ネオメロ03/腐敗連鎖


「パソコンが欲しい」
きっかけはNのその一言だった。人目を避けながら夜の道を歩いていた最中のことだ。少し前を歩くトウヤのコートの裾を引いて、遠慮がちに声をかけた。トウヤが「パソコン?」と問い返すと小さく頷いて話し出す。
「やっぱり情報を得る手段がないと不安だよ。政府の動向についていちいち人から聞き込みしていたら時間もないし、何より情報の信憑性に欠ける。ボクがパソコンを使い政府の情報システムに介入した方が効率的だと思う。情報は多ければ多いほど逃走経路も立てやすいだろう?……それに」
Nの声は徐々に小さく萎んでいった。ちらり、とトウヤの額に目をやって、ひどく申し訳なさそうに肩を落とす。
「……前にあんなことがあったばかりだし」
トウヤの額には、数日前の襲撃の折、敵によってつけられた傷がガーゼの下に隠されていた。Nは自分のせいでトウヤが怪我をしてしまったことを気に病んでいるのだ。

数日前の襲撃事件が起こってから、二人は極力夜間に移動するようにしていた。人が住む場所を一歩離れるとすぐに剥き出しの荒地ばかりが広がるこの国では、身を隠す場所が限られている。街から街へ移動する際はそれが大きな障害となった。あれ以来新たな追っ手が再び二人の前に現れることはなかったが、いつ発見されるかも分からない状況だった。

トウヤの怪我も、元はといえばNが政府の情報網を侮ってかかり、本気で逃げようとしてこなかったために、突然の襲撃に十分な対処ができなかったせいだった。トウヤは以前にも幾度となくNに警告を発していたが、Nはそれらを悉く無視してきた。大丈夫、焦ることはないよ、と笑いながら。
だが、その根拠の無い自信はトウヤの負傷というNにとって最悪の事態を以って粉々に砕かれた。後悔を覚えてももう遅い。だが、どれだけ「ごめん」と謝っても、トウヤは困ったように眉根を寄せてNの頭を撫でてくるだけだった。トウヤは決してNを責めない。その優しさを嬉しいと感じる以上に心苦しかった。

ならば、とNは思う。後悔をしていつまでも迷惑をかけるより、今の自分にできる最大限のことをしたい。それでもNにできることなど高が知れていた。今の状況で考え付くのは、ハッキング技術を使って少しでも多くの情報を得ることくらいしかなかったのだ。そのためにはパソコンがどうしても必要だった。
Nがそこまで考えて「我侭」を申し出ていることをトウヤは気付いていたのだろうか。俯くNを無言でじっと見つめ「分かった」と答えた。

「……もう少し行った先に、ホドモエという街がある。そこでなら手に入るはずだ」

二人の姿を人目に晒すというリスクを負っても、トウヤはNの望みを優先した。もとより、今のトウヤにはNの願いを叶えてやることでしか生きる理由を見出せないのだ。



溢れ返る人、物、そして人。Nはごった返す商店街を見て呆気に取られた。
「すごい……こんなにたくさんの人を見たのは初めてだ」
「ホドモエは物流の中心地だからな。各地から人が来る」
人ごみではぐれないよう手を繋ぎながら、二人は目的の店へと向かう。通路は本来なら結構な広さがあるのだろうが、人がひしめいているせいで狭く感じた。通路の両脇に並ぶ店には食物や雑貨類を初め、ありとあらゆる種類の「モノ」が揃えられていた。店の明かりが煌々と街全体を照らす。


トウヤによると、ホドモエは元々港町として栄えていたらしい。しかし数十年ほど前から徐々に海の汚染が深刻化し、中心産業であった漁業が衰退していった。そのうち海だけでなく水脈までが影響を受け、作物を育てられるだけの綺麗な水を得ることも難しくなった。一時期は飲料水を確保するだけで精一杯という状況にまで追い込まれた。
だが政府はホドモエがそのような危機的状況に陥っても対策を取ろうとしなかった。環境汚染による第一次産業への打撃はもはや「仕方の無いこと」との判断だった。
利便性を追求し高度に文明化された都市部では、地方の村がどれほど苦しい状況に置かれているかを知らない者が多いという。自分たちの生活が何によって支えられているかを考えようともしないまま、高層ビルで構成された狭い社会に満足してしまっている。

作物の栽培によって生計を立てていた農村が消滅していく事例は、この国では珍しくない。ホドモエは政府に見放されたのだ。
誰もが他の街への移住を考えた。生まれ故郷を離れたくはないが、それ以上に自身の生活を考えなければならなかった。
しかしそんな中、一人の若者が声を上げた。「商売をしよう」、と。


「……そこからの発展は見ての通り。今じゃ物流の中心地だ」
「へえ、話を聞く限りじゃかなり深刻な状況だったみたいだけど、よくここまで持ち直せたね。いきなり第三次産業に切り替えようとしても失敗することが多いのに。ホドモエの人達は勿論、指導者となった人物も優秀だったんだろうね」
Nが関心していると、脇の店から威勢の良い声がかかる。
「当たり前さ!ヤーコンさんは本当に凄いんだから!」
二人が顔を上げて声のした方を向くと、青果店の店主らしき女性の自慢げな笑顔がそこにあった。

「その『ヤーコンさん』が、ホドモエを復興に導いた人なんですか?」
「そうだよ。ホドモエの地理を生かした商売のやり方を一から教えてくれたんだ。ヤーコンさんがいなかったら今のホドモエはないよ」
女将はうんうんと頷きながら語った。ホドモエが瀬戸際に立たされていた頃のことを思い出しているらしく、懐かしげに細められた瞳には過去の苦労や喜びが滲んでいた。
「今でも、わざわざ遠くから来てヤーコンさんに教えを受けようっていう人らは後を絶たないくらいだ。……まぁ、今はホドモエにいないけどね、ヤーコンさん。よりによって政府から直々に召集を受けちまって」
トウヤとNは同時に顔を見合わせた。
「いつもなら召集なんてすぐ跳ね除ける所だけど、なんだか重大なことらしくてね。渋い顔で中央に行ったそうだよ」

一度政府に見放されたこともあり、ホドモエは政府の力に依らない完全な自治制を敷いている。半ば独立した街として機能しているため政府の影響力も薄い。トウヤがここに立ち寄ることを提案した理由もそこにあった。だが、そのホドモエにまで政府から召集が掛かったという。
「重大なこと」とは、まさかNの脱走に関することなのだろうか。可能性が無いわけではない。前に追っ手に発見されて以来、再び遭遇してはいないものの、だからといって油断は禁物だった。政府の動向に逐一注意し、何かしらの動きがあった場合にはすぐに対処する準備をしておかなければならない。Nは、もうあのような―――自分の油断でトウヤに危害が加えられてしまうのは嫌だった。

二人の間に一気に緊迫した空気が流れたのを感じ取ったのか、女将は首をかしげた。
「……あんたら、もしかして政府に目ぇ付けられてたりするのかい?」
「!」
「えっ……あ、いや、」
核心を突くかのような店主の発言に、トウヤは眉をほんの少しだけ動かし、Nは目に見えて動揺した。しかし女将は意に介さずといったような顔で、おおらかに笑った。
「そんなに慌てることはないよ。何を心配してるかは知らないけど安心しな。どんな命令が来ようが、ホドモエがそう易々と政府に従うわけないさ」



二人は商店街の喧騒から離れて海沿いの広場に来ていた。目当ての店は街の中心地から離れた所にあるという。到達するまでにはあともうしばらく歩く必要があった。だが、長らく軟禁生活下に置かれていたNはまだ長時間の移動はできない。並んで歩くNの速度が遅くなったのを感じたトウヤは、まだ大丈夫だよ、と首を振るNを引きずり、街道を外れてこの広場へ連れてきた。どんなに隠そうとしてもトウヤはすぐにNの疲労を見抜いてしまう。

「さっきはかなり焦ったよ。女性の勘は侮れないね。たったあれだけのやり取りで、ボクたちが政府から狙われていることを見抜いてしまうなんて」
青果店の女将から「持っていきな」と渡された林檎を見詰め、Nが欄干にもたれた。隣でトウヤもまた、先程渡されたトマトにかぶりつく。赤く熟れた果肉から溢れ出る汁が口元を濡らした。
それを見ていたNが大きく口を開けて林檎を齧った。だが白い歯はそれ以上林檎に食い込むことはなく、Nは瞳を潤ませて「いひゃい……」と弱々しく呟いた。

