トキハナテ


ガラス越しに対面した男はひどくやつれていた。血色の悪い顔にこけた頬。なのに瞳だけが鋭い。食事をとることも拒否して、今は点滴でなんとか現状を維持しているらしいと聞いた。世界の頂点に上り詰めようとした男の末路だ。
少年は面会室にやって来た男が席に着くやいなや、冷たい声で男を詰問した。

「Nの首を絞めたのはお前だろう」
語気には確かな怒りが込められている。男は少年の怒りにもまったく動じずに首をかしげた。
「さて……何のことでしょう」
「ふざけるな」
男を強く睨む。今の少年に勿体ぶって見せたりはぐらかしたりするのは逆効果だ。その分だけ少年の怒りは激しさを増す。
「……ゲーチス。お前はかつて、幼いNに恐怖の記憶を心の深層に刻みつけた。そしてその記憶はあいつを今でも苦しめ続けている」
男は興味深げに「ほう」と呟いてみせた。

「『見た』のですか、アレの記憶を」
「あいつを物のように呼ぶな」
「モノですよ、アレは。人の心など持ち合わせていないただの人形なのですから」
「あいつの心の悲鳴に見向きもしなかったのはお前の方だ!」
握り拳を机に強く叩き付けた。守衛が慌てて腰を浮かせたが、一睨みして黙らせた。いつになく言葉が乱暴になっているのを自覚する。激情に流されては男の思う壺だと分かっていても、こみ上げてくる怒りが止まらない。

「Nはこう言っていた。『死にたいと思うくらいなら生まれてこなければ良かった』って……お前のちっぽけな望みを叶えるために、あいつはどれだけ苦しんだと思って……、」
「それが何か?」
悪びれた様子もなく平然と返す男。少年はぎりぎりの所で殴りかかりたい衝動を抑えた。自分を落ち着かせるために深呼吸を数度繰り返した。今は耐えろ。彼を束縛から自由にすることが何よりも最優先だ。ガラスの向こうで男がせせら笑っている。

「そもそも、アナタはワタクシと会うことで何をしようというのですか?あれにかけた暗示を解けとでも?幼い頃より十年以上に渡って染み込ませたものをそう簡単に拭い去ることができるとでも思ったのですか?無理な話です。今更ワタクシがどうこうしたところで何も変わりませんよ。……ましてやアナタの力など話にならない」

男は勝利したかのような満足顔で言った。野望も何もかも打ち砕かれた男に残ったのは、くだらない自尊心と、傀儡としての「息子」だけなのだ。叶わなかった夢の残骸を必死で守り通そうとする男を見て、少年の怒りは急に静まった。

――ボクは、キミと共に生きたい。

いつだったか、そう言って笑った彼の姿を思い出す。彼は自らの意志で人生を選択し始めているのだ。男に操られるだけの人形ではなくなった。深層意識に刻み付けられた恐怖の記憶、そこから生じる悪夢を消し去ることができれば、彼は真の意味で自由となる。男の思い通りになど、させない。

「……奪ってやる」
少年は立ち上がり、男を見下ろしながら言い放った。
「俺一人の力は微少でも、少しずつ、少しずつ、あいつを悪夢から引き離していく。そしていつか……Nをお前から完全に奪い取ってみせる」
男は嘲笑した。
「奪う?……戯言を。ワタクシはあれのことなど端から見捨てているというのに」
「そう言っておくことで牽制を掛けたつもりになっているのなら馬鹿げてる。お前は自分の『所有物』が他人に奪われるのを誰よりも嫌っているはずだ。……たとえそれが『見捨てた』と言い張っているものであったとしても」
男はその時初めて眉間に皴を寄せた。図星である証拠だ。その余裕は確実に崩れ始めている。

少年は男に背を向け、面会室を出て行こうと扉に手をかけた所で立ち止まった。
「……最後に、一つだけ。いい加減その鬱陶しい敬語はやめとけ。慇懃無礼で腹が立つ」
すると男は盛大に大笑いした。少年にはそれがせめてもの負け惜しみのように思えた。
「これだから頭の良い子供は嫌いだ。何も考えず、大人しく言いなりになっていればいいものを」
敬語が消えていた。おそらくこれが男の素なのだろう。あの口調は権威と余裕を示すための演技だったようだ。少年が男に向かって振り返る。両者の視線が交わって火花を散らした。

「……アレに掛けた暗示は強力だぞ」
「望むところだ」

たった今、宣戦布告は受理された。少年と男の戦いはここから始まる。


(彼を自由にするのは俺の役目だ)





2010/10/01


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