ネオメロ05/花影追憶


かさかさに乾いた地面、道の両側は険しい山々に囲まれている。二人は乾いた風に吹かれながら歩みを進めていた。
フキヨセの外れに位置するこの場所は、かつてこの国でも有数の湿地帯だった。だが今では見る影もない。
山を抜けて広い盆地に出た途端、Nは眉を顰めた。
「……なんて酷い」
辺りは瓦礫の山だった。今は見るも無残な廃墟と化しているが、Nが得た情報通りであるなら、以前はここに大規模な兵器製造工場があったはずだ。煙突の残骸、置き去りにされ煤で汚れた荷車、ぼろぼろに崩れかかった建物――瓦礫の中にも、その名残がいくつか散見される。
「これが現実だ」
トウヤは小さく呟いた。その声には諦めにも似た響きがあった。彼は今までにも幾度となくこういった光景を目にしてきた。戦争という概念は、どんなに小さな命すら、欠片も残さずに根こそぎ奪い去る。この場所もまた戦争の犠牲となった土地だった。


以前まで、フキヨセはこの工場の誘致によって政府から多額の金銭的援助を受け、そのおかげで経済的に恵まれていた。
――全てが瓦礫と化した原因を語るとすれば、出来事は三年前にまで遡る。イッシュは十年以上前から隣接する国々と緊張状態にあったが、それでもなんとか戦争にまでは発展しないギリギリのラインを保っていた。だがその均衡は三年前に崩された。西の国が爆撃を仕掛けたのだ。狙いはフキヨセの兵器製造工場――即ち、ここだ。爆撃によって、工場の作業員だけでなく周辺市民までもが数多く犠牲になった。

突然の事態に、当時のイッシュ国内は騒然となった。隣国への報復を望む者、今までの均衡を保つべきだと主張する者、国内の意見は大いに割れた。そんな中で、報復すべきであるという過激派の代表として名乗りを上げたのが、当時政府直属の研究機関のトップであったゲーチスだ。彼の台頭によって国は戦争肯定の方向へと一気に傾き、結果として現在に至る。
今や全ての科学技術は戦争のために利用され、日々新しい兵器が開発されている。全ては、政府の中枢との強い繋がりを利用して政治を実質的に支配しているゲーチスの思惑通りだった。
一部では、このフキヨセの爆撃でさえ、ゲーチスが政権を手中にするために裏で糸を引いていたのではないかと噂されている程だった。


どんな思惑があったにせよ、この地で多くの命が失われた事実は変えようがない。
Nは唇を噛み締めて、廃墟の中を進んでいった。瓦礫が崩れかかってこないよう注意を払いながら、トウヤが後に続く。
辺りは見渡す限り灰色だった。乾いた土の感触が足の裏に纏わり付く。

ここに、かつては多くの人々が生きていたなど誰が考えられるだろう。
兵器製造工場、それはNが何よりも厭う存在だった。しかし、そこで働いていた人々に罪はあるのか。ある者は生活のために、ある者は国の命令で否応なく作業に従事していた。全員が戦争を肯定していたはずがない。自分が生きるために、他人を殺す兵器を作る。たとえそれが戦争のためであっても、そこで生きていた人々の命が奪われていい理由にはならない。


二人はしばらく歩いていたが、先頭にいたNがふと足を止めた。突如として視界に入った鮮やかな色彩に気を取られたためだ。
「……これは、」
瓦礫を避けるようにして僅かに開いた場所に、一面の花畑が広がっていた。畑は5メートル四方に区切られて花壇に似た作りになっている。そこに植えられた花は全てが同じ種類だった。
「マリゴールド、だな」
驚きで目を見開くNの隣でトウヤが言う。
こんな場所に花畑が自然にできるわけがない。この花壇は人の手によるものだろう。トウヤは注意深くその花壇を観察するが、見れば見るほど何の変哲もないただの花壇だった。……辺りが瓦礫の山であるという以外は。

灰色で満たされた世界の中、色鮮やかに咲き誇る黄金。
こんな場所にも花は咲くのか。トウヤは眩しそうに花々を見つめた。
「……綺麗だね」
「ああ」
「でも、誰が植えたんだろう。わざわざ、こんな廃墟の真ん中で」
最大の疑問はそこにあった。一本も枯れずに成長している様子を見ると、定期的に水やりなどの世話をしている人間が必ずいるはずだ。ならば、誰が何の目的でマリーゴールドを植え、そして育てているのか。単に花を育てたいだけならば、こんな瓦礫の只中に花壇を作る必要はない。……きっと、ここでなければならない理由があるのだ。