「無理してまるごと食べようとするからだ。ほら」
差し出された手に促されるまま、Nは食べかけの林檎をトウヤに渡した。するとトウヤはどこからともなく小さなナイフを取り出して、林檎の皮を剥いていく。暗殺者という立場上刃物の扱いに慣れているのは当たり前だが、思わず見とれてしまうほどに美しいナイフ捌きだ。その慣れた手つきをNは興味深げに覗き込んだ。
「さすがトウヤ、器用だね」
「このくらい出来て当然だろう。……お前と違って」
「うわ、もしかして嫌味?」
「もしかしなくても嫌味のつもりだったけど」

トウヤは微かに笑い、食べやすいサイズに切った林檎をNに差し出す。普段は滅多に見ることのないトウヤの無邪気な表情を目の前にして、Nの心臓が否応なしに跳ねた。振る舞いが大人びているせいで忘れがちだが、思えばトウヤはNよりも年下なのだ。こうして時折垣間見える「少年らしさ」にどういう反応を取ればいいのか分からなかった。

「……キミの言う通りなのかもしれない。ボクには、まだまだ経験が足りないみたいだ」
まるで空気の抜けた風船のように萎れた声だった。トウヤの顔から笑みが消える。
「知識や理論ばかり先走って、行動が伴わない。そのせいで―――ボクがキミの忠告を蔑ろにしてしまったせいで、」
早口で繰り出される言葉の数々を、トウヤはNの腕を掴むことで制した。咄嗟にNは唇を引き結んで目を見開く。
「……そのことはもう、言わなくていい」
Nが自分を責めるのを見ていられなかった。確かにNは理論を優先してしまうことが多い。政府の動きを見極め切れずに襲撃を受けたのもまた事実だ。しかしだからといって自分を責めていい理由があるはずがなかった。

Nは何年もの間、半ば幽閉に近い形で地下にたった一人押し込められていたのだ。パソコンのディスプレイに映し出された世界が彼の全てだった。そこから引きずり出されてすぐに順応しろという方が無理な注文だろう。経験不足なのは当たり前だった。その「当たり前」を肯定できないためにNは自己嫌悪に陥る。
俯いたNを見てトウヤは表情を歪めた。力が、足りない。Nに欠けた部分を補えるだけの力、「俺が何とかする」と胸を張って言えるだけの力が。

重い沈黙に耐えられなかったのはNの方だった。追い詰められた自分を誤魔化そうと、手渡された林檎を無理矢理口に運んだ。林檎特有の酸味と甘味が同時に口の中に広がる。
「……おいしい……」
無意識に言葉が零れた。ふ、と安心したような表情が浮かぶ。加工食品に慣れたNの舌は、林檎の甘酸っぱさを新鮮な驚きと共に出迎えた。
この林檎は主要産業を商業に転換したホドモエで栽培された、数少ない作物の一つだった。人工的な要素が何ひとつ入っていない、自然本来の味。
「……知らなかったよ、林檎がこんなにおいしいものだなんて」
いつもならば「林檎って素晴らしい!」と目を輝かせて騒ぎ立てるNだったが、今は打って変わって泣き出しそうな顔をしていた。
「ううん、林檎だけじゃない。ボクにはまだまだ知らないことばかりだ。知っていたつもりでいたけど全然違うことが山のようにあった」
Nはトウヤの手から林檎の最後の一切れを掠め取り、三口で平らげた。口内ですり潰した林檎を嚥下して、トウヤに向き直る。その瞳は真摯な光を映していた。

「……トウヤ、ボクはまだ知らない。ボクたちが戦っている相手―――政府の、本当の姿を」

だから教えてくれないか。そう言ってNはトウヤを見詰めた。
自分に欠けているものが何か分かったなら、あとはもう迷う必要は無い。欠落を抱えて悲観する暇があれば、その欠落を埋める努力をするべきだ。知らないことなら尋ねればいい。足りないものなら求めればいい。
既にNの心は決まっていた。トウヤは、覚悟を宿したNの瞳に引き込まれるようにして「分かった」と頷いた。


