そして今は腕の中


「せんせー!アカギせんせー!」
幼い少女が勢いよく扉を開けて私の家に入ってきた。
「見て見て!フワンテつかまえたの!すごいでしょ!」
少女の傍らにはフワンテが浮いている。なるほど、それを報告するために急いできたらしい。私は思わず笑った。
「ナツが一人で捕まえたのか?」
「うん!先生に教えてもらった通りにやったんだよ!そしたらかんたんにつかまえられたんだ!」
「そうか、それは良かった」
「うん!先生ありがとう!……あのねせんせー、ナツね、もっともっとたくさんポケモンつかまえて、もっともっとたくさんポケモンとなかよくなって、つよいトレーナーになるのが夢なの!先生は、ナツの夢かなうと思う?」

少女―――ナツは、瞳をきらきらさせて私を見る。ポケモンを『道具』として扱うことなど思いもつかない純粋な瞳。この子にとって……いや、『人』にとって、ポケモンは友達なのだ。
あの頃の私はそのことに気付けず、ポケモン道具扱いし、実験に使った。あるはずのない『完璧な世界』を夢想して歪んだ道を生きていた。

「……せい、ねえ、先生ってば」
ゆさゆさと揺られて、やっと私は現実に引き戻された。
「あ、あぁ、すまない。少し考え事をしていた」
一度思考の海に飛び込むとなかなか戻ってこられないのが私の悪い癖だ。視線を下に向けると、ナツが拗ねたように頬を膨らませて私を睨んでいた。

「ナツがしんけんに話してるのに、先生は上の空なんだから!ひどい!」
「だからすまないと言っているだろう……話はちゃんと聞いていた。ナツならきっと強いトレーナーになれる」
「……ほんと?」
「本当だ。私が保証する。……だがなナツ、ポケモンを闇雲に鍛えるだけでは駄目だ。強さだけに固執して、ポケモンとの絆を蔑ろにした者は必ず負ける。ポケモンと深い絆で結ばれた者こそが、真のトレーナーになれるのだ」

大切なのは強さでなく、絆。
そのことを身を以って私に教えてくれた子供がいた。灰色に染まっていた私の世界に色を与え、歪みきってた私の生き方を大きく変えた、優しい心を持ったポケモントレーナー。
ナツは「うん、ナツもりっぱなトレーナーになれるようにがんばるね!」と大きく頷いて笑った。その笑顔はどことなく、あの少年を思い出させた。
……あの少年は、今頃どうしているのだろう。


数年前まで私はギンガ団のボスの座にあり、不完全なこの世界を変えようとしていた。しかし私の野望はあの少年によって打ち砕かれ、初めて完全な敗北を知った私はしばらく茫然自失のまま放浪生活を続けた。少年の前では大口を叩いてみたものの、敗者である私にはもはや野望を再び実行に移す気力など残っていなかったのだ。

放浪の末、私は今住んでいるこの村にたどり着いた。市街から外れた小さな村だ。私は手持ちの金で無人だった家を買い、腰を落ち着けた。なぜこの村を選んだかは自分でも分からない。しかし自然に囲まれた生活の中で不思議と心が凪いでいくのを感じた。
初めの内こそ他者との交わりを拒んでいたために村人からは不気味がられていたが、次第にポケモンを通じて村人とも少しずつ会話をかわすようになった。今では村の子供たちにポケモンに関する知識を教えたりしている。ナツもその一人だ。
この村は田舎ゆえに外からの情報があまり入ってこない。あの子供は、私を倒してからどこへ向かったのか。あれほどの強さだ、ポケモンリーグに挑戦したかもしれない。


