルダスはどこだ!?首を左右にぶんぶん振ってレパルダスの姿を探す。いない。どこだ。まだ遠くには行っていないはずだ。早く早く早く、追いつかなくなる前に――!
震える足で駆け出し、家の裏に回る。どうかまだ間に合いますように。柄にもなく神様に祈る。

果たしてそこに、レパルダスはいた。
今一番会いたくない人間に寄り添うようにして。

「――ッ!!」

オレは呼吸を止めた。世界がひっくり返るんじゃないかと思うくらいの衝撃が体中を駆け巡った。
「なん、で、オマエ、」
なんでオマエが、ここにいるんだ。言おうとした言葉はうまく形にならなかった。
声が震える。声だけじゃない。足が、全身が、心が、揺さぶられる。
会いたくなかった。できることなら人生の中でもう二度と顔も見たくなかった。……予感はしてたんだ。きっとレパルダスはコイツを想っているんだろうって。いつか会いに行くんだろうって。でも認めたくなかった。だってそうだろう。その事実を認めてしまったら、オレの旅の意味がなくなってしまう。ずっとずっと捜し続けて、やっと取り戻した家族なのに。

――ダークトリニティ。
5年前、オレの家族を奪い、引き離した張本人。その中の一人が、月の光の下で立っていた。
レパルダスはそいつの脚に体を擦り寄せている。会いたかったとでも言うかのように、その仕草は懐かしげだった。ああ、レパルダスはコイツにずっと焦がれてたんだ。気付きたくもない事実に気付いてしまった。

男はオレが来るのを最初から知っていたのか、特に驚いた様子もなくオレに目を向けた。漆黒を身に纏うそいつは闇そのものだ。顔の半分はマスクに隠されていて表情はよく分からない。……いや、表情なんてコイツには最初からないのかもしれない。
冷たい視線がオレに突き刺さる。思わず気圧されそうになるのを、僅かに残った気力で耐えた。奥歯を食いしばる。拳を強く握り締める。怯むな。コイツは敵だ。

「……また、オレの家族を奪いに来たのかよ」

負けじと睨み返して、オレは声を絞り出した。頭の中はあの時の恐怖でいっぱいだった。でもそれを表に出しちゃならない。毅然とした態度を維持し続ける。また大事なものが目の前で奪われる様を見たくはなかった。
だが相手はオレの内心の怯えを見透かすように、オレの頭の先から爪先までゆっくりと一瞥した。そしておもむろに口を開く。
「……案ずるな。そのつもりはない」
「じゃあ何だって言うんだよ。オマエがここに来る理由なんて一つしか考えられねーだろうがッ!」
思わず大声を上げると、それまで男の脚に擦り寄っていたレパルダスが驚いたように顔を上げた。……なんでだよレパルダス、なんでオマエはコイツが主人みたいな態度を取るんだ。オレは泣きそうになった。ひどく惨めな気分になる。

「……どうせ、何を言っても無駄だろうが」
男は小さく呟いた。その左手でレパルダスの頭を撫でる。やめろよ。そうやって頭を撫でていいのは妹だけだ。
言ってやりたいことはいくらでもあるのに、言葉が喉に張り付いたまま外に出てくるのを拒んでいた。何をびくついてるんだ。自分を叱咤するけど効果はない。

「わたしはポケモンに愛情を注いだことなど一度もない。ポケモンなどいくらでも使い捨てにすることができる。だが、ポケモンは違う。人間に手酷く扱われようと、使えないからとあっけなく捨てられようと、ボックスの中でいつまでも放置されようと、ポケモンは主である人間を一心に想い続ける。……そういうものだ」
脈絡のない語りにオレは拍子抜けしてしまった。言葉の意図が分からない。だが男はオレから視線を外さないまま続ける。
「5年は長い。たとえその間、主である人間が何ひとつ愛情を与えなくても、ポケモンは勝手に懐いてくる。そうなってしまった以上、主を忘れたり、新しく主を変えることは簡単に出来ない。ろくな別れも切り出されずにいれば尚更だ。ポケモンは愚かにも、前の主に未練を残してしまう」
……なんとなく、コイツが言いたいことを掴める気がする。それはオレがずっとレパルダスに対して感じてきたことと同じだった。

「おまえもこのレパルダスの『家族』だというなら、気付いているのだろう?これがまだ、以前の主人であるわたしを忘れ切れずにいることを」

男の発した言葉がオレに突き刺さった。胸の痛みがより鋭さを増す。
レパルダスはずっとコイツを求めてた。オレたちの元に戻ってきて、平和な生活を過ごしている間にも。前の主であるコイツを忘れられずに、ずっと遠くを見てた。
……そうだ、分かっていたことじゃないか。分かってたのに見て見ぬ振りをしていた。オレたちからレパルダスを奪ったアイツが全部悪いんだと、全ての原因を押し付けて、レパルダス自身の気持ちと向き合うことを避けていた。そうしなくちゃ、きっとオレはまともでいられなかったから。
だからって認めてやるものか。オレはコイツをレパルダスの主人だなんて認めない。

「だったら何だよ。オマエにレパルダスを返せっていうのか!?……冗談じゃない!もうコイツは絶対に手放さないって決めたんだ!」

大声を張り上げて突っかかる。もうなりふり構っていられない。
だが、男は呆れたようにオレを一瞥するだけだった。
「……そのようなことは最初から分かっている。今更このレパルダスをどうこうしようという気は無い。ただ……別れを告げに来ただけだ」
「え……?」
思いがけない言葉に、オレは間抜けた声を上げた。……別れ、だって?
「おまえとて、このレパルダスがいつまでも前の主の姿を追っているのは不本意だろう。だからここで区切りをつける」

事もなげにそう言った男の瞳が、微かに揺らいだ。オレはその変化を見逃さなかった。
コイツの言葉は意味がわからないし信用もできない。でも目だけは別だ。どんなに言葉で覆い隠したって分かる。コイツの目は、「別れ」を前にした人間の目だ。他に何の目的もない。ただ本当にレパルダスと別れるためにいる――それがオレの見た真実だった。理屈じゃない。

「時間は取らせない。少しの間だけでいい、レパルダスととふたりきりにさせてくれ」

男の申し出に、オレは咄嗟に頷いていた。ほとんど本能的な反応だった。初めて、この男自身の意志を見たような気がした。
一歩、二歩。少しずつ後ずさる。そうして男とオレの間が十分に離れた時、やっと足を止めた。このくらい距離があれば声は聞こえないが、姿は見える。完全に信用しきったわけじゃない。でも「ふたりきりになりたい」という申し出はできるだけ受け入れる。これがオレなりの譲歩だった。


男はオレが距離を置いたのを見て取ると、オレに向かって微かに頷いた。
そして地面に膝をつき、レパルダスと目線の高さを合わせる。何か小声で呟いているみたいだけど、この距離からでは聞こえない。
レパルダスは愛おしげに男の頬に顔を寄せた。男はそれを抵抗することなく受け入れている。
……ああ、寂しいんだ。そう思った。レパルダスも、アイツも。

オレは離れた場所から、一人と一匹のやり取りをじっと見ていた。あのふたりの間には、他の誰も入れない世界がある。それはオレも、そして今の主であるオレの妹でさえ知らない世界だ。レパルダスにはあいつと過ごした5年間がある。それは、オレたちと離れる前に過ごした時間と比較できるものではない。
共に過ごした時間は問題じゃないんだ。レパルダスが何を思い、どう過ごしたか。オレには決して知り得ない時間を、あいつらは共有していた。
だからこそちゃんとした別れが必要なんだろう。もう主は変わったのだと言い聞かせて、新しいパートナーと共に生きていくよう諭さなくちゃならない。

男はまたひと言ふた言呟いて、それからレパルダスの体に腕を回した。レパルダスは目を閉じてその抱擁に身を委ねていた。
その光景を遠くから見ていたオレは、胸がぎゅっと引き絞られるような感覚にとらわれた。男の目に宿る光、その意味を知ってしまったからだった。

あの男は、ポケモンを愛したことがないと言った。いくらでも使い捨てにできると。
……じゃあ、なんで、別れの時にそんな哀しい目をするんだ。それが「使い捨て」にする奴の目かよ。違うだろ。
5年間ずっと一緒だったポケモンと別れて、寂しくない奴がいるはずない。オマエだって寂しいんだ。本当は別れたくないんだ。……たとえ人から奪ったポケモンだとしても。いつかは必ず別れると分かっていても。それでも、寂しい。

愛情を注いだことがないなんて嘘だ。いくらでも使い捨てにできるなんて、嘘だ。
だってオマエは哀しんでる。寂しがってる。そしてレパルダスも同じように寂しさを感じてる。愛情を一切与えられなかったポケモンが、主との別れを寂しがるなんてあるか?愛されなきゃ寂しいなんて思うわけない。
きっとオマエは否定するだろう。だけどこれだけは事実だ。
オマエはレパルダスに愛情を与えてたんだよ。だからレパルダスもオマエを愛して、オマエの命令に従ってきたんだ。そうやって5年間一緒に過ごしてきたんだ。

――なあ、そうだろう?


やり取りが終わったのを見届けて、オレはまたふたりと距離を詰めた。
レパルダスは名残惜しげに男から離れ、オレの元へと戻ってきた。「おかえり」と頭を撫でてやると、レパルダスは小さくくぐもった鳴き声を上げた。オレにはそれがまるで泣いているように思えた。……やっぱり寂しいんだ。別れることを決めたって、その寂しさが消えるわけじゃない。
「待たせて悪かったな。用事は全て済んだ。以後わたしは二度とここには来ない。おまえの前に姿を現すこともない。……それでいいか」
男が温度を感じさせない声でそう言った。その目はあんなに寂しげな色を浮かべてるくせに、声だけは冷たい。そうやって感情を表に出さないことが習慣になってるんだろう。馬鹿じゃないのか。

「……いいわけ、ねえだろ……ッ!」

オレは震える声を絞り出す。恐怖からじゃない。これは怒りだ。コイツが自分の感情をいい加減に扱ってることへの怒りだ。自分の感情くらい大事にしろよ。こういう時は、寂しいなら寂しいって、全身で叫ぶべきなんだ。力ずくで感情を抑えても何の意味もない。
「なんだよ、別れが済んだらもう二度と会わねーのかよ!?会えないわけじゃねえだろ、だってレパルダスはここにいるんだ!会いに行こうと思えばいつでも会えるじゃねーか!なのになんで、そんな今生の別れみたいな言い方するんだよ……!」
怒りの奔流をぶつける。どうか伝わってくれ。頑なに寂しさを否定しようとするコイツに、何が本当に大事なのかを教えたいんだ。

「……おかしなことを言う奴だな。別れが済んだ以上、もう会う必要はない」
「必要があるとかないとか、そんなん関係ねえよ!大事なのは会いたいかどうかだろ!?レパルダスだってオマエに会いたいに決まってる、だったら……だったら、会いに来てやれよ!」
「……」
「ポケモンとの絆ってそんな簡単に断ち切れるものじゃない、別れが済んだからって全部終わりだと思うなよ!オマエとレパルダスの関係はまだ続いてるんだ!レパルダスが!そしてオマエが!互いに会いたいって思う限り!」

オレは、相手がレパルダスを奪った張本人だってことも忘れて必死に訴えた。
ああもう、わけわかんねえ。なんでオレの方が泣きそうになってんだ。本当に泣きたいのはレパルダスとコイツだろ。オレが首突っ込んでいい問題じゃないって分かってる。だけど言わなくちゃ気が済まないんだ。
元の主人が誰とか、奪われたポケモンを返すとか、そんな表面上のことよりも大事なものがある。どんなに歪な形で出会ったにせよ、ふたりの間には確かに絆が生まれてる。今の別れを見て痛いくらいに伝わってきた。その絆は絶対に断ち切っちゃいけない。オレだって、コイツ自身にだって許されてない。
だからオレは叫ぶ。これを最後の別れにすんなって。オマエらの絆は、この先もずっとずっと続いていくものなんだって。

馬鹿みたいに必死になってるオレを見て、男は驚いたように目を見開いた。マスク越しでも分かる。
「……てっきり、おまえはレパルダスとわたしを切り離したいのだとばかり思っていたが」
「最初はそう思ってたよ。でも、レパルダスがオマエを好きだって分かったから、考えを変えたんだ。……それに、オマエだってレパルダスのこと好きなんだろ?」
「……」
男は答えない。オレはそれを肯定と受け取った。

「だったら、もう二度と会わないなんて寂しいこと言うな」

念押しとばかりに繰り返すと、男は呆れの表情を見せた。なんだろう、さっきから妙に表情の変化が分かりやすいような気がする。でもきっとこれは良い変化だ。
「……つくづく意味の分からない奴だな、おまえは」
「言ってることとやってることが食い違ってる奴に言われたくねーよ」
オレは歯を見せてニカッと笑ってみせた。すると奴はふっと視線を逸らしてしまった。

(……あ、)

そこでオレは確かに見た。奴がマスクの下で微かに笑ったのを。目が優しい光を宿している。……笑った。感情をずっと殺してたコイツが、笑った。
ああ、たぶんコイツにはちゃんとオレの言いたいことが伝わったんだ。根拠のない確信がオレの中に芽生えた。そう思ったら嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
コイツはレパルダスをオレたちから奪った奴だ。それは忘れてない。許す気もない。だけど、……根っこの部分はたぶん、悪い奴じゃないんだと思う。

男はまたレパルダスに視線を向ける。もう去ろうと思ってるんだろう。コイツが姿を消すのは一瞬だ。その前にもう一度確認しとかなくちゃいけない。
「……おい!オマエ、オレの言ったことちゃんと分かってるだろーな!?レパルダスに会いたかったらいつでも会いに来いって、そういうことだぞ!」
「ああ。分かっている」
「そんならいい!……えーと、」
呼びかけようとして、ふと言葉に詰まった。そういえばオレはコイツの名前を知らない。ダークトリニティ、黒服の怪しい奴ってことしか。

「――ダークだ」

言いよどむオレの言葉を引き継ぐようにして、男は続けた。素っ気ないたった一言。
それがオマエの名前か、と確かめようとした時には、もう既に男の姿は夜の闇の中に消えていた。目を離した一瞬でいなくなるなんて、本当にニンジャみたいな奴だ。
でもたぶん、これっきり二度と会えなくなるわけじゃない。約束はしてないけど、きっと奴はまた会いに来る。
ダーク、ダーク、ダーク。何度も頭の中で反芻して刻み付ける。絶対忘れるかよ。この先も長く付き合っていく名前だろうから。

オレの隣にいたレパルダスが、月に向かって一声鳴いた。別れの時とは打って変わって楽しそうな声だった。レパルダスにも、アイツがまた来ることが分かるんだろう。予感じゃなく、強い確信として。奇遇だな、オレも同じ思いだよ。
レパルダスの頭を撫でて、オレは空を見上げた。夜明け前にはまだ早く、月の眩い光が青白く世界を浮かび上がらせる。
次にアイツが来るのも、今日みたいな満月の夜なんだろうと思った。





2012/08/08


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