「……この国を統治する最高機関は何だか分かるか?」
「表向きには、政府。……だけど実際は違う」
Nが答えるとトウヤは頷いた。この国では、一部の有力者で構成された評議会が大きな決定権を持っており、政府は実質的に傀儡政権と化している。国の元首も評議会の息がかかった人物で、評議会の人間に有利な政策しか採らない。
「今はアデクとかいう長官が政府をなんとかしようと奮闘しているらしいが、監察機関送りになるのも時間の問題だろうな」
政府の中にもまともな人間はいくらかいる。だが、そういった者達は早くから目をつけられ、表立った行動を起こす前に「監察機関」と呼ばれる組織へと強制的に異動させられるのが常だった。

政府の下位組織は研究機関・軍事機関・監察機関の三つに大別される。その中のひとつである監察機関は、政府や他機関の監督・査察を役割としている。だが実際は現政府に反抗する人間を押し込めておくための機関であり、実質的な権限はほとんど無い。その性質から「人材の墓場」と呼ばれることもある。監察機関送りとなった者は、名前だけの役職を与えられて、政府から遠く離れた僻地に追いやられる。いわば左遷だ。そうやって有能な人材は飼い殺され、政府はますます堕落の度合いを強めていくだけだった。

「政府はもう手の施しようがない。……かといって他に望みがあるわけでも無いんだが。今の評議会は政府以上に酷い有様だ」
トウヤは溜息をついた。この国の中心はどこもかしこも腐りきっている。
評議会は数百人の議員によって構成されているが、大きく分けて六つの派閥が存在している。それぞれのトップに立つのが「賢人」と呼ばれる者たちだ。従来は、掲げる主張がその六人でまったく異なっていたために、誰か一人の意志だけが議決に採用されることは滅多になかった。一人の賢人が主張を通そうとすれば、他の派閥に属する賢人たちが一斉に反発して幾度も議論が繰り広げられ、結果的に多くの人間が納得するような結論に達する。そうやって今までの評議会はある程度まともに機能していた。

だが、数年前から評議会のシステムが狂い始めた。それまで対立するだけだった六つの派閥が結びつきを強めていったのだ。あまりにも不自然かつ突然すぎるこの変化は、各派閥のトップに立つ賢人の意向だった。賢人は頑なに他派閥との争いを拒んだ。派閥内における賢人の影響力は絶大で、その意向に従う者が続出した。中には他と協力関係になることに猛反発する者もいたのだが、それらの人間はやむなく属していた派閥を去り、少数派として肩身の狭い思いをすることを余儀なくされた。
このような変化は全体に浸透していき、評議会は「議論する場」から、単なる「賛成する場」になってしまった。当然ながら誰かが意見を出せば、他の派閥は反対することはないため、すんなりと議案が通ってしまう。少数派の者らがいくら異議を唱えようと多勢に無勢だ。評議会は、あっというまに「議会」としての形を失っていった。

「でも、何故そんなに突然……」
Nが眉根を寄せて考え込む。隣にいたトウヤは「これは憶測に過ぎないが」と前置きをしてから言った。
「主張がばらばらだった六賢人が急に一つにまとまった裏には、研究機関が裏で糸を引いている可能性が高い」
「……研究機関が?」
Nはトウヤの言葉に懐疑的だった。研究機関は彼が名目上属していた組織だ。名前の通り研究を主としているため、政治とは直接の関係がないと考えているのだろう。
「何も驚くようなことじゃない。現在研究機関のトップにいるゲーチスという男は野心家で有名だからな。今の地位より更に上を目指しているとしても不思議じゃない」

ゲーチス、という名を耳にしたNはびくりと肩を震わせた。トウヤがその反応を見逃すはずが無い。
「知ってるのか」
「……知ってる、というか……会ったことがあるんだ。ボクが地下研究所に押し込められる前、一度だけ」
しかしNはそれきりゲーチスという男については何も語らなかった。居心地悪そうに目を泳がせる。何かを隠そうとしているのは明白だった。トウヤはしばらく挙動不審な彼の様子を見ていたが、その件に関しては触れてほしくないという雰囲気を感じ取りそれ以上は言及しなかった。

「あの男は頭が切れるし、何より話術に優れている。後ろ盾が無い中、実力だけで研究機関のトップに上り詰めた男だ。どんな方法を使ったかは知らないが、もしあいつが賢人たちを丸め込んだと考えるなら、この不自然な派閥の統合も説明が付く。……厄介な相手だ」
政府を操っているのは評議会で、その評議会を動かしているのは研究機関のゲーチス。更に悪いことには、研究機関は軍事機関とも繋がりが強い。軍の使う兵器はそのほとんどが研究機関が開発したものだからだ。ゲーチスという男は、政府の下位組織にいながら、国のほぼ全ての実権を握っているといっても過言ではなかった。

「問題なのは、この状況の異常さに気づいているのが国の一部の人間だけだということだ。そしてそいつらは上からの圧力で自由に動けないでいる」
都市部以外の地方も同じ状態だった。少しでも政府に疑問を抱けば見捨てられる。ホドモエのように自力で立ち直れる街はごく一部でしかない。政府の擁する軍に守られていなければ、他国からの侵略に耐えることすら難しいのだ。ゆえに、地方の街や村は、いくら重税をかけられようとも異を唱えられない状況に置かれていた。

「これだけ権力の集中が起これば、当然反発する人間も大勢いる。俺のところにあの男の暗殺依頼が回ってきたこともあった」
「……でも、断ったんだ」
「勿論。できない仕事は最初から引き受けない主義だからな」
その言葉は暗に、ゲーチス暗殺がトウヤの腕を以ってしても不可能だということを示していた。ゲーチスほどになると、身辺の警護が厳重すぎて近寄ることすら出来ない。特にSPとして付いている三人が相当な手練という話だ。セキュリティシステムのように機械が障害として立ちはだかっている場合なら楽なのだが、相手が生身の人間だとそうはいかない。暗殺を恐れて屋内に引きこもる者よりも、暗殺できるものならやってみろと言わんばかりに堂々と外を出歩く者の方が暗殺の対象としては始末が悪い。ゲーチスは後者に属する人間だった。

「ゲーチスは計算高く周到だ。俺たちの居場所が早い段階で特定されたということは、政府総出で捜索に当たらせているんだろう。奴にとってお前の存在はかなりの懸念材料らしい」
「うん……あの人ならきっと、一刻も早くボクを捕まえようとするだろうね……」
そう答えるNは心ここにあらずの表情で、何か別のことを考えているのか、それとも何も考えていないのか判別できなかった。トウヤは眉を顰め、Nの額に手を当てた。

「N、どうした?さっきから上の空だ」
するとNは弱々しく首を横に振った。
「大丈夫だよ、心配しなくていい。少し考え事をしていただけだから」
「そうは見えない」
「大丈夫だって」
「……大丈夫じゃない奴に限って『大丈夫』と言うんだ」

咄嗟にNは反論しようとしたが、また「大丈夫」と口走ってしまいそうな気がして口を閉ざした。うまく隠し事ができない。トウヤは溜息をついた。
「……疲れてるんだろう。いつもより長く歩かせた俺が悪い。お前のペースに合わせられなかった。今日はもう先に行かずに宿を取ろう」
Nは素直に頷き、差し出されたトウヤの手を取って立ち上がる。脳が休息を求めていた。一気に様々なことを詰め込みすぎたのだろうか。与えられた情報量自体は少ないものの、その情報が自分自身にも深く関係しているのだと実感するのに時間がかかった。理解を急いだところで何にもならない。そのことは分かっているつもりだった。しかし、少しでも早く外の世界に慣れようと―――自らの無知によってトウヤに迷惑をかけたくないあまり、焦ってしまっている自覚はあった。

いつまでもトウヤに頼り切っている自分を叱責する一方で、もう少し甘えていたいとも思う。
Nには握られた手を振り払う強さもなく、胸の奥に生じた痺れを抑えて歩き出した。





(キミがこんなに優しくなければ、ボクだって簡単に諦められたのに)





2011/02/13


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