「あっ、そうだ!」
フワンテと遊んでいたナツが思い出したように顔を上げた。
「ねえ先生、知ってる?今ね、ナギサシティにポケモンチャンピオンが来てるんだって!」
タイミングの良すぎる言葉に私は驚きで固まった。
「……チャンピオンが来ているのか?」
「うん、パパが言ってたからほんとだよ。チャンピオンっていちばん強いんだよね!すごいなぁ、この村に寄ってくれたりしないかなあ、一回でいいから会ってみたいなぁ」
ナツは夢見るような目と口調でうっとりと語る。チャンピオンといえば全てのトレーナーの憧れだ。そして一般人ではなかなか会えない人物でもある。一目見たいと思うのはトレーナーとして当たり前の感覚だろう。
しかし、この村は中心街から遠く離れた田舎だ。周辺に珍しいポケモンが出現するわけでもなく、チャンピオンが立ち寄る理由などどこを探しても見つからなかった。
「残念だがナツ、チャンピオンはこの村には……」
そこまで言いかけた所で、私の言葉は遮られた。

「アカギ先生!せっ、先生に、お客さんがっ!」
大きな音を立てて扉を開けたのは、私の生徒の一人であるショウだった。全速力で走ってきたのか、ぜえぜえと肩で息をしている。
「客だと?」
私は眉間に皺を寄せて首を傾げた。私は過去の関係を全て断ち切ってこの村にやって来たのだ。昔の私を知る者がこの村を訪ねるはずがない。一体何者だ?
私の疑念をよそに、ショウは興奮と驚きが混じった声で早口に喋る。
「あのさ、さっき村の入り口で聞かれたんだ、『こちらにアカギという名の男性はいませんか』って!オレ、信じられなかった!先生があんな凄い人と知り合いだったなんて!」
凄い人。そう言われて犯罪者しか思い浮かばなかった私は自身の業の深さに溜息をついた。だが、ショウが興奮するほど偉大な人物は知り合いに思い当たらない。見間違いではないのだろうか。
「見間違いなんかじゃないんだって先生!だってオレ、先週ナギサシティに行った時に見たんだ!あの人は―――」


「こちら、アカギさんのお宅ですか?」


ショウの言葉を遮って、快活な青年の声が部屋に響いた。開け放たれた扉の前に声の主は立っていた。
何年経とうと忘れるはずのない、その顔。
記憶の中にある顔はまだ幼さを残していたが、今目の前にいる彼はかつての面影を残しながらも随分と大人びて見えた。数多の厳しい闘いを経てきた顔だとすぐに分かった。

何故私がこの村にいることを知っているのだとか、よりによって私に会いに来るとはどういう了見だとか、言うべきことはいくらでもあった。しかし私は驚きを通り越して、ひどく穏やかな心で彼と視線を合わせた。この顔には悪い思い出しかないはずなのに、懐かしく感じてしまうのは何故だろう。
私は落ち着いた声で言った。

「私に勝利した君ならば不可能ではないと思っていたが……本当にチャンピオンになっていたとはな」
すると青年はちょっと笑って、
「だって、チャンピオンにでもならないと、あなたの居場所を突き止めるための情報網は手に入らないでしょう?」
と、問題大有りの発言をした。
本来なら驚き呆れる所だが、この時ばかりは皮肉の言葉が出てこなかった。
ギンガ団の元ボスであるこの私が、組織を潰した張本人と再会してほんの少しでも嬉しいと思ってしまったなど、言えるはずもない。
青年はまたにっこり笑って、私へと近付いてくる。二歩、三歩。狭い家だからすぐに距離が縮んだ。数年のうちに青年の身長は私を軽々と追い越したらしい。青年を見上げる形になるのが少し腹立たしく、新鮮でもあった。

「……抱きしめていいですか?」
「…………好きにしろ」

あろうことか、私はナツとショウが見ているにも関わらずその申し出を承諾してしまった。久しぶりの再会が思考能力を麻痺させている。
思ったよりも大きな腕に抱かれながら、私はこの状況についてこれから子供達にどう説明しようかと途方に暮れた。


(今度はもう離しませんよ)




2010/08/08


[ index > top > menu ]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -