ガツン。

脳天に響いた聞き慣れない音が全身を駆け巡り、三周目に入った辺りで酷い頭痛に襲われた。一体なんだって言うんだ。
物を取るために伸ばした手はそのまま棚を掴んだままで、私は項垂れている。いや、堪えていると言った方が、いいだろうか。

「ちょ、ちょっと何してるの…!?」
「…まだ何も、」

きっとボウルが落ちる音がしたからか、伊助がキッチンを覗き込むとすぐに少々慌てた様子で駆け寄って来た。

「じゃあ、何しようとしてるの」
「お菓子作ろうと、してた」

棚から落ちてきた、大、中、小のサイズが違うステンレス製のボウルを拾いながら伊助は困ったような顔をした。分からないくらい小さく息を吐いて、彼は私に言う。

「何作るの?」

腕捲りした様子を見ると、どうやら手伝ってくれるらしい。
すっ、と視線を泳がせ周囲の様子を見始めた伊助は、ふと私と目を合わせた瞬間、眉間にシワを寄せた。

「もしかしておでこに当たった音だったの?」
「音?」
「なんか、変な音がしたと思ったんだよね」
「…っ」
「冷やさないと」

冷たい伊助の手が、私の額に触れて思わず息を飲む。伊助の手が冷たいなんて珍しいな、なんて考えながら私は少し俯いた。小さく息を吐いて、私は伊助の目の奥を覗き込んだ。

「…伊助」
「なぁに」
「伊助」
「どうしたの?」

捲り上げた袖を掴んで、目と目が合っているのに、私は伊助に何か言いたいのに上手く言葉が出てこない。

「…いすけ」
「おでこ、痛かったの」
「…ん」

ふ、と伊助の鼻から抜けた空気は不思議と嫌味は無く、表すのなら酷く優しい笑みであった。
それは何故か。何故かなんて、きっと目の前で伊助が優しく笑っているからだ。何か愛しいものを見つめる目。自惚れなんかではない。私は確かにニ郭伊助という男に愛されている。

「名前、大丈夫だよ」

大丈夫らしい。何がなんて分からない。でもなんだか心のどこかでは理解しているような、ふわふわとしたむず痒い感覚。
すると今まで胸の奥で突っ掛かっていた言葉が溶けたようで、いつの間にか入っていた肩の力が自然と抜けていく。

「さ、お菓子作るんだよね?何作ろうか」

今思えばいつも、そうだった。彼はいつだって私の中に出来た蟠りのような、酷くモヤモヤしたそれをすぐに取り払ってくれている。上手く言葉にして言えない私を、いつも彼は理解して、頷いてくれて、私の心を溶かしてくれた。

「ううん」
「?作らないの?」
「作るよ。作るけど、今日はね、特別だから伊助は座ってて」
「特別?」
「特別」
「……あ!」

ニ回三回と瞬きを繰り返した伊助は、ほんのり顔を赤らめて、また優しい笑みを浮かべてくれた。なんだか照れ臭くなってしまった私は、冷蔵庫に入れておいた板チョコを取り出す。一瞬湧き出た食べてしまいたい衝動を必死になって抑えた。

「僕は、待ってればいいの?」
「うん。待っててくれないの?」
「待つよ、待つけどさ、大丈夫なの?」

変なことを言うんだな、なんて思ってしまう私に伊助は目一杯眉間にシワを寄せて困ったような心配そうな顔をした。

大丈夫だよ、って言ったのは伊助なのに。すると私は、なんだか自然と笑ってしまっていた。でも伊助は咎めることもなく、一緒に笑ってくれて、私に言う。

「何か分からなくなったら、聞いてくれて良いからね?」
「大丈夫。ちゃんと調べてきたから」
「頼もしいね」

わざとらしく肩を竦めた伊助は、もう一度笑って腕捲りを解いた。


ハッピーバレンタインを君に
"ありがとう"を伝えたいから。
"愛"を形にしたいから。




20130214
女子力代表ニ郭!
しかし沈没!
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