いつだったか、私はある男のことばかりを考える日々があった。土井半助、私の目の前でそそくさと練り物を箸で避けるこの男だ。最近、巷で聞くようになった名であるために、頭のどこかで少し聞き覚えのある名だと思った人も居るだろう。
私の仕事は、最近この辺でうろちょろしているこの男の事を調べて我が主に報告することだった。しかし、幸か不幸かこの土井半助と私は二人で会ってご飯を食べるまでの仲になってしまった。今がその真っ最中なのだが、私はどうしようもなく、この仕事を受けた私を恨んだ。
「最近、例の上司はどうです?」
「え、ああ。やっぱり何を言っても変わらなくて。自分はサボるくせに部下に仕事を強要してくるし、…」
いつの間にか、土井半助と交わす偽りの会話が楽しみで仕方なくなっていた。
伏し目がちに自らが持つ箸の先を見つめていると、心配そうな顔をした土井半助が、私を見ているのが分かる。私がそれを分かっていて顔を上げると、いつも慌てて顔を反らすこの男の反応が可愛くて仕方ない。実は私はこの男の一つか二つ程年上であるが、それを知らない本人は私をいくつに見ているのか気になる所だ。
「上司が部下に仕事を強要するなんて」
「あ、でも、それが私に対してだけじゃないってことは唯一の救いですけど」
「でも、このままじゃ、多分ずっと」
「えぇ。でも、ちゃんとしなくちゃいけない所では本当に凄い人なので、皆甘やかしてしまうんですかね、」
しかし、偽りの話と言えどこの話は半分が本当の話だ。ただ、私の勤め先があるお城の事務員だと言うこと。事務員以外は、大体本当の話だと言える。
「…凄い、人ですか」
「なんだかんだで、ですね」
しみじみ思う本音。本人の前では口が裂けても言えないし、絶対言わない。某城の忍者隊に所属する組頭である私の上司は書類整理など、座って行う業務に対してサボり癖があって、自分の仕事を部下に強要…というか、部下である私達が必然的に片付けなければならない状態に陥る事が多々ある。しかし、忍務や実践となると驚く程に、腕が立つ。
「…凄い、人」
土井半助がそれを口にするのは二回目だ。大の苦手だという練り物を箸で器用につつきながら、なにやらぶつぶつ呟いている。するといきなり顔を上げて、まだ熱いはずのお茶を一気に飲み干した。猫舌なんだと、この間言ってなかっただろうか。ああ、でもやっぱり熱かったらしく、通りかかった店の人にお冷やを頼んだ。ついでに私も貰い、ふと、なんとも忙しい男だと思った。
「ふぅ。ところで、苗字さん」
お冷やで口を冷した後、一息ついて口を開いた土井半助。
「最近、妙な噂を耳にしまして」
「妙な噂?」
ああ、ようやくか。ようやく入った本題に小さく息を吐いき、続く土井半助の言葉を待った。
「はい、それが」
「土井さんは噂話がお好きなんですね」
「え?あ、いやぁ、なんでもすぐに気になってしまって」
あれ。噂話の話題を待っていたのは私なのに、変に遮ってしまった。不信に思われただろうか。でも、この噂話を終えたらもう、この場を立たなければならない。それが惜しかったのだ。とても、とても。
「退屈でしたか?」
「…は、?」
「実は、苗字さんに意見をもらおうと思っていたんです」
「私の意見を?」
「はい。苗字さんにお話して、それから苗字さんに伺う意見はいつも的を得ていて、毎回納得させられて、苗字さんはとても頭の回転が早い人だなと常々思っていたんです。それに一を話したら十も理解してくれている感覚がなんだか、心地良いと言うかなんというか。私が上手く言葉に出来なかった時も、どんな言葉でも拾ってくれますし、安心して話が、できるんです」
「…そ、そうですか」
早口にまくし立てるように言った土井半助は、うどんに入れるような一味唐辛子を一瓶分、一気に飲み込んでしまった後のように顔赤くした。でも、多分私も変わらない顔色をしているだろう。ついでにもらったお冷やを飲んで熱を冷まそうとするが、上手くいかない。ああ、もう。本当になんなんだ。
殺気を削がれた猛禽類(剥製)
20150507