Nはその場にしゃがみ、黄金の輝きを放つ花にそっと触れた。乾き切った地面に根を下ろしていながら、その花弁はまるでたった今水やりをしたばかりのように瑞々しい。
「とても大切に育てられているようだね」
この廃墟に来てから初めてNは笑った。いつの時でも花は美しく、人の心を癒す。瓦礫の街の中にあってもそれは変わらない。

一面が死の名残に覆い尽くされる瓦礫の中で、マリーゴールドは色鮮やかな命を咲かせていた。果てのない暗闇に差し込む一筋の光のように。
どちらともなく、二人は静かに目を閉じた。この場所で失われた命に想いを馳せる。どうかこの花たちが、彼等にとって救いになるよう祈りながら。


「……、」
いつまでそうしていただろうか。先に目を開けたのはトウヤだった。
何かが近付いてくる気配がある。視線を上に向けると、上空に小さな飛行機の影が見えた。
――追っ手か。
咄嗟にNの手を引いて立ち上がらせ、守るようにその肩を抱いた。コートの内側に隠していた銃の所在を探り、必要とあればいつでも取り出す準備をする。
「トウヤ、何を……」
Nは戸惑いながら従ったが、トウヤの纏う空気が張り詰めているのを感じ取って口を噤んだ。トウヤの視線の先を追い、Nもまた飛行機の存在を認識する。相手には移動手段がある。人数も、装備の数も分からない。ここで下手に動いたら徒に状況を悪化させるだけだ。Nは手の震えを誤魔化すようにトウヤのコートをぎゅっと握った。

飛行機は何度か旋回し、ゆっくりと廃墟の前に着陸した。最初からこの場所に来ることが目的だったようだ。一人乗りの小型飛行機だ。他に増援が来る様子はない。……相手が一人ならば余裕がある。トウヤは緊張状態を維持したまま、これからの対処を頭の中で巡らせていた。
飛行機のパッチが開き、乗っていた人間が地面に降り立つ。その姿を視認したトウヤは目を見開いた。
「女……?」
乗っていたのは、まだあどけなさの残る少女だった。年の頃はトウヤやNとさして変わらないだろう。空色のパイロット服に身を包み、艶のある赤髪を大きな髪留めでまとめている。右手には透明なポリタンク、左手には緑色のジョウロのようなものを持っていた。目はあのマリーゴールドのように生き生きとしていた。

「あれ、人がいる」

少女は驚きと共に声を上げた。今やっと二人の存在に気付いたらしい。敵意のようなものは全く感じられなかった。トウヤは銃をいつでも取り出せる位置に手を置きながらも、少女に対する警戒心を僅かに緩めた。トウヤの背後に隠れていたNも、いくらかほっとしたように息をつく。
「どうしたのこんな場所で。旅の人?迷っちゃった?」
少女はトウヤの発する殺意に気づいているのかいないのか、まったく物怖じせずに声をかけてきた。
「あ……別に迷ったわけじゃなくて……ここの花畑が珍しかったから、その」
押し黙ったままのトウヤの代わりに、Nがしどろもどもになって答える。トウヤ以外の人間とほとんど接したことのない彼は、コミュニケーション能力が著しく低かった。だが少女は気にする様子もなく、不意に笑った。

「この花畑、気に入ってくれた?」
「ああ……とても綺麗だ」
「ほんと?嬉しいなあ!……あのね、このマリーゴールド、実はあたしが育ててるんだ」

ふふ、と微笑みを零しながら、少女は手にしていたポリタンクの蓋を開ける。中に入っているのはおそらく水だ。その中身を、右手に持っていたジョウロに移し替える。水遣りをするつもりらしい。
水が注がれたジョウロを抱え、少女は花壇を一周しながら、慣れた手つきで花々の上に雨を降らせた。待っていたとばかりに、マリーゴールドはみるみるうちに水を吸収していく。Nとトウヤはそれを黙って見つめていた。ここが廃墟の只中でなければ、水を遣る少女の姿は日常のありふれた風景として映っていたことだろう。だが、そのアンバランスさは却って少女と花の美しさを際立てていた。

ジョウロの水はすぐに尽きた。その度にポリンタンクから水を補充していったが、5メートル四方の花壇に、ポリタンク一つ分の水ではどうしても足りない。なんとかすべての苗に水は行き渡ったが、それでも花が生育するのに充分な量ではなかった。
「マリーゴールドはね、水が少ない状態でもなかなか萎れない、とっても強い花なの。だからこの枯れた土地でも咲いていられる」
水を遣り終えると、少女は花壇の花を見ながらぽつぽつと語り出した。まるで独り言のようだった。

かつてフキヨセは水の豊かな地だった。しかし街の外れに大規模な工場ができたことで、そこから排出される煙や有害物質が周辺地域の環境を変えた。いつしか、フキヨセからは湿地帯が消え、地下水脈も途絶え、人々は僅かな水を頼る生活を余儀なくされた。因果とはそういうものだ。
自然の雨など滅多に降らない。それ故に地面は乾き、ろくに作物すら育たない不毛の大地と化してしまった。
そんなフキヨセの地で、少女はジョウロ片手に人工の雨を降らせる。意味のない行為だと人は笑うだろうか。だが、少女が諦めずに水を遣り続けたからこそ、今こうして廃墟の中に黄金が咲き誇っている。努力は決して無駄にはなっていない。

「ねえ、旅の人。三年前、ここで何があったかは知ってる?」
「……工場が爆撃を受けたということなら」
「うん、そうだよ。たくさんの人がここで命を落とした。この近所に住んでいた子供たちも」
少女は依然として二人に背を向けている。どんな表情をしているかはNには見えなかった。だが、笑っているわけではないということは分かる。
「その子たちはね、痩せ衰えたこの土地に、マリーゴールドの種を蒔いたの。いつか綺麗な金色の花を咲かせようって。工場の排ガスで健康を害し始めていたフキヨセの人たちにとって、その子たちの笑顔は救いであり希望だった。――でもね、……みんな、死んじゃった」

三年前の爆撃はありとあらゆる物を根こそぎ奪っていった。数えきれないほどの命、暗闇の中に光る希望、何もかも。
生き残ってしまった人々の嘆きは筆舌に尽くし難いものだっただろう。だがNには、その悲しみに触れることは許されないような気がした。――間接的にとはいえ、その原因には自分の生み出した数式が少なからず関係しているのだから。

「爆撃を受けた直後のここは、本当に地獄みたいだった。フキヨセのみんなが総出で『処理』して、今じゃこんな瓦礫しか残ってないけど」
少女は続ける。
「だけど、私達はただ失うだけじゃなかった。瓦礫の中で、新しい命が芽生えたの。――それがこのマリーゴールド。あの子たちが蒔いた種は、爆撃にも負けずに強く強く生きていた。私にはこのマリーゴールドが希望に見えたんだ」
二人に背を向けたまま、空を見上げる。厚い雲に覆われた灰色の空。
光すらろくに差し込まず、雨も降らず、地面は乾いている。しかしそれでもマリーゴールドは芽吹き、花開いた。それは奇跡にも近いことだった。

「フキヨセのみんなはここを捨てて、被害の少ない場所に次々と移り住んでいったわ。誰もがあの悪夢を忘れたがってる。
でも、あたしはここで起こったことを、あの子たちの願いを、絶対に忘れたりしない。
この土地をマリーゴールドの花で埋め尽くす日まで、何度でもここに足を運んで、種を蒔いて、水を遣って、ずっとずっと育て続けるの。
――いつか、飛行機に乗って、一面に広がる金色の花畑をこの目で見ること。それがあの子たちとの約束。それがあたしの夢。……馬鹿げてると思う?」

自嘲気味に笑う少女を見て、Nは咄嗟に「そんなことはない」と言おうとした。しかしそれより先に言葉を発した人物がいた。
「いいや」
先程からずっと押し黙っていたトウヤが、誰よりも早く言葉を紡ぐ。
「たとえ子供たちの命が途絶えても、その意志を受け継ぐお前がいれば、記憶は永遠に続いていく。花を咲かせることで、記憶が繋がっていくのなら……俺はその夢を、何よりも美しいものだと思う」
普段はあまり自分の考えを言語化しない彼が、いつになく感情を表に出している。Nは珍しいトウヤの発言に戸惑いながらも、強く頷いた。
「とても立派な夢だよ。ボクらにもその夢を応援させてほしい」

すると少女は一瞬泣きそうに顔を歪めて、しかしすぐに満面の笑みを浮かべた。
「うん、……うん、もちろん……!」
誰に言ってもろくに相手にされなかったその夢を、認めてくれる存在に出会えたのだ。たとえ相手が見ず知らずの人でも、嬉しかった。夢を認められるということは、少女自身の生き方も肯定されることと同じだったからだ。


少女はにっこりと笑った。とても晴れやかな表情だった。
「こんな話、最後まで聞いてくれてありがと!お礼にいいこと教えてあげるね!」
いいこと?Nとトウヤは同時に顔を見合わせた。構わず少女は続ける。
「申し遅れちゃったけど、あたしの名前はフウロ。政府直属の監察機関の一員として、ここフキヨセの管理を任されてるんだ。……それでね、政府から、ある人物を発見したら即座に報告するよう命令されてるの。――緑の髪に白衣を着た天才数学者『N』をね」
「な……!」
Nは絶句した。こんな若い少女が、監察機関の一員――相当な実力者であるという事実、そして何より、彼女が自分を追う側の人間であったということ。信じられないが、少女の目は嘘をついていなかった。つまり全てが事実だ。
咄嗟にトウヤは身構えた。いくら少女に敵意がないとはいえ、向こうが敵対する立場であることを自ら明かしたのだ。しかもNのことまで見抜かれている。警戒せずにはいられなかった。

二人のそんな反応を受けて、少女――フウロはおかしそうに笑った。
「想像通りの反応ね。そう、政府が今死に物狂いで探してるのはあなた。でも安心して。あなたたちのことを政府に報告したりしない。絶対に約束するわ」
「でも……命令なんだろう?」
Nが恐る恐る尋ねると、フウロは、なんだそんなことか、とばかりに瞬きを繰り返した。
「あたしが政府の命令なんて素直に聞くと思う?知ってるだろうけど、監察機関の人間ってだいたい政府のこと毛嫌いしてるのよ。勿論あたしもね。……それに、あなたみたいに素敵な人を政府に引き渡したらろくなことにならないって分かってるもの」
あなただって捕まりたくないでしょ?とフウロは首を傾げて問う。言われるまでもないことだった。今政府に見つかるわけにはいかない。
ここは素直にフウロの言葉を信じた方がよさそうだ。旅の同伴者の意見を仰ぐためにちらりと目配せすると、トウヤも同意するように小さく頷いた。トウヤはフウロを信用に足る人物だと判断したらしい。

「……それなら、お言葉に甘えて見逃してもらうよ。ありがとう」
「お礼なんていらないわ。あたしは今日誰にも会わなかった。いつものように一人でここに来て、花に水を遣っただけ。何も言わずにいればいいだけの話だもん」
だから、と少女は笑う。
「二人とも、ちゃんと逃げ切ってね」
「うん。またどこかで会えたら、その時はよろしく」
Nが言うと、トウヤも頷いてフウロを見た。
夢を心に宿した少女はこんなにも強い。マリーゴールドのようにしなやかな美しさを纏っている。
きっとこの少女は、二人が逃避行を続ける間にも、影ながらに助力してくれるのだろう。トウヤは自分からフウロに名乗ることはしなかったが、それでいいのだと思った。名を知らずとも、この少女ならば分かってくれるはずだ。今日初めて会ったはずの彼等だったが、不思議と固い絆が生まれていた。


それじゃあまた、と少女はジョウロを片手に飛行機へ戻っていく。
Nとトウヤは、彼女の飛行機がゆっくりと飛び立ち、影が小さくなって見えなくなるまで、ずっとその機体を目で追っていた。
彼女の操縦する青い飛行機は、深い空の青を連想させた。フキヨセの空はまだ灰色だが、いつかあの澄んだ青が見える時が来るのだろう。そしてその時は、きっと地上には満開の黄金が咲き誇っているに違いない。
もしその時が来たら、今度は逃亡者としてではなく、また別の形で堂々と彼女に会いに行きたい。夢の成就を讃えるために。

二人は灰色の空を見上げた。自分にも、彼女のような夢を持つことができるのだろうかと思いながら。





(いつか、陽のあたる場所に出れるまで)





2012/05/24

【BGM】Marygold/buzzG feat. GUMI


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